昨日の講座、反省を活かしていつになく丁寧にすすめました。
テキストに忠実に、書いてあることと違わないよう説明しました。
そしたら、かえってテキストのわかりにくさに気がついてしまいました。
誰だ、こんなわかりにくいテキストを作ったのは?
わたしなんです。というわけで、またまた反省材料がみつかってしまいました。
いずれ直さないといけないと思うのですが、はたして実行に結びつくのでしょうか。
さて、受講者の評判があまり芳しくない講師が2,3います。
そんな情報が耳に入って来て、もしかして、わたしもその中の1人?
脛にキズがないとはいえない身なので、心穏やかではいられません。
不評の人たちに共通するキーワードは、「上から目線」のようです。
そういう人には、時として横柄さが見られますが、これも「上から目線」と関係するのでしょう。
そういう講師だと、たしかに、見下されているようで、感じ悪いですものね。
近くは、「粛々」を多用して、上から目線だとヒンシュクをかった官房長官が記憶に新しいところ。
今後は使いません、と言ったすぐあとに、首相が「粛々」と言ったこともありました。
「国民の理解が進まない」という言い方にも、何となく「上から目線」を感じますが、どうでしょう?
パソコン教室では、教える、教えられる、という関係があります。
もしかしたら、これを上下の関係と勘違いしているのかもしれません。
たしかに、教えを乞う、教えを授ける、という言葉もありますから、上下の関係と言えなくもない。
ただ、教える側も、かつては誰かから教わったはずです。
とすれば、上下の関係というより、時間的な前後関係でしかないと考えるほうが適切でしょう。
誰かに教わった側が教わったことを理解し、ほかの誰かに教えて理解してもらう。
その連環のうちにある関係なら、先に学んだほうが上ということはあり得ません。
もう一つ、相手に理解されなかった時、人は相手に理解力が無いから、と考えがちです。
自分の説明が悪いかもしれないことには、あんまり思い至りません。
戦争法案の説明など、何度聞いても、相手に説明能力がないなあ、と思うだけなのですが。
由らしむべし知らしむべからず。
政治家は、国民を従わせればいいのであって、道理を理解させる必要はない。
まさしく今の政治がこれ、上から目線以外の何ものでもありません。
彼らや官僚が「上から目線」になるのは、主権在民だと思っていないから。
なのでしょうが、話はまだ終わらないので、その2を明日に。