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風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

会社で御飯を炊いてはいけません!(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第313話)

2016年02月29日 21時20分00秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 勤め先には社員食堂がない。
 火を使って火事になってはいけないから、テーブルだけ並べた食堂があって、みんな出前の弁当を取ったり、手作り弁当を持ってきたりして食べている。
 中国人はあたたかいものしか食べないから、食堂の電子レンジでみな自分の弁当を温める。たとえば、日本の駅弁のような冷えた飯は受け付けない。僕がコンビニで買ったおにぎりを食べていると、どうして温めないのと不思議そうな顔をしたりする。僕は冷えた御飯がけっこう好きだったりするのだけど。
 電子レンジでは当然一つずつしか温めることができないから、順番待ちでなかなか食べ始められない人がでてくる。そこで、総務が業務用の大きな蒸籠を買ってきた。四段くらいの大きな蒸籠のなかに弁当を並べれば、いっせいに温めることができる。とても便利だ。
 ところが、蒸籠を導入したとたん、料理を始める輩が出てきた。十一時くらいになると机を離れてこっそり食堂へ忍び込み、野菜を切って容器に入れ蒸籠のなかへ置いていたりする。米を洗って、蒸籠に置く奴もいる。お昼時には蒸籠で蒸した料理やお米がふっくら仕上がるというわけ。
 さすがに注意して料理はやめさせたけど、お米を炊く人はまだいる。
「やっていいことと悪いことの区別がつかないから」と日本人の総経理(社長)はあきらめ顔だった。
 そりゃ、誰だって炊き立てのおいしい御飯を食べたいものだけどねえ。



(2014年12月14日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第313話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


酔っ払いの騒ぎ声とハイヒールの高い音(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第312話)

2015年12月29日 09時30分30秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 僕の住んでいるマンションの道路を挟んだ向こう側のビルには広州でも有名な高級クラブが入っている。高級クラブなので、もちろん一見さんはお断りだ。知り合いがのぞきに行ったことがあるそうだが、入口のところでやんわりと断られたのだとか。
 週末の夕方にエレベーターに乗ると、僕よりも背の高いお姉さんがいかにもご出勤という出でたちで立っていたりする。香水の匂いがプンプンする。僕はスタイルがいいなあと感心しながら眺めるだけ。職業柄そんな癖がついているのか、エレベーターが一階につくと、たまにドアを押さえてくれたりするお姉さんもいる。僕にサービスなんてしなくてもいいのに。ご出勤のお姉さま方はハイヒールをこつこつ響かせて、マンションのホールを出てゆく。
 夜中、酔っ払いの騒ぎ声が聞こえてくる。高級クラブから出てきた酔っ払いが屋台の麺をつつきながらわいわいと騒ぐのだ。男も騒げば、女も騒ぐ。たまに酔っ払い同士で喧嘩することもあるようだ。
 年に何度か、真夜中のクラブで大捕物がある。公安がクラブへ入ってマフィアを捕まえるのだ。
 マフィアが逃げまどって叫び声をあげ、公安が拡声器でおとなしくしろといったことを叫ぶ。パトカーのサイレンがひゅんひゅんと唸る。小一時間くらいは騒がしい。目の覚めた僕は騒がしさに寝付けず、ぼおっと騒ぎ声を聞いていたりする。翌日は決まって、クラブの前に公安の車がとまっている。
 昼も夜もなかなかにぎやかな国だ。




(2014年12月4日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第312話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


玉音放送に関する堀田善衛さんの憤慨(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第308話)

2015年11月10日 07時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 一九四五年八月十五日、日本中に流れた玉音放送についての回想を読むと、大勢の人が「雑音がひどくて聞き取りにくかったが、ともかく戦争が終わったようなのでほっとした」と書いている。
 名編集者で名エッセイストだった宮脇俊三さんの『時刻表昭和史』には玉音放送が流れて戦争は終わったけど、それでも汽車はいつも通り走っていたといったことが書いてある。これなどは杜甫の「国破れて山河在り」という感覚とほぼ同じだ。たとえ国家が敗れても世の営みは変わることがないのだと。
 それだものだから、堀田善衛さんの次の文章を読んだ時、こんな憤慨を抱いた人もいたのだと驚いた。


