ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

その日暮らしのパソコン教室、にならないように

2014-12-26 | 日記

 

A3二つ折りのちらしを450部、自転車の前カゴに入れると前輪がけっこう重い。

そうだ、タイヤの空気も減っているんだったと、途中、自転車店に立ち寄り。

だいぶ減っていますね・・・・はい、100円です。100円分、軽くなって屈役所へ。

 

区内の図書館などに配ってもらう「暮らしを彩るパソコン教室」2月コースの募集チラシ。

毎月、今頃、届けるのですが、前日、区の担当の方から、ちらしはまだですか、の電話。

忘れていました・・・・2月の募集は区報の1月15日掲載ですから年明けでもいいですよ。

 

でも、暮れの挨拶もあることだし、と持参しました。

このところ受講者がますます減り気味の傾向、どうしたものでしょうね・・・・。

といって妙案も思い浮かばず、新年度向けに特集記事を区報3月5日号に掲載することに。

 

主だった人に暮れの挨拶をして辞去。

いつもロビーのちらしの減り具合を見て帰るのですが、昨日は忘れてしまいました。

受講者が少なくなると事業存続の必要性云々といった論議も出てくるし、厳しいなあ。

 

その日暮らしのパソコン教室・・・・自転車に乗る脳裏に、そんな侘しいネーミング。

そんなことを思いつくのも、年の暮れのせいでしょうか。

それにしても、日々の生活をおくることを、なぜ、暮らし、と言うのだろう?

 

そ、で頭韻を踏んでいることに気が付いて、ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか・・・・。

あの人はいま、どうしているのでしょう?

なんていきなり今のことに時制が飛んでしまって、この先、何を書く?

 

日が明けて日が暮れる、その繰り返し、日々の明け暮れ。

そういったところから、暮らし、の言葉が生まれてきたのでしょうか。

それなら、なぜ、明かし、と云わなかったのか。

そのほうが希望を持てて良さそうじゃないですか。

あ、また、そを踏んじゃった・・・・今朝はこれでお終いにしましょう。

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イブの夜、チェロの生演奏を聴きながら

2014-12-25 | 日記

   

今年も残すところあと1週間ほどになりました。

昨日は、今年最後の打合せをテクノで実施。

パソコンステーション事業の現況、課題を整理し、来年度の方向付けを行いました。

 

今までの定例会議で議論はしているので、ほぼこちらからの提案どおりで進めることに。

かなりビジネス寄りのプログラムになります。

もう一つのキーワードは、他組織との連携、ネットワークを活用したPR強化でしょうか。

 

5時過ぎに終わって、そのあと1Fのレストランへ。

イブの日、ディナーバイキングがあるのでぜひ出席を、と頼まれていたのです。

チェロの生演奏、それを聴いてみたいと思っていたこともありました。

 

施設の受付の女性のうちの1人がプロのチェリストなのです。

オーケストラと協演するほか、ギターとデュオを組んで演奏をしているとか。

会場の天井が低いので音が抜けないのでは、と心配しましたが杞憂だったようです。

 

ここのレストラン、4月に経営が変わりましたが、美味しくなったという評判です。

わたしも時々利用させてもらっていますが、メニューも豊富でなかなかいけます。

前日の休日にはケーキバイキングをやって、かなりのお客さんが入ったそうです。

 

施設の館長、本業がイベント企画だけに、いろいろなことを考えています。

1月には、葛飾フィルのロビーコンサートも行われるはず。

以前、ピアノがあるといいんだけど、と言っていたことも、実現するかもしれません。

 

施設の目的の一つが地域産業の活性化、その視点からの自主事業も考えているようです。

それを実現させるにも、いちばん大事なのは人的ネットワーク。

パソコン講習以外にも、地域の活性化につながることができればいい・・・・。

そんなことを夢想するイブの夜わたしなのでした。

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エクセルのスパークライン体験

2014-12-24 | 日記

昨日の祝日は雲一つない晴天。

昼近い時刻になっても富士がよく見えました。ツリーも仲間に入れて広角で一枚。

平日より車が少ないせいか、地平に近い空も青さがかなり残っていました。

 

区報の12月25日号が配られ、真っ先に見たのは、パワフル!かつしかの紙面でした。

パワフル!かつしかは、テクノプラザかつしかの広報紙で3か月に一度発行されます。

今号には、新春1月から3月までのパソコン講習会募集記事が掲載されています。

 

毎月発行してもらえると、講習会の受講者ももう少し増えるのだけどなあ・・・・。

3か月に一度というのは、受講の申し込みにとってはけっこう大きなハンディです。

2か月先、3か月先の予定までわかっている人は、そう多くはないでしょうから。

 

たまたま昨日は、4月から12月までの講習会データを整理。

広報発行の翌月の申込みが最も多く、翌々月、翌々々月になるに従い減っていく。

その傾向は何となくはわかっていましたが、実際のデータで確認したのは初めてでした。

 

確認には、エクセルのスパークラインを使ってみました。

グラフ化するほどでもないけれど、おおまかな傾向を調べたい時には便利な機能。

セルの中に、折れ線や縦棒などのミニグラフを数字抜きで表示してくれます。

 

やってみたら、セルが小さいとグラフも小さすぎて、虫眼鏡でもないと見えません。

といって周囲には他の表もあるので、そこだけセルを大きくはできない。

ダメもと、と思って、セルを幾つか結合して、そこをグラフの表示場所に設定してみました。

それがうまくいって、おー、賢い! これなら使える!

