風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

『生煮えの鮒 』第四話 『覚悟』 (純文学小説)

2011年02月27日 11時00分15秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
 
 心の臓がじんと痺れる。胸が痛かった。
 裟弥は額に皺を刻み、瞑目した。数珠を繰りながらなにをどう話すべきか考えているようだ。重く閉じた瞼に理性がゆらぐ。
 私の話を深刻に受け止めてくれたことは彼の表情からわかった。それだけが救いだった。ほんとうに、今まで誰にも話せないことだった。
 沈黙が流れた。
 遠くで梟が鳴く。
 やがて、裟弥はおもむろに口を開いた。
「私は生まれつき霊感の鈍い者ですからそのようなものを見たことがありませんが、世に中には非常に霊感の強い方がおられるのも事実だと思います。そのようなものが見えれば、さぞたまらないことでしょう。――ですが、大事なことはあなたが毛虫を見てどう思うのか、そして、どう行動するかなのではないでしょうか」
 裟弥は手元を見つめ、やはり静かに数珠を繰る。
「どう思うと言われても、私はただ恐ろしくてなりません。役所などというところは、もともと人間関係がぎすぎすしたところです。人を疑うところから始め、人の掘った落とし穴にはまらないようにすべてを疑いながら仕事を進め、陰険な足の引っ張り合いに巻きこまれたりしないように、あらぬ噂を立てられて陰口を言い触らされたりしないように気を配らなければいけません。特に親しくもない同僚から笑顔で話しかけられたりすれば、裏でなにを考えているのか、私をどう利用しようとしているのかと勘繰り、鳥肌が立ってしまいます。日々、心が傷みます。見えない天井に押しつぶされそうになっているところへ、他人の本性が毛虫になって見えてしまうのです。それも、唯一安らげる家族の者にまで。もうどうすればよいのか、わかりません。私は誰も信じることができないのです。自分すら信じられません」
 私はやるせなく首を振った。もっと言いたいことがあるような気がするのだが、やりきれない想いが心のなかで渦巻くだけで、言葉が見つからない。
「気持ちはお察しします。他人の本性が見えた時、どす黒い心に気がついた時、人は誰でも人間嫌いになってしまいます。私もかつてはそうでした。しかし、嘆いてばかりでも始まりますまい」
「私もこんな自分が嫌でなりません。今の自分から早く抜け出したいのです。とはいえ、いったいどうすればよいものやら――。私はただ平穏に暮らしたいだけです。人間らしい正直な暮らしを送りたいだけです。望みは、ただそれだけなのです」
「人間らしい暮らし、ですか」
 裟弥は、なにか言いたげに唇を動かして腕を組む。
「たいそれた望みだとは思いませんが」
 難しそうな顔をした裟弥を見て、ひょっとして自分はとんでもないことを口走ってしまったのだろうかと途惑った。自分でもいけないことだとは思うのだが、どうしても他人《ひと》の顔色をうかがってしまう。それほど、心が消耗していた。
「人間らしいことがいいことであるようにおっしゃっておられるように聞こえますが、その人間らしさこそが怪しいと、あなたは気付いておられるはずです」
 その言葉にはっとさせられた。裟弥の声はこんこんと湧く岩清水のようだ。ざっくりと割れた心の傷にしみる。
「そうですね。気づいてはいるのです。ただ、認めたくないだけで――」
「たとえ認めたくないことであっても、現実を直視しなければなりません。すべては、そこから始まるのですよ」
「あの毛虫は、人間の愚かさだと思います。どんな虫下しを飲んでも消せないものでしょう。人は愚かで醜いものです。私自身も妙な自尊心や欲がありますし、悪意を持った相手をはねのけて自分や家族を守らなくてはいけない時には、人の悪いことも敢えて行なわなくてはなりません。私の心にも悪を抱えています。私は愚かで弱い生き物なのです」
 私はあれを見るようになってから今まで考えてきたことを述べた。こんなことを人に言えば、不快な気持ちにさせるだけだから、友や妻にも言えなかった。裟弥は小さく頷く。
「世の大多数の人々は、自分の愚かさ、弱さ、醜さを人間の強さだと勘違いして生きています。その毛虫に乗っ取られて生きているのかもしれません。名利が人を動かします。自分が人生の主人公になったつもりでいて、実は名利に操られていることに気づいていません。名利に操られる自分が世界でいちばん偉いと思いこみたがるのが、人間の愚かさであり、人間の弱さ、醜さです。しかし、あなたは毛虫のおかげでそれに気づくことができました。これは意味のあることだとは思いませんか。ここはひとつ、毛虫が見えたことをいい方向に考えてみればどうでしょう。あの毛虫が見えるようになったのは、仏からの呼びかけのように思えます」
「どういうことでしょうか?」
 私は裟弥の言葉を理解しかね、首を傾げた。
「もしあなたがあの毛虫を見なければ、鬱陶しい思いをしながらも、人生はこんなものだろうと思ってなにも気づかずにただ漫然と生きていたことでしょう」
「それならそれでよかったのでしょうけど」
 私はうつむいた。
「それではいつまでたっても、鬱陶しさや窮屈さは解決しませんよ。たとえ、あの毛虫が見えなかったとしても、苦しみにきちんと向かい合わなければ、どこまでもついてまわるでしょう。逃げてはなりません。苦しみから逃げる時ほど、苦しみが恐ろしく感ぜられる時はありません。苦しみというものは、逃げれば逃げるほど物の怪のように追いかけてくるものなのですから。
 苦しさをこらえ、きちんと向かい合いさえすれば、つらくとも希望が持てます。人はいつも仏に呼びかけられています。仏という呼び方がお好きでなければ、『まこと』と呼んでも差し支えないでしょう。苦しみや己の愚かさといったものにきちんと向かい合いなさいという呼びかけです。問題は、それに気づくかどうかなのですよ」
「呼びかけは呼びかけでも、私には魔物の呼びかけだとしか思えないのですが……」
「魔物の呼びかけなんぞでは決してありません。――盗賊に襲われたりして肉や贓物がむき出しになった死体をご覧になったことがおありでしょう」
「ええ。都の通りでも、加茂川沿いでも見かけます。近頃はなにかと物騒で、どこにでも転がっていますから。むごいものです」
「こう考えてみればいかがでしょうか。肉や内臓は人間が宿しているものです。その毛虫もまた人間が宿しているもの――つまり、本性です。ほんとうの姿が見えただけのことです。人間の本性を直視しなさいと、仏が、まことが呼びかけているのだと思います。そして、それを乗り越えなさいと」
「仮にそうだとしても、私にそんなことができるのかどうか――」
「つらくても安心なさい。仏に見守られていない人間など、この世には一人もおりません。仏はいつもあなたのそばにいて、慈悲の心で温かく見守っています。そして、いつもやさしく呼びかけてくださっています。人として生まれてきたからには、全力でその呼びかけに応えなくてはなりません。人生には起こらなければよかったことなど、なに一つありません。意味のないことなど、一つとしてないのですよ。あなたが見た毛虫もそうです。すべてが、仏の呼びかけだと、まことの呼びかけだと、私はそう信じています」
 裟弥の声は穏やかさのなかにも確かな熱を帯びている。鞴《ふいご》で吹かした炭火のような温もりだ。その熱が凍てついた私の心を融かしてくれるようだった。