放送がおわると、私はあらわに、何という奴だ、何という挨拶だ、お前の言うことはそれっきりか、それで事が済むと思っているのか、という、怒りとも悲しみともなんともつかぬものに身がふるえた。 ――『上海にて』(堀田善衛)


 正当な怒りであり、やり場のない悲しみでもある。
 戦争は人間のおぞましさをすべてさらけださせる。そんなものをひき起こしておいて、いったいどう責任を取るのだ? と問い詰めたい気持ちでいっぱいだっただろう。

 先の大戦で露呈したのは、日本政府の杜撰さと戦争のいかがわしさだった。
 戦争に大義はない。
 戦争を始める人たちはいつも戦場のはるか後方の安全な場所に居て、戦争へ行きたくない庶民たちを戦場へ送り込む。なぜ戦争を始めるのかといえば、それで出世できたり商売が繁盛するからだ。口先だけでは勇ましいことやもっともそうなことを言いながら、腹のなかでは自分の損得勘定をしているだけである。
 作戦指導も杜撰だった。
 兵隊のいちばんの死因は戦闘による負傷ではなく餓死だ。食料の補給が届かずに大勢の兵隊が飢え死にしてしまったのだ。「腹が減っては戦ができぬ」というがまさにその通りで、腹ペコでは戦争どころではない。真っ先に考えなくてはならないのは、兵士の腹をどうやって満たすかだ。戦はそれから始まる。飢餓が生じた前線ではおぞましい地獄絵巻としかいいようのない事態が出現した。まだ学校に通っている若者たちは特攻隊にさせられて自殺を強要された。
 それを玉音放送で「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」みなでがんばろうと呼びかけられても到底納得できるものではないだろう。堀田さんが憤慨したとおり「それで事が済む」わけではないからだ。個人の尊厳を踏みにじるだけ踏みにじった後で、そんなことを言われてももはや手遅れだ。死人が生き返るわけでも、踏みにじられた人生が元通りになるわけでもない。
 日本を守るためと素朴に信じて戦場へ赴いた人々の気持ちは尊い。だが、戦争を始めた日本の指導者たちは正義のための戦いと称し、国民を騙して戦場へ送り込んだのだ。先の大戦で騙されたのは仕方ないとしても、二度騙されるのは避けたい。

 堀田善衛さんが怒りの矛先を向けた昭和天皇は、絞首刑になってもおかしくない敗戦から四十数年も生きながらえ、天皇として君臨し続けた。この面からいえば、昭和天皇はしたたかなマキャベリストだったといえるのかもしれない。




(2014年8月15日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第308話として投稿しました。
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そんなにわさびをつけなくても(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第306話)

