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風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

昔の豆腐はおいしかったよね、なんて(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第335話)

2016年09月15日 13時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 昨日は中秋節。中国では春節の次に大切な祝日。家族で御馳走を食べる。
 奥さんと繁華街の外国食材を扱うスーパーまで出かけて買い出しをした。奥さんは奮発してステーキ肉を買う。僕も高知産の純米レモンゆず酒を買った。
 家へ帰った後、奥さんは人生二度目のステーキに挑戦する。前回は焼き過ぎて失敗してしまったので、今回はちゃんと焼くと気合が入っている。いろいろと反省して臨んだだけあって、きれいなレアに仕上がった。
 ところが、僕に味見をさせた奥さんはなかの赤い肉を見て、ほんとうにこんなものを食べて大丈夫なのかと目をぱちくりさせる。
「これはレアと言ってこんなふうに食べるものなんだよ」
 と僕が言っても信用してくれない。
「こんなの食べたら、お腹を壊すわよ」
 奥さんはステーキを電子レンジにかける。お義母さんも奥さんと一緒にレンジでチンをした。もっとも、半熟ものに慣れていないからミディアムくらいにしたほうが無難だろう。僕はレアのままおいしくいただいた。
 純米レモンゆず酒を飲みながら、昔の豆腐屋の話になった。奥さんは子供の頃の豆腐はとてもおいしかったし、作り立ての豆乳は味が濃くてよかったという。お義母さんは、昔は豆乳一袋が一分(一元の百分の一、日本で言えば一銭)で買えたのが、五分、一角(一元の十分の一)と値上がりして、五角になった頃には味がだめになったと言う。機械で作るから手作りの味のよさが失われてしまったと。
 奥さんの家族は上海の下町に住んでいた。
 昔は、豆腐屋が天秤を肩にかけて両端にぶらさげた籠に豆腐を入れて売りに来たそうだ。表まで出て豆腐を買うのはいささか面倒なので、二階の窓から紐にぶらさげたボールを下し、そのボールのなかに豆腐を入れてもらって豆腐を買った。古き良き時代ののどかな風景だ。奥さんが子供の頃は、夜、鍵をかけなくても安心して眠れたという。
 よもやま話をした後、がんばってステーキを焼いたご褒美に背中をマッサージしてあげた。お互い中年だからマッサージが気持ちいい。ふと窓の外を見ると満月が空に懸かっている。心地よさげに鳴く虫の音が聞こえた。


(2015年9月28日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第335話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


丸見え式トイレ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第327話)

2016年08月01日 07時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 中国の田舎へ行けばまだまだあるけど、一昔前の中国のトイレは丸見え式のものが多かった。
 壁沿いのところに溝を流してあって、前後の仕切りだけついてある。大の用を足す時は、その溝に跨ってする。前後の人は見えないけど、横からは用を足している姿が丸見えだ。
 僕がその丸見え式のトイレで初めて用を足したのは、雲南省の田舎のバスターミナルだった。二〇〇一年のことだ。
「ここでウン×をするのか」
 話には聞いていたけど、たじろいでしまった。でも、たしかに大の大人が丸見えのまま溝に跨っている。僕にしても、急いでいるし、ほかに用を足すところもない。しかたなく、空いているところを探して跨った。丸見えの姿勢まま、挨拶を交わしている地元の人たちがいるのには、さらにびっくりした。きばっていると、ごおぉぉっと音を立てて水が勢いよく流れる。タンクにタイマーがついていて、定期的に溝にたまった汚物を流すしかけだった。安上がりで合理的といえばそうだけど。
 初めは恥ずかしくてしかたなかったけど、そのうち僕は丸見え式のトイレに慣れた。きれいに掃除してあるトイレもあるし、穢いところもあるけど、もうどんな丸見え式トイレでもきばれるようになった。要は、周りを気にしなければいいのだ。溝を水で流すのだから水洗式だ。ぼっとん式の便所に比べれば臭くないし、ぼっとん式の糞壺に落ちたらどうしようという恐怖感を味わなくてすむ。
 都市部では丸見え式の便所は消えていった。上海や広州の都市部で公衆トイレへ入っても丸見え式に出会うことはまずなくなった。
 数年前、世界遺産になっている客家の土楼を見るために福建省の田舎へ旅をした。山の谷合に囲まれたなかに一族が全員住むという城塞のような集合住宅がある。大きいものになれば、百世帯以上収容するものもある。匪賊などの外敵から守るためにそのような集合住宅を造って住むようになったそうだ。土楼の周囲は田んぼと畑ばかり。当然、トイレは丸見え式だ。とはいえ、観光地だからきちんと掃除してきれいだった。
 丸見え式トイレで用を足して出てくると、小学校低学年くらいの中国人の男の子に話しかけられた。
「おじさん、ここのトイレは清潔なの?」
 男の子は泣きそうな顔で僕に訊く。そんなことを訊かれたのは初めてだったので目が点になった。トイレが汚くても、たとえ丸見えでも、素知らぬ顔でぶりぶりっときばるのが中国だと思っていた。たぶん、その男の子は町育ちで丸見え式のトイレなんて使ったことがないのだろう。
「きれいだよ。開放式だけどね」
「え? 丸見えのやつ?」
「そうだよ」
 僕は丸見え式のトイレを嫌がる世代が出てきたのかと、半ばあきれながら、半ば感心しながら答えた。丸見え式が嫌だというのはそれだけ中国も発展したということなんだろう。
 男の子は丸見え式だという僕の答えにショックを受けたようで、半べそになってトイレへ消えていった。