 

1月は多くても、2月、3月と、また、ジリ貧になっていくんだろうな・・・・。

来年度は、区報だけを頼りにするのではなく、チラシ配布やメディア利用も考えないと。

その来年度計画の打合せが今日の午後、相変わらず、自転車操業やっています。

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一陽来復、日々、陽が増す頃

2014-12-23 | 日記

 

昨日は冬至、一陽来復とも云います。

夜を陰、昼を陽とすると、冬至が陰の極点になり、夜の時間が一年で最も長くなる日。

この日からふたたび陽が増してくることから一陽来復。

転じて、めでたいことや春がふたたびやってくることも一陽来復と云うようになったとか。

 

カボチャを食べ、柚子湯に浸かりました。そうすると風邪をひかずにすむ、と親に云われて。

子どもの頃のそんな習慣もとっくになくなり、だから、ではないけれど、今頃は風邪がはやります。

 

間もなくクリスマス。これも、もともとは古代ローマの冬至の祭りだったといいます。

イエスの誕生日ということになっていますが、ほんとはいつ生まれたか分からない。

そこで、一陽来復の冬至の日にそれをあてた、という説をものの本で読みました。

 

その冬至の日に、わたしは喪中はがきの作成。

といってもわたしが出すのではなく、訪問レッスン先でそのお手伝いをしました。

賀状を作る手伝いを、と思って出かけたところ、数日前に不幸があって急遽変更。

 

賀状とは違って、喪中はがきのデザインに凝るというのもヘンです。

ごく普通のものにしましょう、とワードのテンプレートで作ることに。

グレーの蓮や菊などを背景にあしらったものが何種類かあり、そのうちの一つを選択。

 

文面を修正したあとに試し印刷・・・・あらら、文字だけで、背景イメージが印刷されない。

どうして? そうだ、背景を印刷するには、オプションで設定しないと・・・・。

めでたく文面は完成、同じ文面で差出人を奥さんの名前に変えたものも作りました。

 

連名でいいんじゃないですか? 女房が別々でないとイヤだというもので。

ふーん、嫌われているんだ、もしかして熟年離婚の前兆かもね。

そんなことありませんよっ・・・・そんなにムキにならなくても、冗談ですから。

 

次いで、「筆ぐるめ」の住所録を使って宛名印刷。

都合50枚余のはがきを印刷するのに、3時間ほどかかってしまいました。

これ一人でやれといわれても絶対にできませんね、ありがとうございました。

お互いに佳いお年を・・・・。

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東京駅開業100年

2014-12-22 | 日記

  

記念カード発売の大混乱に、ふ~ん、鉄道マニアって多いんだ・・・・。

と思っていたら、はなから転売目的の人もいて、すぐに10倍、15倍の値がついていました。

世の中は金と女が仇なり・・・・というのは今も変わらないようで。

 

昔の駅舎の形に復元されるには、多くの人たちの努力があったようです。

変哲のない駅ビルに作り変えられるよりはよほどよかった、と思っています。

その新装なった佇まい、わざわざ写真を撮りに行ったほどでした。

 

開業100年というと、できたのは大正初期・・・・関東大震災でも壊れなかったようです。

それが空襲という人災で破壊されたというのも皮肉な話。

ともかく現代風のビルに作り変えられたら、興味も関心も湧かなかったことでしょう。

 

その東京駅からブルトレの一日運行もあったようです。

たぶん、わたしもブルトレには何度か、でも、40年以上昔のことでよく覚えていません。

たそがれ時の東京駅を出て、朝、広島に到着、サウナに駆け込んだ記憶が・・・・。

 

時代は寝台列車より、もはや新幹線になっていました。

最初が大阪、あとは、名古屋、広島、博多・・・・けっこう出張の多い現役でした。

あとは熊本、これはさすがに列車では時間がかかりすぎ、往復とも飛行機。

 

北の方面の札幌、仙台、これはまだ新幹線はなくいずれも飛行機でした。

飛行機に乗り始めると、新幹線では時間が長く感じられ、大阪でも飛行機を使うように。

伊丹から最終便で東京へ帰って来ることもよくありました。

 

一度、羽田空港に着陸できずに大阪に逆戻り、翌早朝の臨時便で帰京したことも。

小型飛行機が道?に迷って羽田上空をうろうろ・・・・たしかそんな理由でした。

高度成長期、羽田沖での墜落、御巣鷹山の事故などの大参事が起きた時代でもありました。

 

駅や交通機関には、旅と云うより仕事と密着した記憶がはるかに多く残っています。

でも、仕事でも息抜きの旅行でも、リニア新幹線には乗ることは確実にないでしょう。

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