2015年10月17日 21時55分55秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 中国人も刺身をよく食べるようになった。なにより日本料理店へ中国人が大勢くるようになった。今住んでいる広東省広州で行きつけの日本料理店へ行くと昼のランチタイムも夜も中国人で席が埋まっていたりする。おまけに彼らは刺身の舟盛りや大きな甘海老をどんどん頼んだりする。値段の高いものから頼むという感じだ。僕なんぞは、梅酒ロックをちびちび飲みながら、日替わり定食やハンバーグ定食を食べていたりするのだけど。
 びっくりさせられるのは、中国人は決まってからい中国わさびを大量につけて刺身を食べることだ。中国のわさびは日本のわさびとは品種が違う。日本のそれよりも数等からい。
 中国人のある友人と日本料理店でいっしょに食事した時、友人はわさびを箸でたっぷりすくったかと思うと醤油皿のなかをわさびでどろどろにして、刺身にそれをたっぷりからめてぱくりと一口に食べた。わさびが効きすぎているから、当然、
「からいっ! 鼻が痛いっ!」
 と友人はおっぴろげた鼻の孔をおさえる。
「つけすぎだよ。鼻がつんとしてしかたないだろう」
「だってわさびってからいものなんだろ。話には聞いていたけど、ほんとにわさびってからいねえ~」
 彼は楽しそうだ。唐辛子たっぷりの激辛料理を「辛い!」と言いながら食べるようなノリだ。
「そんなにつけたら醤油とわさびの味しかしないじゃん。魚の味がしないだろ。ほら、こうやってつけるんだよ」
 僕は醤油皿の端にすこしだけわさびを入れ、さっとかきまわして、それから箸につまんだ刺身の端っこにちょっとだけ醤油をつけた。
「たったそれだけ? それじゃわさびの味がしないじゃない」
「だから、刺身の味を引き立てるためにわさびがあるんだよ」
「そういうものなのかなあ」
 友人は不思議そうだ。彼によると、刺身を食べるときはたっぷりわさびつけて毒消しをしなければならないのだそうだ。そうしないとお腹をこわしてしまうと。確かに、中国人は生ものを食べる習慣がないから、生ものに弱い。なにか工夫して腹痛を予防しないといけないのかもしれないけど。
 それからも友人はわさび醤油でどろどろになった刺身を食べ続ける。一切れ食べては「からい、からい」と嬉しそうに叫ぶ。わさびの刺激が病みつきになってしまったようだ。中国人には中国人の刺身の楽しみ方があるだろうからそれいいんだけど、でもそれではまるで、刺身を食べにきたのではなくて、わさびを食べにきたようなものだ。中国四千年の歴史にはかなわないと思った。




(2014年8月6日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第306話として投稿しました。
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『戯作三昧』について ――創作活動の舞台(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第304話)

2015年10月07日 22時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 芥川龍之介の作品のなかで、いちばん好きなのは『戯作三昧』だ。
『戯作三昧』では、滝沢馬琴を主人公にして彼の日常生活と創作活動の舞台裏を活写している。ただし、この作品は実際の滝川馬琴をリアルに描こうとしたものではない。伝記文学でもなく、歴史小説でもなく、純文学の題材として滝川馬琴を選んだにすぎない。
 この作品では、小説家・滝沢馬琴の姿を借りて、小説家である芥川自身の自意識を掘り下げようと試みている。もちろん小説だから、江戸時代の雰囲気といったものはそれらしく書いているけれど、肝心なのは創作者の生活と創作に対する姿勢だ。そこが読んでいて面白い。
 馬琴は神経症的な人物として描かれている。この神経症的な病み方は、芥川自身の自意識を掘り下げようとしたほかの作品――たとえば『蜜柑』――の主人公と同じだ。近代文学は新しい「自我」を持った「私(わたくし)」を描くことから始まる。
 この作品の馬琴は、かなり自己解剖的だ。たえず自分の心の動きをたしかめ、それをできるだけ客観的にかつ批判的にとらまえようとする。芥川自身、いつも己の心理を解剖し、その成果を作品に活かしていたのだろう。もちろん、自分の心を絶えず解剖するなどというのはかなり危険な作業だ。心を痛めつける。芥川は天才だったから、心を徹底的に解剖することができた。そして、解剖しすぎて心をぼろぼろに痛めつけたために、芥川はとうとう狂気へ陥ってしまった。

 銭湯へ行けば聞こえよがしに嫌味を言われたり、作品の芸術性などどうでもよくてただ儲かる本を書いてくれさえすればそれでいいという態度の俗物編集者が自宅へやって来たりといろんなことが重なり、滝川馬琴はいらいらする。世間と触れ合うほどに、彼の神経は逆立ってしまう。創作に集中したいのに、どうしてもできない。そんなところへ、絵描きの友人が遊びにくる。
 絵描きの友人は、馬琴と言葉を交わしながらもずっと絵のことを考えている。それが馬琴にはうらやましい。プロフェッショナルな人は分野を問わずたいていそうだけど、いつも仕事のことを考えている。小説家ならいつもその書きかけの小説のことを考え続けているものだ。芥川もたえず小説のことを考えていたに違いない。ずっと小説のことを考え続けていたからこそ、珠玉の作品群を生み出すことができたのだ。