(2015年6月28日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第327話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


心斎橋のマツモトキヨシ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第326話)

2016年07月16日 07時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 上海人の奥さんを連れて一時帰国した。
 郷里の大阪へ帰り僕の母親と奥さんの対面を済ませ、奥さんを奈良や京都へ連れて行き、それから買い物をした。
 奥さんはずっと以前、東京で一年半ほど暮らしていたし、その後も何年かに一度は日本へ行っているので、日本は慣れている。観光ツアーで心斎橋へ行ったことがあるそうで、心斎橋にはかわいい服がたくさん置いてあると楽しみにしていた。果たして、半額バーゲンをしていた店があったので、奥さんはそこへ飛び込み服を買った。
「五着でたったの七千円よ」
 と奥さんは嬉しそうに笑う。バーゲンで服をたくさん買って奥さんは御満悦だった。もっと高価な服をたくさん買いたがるのかと思っていたけど、それで満足してくれたので、僕はほっと胸をなでおろした。
 日本へ行くというので、奥さんは友人たちからいろんな買い物を頼まれた。ドラックストアで買うようなものが多いから、心斎橋のマツモトキヨシへ入った。店のなかは中国人ばっかりだ。中国人買い物客の北京語やら広東語やら上海語やらが飛び交っている。みんなスマホをいじりながら、商品を写真に撮って送り「これでいいのか」と確かめたり、「歯磨き粉を七本買ったけど、これで足りるのか」などと連絡していた。中国の歯磨き粉には有毒物質が入っているとかで、日本の歯磨き粉を求めるそうだ。
 岡本理研の〇・〇一ミリが人気なようで、奥さんの女友達に何箱か頼まれていたのだけど売り切れでなかった。ちなみに、岡本理研のコンドームは中国でも販売しているけど、中国では〇・〇三ミリしか置いていない。奥さんの女友達はみな四十歳前後だけど、えらい元気やなと思う。
 ダイエット用の酵素を買い物籠に入れ、「大麦若葉」という名の青汁も買い物籠へ入れた。どちらも頼まれ物なのだけど、上海へ帰ってから僕も飲まさせるはめになった。体重はぜんぜん減らない。減らないどころか前より太った。
 奥さんはムヒも買う。香港製で似たような薬があるけど、ムヒのほうがずっといいのだとか。それから、馬油のクリームも買った。頼まれたのと自分が使うものだ。奥さんは馬油はすごくいいと言って毎日塗っている。馬油を塗ってから肌が乾燥してかゆくなることがなくなったそうだ。
 ビニール袋がえらく重いのでこれ以上買い物できない。道頓堀の近くでお好み焼きを食べ、それから家へ帰った。


