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小田原は政財界人の別荘地でした

2014-04-21 | 趣味
昨日の続きです

清閑亭の職員の方の 話によると 小田原は 東京に近いこともあって
明治・大正時代には 文化人・政治家・財界人の別荘が 多かったそうです

初めは もっと海寄りの 低い土地に 多くの別荘があったそうですが
小田原大海嘯(おだわらだいかいしょう)という 高潮 で大きな被害が出たそうです

それは 1902年(明治35年)9月28日に 相模湾西岸一帯で発生した高潮で
当時の神奈川県足柄下郡小田原町(現神奈川県小田原市)を中心に
死者 家屋の損壊等の大きな被害をもたらしたのだそうです


それ以来 別荘は 高台に多く作られるようになり
清閑亭も 古稀庵も 眺めの良い 高台にあります


古稀庵は 現在は 生命保険会社の所有で 日曜日に 庭園だけが開放されています
うっそうと木が茂る 大庭園で 紅葉の頃は 素晴らしいそうです

昨日は 誰にも会わず…   ちょっと怖いくらいでした















ここは 山縣有朋の別荘だったのですが 建物は関東大震災で崩壊したそうです
今は生命保険会社の建物があり 庭園が残っているだけなのだそうです

 
邸内に水の流れがあります
この水は 早川から 引き込んでいるそうです
そのために 特別に 山縣水道水源地というものが造られ 現存するそうです

 ネット画像

 ネット画像


山縣水道水源地
(所在地) 小田原市風祭   (海抜) 約93メートル

これは わが国近代史に大きな影響を与えた 明治の元老 山縣有朋が
晩年を送った別荘古稀庵のための 水道の水源池として造ったものです

明治42年(1909年)にできあがり 老公自身が設計した庭園等に活用され
後には近くの 益田邸、閑院宮邸などの飲料水にも用いられました

個人用水道としては 大規模で しかも早い時期の水道施設として
上下水道史上でも 注目されている施設です

荻窪用水を分水して、直径26メートル、深さ4メートルの池で、1300トンの水を沈殿させ、
鋳鉄の管で1860メートル先の古稀庵(海抜33メートル)まで送水していました

山縣公は この水を愛しながら 政治や茶会を楽しみ 大正11年(1922年)古稀庵で亡くなりました


   飛び去ると見れば又来てやり水の
       岩根はなれぬ庭たたきかな(山縣公の歌)

                               小田原市教育委員会


山縣有朋は造園好きで 山縣三名園と呼ばれる庭園があるそうです

椿山荘庭園 1万8千坪。富士山、筑波山、房総の山々を見渡す広大な庭。
無鄰菴庭園 3100平方メートル(約940坪)[27]
古希庵庭園 1万坪



お昼ご飯を食べずに 歩き始めてしまったので 昨日は ここで終了しました
小田原駅まで 歩いて戻り 遅いお昼を食べて 帰りました
14,000歩を超えました




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2 コメント

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公爵山縣有朋の別荘 (俺的菜園生活(畑大好き爺さん))
2014-04-21 17:01:09
古稀庵についての解説御見それしました。古稀庵は山縣公爵が70才になるとき建造させた別荘の様ですね。彼も秀吉と同じ様に足軽から身を起こし、最後は第3代内閣総理大臣まで登りつめた逸材であった様です。歴史の一端を担った怪物だった様です。さて昨日訪問に対し早速コメントを戴き有難う御座います。私は畑作業が大好きでは有りますが、秋には近くの海で鯵釣りをして楽しんでおります。病後との事ですが、体を大切にして下さい。私の叔父さん(母親の弟)が今75才でこのブログ開設に骨を折ってくれて色々な意味で兄の様な存在です。この先叔父さんという字が現れましたらハハーンと思って下さい。これにて失礼致しますこれからもお付き合いのほど宜しくお願い致します。
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畑大好き爺さんへ (りんごのほっぺ)
2014-04-22 19:48:48
今日は病後の検診に行きましたが、異常なしとのことでホッとしています。
少しずつ体力も回復してきていますが、これからも用心しながら、楽しく過ごしたいと思います。
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