ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

それは『いつも行っているお店』とは言わない ~ 母親のナビで仏具屋へ ~

2023年07月19日 | 老いと生きる

 先日、福岡市の繁華街の中心の『中洲』にある有名な仏具屋さんに母親と一緒に私の愛車のハイゼットで行って来ました。

 この時期に仏具屋に行ったのは、4月に亡くなった父親の初盆用の新しい提灯(ちょうちん)を購入するためです。我が家には30年以上お盆で使用している古い提灯があるのですが、「お父さんは新しい提灯で迎えよう。」と言う母親の一言で、新しい提灯を購入することが決まりました。
 
 ちなみに、提灯を買いに行く仏具屋に関しては、福岡では『お仏壇のは〇が〇』と言うCMが昔から流れて浸透しているのと同時に、「私も中洲の本店にいつも行っている。」と言う母親の言葉もあったので、有名な『お仏壇の〇せ〇わ』の福岡本店に行くことにしました。私は行ったことがないのでカーナビを検索して目的地にむかいました。家から車で30分くらいの距離です。

 予定通りの約30分後に、カーナビの指示に従って地図の上ではお店の近くに到着したのですが、母親の「大通り沿いにあるよ。こんな街の中には入らないよ。」と言う言葉(ナビゲーション)があったので、同じ場所をぐるぐる回る羽目になってしまいました。『お仏壇のはせ〇わ』の看板は全く見つかりません。

 繁華街のど真ん中をぐるぐる回っていても仕方がないので、空いている有料駐車場を見つけて車を駐車しました。そこで母親に「本当に大通り沿いにあるの。最近来たのはいつ。」と尋ねたところ、母親の口から出た言葉は、

 「おばあちゃんが亡くなった時。」

でした。私はその言葉を聞いて口があんぐりです。「なんじゃそれ。」です。

 私の祖母(おばあちゃん)は私が9歳(小学3年生)の時に亡くなったので、母親が言う『おばあちゃんが亡くなった時』と言うのは49年も前の話です。そんな半世紀くらい前に行ったお店を『いつも行っているお店』と言ってはいけません。半世紀も経てば街は変わります。福岡の繁華街の中心にあるお店ならば、なおさら移転して建て直されている可能性が大です。

 そんな状況だったので、私は目的地の仏具屋さんが大通り沿いにないのをこの時点で確信し、カーナビの示す場所(車では進入できない商店街の中)に歩いて向かいました。母親は少し怒りつつも私の後をついてきました。

 そして、歩くこと1分で『お仏壇のはせ〇わ』の福岡本店を発見しました。そのビルは商店街の中にありました。大きな店舗です。

 その後は1時間半くらいお店にいて、母親が選びに選んで購入した提灯だけでなく、必要な仏具もいくつか購入しました。お店の女性店員さんが付きっ切りで母親に優しく対応してくれたので本当に助かりました。思ったことをすぐに口にする私の母親の相手をするのは大変ですからね。「これがいい。」と言った数秒後に「これはダメ。」とか平気で言うので売り手泣かせです。私ならブチ切れる場面が何回かあったのでヒヤヒヤしました。

 余談ですが、今回の買い物では私が5月末にガラケーからスマホに機種変更していたことで得をしました。
 その仏具屋さんのアプリをダウンロードして会員になると提灯が20%引きになるセールをやっていたので、その恩恵を受けることができました。その他の商品も5%とか10%引きになりましたからね。「スマホに機種変更して本当に良かった。」とはじめて思いました。


 以上、母親のナビで中洲にある有名な仏具屋さんに行った話でした。

 今年の10月で86歳になる私の母親の老いが確実に進んでいるのを実感した今回の買い物同行でした。また新たな哀しい戦いが始まった気がします。

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