風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

椿ほころぶ日曜日

2017年01月15日 06時15分15秒 | 詩集

 冷たい朝だね
 目が冴えるね
 天気予報は
 気温が上がらないって
 温かいコーヒーでも
 淹れようか

 君との暮らし
 平凡な日曜日の朝
 なんの予定もない朝
 のんびりしてるのが
 いちばんだね

  君がベランダに置いた
  鉢植えの椿の蕾が
  ほころんだよ
  なんだか
  かわいいね

 いつしか僕は
 君に頼るばかりになって
 探し物があると
 すぐに呼んでしまう
 僕は整理整頓が
 苦手だから

 いつも出張に
 行ってばかりで
 ごめんね
 さびしがり屋の君を
 放っては
 おけないのだけど
 糧を得なくっちゃ
 いけないしね


  君がベランダに置いた
  鉢植えの椿は
  もうすこしで
  咲くのかな
  きれいな花になると
  うれしいね

  これから
  冬がくるたびに
  椿の花が咲くんだね
  僕たちは
  椿を数えながら
  ふたりでいっしょに
  ゆっくりと
  おじいちゃんと
  おばあちゃんに
  なるんだね

 冷たい朝だね
 目が冴えるね
 やかんが笛を鳴らすよ
 あたたかな
 湯気を立てはじめたね


徐福☆伝説 ~日本人の先祖?(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第341話)

2017年01月10日 21時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 徐福は司馬遷の『史記』に出てくる方士。方士は、仙人になるための修行をしてその術を行なう者のことだ。
 秦の始皇帝に「東の海の向こうに蓬莱山という素晴らしいところがあってそこに不老不死の薬があります。陛下のためにその薬を取ってごらんに入れたいのですが、ついては援助していただけませんでしょうか」と話をもちかけ、資金を得て船を造り、三千人の若い男女を従えて東の海を目指して出航した。『史記』は、徐福は東の海の向こうへ着いたものの、その土地で王様になって帰ってこなかったと記す。
 司馬遷は不老不死の薬や龍へ生贄を捧げるなどといったあやふやな話を嫌う人なので、徐福は詐欺師だみたいな感じで叙述しているが、秦の始皇帝の当時は、東の海の向こうに不老不死の薬があるということが本気で信じられていたということなのだろう。
 さて、僕が雲南省にいた頃、いろんな雲南人が、
「中国人の先祖と日本人の先祖は一緒なんだよねえ」
 と言いながら、この伝説を話してくれた。
 なんでも、彼らの解釈によれば蓬莱山は日本にある山で、徐福は日本を「発見」し、徐福が王様となり、彼が連れて行った三千人の若い男女が日本人の先祖になったのだとか。先祖がいっしょだからうちらは親戚同士なんだよということが言いたいらしい。親近感を感じてくれているということなのだろう。
 上海人の奥さんにこの話をしたところ、彼女もこの伝説と徐福が日本人の先祖になったという解釈を知っているという。
「でも、日本人はこのことを認めたがらないのよね」
 奥さんは言う。認めるも認めないも、徐福の時代の何万年も前から日本には人が住んでいるわけだから、「徐福が渡来人となって日本人のなかへ入ったかもしれない」ということは言えても、「ずばり徐福が日本人の先祖だ」と言い切ることはできないのだけど。ともあれ、誰が広めたのかはしらないが、この徐福伝説の解釈は雲南だけではなくいろんな中国人が知っている話のようだ。
 ちなみに、徐福伝説の解釈には別バージョンがあるらしい。
 昔の日本人は背が低かったので、徐福が背の高い中国の若者を連れて行き、日本人の背が高くなるようにしたというものだ。
 さすがにこれはこじつけすぎだろうけど。




(2015年11月29日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第341話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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