風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

『悲しみよ こんにちは』 ~永遠の少女小説(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第233話)

2014年04月29日 09時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
《ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。》

 いかにもフランス小説っぽい書き出しから始まるこの小説はもう古典の部類に入るのだろう。なにしろ、半世紀以上前に発表された作品だ。
 それでも今読み返しても、とてもみずみずしい感じがする。フレッシュだ。
 この小説の魅力は、なんといっても、楽しいことが大好きで楽天家の十七歳の少女セシルの気持ちがうまく描かれていることだと思う。
 少女らしい人の好さや素直さ、できごとを全身で受けとめる若さ、自由へのあこがれ、恋のときめき、打算と葛藤、それから意地悪さ――猫の目のようにくるくる変わる少女の心理を丁寧にすくい取り、セシルというキャラクターをくっきりと際立たせている。セシルが味わう気持ちは、高校生なら誰もが感じることではないだろうか。それが読み手の共感を誘う。
 例えば、ヒロインのこんな心理描写がある。

《幸福が、なんの気がかりもない晴ればれした気持ちが、体じゅうに広がっていくのをわたしは感じていた》

 少女らしい無邪気さだ。怖いもの知らずだからこそ、こんなふうに感じることができる。

 避暑地といえば、やはり恋の話が不可欠だ。彼氏を作ったセシルは恋人のシリルとデートを重ねるようになる。

《シリルは息を整え、くちづけは正確に、的をしぼったものになり、わたしにはもう潮騒は聞こえず、耳のなかで、自分自身の血が駆けめぐるのを感じるだけになる。》

《わたしは大学に入り、そして卒業するための勉強に打ちこむよりも、太陽の下で男の子とキスする才能に恵まれている》

 「キスする才能に恵まれている」なんて自分で感じるとは! それほどとろけるようにキスしているのだろう。恋することに自信ができてきた、といったところだろうか。素敵な描写だなと素直に思う。

《わたしがもっともな言いわけを見つけて、自分に向かってそれらをつぶやき、わたしは誠実なのだと結論づけても、とたんにもうひとりの〈わたし〉が現れ、その理屈をきっぱり否定する》

 これも若々しい正義感と欲望の葛藤だなと思う。
 年齢を重ねて世ずれしてしまうと、「しかたない」とか「世の中、こんなものだ」といって、自分で自分を丸めこんでしまうのだけど、まだそこまで割り切るようになはなっていない。セシルはよくも悪くもわりと純粋な女の子だ。たぶん、そこが読者を惹きつけるのだと思う。

《パパを守ってあげなくっちゃ。あの人は大きな子どもなんだもの……大きな子ども……》

 こんなふうに親を突き放してみられるようになるのは大人の階段を昇っている証拠だ。たぶん、誰でもこんなふうに思ったことがあったはず。

 毎日、明るく楽しく過ごしたいと考えているセシルだけど、悲しみを潜り抜けなければ大人になれないものなのかもしれない。ほんの軽い気持ちでめぐらした策略のために、大きな悲しみを背負うことになる。
『悲しみよ こんにちは』は永遠の少女小説だ。
 
 

※引用の訳文はすべて河野万里子氏の訳によりました。新潮文庫版の翻訳です。

(2013年4月20日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第233話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/
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仕事中にスマホでネットをするのはやめなさい(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第232話)

2014年04月28日 07時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 事務所のワイファイが繋がりにくくて困ったことになった。
 急ぎのメールがすぐに送れないし、パワーポイントの資料を添付した重いのは時間がかかりすぎてタイムオーバーで送れなかったりする。ネットで調べものをしようとしても、繋がったり途切れたりでまったく使い物にならない。仕事にならなくて頭をかかえた。
 総務が調べたところ、アンドロイドからの接続が異常に多く、それでワイファイが繋がりにくい状況が出現してしまったそうだ。つまり、仕事中にスマホでネットをして遊んでいるやつがたくさんいるのである。
 以前もこんなことがあって、総務は携帯電話からワイファイへの接続を制限するためにパスワードを設けたのだけど、そのパスワードがいつのまにか流出してみんな自分のケータイに登録してしまったのだ。
 中国人は目の前に仕事があるときはがむしゃらに働く。だけど、与えられた仕事を片付けてしまうととたんに遊びはじめる。ごく一部をのぞいて、余裕があるときに今までの仕事を見直して自分の仕事を工夫しようと考える人間はほとんどいない。余裕があるとすぐにケータイでネットをして遊びはじめてしまうのだ。
 総務はパスワードを変更するという。
 これでしばらくはワイファイが使いやすくなるのだろけど、またそのうちパスワードが広まって繋がりにくくなるんだろうな。なんともトホホないたちごっこだ。