「そんな風に信じなければいけないのでしょうね」
 私はこくりと頷いた。
「あなたが仏やまことに問いかけるのではありません。仏やまことがあなたに問いかけているのです。さきほどお話したように、私は恥ずかしいことにいい歳になってからそれに気づき、人間の本性と向かい合うことにしました」
「そうされて、つまるところ、なにがおわかりになったのでしょうか」
「大いなる悲しみです」
 裟弥は鋭い頰をひっそりさせる。
「私は常に裏切ってしまいます。仏は欲望を消せ、慈悲で心を満たせとおっしゃいますが、いくら努力しても完全にそうすることはできません。仏の呼びかけを裏切り続けてしまいます。世の人々もまたそうです。輝く慈悲の心を持っているはずなのに、それを裏切ってしまいます。これが大いなる悲しみです。汚辱にまみれたちっぽけな私《わたくし》は、ままならない私のまま、人と人が苦しめ合うこの世で生きるよりほかにありません。人を苦しめるのは人間そのものにほかなりません。私は、大いなる悲しみでもって自分自身とこの世界を受け容れることにしたのです」
「やはり、この世は悲しみしかないということでしょうか?」
「もちろん、悲しいことばかりではありません。喜びもあります。ささやかな私の人生にも、有頂天になってしまうのほどの嬉しいことが幾度かありました。とはいうものの、喜びというものは、悲しみという名の海に浮かんだ小舟のようなものなのです。めったにあることではありません」
「わかるような気がします。今の私には小さな喜びすらもないのですが。――それで、その大いなる悲しみを受け容れた後、どうすればよいのでしょうか」
「それはご自分で考えられるべきことでしょう。私ごときがとやかく言うことではありますまい。生きるのはあなたご自身なのですから」
「あつかましいかもしれませんが、もしよければお話いただけないでしょうか。私は手がかりが欲しいのです」
 私は裟弥の目をじっと見つめた。裟弥は黙ってうなずき、
「釈尊の教えに従うなら、やはり解脱を目指すべきなのでしょう」
 と、自分の心のうちを見つめるようにまぶたを半分閉じる。
「解脱は驚きです。驚き以外のなにものでもありません。
 世は栄枯盛衰を繰り返します。栄えた者で滅びなかった者はいません。『平家物語』の冒頭の一節はあなたもよくご存知でしょう。世の中が繁栄し、進んだかのように見えても、それは表面上の錯覚に過ぎません。進歩のなかには必ず退化の芽がひそんでいて、その退化の芽が大きくなれば、ひと時の繁栄もやがて過去のものとなってしまいます。春夏秋冬と季節がめぐるように時間は円環し、どこへもたどり着くことができません。去年の春は、今年の春と同じ。来年の春は今年の春と同じ。いつまでたっても同じことを繰り返すだけ。苦しみの種が尽きることはありません。人々は自分を苦しめる愚かさに気づかないまま、懲りもせずに同じ過ちばかりを繰り返してしまうのです。
 釈尊は、そのような円環する時間から抜け出せると主張しました。あらゆる苦しみから完全に抜け出すことができると。そして、その考えを実践し、人が生まれながらに備えている悲しいほどの愚かさや弱さを克服できることを現実に証明してみせたのです。これが驚きでなくてなんでしょうか。心に煮えたぎる地獄を超えることができるのです。愚かしくて腹立たしい自分を変えることができるのです。大切なものを裏切り続ける自分から抜け出すことができるのです。もう同じ過ちを繰り返すことなどありません。心は真の意味で光り輝きます」
 裟弥は穏やかに微笑んだ。瞳がやさしい野の仏のように光る。
 彼の言うことなら、信じていいのかもしれない。ふとそう感じた。仮にそれがたとえ偽りや幻だったとしても騙されたとは思わないだろう。
「少しずつでも悲しみや苦しみと向かい合えたらと思います」
 まとまりのつかなかった苦しみに、ほんのすこしだけ輪郭を描けた気がする。それだけでも、今の私には十分にありがたかった。胸の痛みがいくぶん和らいだ。
 その後も、二人でしばらく話しこんだ。裟弥は風雅を愛する趣味人でもあった。庭に植える木々のこと、季節の花々のこと、短歌について、書の道について、贈り物の箱に結ぶ見目美しい紐についてと話題は多岐にわたった。彼の話は含蓄に富み、どれも興味深かった。
「道を行じられてどのあたりまで進まれたとお感じですか」
 私はふと問いかけた。
「まだまだでしょう」
 裟弥は剃った頭をつるりとなでる。
「五分の一も進んでいないでしょうね。日暮れて道遠し。この頃よくそう感じます。死ぬまでにたどり着くことはむずかしいかもしれませんが、生まれ変わったらまた続きを歩くだけです」
 私はその答えを聞いて、気の遠くなるような思いがした。これほど厳しく自己を鍛錬している裟弥でも、迷いから抜け出すことはできそうにないと言う。それほど険しい道なのだろう。安直に考えていた自分が間違っていた。夕暮れの一本道を歩き続ける裟弥の後姿がふと脳裏をよぎる。裟弥の決心に頭の下がる思いだった。
「今日は、本当にありがとうございました。お話していただいたことを胸に刻みつけます」
 私は床に両手をつき、深々と頭を下げた。
「礼にはおよびません。お安い御用です。千里の道も一歩からと言いますから、焦らずにじっくりお歩きなさい。初めからすべてがわかっている人なんぞ、誰もいないのです。人間の愚かさに気づいただけでもあなたは倖せなのですよ」
「ありがとうございます」
 私はあらためて礼を言い、自分の苦しみを語ったことやぶしつけな質問を重ねたことを詫びて庵の間を辞した。
 あてがわれた客間へ戻ろうとしてふと湯船の鮒が気になった。私は風呂場へ様子を見に行った。
 湯はとうに冷め、風呂場の温もりは跡形もなく失せていた。夜気が肌にしみ、小さなくしゃみをひとつした。湯船の上に提灯をかざすと、鮒はすっかり元気を取り戻したようでくるくると方角を変えながら泳いでいる。なぜだか嬉しかった。
 木桶で鮒をすくい、裏庭を抜けて低い崖をおりた。草が裾に触れ、かさこそと音を立てる。梟は森のどこかでまだ鳴き続けている。瀬音だけが静かだ。冴えた月がしんと川面に照り映えていた。
 狭い河原に立った私は川べりに提灯と桶を脇に置き、しゃがみこんだ。
 川面の映った自分の顔がかぶれたように腫れている。顔を近づけてよく見てみれば、例の毛虫だった。左頬の肉を食い破りながら蠢いている。
 とうとう自分の顔にもあれが現れてしまった。だが、不思議と心は平静だった。いつものようにぞっと粟肌の立つことはない。私の頰にもあれが巣食っていることくらい、前から重々承知していたことだ。手で頰を払った。毛虫はぱらぱらと石ころの上に落ち、すっと姿を搔き消した。
 こうして向かい合うしかないのだろう。
 そうこうしているうちに大切ななにかがはっきりわかるのだろう。
 醜い自分と向かい合う勇気を得られただけでも、今日という日は意味があった。
「お前は自分の居るべきところへお帰り」
 木桶を傾け、川の流れに浸した。鮒は途惑いもためらいも見せずにさっと流れへ乗り出し、暗闇の川へ消える。
 この暗い流れの行く先に苦しみのない世界が待っているのだろうか。
 いつの日か私《わたくし》という地獄から抜け出すことができるのだろうか。
 魔虫の蠢く頰が川面に揺れる。
「仏の呼びかけ。まことの呼びかけ」
 そっとつぶやいてみると、ほのかなぬくもりが胸にしみた。


