今日も真夏日。朝から暑かったです。8時15分も、もうすでに暑かったです。1分間の黙祷をしました。
先日、記念碑の「やすらかに眠って下さい あやまちは くりかえしませぬから」の「あやまち」の部分を削って傷つけたバカがいた。
あやまちをあやまちと認められない狭量さが、情けない。
たとえばあの原爆投下が戦争を早く終わらせたという説を、無邪気に信じている人々と同じく、恥ずかしい。
先日のNHK「その時歴史が動いた」では、終戦直前の米英とソ連の密約や連携、ソ連の対日参戦の経緯などが描かれていた。コンパクトにまとまっていて、とてもわかりやすい番組だった。
それでも、NHKの描き方は『決定的なミスは「大本営」の参謀次長(だったかな?)の希望的観測とおひとよしが招いたもの』みたいな流れで。いずれにしろ当時の指導部の甘さや独善を、やっぱり断罪しておかなくちゃ、みたいな文脈だった。
しかし、諸君!を見ると、実はこの大本営の判断ミスさえも、米英側に仕組まれさそいこまれたもので、日本はそもそも情報心理戦にさえ負けていたのだと分かります。
こんな冷徹悪辣な人々を敵に回して、当時の日本人は真っ向から精神力だけで立ち向かった。そのけなげさ、純朴さには、哀しささえ覚えます。
米軍は、ソ連への誇示と議会説得のために、是が非でも原爆を実戦で落としたかったし、ソ連は日本の割譲のおこぼれにあずかろうとばかり考えていた。
双方とも、あのキノコ雲の下で何が起こっているかなど、これっぽっちも想像しなかったし気にもかけていなかったんだなぁと、身に沁みて、つくづく、分かります。
他でもないその人たちが、短期間で作り上げた日本国憲法の前文。その中の「・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
この部分がいかにうそっぱちであるか。
そんなうそっぱちのまやかしにすがりついて、希望の光を見ようとするほどに、当時は絶望的な状況で、みんな疲弊しきっていたんだろうなぁ・・(涙)
それにしても、60年後の今日に至ってさえ、『平和を愛する諸国民』にとってキノコ雲の下は、歴史から消されて《無いもの》になっているのですねぇ・・。http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050806AT1G0600106082005.html
先日、記念碑の「やすらかに眠って下さい あやまちは くりかえしませぬから」の「あやまち」の部分を削って傷つけたバカがいた。
あやまちをあやまちと認められない狭量さが、情けない。
たとえばあの原爆投下が戦争を早く終わらせたという説を、無邪気に信じている人々と同じく、恥ずかしい。
先日のNHK「その時歴史が動いた」では、終戦直前の米英とソ連の密約や連携、ソ連の対日参戦の経緯などが描かれていた。コンパクトにまとまっていて、とてもわかりやすい番組だった。
それでも、NHKの描き方は『決定的なミスは「大本営」の参謀次長(だったかな?)の希望的観測とおひとよしが招いたもの』みたいな流れで。いずれにしろ当時の指導部の甘さや独善を、やっぱり断罪しておかなくちゃ、みたいな文脈だった。
しかし、諸君!を見ると、実はこの大本営の判断ミスさえも、米英側に仕組まれさそいこまれたもので、日本はそもそも情報心理戦にさえ負けていたのだと分かります。
こんな冷徹悪辣な人々を敵に回して、当時の日本人は真っ向から精神力だけで立ち向かった。そのけなげさ、純朴さには、哀しささえ覚えます。
米軍は、ソ連への誇示と議会説得のために、是が非でも原爆を実戦で落としたかったし、ソ連は日本の割譲のおこぼれにあずかろうとばかり考えていた。
双方とも、あのキノコ雲の下で何が起こっているかなど、これっぽっちも想像しなかったし気にもかけていなかったんだなぁと、身に沁みて、つくづく、分かります。
他でもないその人たちが、短期間で作り上げた日本国憲法の前文。その中の「・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
この部分がいかにうそっぱちであるか。
