昨日は春分の日。
和菓子屋さんの前を通ったら「彼岸だんご」と大書してあって、書き入れ時なのでしょう。
そういえば、おはぎ(御萩)というもの、子どもの頃に食べただけの気がします。
昔は、春につくるのがぼた餅、秋つくるのがおはぎと云い分けたそうです。
なるほどね、萩なら秋でしょう。でも、今ではその区分けは無い模様。
その和菓子屋さんでも、おはぎとして売っていました。
言葉としては、ぼた餅のほうがいろいろと使われます。
棚からぼた餅・・・・いつも夢見ているのですが、なかなか落ちて来ないものです。
ぼた餅で頬を叩かれるよう・・・・そういう幸運はなかなかやってきません。
ぼた餅のぼたには諸説があるようで、一説に、炭鉱のくず炭から来たというもの。
そういえば、炭鉱の町には、ボタ山というものがありました。
米でも屑米のことをぼた米といい、ぼた米でつくるものをぼた餅と云う説も。
牡丹餅顔というものもあります。
牡丹のようにきれいな顔ではなく、顔が丸く大きくて不器量な女性の顔のこと。
いま使ったらセクハラかパワハラかカオハラか・・・・。
ぼた餅には「北の窓」という異名もあるそうです。
半搗きの餅を使うところから月知らず、そこからさらに「北の窓」。
昔は、こんなふうに粋な言葉遊びの文化もありました。
彼岸といえばお墓参り。
墓参りへ行きたしと思えど父母の墓はあまりに遠し・・・・。
というわけで、日がな一日寝転んでぐだぐだと時を過ごしてしまいました。
思うことは、あいた口へぼた餅・・・・うまい話が転がり込んで来ないものでしょうか。