 了


『生煮えの鮒 』第三話 『魔虫』 (純文学小説)

2011年02月26日 14時07分55秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
 
 隙間風が吹きこむ。
 焚き火が揺れる。
 私は伏せた顔をあげ、裟弥を見つめた。裟弥の顔は微笑んでいるようにも見えた。話すのなら、今しかない。彼しかいない。
「私は自分の気が狂ってしまったのではないかと思い、空恐ろしくてならないのです」
 私はそっと裟弥の顔色を窺った。裟弥は黙って頷き、話を続けるようにと目で促す。
「初めは錯覚だと思いました。役所の机で書類を書いておりますと、ふとした拍子に、隣に坐っている同僚の顔に蛆虫のようなものが蠢いているのが見えたのです。私は上げそうになった声を飲みこみ、それからすぐに思い直しました。死人や重病人でもあるまいし、生きている人間の顔に蛆の湧くはずがありません。仕事がたてこみ、おまけに例年にない厳しい暑さの続いていた頃でしたから、疲れて目がかすんだかなにかでそう見えただけに違いない。そう思ってしばらく目を閉じてから、同僚に気づかれないよう彼の頰を盗み見しました。思ったとおり、蛆虫の姿は見当たりません。私はほっと胸をなでおろしました。
 ですが、あくる日、役所の机で筆を走らせていると、また彼の頰に蛆虫が見えるではありませんか。今度は思わずつりこまれて、まじまじと見つめてしまいました。よくよく見てみれば、それは蛆虫などではなく、茶色がかった細長い毛虫でした。ほんの小さな虫で、小指の先ほどの長さくらいでしょうか。つんつんとした細かい毛が体一面に生えていました。
 人の肉を喰らう恐ろしい毛虫です。頰のあたりにびっしりとひしめき合い、頰の肉を食い破っていました。それなのに、同僚は痛そうな素振りさえ見せません。私の視線に気づいた同僚が怪訝そうな顔をしたので、私はとっさにごみがついていると合図しました。彼は頰を払って照れくさそうにします。毛虫はぱらぱらと床へ落ちたのですが、彼は平気なままでした。払った手に毛虫が何匹か残っていますが、それにも気づきません。彼の頰の肉は赤くむき出しになり、柘榴《ざくろ》の実のようでした。
 私は井戸へ行き、冷たい水で顔を洗いました。ざっと顔を拭い、目にじかに水をかけて洗い流しました。毛虫の残像が目に焼きつき、離れてくれません。あんな毛虫が頰に巣食えば誰だってわかります。でも、同僚は一向に気づいていませんでした。そうです。私の気が狂ったのです。だからあのようなものが見えたのでしょう。なんの罰だかは知りませんが、とうとう私の気が狂ってしまったのです。
 いつか狂ってしまうのではないかと前からそんな予感がしていました。人前でこそなんでもないように振舞っていましたが、いつも胸に圧迫感があって、すっと気分の晴れることがありませんでした。人の言った何気ない言葉を妙に勘繰っては、ああでもない、こうでもないと思い悩み、考えれば考えるほど袋小路に入ってしまうようで、人の言葉や態度を必要以上に気に病んでしまうのです。こんなことを続けていればそのうち狂ってしまうだろう。そう思っておりました。
 私の症状は急速に悪化しました。
 ほかの同僚の顔にもあれが見え、上司の顔にも見え、友人、北面の武士、町の商人、道行く僧侶の顔にもと、誰の顔にも例の毛虫の姿を見つけ出しました。あの姿だけは、何度見ても慣れません。見るたびにぞっとして、心がさっと焼け焦げるようです。心臓がきゅっと締まって血液が逆流し、自分の頰もひりつくように焼けてしまうのです。私は、いつも鬱陶しい顔をしていると人に言われるようになりました。あれが見える度に、苦い気持ちを隠しきれないからでしょう。次第に、人と話をするのが億劫になり、相手の顔に毛虫が見えればそそくさと話を切り上げてその人から離れるようになりました。
 こんなことは誰に言えません。気が狂ってしまったなどと人に知られたら、宮仕えができなくなってしまいます。近頃の人々はやたらめったに自分の直感ばかりを信じて迷信深いですから、私自身も、家内の者も、穢れ者のように扱われてひどい目にあわされてしまします。世間からつまはじきです。家族に内緒でこっそり薬師を訪ねてみましたが、よくなりません。寺籠もりをして心を清めようと試みましたが、効き目はありません。どうしたものかと途方に暮れるばかりです。