(2015年6月22日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第326話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


つかまらないタクシーin上海(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第325話)

2016年06月01日 21時50分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 上海はタクシーをつかまえにくい。
 最近は、みんなスマホのタクシー予約アプリでタクシーを呼ぶので、空車が来たと手を挙げても、すでに予約済みで素通りされることが多い。ちなみに、アプリで予約が入ったタクシーはフロントガラスのところに「空車」と表示しておいて、屋根の看板のところに「停輸(輸送停止)」と表示してあるから紛らわしい。フロントガラスのところに「予約」と表示してくれればわかりやすいのに。ようやくタクシーを捕まえても、「方向が違うから」と乗車拒否されたり、「もう帰る時間だから」と断られたりする。
 勤め先の近所で飲んだ時は、ホテルのタクシー乗り場へ行くようにしている。客をホテルまで送ってきたタクシーがくるから、道端で手を挙げるよりもよほど確実だ。
 ただし、どうしようもなくタクシーがつかまらない時がある。金曜日の雨の夜は最悪だ。夜の十時過ぎに勤め先の近所の居酒屋を出た。僕の家は遠いから終電は終わっている。道端にはタクシー待ちの人がそこかしこにいる。タクシー予約アプリを使っている人が多すぎて、アプリでもタクシーを呼ぶことができない。ホテルの前へ行くとここも人でごった返している。それもタクシー乗り場の行列しているのではなく、てんでばらばらにたむろしながらタクシーを待ち構えている。タクシーの奪い合いになるのは目に見えているのでむずかしそうだ。
 ホテルでタクシーをつかまえるのはあきらめて、時々後ろをふりむきながら夜道を歩いた。やはりあちこちにタクシー待ちの人がいる。タクシーはたくさん流れているけど、客を乗せた車ばかりだ。たまに遠くに空車を見かけても、すぐに誰かにつかまえられてしまう。
 結局、歩けば結構な距離だけど必ずタクシーがつかまる秘密のスポットへ行ってタクシーをつかまえることにした。そこは、高架道路の出口になっていて、誰もそこでタクシーをつかまえようとはしないし、十分ほど立っていればかならず高架道路から降りてきた空車が通る。
 道すがら、深夜営業のマッサージやサウナの看板をいくつも見かけた。雨も降っていることだし、なかへ入ってゆっくり疲れを取りたいなあ、なんて思ったのだけど、そんなところへ入ったら奥さんに大目玉を喰うので、あきらめて道を歩き続けた。
 午前零時、秘密のスポットへ着いた僕はすぐにタクシーを拾うことができた。居酒屋を出てタクシーをつかまえるために二時間も歩き続けたから、酔いなんてとっくに醒めた。家へ帰ることができてよかったのだけど、翌朝目覚めたら、なんだか足がだるかった。




(2015年5月31日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第325話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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ゆる~い試験(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第324話)

