滅私奉公、という言葉、わたしの中ではとっくに死語でした。
30代の代議士の口から、滅私奉公は日本の精神、なんて出てくるとは・・・新鮮!
選挙区の皆さんは、きっと滅私奉公されているのでしょう、羨ましい!
ただ、滅私奉公というのは必ずしも土着の日本精神ではないと思います。
きっちり調べたわけではありませんが、せいぜい近世江戸期頃に作られたものでしょう。
それが明治から戦前に至って、忠臣愛国の国策とあいまって定着したのでは?
私心を捨て去って公のために尽くす。
そういう気持ちは、程度の差はあっても、皆無という人はいないと思います。いるかな?
いるとすれば、永田町や霞が関に巣食っているかもしれません。
己を空しうしてただ孚誠(ふせい)を盡す。
誰の言葉か知りませんが、これも同じような意味でしょう。
敗戦により、尽くす相手の公というものが揺らぎ、信用できない存在になりました。
そこで生まれてきたのが、社会のために、ではなく、会社のために、です。
日本の高度成長を支えてきたのは、たぶん、そういう精神だったのでしょう。
もっとも、会社のいいなりになって文句も言わず働く人たちは「社畜」と揶揄されましたけど。
わたしにも「社畜」前科?があって、カミさんほか多くの人に迷惑をかけました。
戦後70年に際して、社畜の過去を深く反省し、ここに心よりお詫びする次第であります。
その戦後70年、日本の平和はなぜ守られたのでしょう?
それは、大多数の国民が、2度と戦争はしたくない、と強く思ってきたからではないでしょうか。
その気持ちが平和憲法を支えてきたのだとすれば、いまそれを変える必要はありません。