 そんなある日のことです。私が一番初めに例の毛虫の姿を見つけた隣の机の同僚が、ほかの同僚とくだらないことで諍いを始めました。喧嘩の原因は、塩という字をどう書くか、『塩』と書くのか、それとも『鹽』と書くのが正しいのかということでした。通じればそれでいい話なので、どちらで書いてもかまわないのですが、お互いに自分のほうが正しいと言い張って譲りません。小姑根性とでも呼べばいいのでしょうか。いったい、今の世の人は、どうでもいいことで相手に難癖をつけては相手より自分が優位に立とうとしているように見えてなりません。無意味な競争をして、それで勝ったと悦に入るのが人間なのでしょうか。無意味な競争で負けたからといって、相手を憎むのが人間の性なのでしょうか。もっとも、この諍いには伏線がありました。これも次元の低い話なのですが、二人は白拍子の女を取り合ってお互いを敵視していたのです。そんなことで相手を許せなくなるのですから、人間とは次元の低い動物なのかもしれません。もちろん、私を含めての話です。
 罵り合う二人の顔が真っ赤になった、と思ったとたん、例の毛虫がさっと顔一面に広がりました。汗が流れ落ちるように、二人の頭から毛虫がぽたぽたと垂れ落ちます。二人の顔は蛆に食い尽くされた屍のようでした。見ていられません。髪も、耳も、額も、顎も、すべてを覆いつくした毛虫が彼らの顔の肉を貪り喰っているのです。私は胃の底からこみあげてくるものを覚え、急いで厠へ走りました。
 具合がおかしくなって仕事どころではなくなってしまった私は早退して家へ帰ったのですが、これだけでは終わってくれませんでした。
 日が暮れた頃、祖父の残した荘園の処分について相談したいと叔父がやってきました。相談とは言いながら、叔父はすべて自分が取ってしまう腹積もりで、私の父が熊野詣へ出かけている隙を見計らって私を丸めこみにきたのです。下卑た作り笑顔を浮かべる叔父の顔に例の毛虫が瞬く間に広がります。言葉巧みに取り入ろうとする叔父の話を遮り、さっさと帰ってもらうことにしました。私は叔父とやり合うどころではなく、気分が悪くてしかたありませんでした。叔父は弱り果てた私の顔を見て、にやりと笑います。その瞬間、毛虫が叔父の耳から滝のように次々と零れ落ちました。
 叔父に引き取っていただいた後、私は縁側で涼みながら苦しい息を整えようとしました。独りにしておいて欲しかったのですが、妻がそばへやってきてぺたりと坐りこみます。妻は叔父の話があんまりだと腹に据えかねたようでした。もちろん、私にしろ腹が立っていることには変わりありません。『恒産なくして、恒心なし』と『孟子』に書いてありましたが、どうやらそれは嘘のようです。嘘と言うのが言い過ぎなら、孟子は人の欲深さがあまりわかっていなかったのではないでしょうか。恒産があれば、もっと欲しいと思うのが人間の性なのだと私は思います。恒産があれば、よけいに人と張り合うようになり、人よりももっと欲しい、あれも欲しい、これも欲しいと欲を張るのが人間なのではないでしょうか。人間の欲には切りがありません。恒心は恒産から生じるのではなく、もっとほかの別のものから生まれるものなのではないでしょうか。
 私は妻の繰言を適当に聞き、適当に相槌を打っていました。これも夫の務めです。ふと気づくと、彼女の頰にあれが蠢いていました。鶉卵くらいに広がった例の毛虫が、何重にも折り重なって妻の頰を貪っているのです。それまでいくらあれを見ても、つまるところ他人の毛虫でした。家の者にだけはあれが見えず、私にとってはそれが唯一の救いでした。家だけが安らぎの場でした。ですが、妻でさえ例の毛虫を飼っている。そう思うと、私は居場所のない気持ちにさせられてしまいました。身の置き所がなくて、やりきれません。自分で言うのもおこがましいかもしれませんが、気立てがよくて普段は欲を張ったりしないつつましい女です。とはいえ、やはり財産の話となると例の虫がうずいてしまうのでしょうか。
 その時、ようやく私は気がつきました。
 例の毛虫が現れるのは、欲や見栄といった人のどす黒い気持ちが心に広がった時です。思い上がった気持ちで心が膨れると、あれが活動し始めるようです。世間の人はみな、他人も、親しい友人も、親も兄弟も、そして妻でさえも例の毛虫を心に飼っています。私にも、あれが巣食っているのでしょう。自分の顔だから見えませんが、見る人が見れば、私の頰に蠢いているあの虫の姿が見えるのに違いありません。
 人がみな嫌らしいものに見えて、誰も信じられなくなりました。心が擦り切れてしまいました。人が穏やかな気持ちでいる時には、あれは現れません。ですが、浅ましい思いや邪な思いが少しでも心に芽生えると、例の毛虫はすぐに蠢きます。あれは子供以外のどんな人の頰にでも現れます。例外はありません。すれっからしや業突く張りはもちろんですが、世間の善人として振舞っている人にも、自分は悪いことなどしないと固く信じこんでいる人間にも等しく現れます。私は、いつ毛虫が蠢くのかと怯えながら人と話し、頰に見えるあれを見て見ぬ振りをしながらうわべだけをとり繕い、外の人たちとも、家の者たちとも付き合ってきました。ですが、もう限界です。いっそのこと、狂いきってしまったほうがどんなに楽でしょう。自分を処分したほうがよいのではないかとさえ思います。生煮えの地獄を生きているようで、どうにもつらいのです」
 私は語り終え、じっとうなだれた。