 さて、滝川馬琴が書斎で書きかけの原稿を読み返してみれば、どうにも粗が目立つ。自分に腹が立ったり、情けなくなったり。ここでも、芥川の創作の日常が窺える。天才芥川でもいろいろ悩みながら書いていたのだろう。そう思うと、こちらもほっとする。もちろん、芥川は天才だから、悩むレベルが凡人とは違うだろうけど。
 芥川の描写は研ぎ澄まされている。読む返すたびにほれぼれとして、いつも溜息がでてしまう。芥川の描写は無駄がなく研ぎ澄まされている。映像が鮮やかに浮かぶ。冴えた音が聞こえてくる。芥川は何度も推敲しては無駄な言葉をそぎ落としたのだろう。
 会話の運び方も非常に巧みだ。その場の雰囲気や会話者の気分や心理、思想といったものを的確に捉えたうえで会話を進める。会話に無駄なよどみがない。芥川の小説を読むと、正座をして一心不乱に彫刻を刻み続ける彫刻師の姿を連想してしまう。

 最後に馬琴を救ってくれたのは、寺参りから帰ってきた孫の言葉だった。孫はやさしく祖父の馬琴にこう諭す。
 ――勉強しなさい。
 ――癇癪を起こしてはいけません。
 ――辛抱しなさい。
 といった月並みな言葉だが、振るっているのは、孫が、
「浅草の観音様がそう言ったの。」
 というところだ。この言葉で馬琴の心が引き締まる。雑念が消え、創作に集中できるようになった。馬琴の筆はすらすらと進む。
 人はなにか偉大なものに見つめられている。そして、その偉大なものに答えを出すのは自分自身にほかならない。
 ともすれば、他人のどうでもいいような言葉や自分の邪念やちっぽけな欲望にまどわされたりする。だが、それではほんとうの意味でいい仕事はできない。いい仕事をするためには、どこか「無私」でなければならない。愚直な純粋さと言えばいいだろうか。その愚直な純粋さを担保するものが偉大ななにかであり、『戯作三昧』では「浅草の観音様」になるのだろう。
 もしかしたら芥川龍之介は、心の奥底ではそんななにかを信じて創作活動を続けていたのかもしれない。





(2014年7月27日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第304話として投稿しました。
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浮気は許しませんっ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第301話)

2015年09月05日 23時15分30秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 中国人の知人A君は、奥さんの管理がたいそう厳しい。
 A君が出張から帰ってくると、家で待ち構えていた奥さんがA君の背広の匂いを嗅ぎ、ポケットをすみからすみまで調べ、鞄のなかもすべて検査するそうだ。もちろん、浮気していないかどうか、出張先で悪い遊びをしていないかどうかのチェックである。ここで妙なカードやレシートが見つかるとアウト。
 無事に持ち物検査をパスしても、これだけでは終わらない。
 奥さんはやおら服を脱いで裸になる。
 ――わたしとしなさい。
 ということだ。
 こうして、奥さんはA君の実際の状態を現物確認する。
 ここでA君ががんばることができれば、検査合格。もし、がんばれずに成果をあまり出せなかったりすると、
「あなた、出張先でなにをしてたのよ! ほんとに出張してたの? 若い女と浮気してたんじゃないでしょうね」
 と詰問されることになる。
 この話を聞いた時、なんて厳しい奥さんなのだろうとびっくりしてしまった。中国人の女性は独占欲が強くて、旦那の浮気を非常に警戒するけど、これほどまでに厳しい話は初めて聞いた。出張でくたくたに疲れている時もあるだろうに。出張から帰ってすぐにまたひと仕事とはお気の毒様。
 ところが最近、飲み屋で知り合った中国人B君の話を聞いて、A君の奥さんが厳しくする理由がわかった。B君は出張へ行くたびに、スマホのアプリを使って女の子を探すそうだ。浮気専門のアプリがあるので、出張先でダウンロードして女の子を探し、出張から帰る前に、奥さんにばれないようにアプリ自体を削除してしまうのだとか。しかも、B君は出張へ行く前に女の子を探しやすい場所を調べ、わざわざ女の子をつかまえやすいホテルを選ぶという入念さ。一杯飲みながら出張先でのアバンチュールを語るB君はすこぶる楽しそうだ。次からつぎへと、中国各地のいろんな女の子の写真を見せてくれる。たしかに、きれいな子が多かった。あれだけたくさん、きれいで若い女の子と遊べたら楽しかろう。
 そりゃ、厳しくチェックしたくもなるわな。
 




