六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

靖国問題

2005年08月05日 | 文化・社会
 ダーリンが小林よしのりの「靖国論」を買ってきたので、先にパラパラっと覗かせてもらったら、7ページ5コマ目に、こんなことが書いてあった。
 中国の学者に対して小林よしのりが言った台詞。

 「中国共産党は唯物論のはずでしょう。中国人民には『あんな所(=靖国神社)には遺骨も位牌も何もないんだ。日本人はありもしない霊というものを信じてる連中だ。放っておこう』と言っておけばいいじゃないですか」

 あはは その通り。

 8月15日に、総理が靖国に公式参拝すると、近隣国の民の心を傷つけることになるから止めろ、という議論がある。
 それに対し「日本人の宗教観をもっと説明して近隣国に理解してもらえば」という意見もある。

 う~ん。

 前回の記事の、山登りの喩えで言うとね。分かり易いと思うのね。

 平原に住んで、山に登りたがらない人が、山を登る人に対し「登るな!」と要求する。「私には、山を登る必要があるとは思えないから、やめろ!それに、登られると上から見下されるから不快だ。見下ろされた過去も思い出すし」と。
 登る人はとまどう。別に見下すのが目的で登るわけじゃないし、平原の人から登るのを止められるいわれもない。(でも、あんまり騒いでっから、五月蠅いな~やめとくかな~・・って気にもなる)
 一方、山の魅力を語って理解してもらえれば、平原暮らしの人も、登る気になるのではないか?少なくとも、黙ってくれるのではないか?と考える人もいる。

 ・・何というか、どちらもお互いに《余計なお世話》じゃない?

 山には、黙って登ったらいい。

 登りたがらない人を、無理に登山に誘う必要もない。
 また、平原の人が「登山道から見下ろされた!」だの「それで自尊心を傷つけられた!」だのと騒いでも、そんな内政干渉はサックリ無視して、言わせておけばいい。

 平原の人からは見えない景色が、山腹からは見える。でもその風景は、平原の人にとっては《存在しない幻》なのだ。

 平原に暮らすことは、尊重すべき選択であって、登山者の方からとやかく言う事でもないし。

 お互いに、平原と山で棲み分ければ、こんなの何の問題にもならないのに。
 こうして国際問題めいてしまうのは、本質とは違う部分で意図を持っている一方が、わざと騒ぎたてているから。その意図を、冷静に見きわめる必要がある。 

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1 コメント

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ナイス例えですね~ (megumiyazaki)
2005-08-06 19:34:49
山登りの例えは言い得て妙ですね。

「山腹から見下ろされて不愉快」って荒唐無稽な反論もとんちんかん具合がぴったり^^



終戦記念日、いよいよ近づいてきましたね。この夏一番のイベントが(笑)



さて、首相は公約通り8/15に参拝するでしょうか?



いやあ、わくわくします^^



PS.

ラブバトン、よりによって私ですか・・・orz

うう・・・恥ずかしい・・

LOVEとは基本無縁なんですが・・・。

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