(続く)

『生煮えの鮒 』第二話 『隠者』 (純文学小説)

2011年02月25日 21時21分38秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
 一汁一菜と雑穀飯の夕食を馳走になり、炉を挟んで裟弥と向かい合った。
 春の宵はまだ寒い。時折、どこからともなくすきま風が忍びこむ。私は炉の焚き火に手をかざした。
 世間には、在家の裟弥のことを蝮《まむし》と呼び、蛇蝎《だかつ》の如く嫌う人もいた。世を捨てて仏と暮らすとは言いながら、世を遁《のが》れればなにをしても自由だとばかりに傍若無人に振舞う手合いが多いからだ。銭で購《あがな》った遊女を山里の庵に住まわせ、女遊びに耽る者も少なくなかった。
 彼は違った。
 彫りの深い顔立ちは鋭く引き締まり、今こうして向かい合っている時も厳しく自己を刻み続けている様子が看て取れる。妥協も弁解も許さないなにかが彼のなかにみなぎっていた。眉間にすっと縦に二本並んだ深い溝も、鋭くそそりたった耳も、黒々とした太い眉も、すべてが峻厳だ。彼と向かい合うだけで、心が引き締まるようだった。
 孤高。
 この二文字が脳裏に浮かんだ。宮廷で高位まで昇ったひとかどの人物かもしれないと思いながら名を尋ねたが、
「よいではありませんか」
 と、穏やかに首を振るだけで答えない。世捨て人の名を聞いてもはじまらないでしょうとでも言いた気に。再び世間へ引きずりこまれるのを拒むように。
「静かでよいところですね」
 私は部屋を見渡した。なにも飾らない囲炉裏の間だった。板壁は煤けて黒ずんではいるものの、みすぼらしくは見えない。ただひそやかな祈りと瞑想だけが壁にしみこんでいる。焚き火が軽やかに爆ぜ、乾いた音を立てた。
「なにもないところですから」
 裟弥は何気なく答える。
「ここへこられてどれくらいになるのでしょうか」
「かれこれ十年ほどになりますかな」
「素晴らしい暮らしですね。最高の贅沢のように思えます」
 私はここでの暮らしを想像してみた。人里離れたこんな山奥でなら、人生の憂鬱から解放され、生きいきと生きられるかもしれない。周りの目ばかり気にして自分の気持ちや心に思った疑問を押し殺し、周囲から浮き上がってしまわないようにたえず神経をすり減らすこともないだろう。人に怯えながら過ごし、消え入りたい気持ちになることもないだろう。
「みな、そのように言います。私も初めはそう思い世を遁れました。ですが、家族の反対を押し切って遁世してみたものの、ここへ移り住んだ当初はなかなか大変でした。とんでもない所へきてしまったと悔やみ、いっそ京の町へ戻ろうかと悩んで毎晩眠れないほどです。なぜだかおわかりですか?」
 裟弥はそう問いかけ、白湯を一口すすった。
「山の生活に慣れないからでしょうか」
 私は首を傾げた。
「それもあります」
「やはり、人恋しくなるからでしょうか」
「それもあります」
「ほかには思いつきませんが――」
「一言で言えば、己が怖くなるのです」
 裟弥は湯のみを置き、じっと私の目を見つめた。どこまでも澄んだ、だが力のこもったまなざしだった。
「ここの暮らしにも慣れ、人恋しさも断ち切り、ほかの在家の裟弥との付き合いも遠慮してやっと独りきりになれたと思ったら、ちょうど澄んだ池の底にたまった枯葉や倒木や泥が見えるように、己の心にたまった恐ろしい欲望や邪念や、過去に犯した罪業の数々が見えすぎるほど見えるようになるのです。そんなどろどろとしたどす黒い心や己の犯した過ちは正視するに耐えません。
 若い頃、私は部下のささいな失敗にひどく怒り、これでもかとばかりにすさまじい剣幕でなじったことがありました。
 軽く注意すればそれで済むことでしたが、ちょうどその時、虫の居所が悪かったこともあって八つ当たりをしてしまったのです。宮仕えで窮屈な思いをしていた鬱憤が堰を切ったように溢れ出てしまい、そのすべてを彼にぶつけてしまいました。
 ずいぶん昔のことなので、私自身、そんなことはすっかり忘れていたのですが、ここで読経と座禅の毎日を送っているうちに、突然、池の底から浮かび上がるようにしてそのようなことが思い出されたのです。あの時、彼は今にも首を吊ってしまいそうなほど悲しい顔をしていました。彼には遠くおよばない高い身分である私に口答えするわけにもいかず、ただ顔を蒼ざめさせ、身の置き所もないように唇をわななかせていました。内心、憤りと不安で心が引き裂かれそうだったことでしょう。実際、彼は体調を崩してしばらく仕事を休む羽目に陥ってしまいました。そんな彼の顔が日毎夜毎に浮かんでは、私の心を苦しめました。いえ、こんな言い方は傲慢ですね。もちろん、私の咎《とが》です。私自身が作った過ちです。自分の過ちで自分が苦しむのは当然のことでしょう。そのことばかりではありません。あれもこれもとさまざまことが思い出されては、良心の呵責に苦しみました。私の心は白洲へ引き出されたようでした。
 そうかと思えば反対に、昔受けた小さな恥辱を思い出し、憤怒の塊と化してしまうこともありました。恥辱といってもたいしたことではありません。たわいもないからかいの言葉やつまらない人が言った心ない一言に過ぎません。ですが、それが大きな蛇のようになって心をのたうちまわるのです。心のなかで暴れているのです。一番やりきれないのは己です。そんな自分がやりきれなくなります。
 世を捨てれば、心が浮かび上がります。なにものにもかえがたい大切な己の心がです。しかし、その心がいかに汚れているか、世俗の暮らしのなかで省みることはありません。まれにそうすることがあったとしても、雑事にまぎれてすぐに忘れてしまいます。汚れた自分を突きつけられて、私は参ってしまったのですよ」
 裟弥はやはり、わかりますかと問いかけるように私を見つめる。
「そうなのですか――。私はてっきり、このようなところで仏三昧の暮らしをすればなにもかもが――」
 私は落胆してしまった。
「解決すると思っていましたか?」
「はい」
「問題から逃げることはできます。気儘《きまま》に暮らそうと思えば、できないことはありません。現に多くの在家の裟弥がそうしています。ほどほどにお勤めをして、ほどほどに参禅して、あとはのんびり時間を楽しむ。そんな隠居暮らしです。私はそれを責めようとも非難しようとも思いません。彼らは彼らで息苦しい俗世を遁れ、ほっと一息ついている訳ですからそれも一つの生き方でしょう。ですが、ほんとうに仏の道を行じたいと思えば、この世の苦しみから遁れたいと思えば、つらいことを乗り越えなくてはなりません」
「どうやってそれを乗り越えられたのですか」
「私は乗り越えてなどいません。まだ迷いのなかにいます」
「そうおっしゃられますが、ずいぶん落ち着いておられるようにお見受けいたします」
「そう見えるだけですよ。心の中では今でも苦しみが渦を巻いています」
 裟弥は頭を振った。
「ただ、ここへ移り住んだ当初に比べればずいぶん楽にはなりました」
「そこをお伺いしたいのです。どうやって楽になられたのでしょうか」
「ひたすら、己の心を正視し、仏を見つめました」
「それだけですか?」
「ええ、それだけです。しかしさっきも申し上げたとおり、外から見れば簡単なように見えて、その実、なかなか容易なことではないのです。よほどの決心と我慢強さがなければ、できることではありません」
「簡単にはゆかないのですね」
 私は膝元に目を落とし、ため息をこらえた。悲しい風が心を吹き抜ける。我知らず目の潤んでしまうのが自分でもわかった。
「どうかしましたか」
「いえ、なんでもありません」
「この侘び住まいの庵には、時折誰にも言えない悩みを抱えた方がこられ、言うに言えない悩みを打ち明けていかれます。私は慣れておりますから、もしよければどうぞご遠慮なくおっしゃってください。ここで聞いたことは誰にも話しません」
 裟弥の声はただひたすら穏やかだった。
 私は膝に乗せた拳をぎゅっと握り締め、なにも答えなかった。答えられなかった。今出会ったばかりの裟弥にあのような話をすれば迷惑だろうと逡巡《しゅんじゅん》し、やはり知られたくないという思いが覆いかぶさる。心は冷たい霧につつまれたみたいだ。暗くて、じめじめする。
 その一方で、なにをためらっているのだと心のなかで叫ぶ自分もいた。
 もう一人の私は、たとえ恥ずかしい思いをしたとしても話してしまおうと私に向かって呼びかける。彼なら、冷笑を浮かべたり嘲ったりして自分を傷つけない。突飛な話に思えても、それなりに受け止めてくれる方に違いない。さっさと話してしまえよと。
 私はそっと目を閉じた。