(2014年6月22日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第301話として投稿しました。
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タイから来ました! (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第300話)

2015年08月26日 14時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 タイから広州へきたコンテナにちょっとした事件が起きた。
 なんと、コンテナのなかに身長三〇センチくらいの大トカゲが入っていたのだ。しかも、生きたまま。おそらく、コンテナのなかは木陰になっていて涼しいからうっかりまぎれこんでしまったのだろう。
 タイの工場から広州の工場まで船で運ぶとタイと中国の通関手続きと海上輸送をあわせて、なんだかんだで三週間近くかかってしまう。もちろん、鉄製品を運ぶコンテナのなかには大トカゲ君の食べ物などあるはずがない。水すらないのだ。三週間もよくサバイバルしたものだと思う。
 大トカゲを発見した中国人スタッフたちはすっかり盛り上がってしまい、箒でびしばし大トカゲ君を叩いて殺してしまった。三週間飲まず喰わずでいた大トカゲはすっかり弱っていて、さしたる抵抗もしなかったのだとか。中国人スタッフのひとりが大トカゲ君の遺骸を持ち帰り、白酒につけて薬酒にしたそうだ。大トカゲ君は酒壷のなかにその姿のままで押し込められているのだろう。
 そのままタイにいればふるさとでのんびり暮らせたものを、中国へやってきたばかりに薬酒にされてしまったのかと思うと、なんだかあわれである。
 

 


(2014年6月11日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第300話として投稿しました。
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漢方医の実習生がやってきた(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第299話)