2016年05月03日 06時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 企業安全責任者講習というものを受けることになり、広州へ出張した。町役場の会議室で一週間の講習を受けて、最後の試験にパスすれば、町役場からその証書をもらえる。会社にひとりはその証書を持った人間がいないといけないそうだ。
 広州郊外の工業団地のなかにある町役場の会議室には周辺の工場の人たちが三十人ばかり集まった。日本人は僕ひとりだけのようだ。講義はもちろん全部中国語だけど、九割くらいは聞き取れるのでほとんど問題はない。月曜日から金曜日まで毎日違う講師がきて、安全生産法という中国の法律やら事故事例やら職業病の予防やら安全に関する企業責任といったことを勉強した。
 講義を聞いただけでは盛りだくさんの内容を覚えきれないから、工業団地のなかの安いホテルへ帰ってから教科書を開いて、教科書に黄色いマーカーを引きながら勉強した。最後の試験に落ちたら大変だ。下の人たちに対して示しがつかなくなる。メンツを保たなくてはいけない。
 中国で留学はしたけど、通ったのは語学コースだけ。大学の講義で習うような内容を教科書を読みながら勉強するのは始めて。最初は教科書を読むのがしんどかったけど、教科書を読みながら口でぶつぶつ念じているうちに頭のなかに内容が入るようになってきた。
 さて、金曜日、最後の講義が終わった後、試験が始まった。試験時間は二時間。A3の試験用紙の表と裏に問題がびっしり書いてある。教科書を見てもいいというので、教科書を広げながらテストの答えを書き込んでいった。
 問題を書き終えて見直しをしていたら、試験監督のお姉さんがやってきた。町役場の職員の人だ。マーカーを引きまくった僕の教科書を見て、
「あら、まじめに勉強したのね」
 と感心する。彼女は僕の答案をじっとのぞきこんで、
「だいたいあっているわね。合格だわ。――あれ、この問題の答案はBとCとDの三つよ。Bが抜けているわ」
 と指摘してくれる。それもこっそり教えるというわけでもなく、ごく普通の口調で堂々と言う。僕はいいのかなとびっくりしてしまったのだけど、
「謝々」
 と言って答案にBを書き足した。
 試験が終わって十日ほどしてから、企業安全責任者の証書が届いた。B5サイズの折り畳み式の証書には僕の名前と顔写真が載り、町役場の判子が押してある。無事に合格してよかった。これで面目を保つことができた。実は、企業安全責任者の資格の下に、安全主任という資格がある。これも地方政府の資格だ。僕が預かっているチームのうちの四人に安全主任講習を受講して資格を取ってもらう予定でいる。僕は大威張りで、
「お前らまじめに勉強して一発で合格してこいよ。僕は合格したんだからな。しかも、僕は外国語で企業安全責任者の資格を取ったんだぞ。お前らは母国語で受けるんだから合格するなんて簡単だろう」
 とはっぱをかけることができる。
 それにしても、まさか答案を教えてもらえるとは思わなかった。亜熱帯の広東省だから、のんびりしていてゆるいのかな。


(2015年5月24日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第324話として投稿しました。
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大阪焼き(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第323話)

2016年04月26日 22時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 大阪焼きとはお好み焼きのことである。
 奥さんは中国人なので、お好み焼きのことを「大阪焼ダーバンシャオ」と呼んでいる。
 お好み焼きには山芋をすりおろして入れたほうがいい。ただ、山芋をあまり入れすぎるとぼろぼろになって固まってくれないので、少しだけ入れるようにする。お好み焼き粉は必ず牛乳でとく。水でといてもいいのだが、牛乳のほうがおいしい。
 僕が奥さんにお好み焼きの作り方を教えたところ、すっかり作り方を覚えてしまい、自力で作れるようになってしまった。
 奥さんはエビが好きなので、小エビのむき身を買ってきて入れる。でも、肉もほしいから、豚肉の薄切りも入れる。毎回、ぶたエビ玉ができあがる。
 お好み焼きは余分に焼いて冷蔵庫に入れておく。弁当にお好み焼きと御飯を持っていき、インスタントの味噌汁を作れば、次の日の昼ご飯はお好み焼き定食となる。


(2015年4月13日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第323話として投稿しました。
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二〇元亭主(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第322話)