(続く)

『生煮えの鮒 』第一話 『草庵』 (純文学小説)

2011年02月24日 22時32分48秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
まえがき

世の中の人すべてが信じられなくなり、自分すらも信じられなくなった私。擦り切れた心を抱え息苦しい日々が続いていたそんなある日、京の外れの山奥でひとりの隠者に出会った。http://ncode.syosetu.com/n9691p/



本文


 心が擦り切れる。きりきりと擦り切れる。うわべばかり繕っているからこうなるのだ。とはいえ、この気持ちは誰にも言えない。妻や親しい友人なら、なおさら話すことなどできない。
 自分の気持ちを正直に言ってしまえば、相手の心に負担をかけてしまう。まず、それが怖い。誰だって自分の心をかき乱されたくないものなのだから、優しくいたわってくれる人にそんな迷惑をかけられない。
 それに、自分の正直な気持ちが間違いだったらどうしようと思ってしまう。裸の心を見られた、と思っただけでもうだめだ。居たたまれなくなって、自分の足場が崩れ落ちたような気にさせられる。わかってくれないなと変に先読みして、わかってくれるはずがないと思いこんで落ちこんで、やはりわかってくれなかったことに落胆して――。的外れだけどやさしくて、あたたかいけど通り一遍な慰めの言葉がよけいにつらい。理解してもらえないことが、なぜか相手にすまない。
 一人ひとり違う人間なのだから、わかってもらえないのは、当然だ。それは重々承知のうえだが、薄々気づいている壁をはっきり認識すれば、さびしくなってしまう。もっとも、理解してもらえたところでどうにもならないことも、わかっている。結局のところ、この擦り切れた心は自分ひとりで背負わなければならないものなのだから。
 馬に跨りながら渓間の小道をとぼとぼと進んだ。
 いつも同じことを考えては堂々巡りだった。その先を考えたいのに、どうすればいいのかわからない。同じことの繰り返しから抜け出して、どこかへ向かって進みたいのに、出口が見つからない。私《わたくし》という迷宮にはまりこんで、方角を見失ってしまったようだ。空っぽの心《しん》に鉋をかけては、肉も血も削いでゆく。いつも、胸が、圧されたように痛む。
 馬に鞭を当てて急いで帰らなければいけないのはわかっている。とはいうものの、とてもそんな気にはなれなかった。なにも知らないで優しく迎えてくれる妻。早く孫ができないかとそればかり気にしている両親。友人からの連歌や食事の誘い。そのどれもがやりきれない。このままずっと独りきりでいるほうがどれだけ気が休まるだろう。いっそのこと、路傍の石になって、なにも感じずに、なにも考えずにいられたらどんなにいいことか。どうせ出口がないのなら、誰にも煩《わずら》わされず、誰も煩わさず、うずくまっていたい。
 日が暮れなずむ。
 ぼんやりとした夕陽が深い山の谷間に懸かり、木立を吹き抜ける肌寒い風があたりを夕闇色に染める。雪解け水のほとばしる瀬の音がにわかに大きく響いた。ふと、自分の不安が音を立てて砕けるように感じた。
 私はもうじき二十四歳になる。京の都の外れでは追剝がはびこり、行き場のない貧民が都の大通りで行き倒れになる乱れた世にあって、屋敷の塀のなかでこれといった不自由もなく育ち、今は宮仕えをしている。自分ではそれなりに努力して勤めに励んでいるつもりだが、友人たちは、私は宮仕えに向かないと言う。確かにそうかもしれない。とはいえ、ほかにできそうなこともなにもない。友には一流の歌人になった者や、高貴な女性を次から次へと口説き落として浮き名を流す者もいるが、私にはこれといった才能も魅力もない。私には平凡な日々がよく似合う。どこにでもいそうな、おっとりとしていて皮膚の薄い青年――それが私なのだから。今日は役所の仕事で都から山を越えた小さな町へ使いに出かけ、今はその帰り道だった。
 川の水際まで降り、尻尾を振りながら大人しく水を飲む馬の首をなでた。時々、私はほんとうの想いをこの馬だけに打ち明けた。彼だけは、私を欺いたり、軽蔑しようとしない。ただ黙って話を聞いてくれるのは、ほかに誰もいなかった。
 再び馬に乗り、細い道をゆっくり進む。頭のなかは、またさっきの出口のない考えに戻る。
「これが明日も続くのか」
 ため息をついてふと頭をもたげると、川沿いの段丘にぽつりと建った草庵の前を行き過ぎようとしていた。質素で小さな造りの庵だが、庭はきれいに掃き清められていて、薄暗いなかにも凛としたすがすがしさがある。水車が静かに回っている。背の高い孟宗竹が風になびき、丸い障子の窓にろうそくの明かりが揺れていた。なんとなく心惹《ひ》かれ、轡《くつわ》を引いて馬を返した。
「お願い申します」
 私は馬を降りて呼ばわった。
 障子に人影が映る。
 すっと障子が開き、黒い袈裟に身を包んだ在家の裟弥《しゃみ》が顔を覗かせた。裟弥とは剃髪して出家したものの特定の寺にも宗派にも属さず世捨て人として過ごしている者のことだ。私は、時が遅くなってしまったので誠に相申し訳ないが一夜の宿を乞いたいと願い出た。
「それはさぞお困りでしょう。こんなところでよければお泊りください」
 日頃の読経で鍛えているからだろう、裟弥の声は朗々と響いた。ただ響きが美しいばかりでなく、なにか大切なものへ向かってひたむきに歩いてゆくような、芯の通った確かな声だった。
 ――羨ましい。
 あこがれとあきらめに似た心持ちが心の底にふっと湧き、それがないまぜになる。上辺だけの人間関係をとり繕いながら生きている私とは違い、彼は人として大事なものを守り、本物の生き方をしているように感じられた。
 裟弥はふたつ手を叩いて下男を呼び、客人をもてなすよう言いつける。
「恐れ入ります」
 私が頭をさげると、
「玄関へお回りください。すこしばかり用事を片付けなければなりませんので、後ほど」
 と、裟弥は言って障子を閉めた。
 下男の小僧が玄関先で出迎えてくれた。まだ裸のままで寒そうな紅葉の木に馬を繋ぎ、馬の背から外した荷をとりあえず玄関に置く。庵へ上がってすぐ、風呂をよばれた。乾いた風に一日中さらされていた私は埃まみれだった。
 一人入るのがやっとの桝形の湯船に半畳ほどの洗い場があるだけの狭い風呂だが、湯船は新しくて清潔だった。檜のあざやかな木目が美しい。木立の香りがほのかな湯気にまじり、ふんわり漂う。
 湯をすくおうとして、手にした桶をふととめた。
 鮒が一匹泳いでいる。
 小さな鮒だった。湯疲れしてしまったのだろうか。水面に突き出した口をせわしなくぱくつかせている。息が苦し気だ。きっと、小僧が横着して井戸の水を汲まずに川の水を直接湯船へ引き入れたために、心ならずもまぎれこんでしまったのに違いない。
「驚かせてすまないね」
 そっと湯をすくい、かけ湯をした。湯はいささか熱めだった。
 私が湯船に浸かっても、鮒は逃げもせず、やはり水面にしがみつくようにして漂っている。
 焚き木が燃えて湯が温もり出した時、この鮒はさぞ腰を抜かしたことだろう。そう思うとなんともいえないおかしみがこみあげてきたが、そんな愉快な気持ちも泡のようにすぐに消えうせた。
 両手で鮒をすくった。
 鮒はおびえ、あらぬほうを見て弱々しく尾を打つ。
 活きのよい鮒なら身をよじって逃げ出そうとするのだろうが、ぐったりしていた。どうにでもしてくれと運命のなされるままに気だるく身を横たえている。
「私に似ているね」
 じっと鮒を見つめ、つぶやいた。その声が狭い風呂場でかすかにこだまして、私の心を苦くした。
 生煮えの地獄とでも呼べはよいのだろうか。煮えたぎる湯でいっそ息絶えてしまうこともなく、どちらへ向かって泳ごうにも厚い壁に阻まれて進むこともかなわず、狭い湯船のなかで気力を失っている鮒の姿が今の私自身と重なった。心がおぼつかない。
「そのうち湯も冷めるだろうから、もう少し我慢しておくれ」
 私は微笑みかけ、湯へ戻した。活かしもせず殺しもしない湯船のほうがまだよいのか、鮒は待ちかねたように湯船の奥深くへと急いで潜りこむ。風呂の湯はすぐにでも冷める。だが、この胸に抱えこんだ生煮えの地獄はいつまでも終わりそうになかった。