 

(2013年4月17日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第232話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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上海散策 ~フランス租界2

2014年04月23日 08時05分15秒 | フォト日記

 上海フランス租界の写真の続き。
 新天地からまわりをぶらぶら歩いてみた。

 


 生活感がある。


 


 


 


 

 上の写真は古い映画館。

 
 

 

 飴売りのおじさんがいた。


 了
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上海散策 ~フランス租界1

2014年04月21日 22時16分09秒 | フォト日記

 上海のフランス租界を散歩した。
 1849年にはじめて上海フランス租界が設置されて、その後拡張された。
 写真は、観光名所になっている「新天地」。

 
 
 
 

 

  昔の建物はレストランやバーになっている。夜はかなり賑やかになるのだとか。


 

 

 

 ぶらぶら散歩してるだけでのんびりできた。


 

 上の写真は「中国共産党第1回全国代表大会」の会議が開催された建物。
 なかはミニ博物館になっている。

 

 カフェのテーブルにおいてあったイースターのエッグチョコレート。
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粥鍋を食べてきた

2014年04月16日 00時01分19秒 | フォト日記



 広州のとある粥鍋の店へ行ってきた。
 上の写真は白粥を持ってきたところ。
 生米から米の形がなくなるまでぐつぐつ煮る。
 この白粥に牛肉、鶏肉、えび、野菜といった具を入れて煮る。
 具を足して煮るほど、その出汁がしみて粥がおいしくなる。


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広州郊外でできたての蜂蜜を買ってきた

2014年04月10日 22時36分57秒 | フォト日記

広州の郊外で養蜂していた。




養蜂しているそばでできたての蜂蜜を売っている。
500g20元(約320円)だった。1kg買うことにした。
蜜蜂はこのあたりのライチ林へ行っては、ライチの蜜を採ってくるそうだ。







養蜂家のおじさんはテントで寝泊りして、養蜂のかたわらできたての蜂蜜を売っている。




家へ帰ってからさっそくお湯にとかして飲んでみたのだけどおいしかった。体がぽかぽか温まった。



(了)
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中国の農村の結婚年齢(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第231話)

2014年04月05日 12時48分02秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 スペインでは法律上の結婚可能年齢が十四歳から十六歳に引き上げられたそうだ。日本で言えば、今まで中二で結婚できたわけだ。世の中いろんな国があるんだなと思う。
 人口増加を抑えるために晩婚を奨励している中国では婚姻法で男性は二十二歳以上、女性は二十歳以上と定められている。
 ところが、農村では法律より若い年齢で結婚していたりする。以前、農村の結婚披露宴に出た時、新郎は二十歳、新婦は十九歳だった。
「ねえ、中国の法律だと結婚できないんじゃないの?」
 僕は披露宴に連れて行ってくれた中国人の友達にこっそり訊いた。
「そうだけど、わたしのふるさとはみんな二十歳くらいで結婚しちゃうわよ」
「でも、結婚届はどうするの?」
「みんな先に結婚しておいて、結婚届を出せる年齢になった時に役所へ行って手続きをするの」
 友人は当たり前でしょという顔をして説明する。
「なるほどね」
 本人同士が「結婚」してそれで倖せに暮せばそれでいいことなのだから、婚姻届を出すのが数年遅くなってもべつにさしさわりはない。法律よりも自分たちの習慣のほうが優先するんだなとあらためて思った。
 


(2013年4月13日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第231話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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