六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

寄り道

2005年08月28日 | 文化・社会
 あさひ素材さんの8月16日の記事「木ばかり見ている」のコメント欄を拝見して、ちょっと「ひっかかって」しまいました。
 私はしつこくてトロく、ひっかかると先に進めないタチです(損な性格・・
 そこで私もコメント欄に投稿しようかと思ったのですが、長くなってご迷惑だろうし、記事そのものでなく、寄せられたコメントに対してコメントというのはどうなんかなーとも思ったので、自分とこに書いてTBすることにしました。
 
 というわけで今回はそーゆー「ひっかかり」内容です。不快に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。あらかじめお詫びしておきます。また、あさひ素材さまご自身、ご意見の続きがあると仰っているのに、それを待たずに私見を書くのはフライングかもしれません、そこもお詫びしときます。・・そして、もひとつ(小心者なワタシ・・) ここでいう「ひっかかり」とは、私の中の主観的な違和感のことです。「そうかな~、違うんじゃないかな~」程度の事であって、「アンタの意見は間違っているわよ!」という積極攻撃的否定ではないので、「ひっかかられた」方、あまり気にしないで下さいね~。

 私がまずひっかかったのは、『自虐史観という言葉が好きではない』と仰る春海さまのご意見です。
 この方は『・・そういう教科書で日本史を学び、それに上積みした勉強を重ねてきた者としては、自分のものの見方、特に日本史の見方を「自虐」などという見当はずれの言葉で否定されている気分になるからです。』だそうですが。
 私も、同じような教科書で教育を受け、ずっと朝日新聞(!)を購読して成人しました。でも自虐史観という言葉に接して、自分のものの見方を否定された気分にはなりませんでしたね~。
 むしろ、ずっと感じていた違和感や解けない疑問の正体はコレだったのか、とヒザを打つ事が多かったです。

 ・・それにしても、本当にご自分の感覚が正しいと信じておられるならば、「自分のものの見方」を否定する人に対しては「あっそう。意見が違うのね」で去って行けば済む話ではないのかしら。どうして『鷹野様の主張をそういう意味にとって賛同します。』と人を引き入れようとする言葉遣いをされるのかしら?

 また、『やはり明治憲法下の日本は、富国強兵をテコに海外殖民政策をとり、東アジアで欧米列強にとってかわろうとしたのだと認識しています。』と書いておられますが、当時はそれが世界標準の思考パターンだった、そうでなければどの国であっても蹂躙されたということを、春海さまは考慮に入れてらっしゃるのかしら?という素朴な疑問も。
 また、『欧米列強と異なり、植民地を収奪することより、神の子孫たる天皇を戴く日本を自尊し、他の民族国家をそれに同化させようという意図の方が前面に出ていたようで・・』と言われるけれど、じゃあ春海さまは、欧米型の植民地収奪方法の方がなんぼかマシだったと思ってらっしゃるのかしら?という素朴な疑問2も。

 当時、日本と同じく世界もまた、今に比べて未熟で間違ったことが沢山あった。今は違憲でトンデモナイことでもある売春が、当時は合憲だった、のと同じように。

 ・・これは日本人だけがどうこうとかいう話じゃない。いまや世界全体が、大戦当時よりはちっとは「マシに」なってきている。あからさまな帝国覇権主義や後進国植民地化なんてナンセンスだし、まだまだ道は遠いけど南北格差是正は善で一方的搾取は悪という方向が共通理解になっている。グローバリゼーションすら、もう時代の先端ではない。
 そんな中で、「場の空気を読む」のに多分世界一長けている民族である日本人が、いまさら武力による覇権を目指すなんて、ありえね~から。

 力をもったらすぐ領土と資源獲得のために動くべし、と考える近隣の国の方たちが、自分たちの思考パターンを日本に投影し、勝手に危険な未来を仮想しているだけじゃないのか。その主張を鵜呑みにする素地が、自虐史観によって作られてるとは思いませんか?

 そして、ひっかかりの2つめ。mori夫さんのご意見。

 『それとももっと大きな、未来志向的な視点で、アジア人として、あるいはもっと世界市民として、30年後、50年後、100年後には、国境などすべてなくなって、自由に旅行したり住んだりできるようになるのが理想という立場で見るのか。(この場合、伝統的な日本国は消滅します。)
 おそらく歴史は三つ目の思想で進行していくと思いますが。』

 国境なく自由な往来ができる理想と、伝統的な日本国が消滅するのが、なぜ一致するのでしょう?飛躍しすぎではないでしょうか。「それが未来志向だ」という点の違和感はおいといても。

 所得格差とか環境無視の自国最優先主義といった、いま現在の国境を基準にした搾取の構図と硬直した思考は、ぜひ消滅して欲しい。その理想は私も賛成です。
 でも、それぞれの国や地域が伝統を忘れ、均一の(グローバリゼーションというやつ)のっぺりした、どこまで行っても同じような風景、同じような個性の人々のいる世界が、理想の未来とは私は思えません。
 歴史も、そういうふうには進行しないと思います。だって最近、ようやく、伝統文化の価値が見直され、自然にしろ文化にしろ、多様性の重要さが評価されるようになってきたし。

 「未来志向」「争いのない理想像」と「日本人の伝統を捨てること」が説明なしにするっと結びついて提示されてしまう、そのことに私はひっかかりました。無意識に「日本人の伝統的精神=悪い面がいっぱいある」と、刷り込まれてはいませんか?それこそが自虐史観教育の賜物だと思うのですが。

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