(続く)

新鮮素材が決め手の中国の鍋料理(エッセイ)

2011年02月23日 20時35分26秒 | エッセイ
まえがき

中国・広東在住の僕は、中国人の友人に招かれて鍋パーティーに参加しました。新鮮な鶏肉、新鮮な海鮮でつくった鍋はほんとにおいしかったです。やっぱり、食は広東にありでした。(2009年12月5日投稿作品)
http://ncode.syosetu.com/n8759i/


本文


 しばらく前のことだけど、僕が住んでいる広東省・広州では寒い日が続いた。寒いといっても、亜熱帯地域のことだから、最高気温が十二三度で、最低気温が七八度くらい。でも、一年の半分くらいが夏の広州にいると、これくらいの気温でもとても寒く感じてしまう。風が冷たい。
 こんな時にはあったかいものを食べたいなあ、なんて考えていたら、中国人の友人のエフ君が鍋パーティーに誘ってくれた。
 夕方、エフ君宅へ集合。
 家は2LDKのマンション。エフ君はおしゃれな人なので、男の一人住まいだが部屋はきれいにしてあるし、熱帯魚を飼っていたり、やたらとでかい縦長スピーカーが置いてあって、ジャズを流していたりする。
 中国人は大勢で集まるのが大好きなので、パーティーに参加すると新しい知り合いが増える。エフ君が以前の同僚を招いていたので、あいさつをしてちょっと話しこむ。彼は芸術家肌の人で、日本の映画にも興味があるようだ。『歩いても歩いても』や『菊次郎の夏』が好きだと言う。日本に興味を持ってくれている人だと話しやすい。中国の世の中ではコネがすべてといっていいくらい重要視されるのだけど、中国人はこんな風に食事会を利用して自分のネットワークを広げるのだろう。
 メンバーがだいたいそろったところで、みんなで連れ立って食品市場へ。
 まずは鶏肉を買うことにした。
 ちいさな「鳥肉店」がずらりとならんでいる。七八軒あるだろうか。どの店にも檻が置いてあり、そのなかに生きた鶏がひしめいている。鍋をする時、中国人は素材の鮮度にこだわるので、たいてい活きたまま買う。「鳥肉店」と書いたのは、鶏以外にも、いろんな鳥を扱っているからで、檻のうえには羽を切られた食用の鳩がすわっていた。食用に飼育した鳩だけあって、ダウンウエアを着こんだようにまるまると肥えている。ほかにも、ウズラに似た鳥や、ずいぶん小ぶりの鵞鳥も売っていた。
 檻に入った鶏を眺めていると、店のおばちゃんが飛び出してきた。おばちゃんが檻からかわるがわる鶏を取り出して見せ、エフ君が「ちょっとちっちゃいな。あっちがいい」、「見た目がよくないな。やっぱり、あっち」などと言って品定めしている。鶏冠《とさか》につんつんした毛の生えているかわいらしい烏骨鶏《うこっけい》(肌の色が黒いのでこんな名前がついた)と茶色い毛をしたブロイラーが一羽ずつ選ばれた。おばちゃんは、ばたばたと羽ばたきする鶏の脚を掴んで逆さ吊りにしたまま店の裏へ駆けこむ。あとは残酷だから、書かないでおこう。
 次に水産物コーナーをぶらぶら歩く。
 こちらも活魚がほとんど。さすが食の広州だけあって、川魚以外にいろんな生き物が浅い水槽に入っている。
 ワニガメ、すっぽん、どじょう、田ウナギ、川ヘビ、牛蛙などなど。ちなみに、広州では食用蛙を「田鶏」、つまり田んぼの鶏と呼んで日常的によく食べる。鶏のささ身みたいでなかなかいける味だ。
 水槽のすっぽんは逃げ出そうとして、必死に前脚と後脚を踏ん張ってガラスの壁を乗り越えようとする。水槽の横の台には、ぶつ切りのワニが置いてあった。さすがに生きたワニは物騒だから店におけないようだ。逃げ出しでもしたら大騒ぎだ。ワニがうろついている市場なんて怖くて行けない。こっちが食べられてしまう。
 カニを食べようという話になり、河蟹《かわがに》を買った。大きさは文庫本を一回り小さくしたくらいで、見た目は上海蟹とよく似て、僕には見分けがつかないけど、種類が違うらしい。今の季節がいちばんおいしいとのこと。店員が生きた河蟹を一匹ずつ紐を十字にかけて縛ってくれる。こうしないと、はさみでお互いを傷つけてしまうそうだ。
 店のなかでは、魚屋の亭主が人間の身長くらいある長いヘビをさばいていた。ヘビの腹をナイフで切り、両手でヘビの肉をビリビリっと大きな音を立てながら真っ二つに裂く。さばきたてだから、まだ筋肉が動く。ベルトみたいになったヘビの片割れは、とぐろを巻こうとしてか丸くなる。見物していて、ちょっと怖くなってしまった。中国にいるうちにいろんな食材を見慣れたけど、やっぱりヘビだけは苦手だ。
 海の魚は、残念ながら活魚では売っていない。日本の市場と同じように砕いた氷の上に死んだ魚が並べてある。さんま、太刀魚、イトヨリをもっと派手にした赤い魚なんかがおいてあった。日本だと結構いい値段のする舌平目が普通の魚と同じ値段で売っている。ムニエルにしたらおいしいけど、今回は鍋料理だから買うのは見送り。
 今度は豚肉コーナーへ進む。
 解体した豚の一部が骨付きのまま生々しく吊るしてあって、下の平台には切り身、内臓、豚足やらがならんでいる。こちらもさばきたてだから新鮮だ。日本では肉とモツ以外はほとんど食べないけど、中国の場合、耳も、尻尾も、脳味噌でさえも、あますところなくまるごと一匹食べてしまう。豚料理でお目にかかったことがないのは、目玉くらいだろうか。
