ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

全てが無事に終了したけど孤独で虚しい ~ 父親が亡くなってからの諸々の手続き ~

2023年12月17日 | 老いと生きる

 父親が亡くなった後に行なわないといけなかった手続きの中で唯一残っていた大物案件の『不動産と建物の相続手続き(名義変更)』が先日無事に終わりました。所有者が父親から母親に変わりました。来年からの固定資産税は母親が納付することになります。

 それ以外(小物案件)の、喪中はがきの手配と送付、父親を看取って下さった先生(医師)へのお歳暮の送付も終わったので、4月中旬に父親が倒れてから始まった色々な手配や手続きが全て完了しました。ようやく肩の荷が下りてホっとしています。
 一つの区切りがついたので、法務局で母親名義になった新しい書類(1,200円)を手にした後に、たまに行く回転寿司屋さんに行って一人で打ち上げを行ないました。久しぶりにたらふく寿司を食べました(それでも1,500円くらいでしたが)。美味しかったです。

 最後まで残していた『不動産と建物の相続手続き(名義変更)』に関しては、法務局の相談コーナー(予約制)に2回相談に行って、3回目に提出書類の最終チェックをしてもらってから窓口に提出しました。
 その後、「必要な戸籍が足りない。」と一度連絡がありましたが、それは手元にあったのですぐに提出して、当初の予定通りの10日間で手続きは完了しました。

 尚、手続きを司法書士や弁護士に頼む人が多いみたいですが、法務局の相談窓口で手続きのやり方を細かく教えてもらえたので自分で行ないました。ワープロのソフトが使える人ならば申請書類は自分で作れると思います。
 面倒なのは、法定相続人全員の戸籍謄本や印鑑証明や捺印、亡くなった人間(被相続人)の生まれてから亡くなるまでの全ての戸籍、等の用意です。相続人が多い場合はそれを全て揃えるのは面倒ですね。うちは母親と兄貴と私の3人だけだったので比較的楽でした。

 そんな感じで全てが終わった諸々の手続きですが、身内の誰も手伝ってくれなかったので表題に書いたように孤独で虚しかったですね。私を助けてくれたのは同じような経験をした職場の同僚の1人と役所の窓口の人達だけでした。

 兄貴家族が親の介護に関して全く手伝ってくれないのはこのブログで何度か書きましたが、手続きに関しても全く手伝ってくれませんでした。それに加えて父親から名義変更しなければいけない立場にある母親も非協力的だったのは予想外の展開でした。

 母親に関しては、長年連れ添った父親がいなくなって精神的に参っているのか、父親の具合が悪くなったのと同時期に腰を痛めたのが理由なのかは判りませんが、手続きに必要な情報をなかなか教えてくれないので本当に困りました。
 「私には関係ない。何とかなるよ。」みたいな発言をしたり、「男はダメ。役に立たない。女の子を産めばよかった。」と私に聞こえるように電話で親戚に愚痴をこぼすのを聞いたりしたので本当に虚しかったですね。全てを投げ出して関東に戻ろうと思ったことが何回もありました。


 以上、諸々の手続きが終わって気分が楽になった話と次男坊の私の愚痴でした。
 相続税を払うレベルに達しなかった今回の相続でしたが、来年の母親の確定申告の際には役所に説明する必要がありそうなので、その準備だけはしておくつもりです。もう少し誰からも感謝されない虚しい日々が続きそうです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ただただ辛かった26時間 ~... | トップ | お嫁さんってこれが普通なの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

老いと生きる」カテゴリの最新記事