2016年04月24日 06時45分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

「妻に給料を没収されてしまいましたあ」
 A君は頭をかきむしる。彼は二十八歳の上海人の男性だ。一歳の男の子がいる。
「どうしたの?」
 僕が訊くと、
「エロマッサージに行ったのが、妻にばれてしまいました! 」
 と叫ぶように言う。微信ウェイシン――中国のLINEのようなもの――でエロマッサージ店の女の子と連絡を取り合ったメッセージが見つかり、それでその店に行ったこともばれたのだという。メッセージにはすこしばかりいけないことが書いてあったそうだ。
「僕の小遣いは毎日二〇元(四百円弱)です。毎朝、妻がくれる二〇元だけです。お昼に安いランチを食べても一五元くらいかかるから、たばこ代も残りません。うわっ、どうしようっ!」
 ばちが当たったといえばそうだけど、フーゾクへ一回行ったくらいで給料没収とはなんとも厳しい奥さんだなと思いながら、事務所の総務の女の子にそのことを話すと、
「そんなの当り前よ」
 と彼女はまなじりを吊り上げる。総務の女の子も上海人だ。
 なんでも、彼女の同級生は旦那さんに一週間百元の小遣いしか渡していないそうだ。その旦那さんは、賭け事で負けてすっからかんになった友人に三千元ほど貸してあげたのだが、奥さんは賭け事をするような人にどうしてお金を貸すのかと怒り、給料を没収してしまったそうだ。同級生の旦那さんは車通勤をしていてガソリン代もお小遣いで賄わなければいけないから、すこしでもお金を浮かすために寒い冬でもエアコンをつけずに車を運転して会社へ通っているのだとか。なんとも痛ましい話だ。
 家へ帰ってから奥さんにこの話をした。僕の奥さんは話を聞きながらきらきら目を光らせ、上海では旦那さんの行ないが悪いと奥さんはすぐに給料を没収してしまうのだと言う。
「でもさ、ずっとそんな小遣いじゃ、あんまりでしょ。いつかはふつうの小遣いにするんだよね。だって、友達と飲みにさえ行けないもの」
 僕が言うと、
「それは旦那さん次第ね。一生懸命奥さんに尽くして、いい子にしていれば、いつか怒りが解けてきちんと小遣いをもらえるようになるかも。――あなたもフーゾクなんかへ行ったりしたら、給料を没収しちゃうわよ」
 と奥さんはきつい目で僕を見る。
「奥さんがいるのにそんなところへ行くわけないじゃん。行く必要もないし。あはは」
 僕はとっさにごまかした。見て見ぬふりをして見逃してくれるようなことはあり得ないんだろうな。僕も給料を没収されないように気を付けないと。神よ、私を誘惑からお守りくださいっ! 




(2015年3月15日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第322話として投稿しました。
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地下鉄の物乞い(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第319話)

2016年04月10日 06時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 上海の地下鉄二号線には物乞いが現れる。虹橋空港から南京東路といった目抜き通りを抜けて浦東空港までを結ぶ路線だ。東京でいえば、羽田空港から銀座を通る路線といったイメージになるだろうか。
 虹橋空港で二号線に乗ると、一番端の車両に二人組か三人組の物乞いがスタンバイしていて、電車が走り出すと持っているスピーカーからにぎやかな音楽を流して小銭の入った碗をじゃらじゃらと鳴らせながら乗客の一人ひとりに物乞いを始める。ほとんどの乗客は無視するけど、たまに小銭を与える人がいる。ただ、時折、四五歳くらいの女の子が物乞いをすることがある。携帯スピーカーから音楽を流し、ヘッドホンのマイクに向かって蚊の鳴くような声でかすれた声で歌を歌う。子供にこんなことをさせてと思うのだけど、幼女が物乞いをする時は乗客はわりあい小銭を与えたりする。もちろん、親はその効果を狙って、子供に物乞いをさせているのだ。
 この物乞いの仕事は実入りがいいようで、ひと月に一万元くらい稼げるのだそうだ。上海の大学新卒の給料は三五〇〇元くらいだから、物乞いの収入はその三倍くらいにあたる。
 人それぞれ生きるのにひたむきなわけではあるけれど。



(2015年2月15日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第319話として投稿しました。
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上海地下鉄の安全検査(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第317話)

