日曜日の朝刊を読むには時間がかかります。
なぜかというと、読書に関する記事が4面にわたって掲載されているから。
昨日の朝もじっくり読みながら、私の前世、やはり、紙魚(シミ)だったか・・・。
ヒトのカラダは9割が細菌、なんて本の書評が載っていて、ひぇ~っ、そうなんだ。
腸に住み着く細菌は100兆個、指先にはイギリス人口を上回る数の微生物が付着・・・。
「わたし」の部分は、たかだか1割に過ぎないといいます。
なら、あんまりオレだ、ワタシだ、なんて威張っていられないよね。
個人も一皮剥いてみれば、1つの共同体のようなもの。
脳細胞に宿る知識だって、ほとんどが他人様からの借り物なんだろうし・・・。
読むだけでなく、そんなことまで脱線して考えてしまうので、時間がかかるわけ。
考えているうち、すっかりその本を読んだ気になってしまうことも。
だいたい、読みたいな、と思う本は値段も高いし、読んだ気にさせてくれるのが書評の役目?
紙魚の末裔を実感したことがもう一つ。
このごろ、通販サイトのプライムサービスで外国映画をよく観ています。
腰痛治療を兼ね、ねんねんころり寝転んで・・・。
映画によっては字幕版と吹替え版があります。
どちらを選ぶか・・・これがいつも字幕版を選んで観てしまうんですね。
映画まで、活字がないと落ち着かない・・・これまた紙魚のご先祖様がわたしのカラダの中に。
字幕版を観るもう一つのワケ。
これは同じ映画の2つの版を見比べたとき、吹き替え版の声に違和感を感じたことから。
その声質で映画のイメージが変わってしまうんですね。
声にはどうしても色がつく、けれど文字には色がつかない・・・紙魚にもこだわりがあるようで。