2015年08月20日 00時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 あまり使っていない会社の会議室に見知らぬ白衣の女の子が坐り、中国人の社員たちがなにやら通っている。健康診断の時期でもないのになんだろうと思っていたら、
「野鶴さん、ちょっときてください」
 と中国人の部下たちが嬉しそうに僕を会議室へ誘う。
 会議室には電気マッサージの機械がおいてあって、白衣の女の子がマッサージを施していた。
「野鶴さん、気持ちいいですよぉ」
 と勧められるままに、電気マッサージを受けた。両肩にパッドを当てて電気を流すと凝ったところをほぐしてくれる。ズンズンと揉まれている感じだ。
「力加減はどうですか?」
 白衣の女の子が聞くので、
「もうちょっと強いほうがいいかな」
 と僕が言うとスイッチを押して強めてくれた。こんどはズドンズドンと揉まれる感じになる。とても気持ちいい。
 二〇分ほど電気マッサージを受けたあとで首を回してみると、首の骨がシャキシャキっと鳴った。ぼんやりしていた頭がすっきりした。
 なんでもその白衣の女の子は中国医学(漢方)の医学生で、実習のために企業を回っているそうだ。数日間、無料で電気マッサージを施して、総務からこの企業で何日間実習しましたという証明書をもらう。その実習の証明書がないと卒業できないのだとか。合計で三か月間ほど「実習」へ行くそうだ。
 漢方医の実習生の女の子はなかなか受け入れてくれる企業がなくて困っているという。それはそうだろう。従業員が就業時間中にマッサージを受けていたのでは仕事にならない。僕も部下が代わる代わるいなくなるので困っていたところだった。みんなで集まって打ち合わせしようにもできない。ただ、マッサージを受けたあと、仕事ははかどった。頭がすっきりした状態なのでスイスイ仕事をこなせる。
 翌日、会議室の前を通りかかると実習生の女の子はやはり会議室にマッサージ機を据えて待ち構えている。会議室にはだれもいない。彼女は手持ち無沙汰そうだ。せっかくきてくれているのに誰もマッサージを受けないのは彼女に悪いので、今度は肩と腰を同時に電気マッサージしてもらった。電気マッサージが終わった後、その女の子は両手で肩を揉んでくれた。漢方医の医学生だけあって正確につぼを押してくれる。
「野鶴さんっ! なんでそんな特別なサービスを受けているのですかっ!」
 ちょうど会議室へ入ってきた部下の中国人の女の子が嬉しそうに日本語で叫ぶ。
「え? 揉んでもらっているだけだけど」
 僕がそう言うと、
「ふつうは、電気を当てておしまいですよ。わたしたちにはそんなサービスをしてくれません」
 と、部下の女の子はにやにやする。
「そうなの?」
「彼女は野鶴さんが気に入ったんですよぉ」
「そうかな?」
「彼女の電話番号は聞きましたか?」
「うん、もう教えてもらったけど」
「うわー、恋人になるといいですよ」
「違うってば。肩こりがひどいから相談に乗ってもらえたりしたらいいなと思っただけだよ」
「あははは」
 部下の女の子は笑って去っていった。
 彼女はその話をさっそく広めたようで、喫煙室へタバコを吸いに行くと、みんな僕に向かってその話ばかりして、
「野鶴さんはいい歳なんだから家庭を持たなくっちゃ(野鹤先生,差不多吧,你成家吧)」
 と、嬉しそうに僕の肩を叩いたりする。肩を揉んでもらって電話番号を聞いただけなのに、みな飛躍しすぎだ。実習生の女の子は二十歳近くも年下なのだから、たとえ僕がモーションをかけたところで相手してくれるわけがないじゃないか。電話番号を教えてもらえたのは嬉しかったけどさ。
 タバコを吸い終わって事務室へ戻ったら、外出先から戻ってきた僕の上司がデスクに坐っていた。ボスは日本の本社からきた駐在員だ。
 ――やばいかもしれない。
 と僕は思った。このままでは野鶴は仕事中にマッサージを受けて遊んでいたことになりかねない。実際、遊んでいたわけだけど。
「部長、ちょっとだけ電気マッサージを受けてみませんか? 気持ちいいですよ。肩が凝っているでしょう」
 そう明るく言って誘ってみたら、ノリのいい人なので、
「ほんとに疲れるよなあ。トラブルばっかりだもん」
 とぼやきながら会議室までついてきてくれた。
 しめしめ、これでボスも共犯者だ。





(2014年5月30日発表)
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中国国産ワゴン車 VS ホンダ・オデッセイ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第298話)