2016年03月26日 06時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 僕は上海で毎日地下鉄に乗って通勤している。
 上海の郊外にある家の最寄りの駅から十駅乗って乗り換えて、それからまた十駅乗って勤務先の最寄り駅に着く。片道は家のドアを出てから事務所に着くまで一時間半。さいわい、僕の乗る路線はそれほど混むものではない。家の最寄り駅ではうまくいけば坐ることができるし、乗り換えた路線でも、十分本を読むことができる程度の混み方だ。もちろん、上海の地下鉄のなかには東京みたいに殺人的な混み方をする路線もある。たまにラッシュ時のそんな地下鉄に乗る時は、東京みたいにお尻で人を押して乗ることになる。ただ、周りの中国人でそんなことをする人は誰もいないけど。
 上海の地下鉄の駅には、テロ対策としてどの駅にも改札の入口の前に安全検査があって、飛行場で使っているのと同じようなX線透視機が置いてある。「鉄路保安」の制服を着た係員が立って鞄を機械に通すように呼びかけ、機械の前に腰かけた別の係員がじっとモニターをにらんでいる。
 とはいえ、空港の検査と違って、それほど厳格なものではないようだ。無視して通り過ぎてしまう人がほとんどで、鞄を透視機へ入れる人のほうがむしろ少数派だったりする。「鞄を検査します」と係員が呼びかけるそばで、人々は無視して通り過ぎてしまう。いちいち鞄を入れるのは面倒だから、誰だって安全検査なんてごめんだろう。地下鉄に乗るくらいで安全検査というのは、いささか大袈裟だと思う。
 不思議だなと思いながら、僕は毎回鞄をX線の機械へ入れる。人々が無視してしまう安全検査をいくらやっても、テロなんて防ぎようがない。経費と手間が無駄なだけなのに。






(2015年1月18日発表)
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恐怖の催眠術(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第316話)

2016年03月05日 09時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 夜、寝苦しくてぼんやり眼を明けると、上海人の奥さんがなにやら僕に話しかけている。ぐっすり寝ているのに奥さんが話しかけてくるものだから、僕は夢うつつのうちに反応しようとして、それで苦しくなってしまったのだ。
「野鶴さん、のづるさん、あなたはまだ前に付き合っていた女の子と連絡を取っているの?」
「ええ? なんのこと?」
「だから、前の彼女たちと連絡しているの?」
 奥さんはとてもにこやかだ。が、にこやかだからこそ、危ない。奥さんは僕に催眠術もどきをかけて、真相を聞き出そうとしているのだ。べつに秘密があるわけではないけど、うかつなことは話せない。言葉を間違えれば、余計な誤解を招いてしまう。僕はますます苦しくなってしまう。
「取っている人もいるし、取っていない人もいるよ」
「わたしが知りたいのはあなたが広州で付き合っていた子のことよ」
「それなら、もう連絡なんてしてないよ」
「ほんとなの?」
「ほんとだよ」
「まあ、いいわ。絶対に連絡しちゃだめよ」
「しないってば」
 ようやくこれで眠れる、とほっとしたら次の質問が飛んでくる。
「野鶴さん、のづるさん、あなたは日式カラオケ(日本のカラオケセットが置いてあって女の子がついてお酌してくれるカラオケ)でなにをしているの?」
 僕は時々、歌仲間と日式カラオケへ歌いに行く。隠してもしょうがいないというか、あとでばれるとよけいに厄介なことになるので、最初からカラオケへ行くよということにしている。
「そりゃ、歌いにいくに決まってるじゃない。歌が好きなのはお前もよく知っているだろ」
「歌いに行く? よくそんなウソがいえるものだわね。女の子はなにをするの?」
「お酒をついで、リモコンで歌を入れてくれるだけだよ」
「嘘ばっかし。女の子の手は触るの?」
「まあね」
「それで手を握るのね」
「うん。――ねえ、僕は寝たいんだけどさあ」
「だめよ。まだ訊きたいことがあるんだから」
「腰に手は回すの?」
「そんなことしないよ」
「太ももは触るの?」
「触らない」
「ふーん。ま、いいわ。そんなこと絶対にしちゃだめよ」
「しない。したいとも思わない」
 話しているうちに喉が渇いてきたから、僕はコップのお茶を一口飲む。眠りたいのに話しかけられ続けるのはちょっとつらい。
「あなたがいちばん愛しているのは誰?」
 奥さんはこれが最後の質問よと前置きして言う。
「お前だよ。僕はお前といっしょになるために上海へきたのだから」
「寝てもいいわ」
 奥さんはふふふっと楽しそうに笑う。これでやっと解放された。まだ一緒になったばっかりなのだから、そこまで疑わなくてもいいと思うんだけどなあ。
 




(2015年1月12日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第316話として投稿しました。
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