そんなうそっぱちのまやかしにすがりついて、希望の光を見ようとするほどに、当時は絶望的な状況で、みんな疲弊しきっていたんだろうなぁ・・(涙)
それにしても、60年後の今日に至ってさえ、『平和を愛する諸国民』にとってキノコ雲の下は、歴史から消されて《無いもの》になっているのですねぇ・・。http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050806AT1G0600106082005.html
前に否定していたマスコミの
見せている光景に影響されまくってませんか?(苦笑)
影響されてても、それと自覚するコトは、けっこう困難です。
どの辺がAsh様に「影響されとるな」って感じさせる部分なのか、ぜひ知りたいですー。よろしければ教えて~。
信憑性について書く前に、その内容に対して上乗せした
感想や“分かります”といった理解を示されている点です。
違っているようであれば、謝罪致します(苦笑)。
いつの時代も情報は政治と国家の為に
操作されていると考えて間違いないと
思います。
TBさせてくださいね
同じ情報に接しても、その人の心のベースにあるものによって、《拾う》情報と《捨てる》情報が違ってきますしね。たとえば「アンケート結果の数字そのものは、動かぬ証拠だろう!」と言う人もいますが、数値さえも設問の流れである程度操作できちゃいますし。難しいもんです。
要は、情報とはそういうものだ、という心構えを持っておくこと。複数の(当然、反対の立場からの主張含む)情報源に、こまめにあたること。そして、不安定で流れ続ける時代の渦の中にいるんだという自覚をもつこと、でしょうね。
・・でも、それを全部真面目にやってると、1日が50時間くらい欲しくなる・・無理
平和を願えば平和は来る・・と信じることは大切だし、素敵なことですよね。
ただ、私たちの目は、願いのためにどうしても曇ったり視野狭窄に陥ったりしがち。自ら望んで美しい言葉に騙されていったりさえします。そういった愚を冒さないためには、常に自分の生き方を自らに問い直し、魂に痛い現実も冷静に直視しようとする姿勢が大切なのだと思います。しんどいですけど。
そして、政治と国家は誰のためにあるのか&有権者としての自分の責任はどのあたりにあるのかも常に考えなくては。日本は一応、民主主義の法治国家なんですから。また、自分達の世代だけで完結するような存在ではないのですから。
つまり、その人が自分の努力を持って情報収集をしてい
た結果導かれている考え・結論であれば、それもまた正
しいということでしょうか?
例えば....自分の情報収集の結果原爆投下によって戦争
が早く終わったという説を心から信じていても、それは
正しいということになるわけですね。
>キノコ雲の下で何が起こっているかなど、これっぽっちも想像しなかったし気にもかけていなかったんだなぁ・・・
アグニュー博士と対談した被爆されたかたもそう思って悔しい思いをされたことでしょう・・・
私も核は絶対反対です。
そうなんですね。正否とはそういう主観的なもので、だから親子喧嘩から戦争まで、さまざまなレベルでの争いが無限にあるし、法による行動規制も必要になるんでしょうネ。時代や社会によって、正否の評価が変わるのも、そのせい。
ただ、そういう自己満足にすぎない《正否》という価値観も、多くの人がそれによって利益を得たり賛同を覚えたりすれば「その時代の」「その社会の」正義として、多数の人に共有される。自分できっちり考えずに済んで便利でもあるだから、自己満足だからといって「正否を考え、表明することは無意味だ」とは言えないと思います。
核兵器は、人類とその歴史に対する、アメリカのあやまちであると同時に、国籍を問わない科学者という人種(?)のあやまちであり、その行動を、さまざまなかたちで抑制したり止めたりできなかった世界の科学者以外の人の、あやまちであると思います。
そして、身をもってそれを受けながら、廃絶に向けて効果的にふるまうことができていない日本人のあやまちでもあるんですよね・・。
この問題は、私も連載になりそうです^^;