2015年07月22日 07時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 

 ときどき、「ドイツ製 VS 中国製」だとか「日本製 VS 中国製」といった写真をみかける。たとえば、ドイツ製の自転車と中国製の車がぶつかって、中国製の車はぼこぼこになったのに、ドイツ製の自転車はすこし歪んだだけだとか、日本製のキャベツを切ろうとした中国製の包丁の取っ手がぱっくり割れてしまったといった、中国製の安かろう悪かろうぶりを表現した写真だ。
 僕は中国に足かけ九年ほど住んでいるから、中国製の安かろう悪かろうぶりには慣れているつもり、というか日本で買ってきた本、デジカメ、CD、DVD、キンカン、金鳥蚊取り線香以外はほとんどすべてメイド・イン・チャイナに囲まれて暮らしているわけだけど、それでもときどき、中国製の品質の悪さにびっくりさせられることがある。
 ある時、事務所の駐車場で運転手さんたちががやがやと騒いでいた。
 別の人が社用車にしているホンダ・オデッセイが、僕が社用車として使っている中国国産のワゴン車の前面にコツンとぶつかってしまったらしい。オデッセイの運転手がすこし脇見をして、とまっているワゴン車にあたったようだ。
 様子を見てみると、ホンダ・オデッセイはかすり傷ひとつないのに、中国国産のワゴン車はバンパーがぱっくりと割れてしまった。
「しょうがないなあ」
 と集まったみんなは大笑いしている。ホンダ・オデッセイも実は中国産で広州本田の工場で生産しているものなのだけど、やっぱり日系車は作りが違う。昔、ジョージ・クルーニーが日本でオデッセイのテレビコマーシャルに出ていたけど、そのときの、
『いい車が好きだ。男ですから』
 というコピーを思い出してしまった。
 僕がいつも乗っているワゴン車の運転手さんは、
「今の車のバンパーなんて飾りみたいなものだからね。安物のプラスチック製だから割れるよ」
 とつぶやくから、
「プラスチックの飾りの下には鉄のバンパーが入ってるんだよね?」
 と僕は訊いた。
「ちょこっとね」
 運転手は人差し指と親指で一〇センチくらいの幅を指し示す。
「そんなに小さいんだ」
 僕はバンパーってもっと太くてごついものだと思っていたのだけど。なんだか頭がくらくらしてきた。そんなバンパーでは、ちょっとした事故でも大怪我になりかねない。
 中国はもともと人の命が安い国だから安全というのはあまり重要視されない。見栄えさえよければそれでOK、使えればそれでOKというお国柄だから品質は二の次だ。命が惜しかったら安物のワゴン車ではなく、オデッセイのようないい車に乗るしかないのだけど……。
 


 


(2014年5月15日発表)
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労働節休暇短縮と中国国内の民族問題(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第297話)

2015年07月15日 16時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 五月一日はメーデー。労働者の日だ。
「社会主義国家」である中国も五月一日を「労働節」として定めており祝日になる。
 中国の場合、祝日を利用して三連休を作ることがほとんどだ。今年(二〇一四年)の場合、五月一日が木曜日なので、四日の日曜日を二日の金曜日へ振り替え、五月一日(木)、五月二日(金)、五月三日(土)を三連休にする。五月四日は平日扱いになる。
 もっとも、労働節休暇は二〇〇七年まで土日の調整を入れて七日間の連休だったのだが、二〇〇八年から政府は、「清明節」、「端午節」、「中秋節」を新設の法定祝日とするかわりに、「労働節」を短縮してしまった。
 祝日の変更は、単なる変更ではない。社会主義の理念のさらなる弱体化と中国の大漢民族主義の表れだった。
 「清明節」、「端午節」、「中秋節」はどれも漢民族の祝いの日だ。一見、なんの不思議もないように思えるが、中国共産党が統治する中華人民共和国は漢民族の国家ではない。社会主義の理念のもとに五十六の民族が構成する多民族国家だ。労働者の祝日を削って漢民族の祝日を法定祝日にする理由はなにもない。
 こんなふうに漢民族の風習を押し付ければ、反発する民族が出てくるのは当然だ。イスラム教を信仰するウイグル族やチベット仏教を信仰するチベット族はとくにそうだろう。
 どこの国でも民族問題はセンシティブな問題だ。取り扱いに細心の注意を要する。国民に対しては噛んで含めるように宥和を教え諭さなければならないのだが、こんなぞんざいなやり方をしていたのでは民族問題の解決などできるはずがない。
 もっとも、漢民族の政治リーダーはこれまで以上に漢族の自己主張を強め、大漢帝国主義をむき出しにするだろう。よほど開明的で強力な指導者が現れない限り、中国国内の「文明の衝突」は激化しこそすれ、解決の方向へは向かうことはないだろう。
  


(2014年5月1日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第297話として投稿しました。
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