神戸の失踪事件、悲しく心痛む結果になってしまいました。
こうした事件は、どうして後を絶たないのでしょうか。
とくに被害者が幼い子どもだと、あったはずの人生などつい想って平静ではいられません。
先だっての女子高生による同級生の殺人。
人の命の大切さを熱心に教育してきたのになぜ・・・・というのがその時の教師たちの声でした。
それで、思ったものです、命の大切さって教えられなければ身につかないのか、と。
自分の子どもの頃、先生たちからそんなことを教わった覚えはありません。
世の中が食べること、生きることに必死になっていたからでしょうか。
戦争で多くの人の命が失われたのを見て、大人たちは日常から死を遠ざけていったのでしょうか。
これから先はともかく、わたしは今のところ人を殺したことはありません。
若い頃、殺してやりたい、と思ったことは何度かありますが・・・・でも、殺さなかった。
それを深く考えてみたこともないのですが、どうしてなのでしょう?
人を殺せば自分も死ぬことになる。でも自分は死にたくない。だから殺すことはしない。
イノチの大切だの何のといっても、結局は、自分が生きたいということではないのか。
だったら他人もそうだろう、生きたいと思っている自分=他人も殺せないはずだ・・・・。
だとしたら、この世に生きていたくなくなった人間は、他人を殺すかもしれない。
理由は様々で、衝動的に、ということもあるから、そうは単純にいかないかもしれない。
でも、結局は人が人を殺すことをなくすには、みんなが生きたい、生きていてよかった、と思える社会をつくるしかない。
生きにくい社会である、だから殺人や戦争が絶えない・・・・単細胞のわたしの結論。