 豚肉コーナーの並びには、ほかの四足の肉を売っていた。
 毛をむしった文字通り赤裸々なウサギが丸ごと一匹吊るしてある。さすがにこんな姿を見るとかわいそうだ。古事記に出てくる因幡《いなば》の白兎もこんな風にされてしまったのだろうか、とつい想像してしまう。
 兎のとなりには、血まみれになった山羊の頭がでんと置いてあった。角はもちろんついたまま。ヤギの生首はいささか迫力がある。ちょっとたじろいでしまった。どんなふうに料理するのだろう。鍋でぐつぐつ煮込んでスープを取るのだろうか? 食べるところはあんまりなさそうだけど、売れるのだろうか? こんなものを見るといろんな疑問が頭のなかで渦を巻いてしまう。でも、生首は三つもある。それだけ店にならべるということは、やはり需要があるのだろう。
 ヤギの隣は狗肉。つまり、犬の肉だ。
 中国ではあたりまえのように食肉用の犬を売っている。別の地方で檻に入れられた食用犬を見たことがあるけど、毛の色は黒か灰色で痩せた犬だった。芸術家肌の彼の話によると、広州でも同じ種類の犬だそうだ。独特の臭みがあるけど、寒い冬に食べると体が温まる。子供のおねしょにもよく効いて、狗肉を食べるとおねしょをしなくなることから、子供の頃、親に狗肉を食べさせられたという人は割合にいる。だけど、最近の若い中国人は、かわいい犬を食べるのはかわいそうだと言ってあまり食べない。豊かになって古い習慣がすたれつつあるようだ。
 日本では中国の食用犬としてチャウチャウが有名だけど、中国の南方でチャウチャウを食べたことがあるという人にまだ出会ったことがない。友人知人の広東人に片っ端からチャウチャウを食べたことがあるかとたずねてみても、みんな首を振る。狗肉をとくに好むのは中国の北方人だそうだから、チャウチャウは北方で食べるのだろうか。
 エフ君の家へ戻り、鍋の準備を始める。
 台所やバスルームで肉や野菜を洗い始めた。みんな、自分の家のように使っている。日本では、他人が自宅の台所へ入るのを嫌がる傾向があるし、逆に他人の家の台所へ入るのは遠慮するけど、中国ではまったくといっていいほどそんなことはない。このあたりは中国人特有の人の距離の近さだ。
 僕も手伝おうとしたのだが、いいから座って待っててくれよと言われて、参加させてもらえない。どうも、外国人は特別な客だからそんなことをさせてはいけないという意識が彼らにはあるようだ。ちょっとさびしいけど、しかたない。もっと打ち解けた間柄になれば、スムーズに参加させてもらえるようになるのだろう。
 テーブルに電気コンロを用意して鍋を置き、鍋のなかへ中華流鍋の素の袋を開けて鍋に入れる。甘草などの漢方薬や干した棗《なつめ》をワンセットにしたもので、これがないと中国の鍋の味にならない。出汁に漢方薬を入れるところが中国らしい。どうせ食べるのなら、より健康的にということだ。
 ワゴンに切った肉や野菜をならべて、おおかたの支度ができたところで、ジェイ女史が持参した自家製の梅酒を味わう。いい白酒《バイジュウ》を使ったようで、上品な甘い味がして飲みやすい。ジェイ女史によると、青梅を乾かしてからセイロで蒸して表面のあくを抜くのがおいしい梅酒をつくるコツだとか。
 九人でテーブルを囲んだ。賑やかだ。
 乾杯してから、前菜のゆで河蟹を食べる。
 カニ味噌が甘くてうまい。箸の先ですみずみまですくって食べる。河蟹だから身はさほどないのだが、味はわるくない。中国人たちは器用にしがんでいる。食べ方が上手だ。
 カニを食べているうちに、鍋のなかの烏骨鶏がいい感じになってきた。
 烏骨鶏の肉は栄養満点だ。
 僕の祖母がこんな話をしてくれたことがある。
 祖母は子供の頃に大病をわずらってしまったのだが、その時、祖母の祖父が烏骨鶏まるごと一匹をお酒にひたし、一か月間毎日、七輪のうえでぐつぐつと煮込んでまるであめのようになった滋養剤を作った。それを毎日すこしずつ食べた祖母はすっかり病気がなおって元気になり、体も丈夫になってその後は病気知らずになったのだそうだ。
 烏骨鶏の肉は、濃い味がしておいしい。いかにも栄養がありそうな味だ。僕は普通の鶏肉よりも、烏骨鶏の肉のほうがずっと好きだ。中国ではどの市場でも売っているし、値段も鶏よりすこし高いだけだけど、日本であまりみかけないのはどうしてだろう。飼育がむずかしいのだろうか? おいしくて栄養もあって、いい食材だと思うのだけど。
 烏骨鶏を平らげてから、普通の鶏を鍋へ放りこむ。さばきたてだから、こちらも味がいい。冷凍ものとはやはり違う。味の濃い烏骨鶏を食べた後に鶏肉を食べて、すこしばかり口がさっぱりした。
 第三ラウンドの海鮮鍋へ突入。エビ、イカ、カキをどっさり鍋へ入れた。
 烏骨鶏、鶏で出したスープに海鮮の味が加わってぐっと美味になる。僕は具を小鉢に取らずにご飯の上へおいた。汁がご飯にしみて二度おいしい。
 ここらあたりでいい感じにお腹がふくれてきて、余裕が出てきた。もう鵜の目鷹の目でどの素材が煮えたかを探さなくてもいい。なにせ九人で一つの鍋を囲んでいるから、うっかりしていると食べるものがなくなってしまう。
 お酒も回ってきていい気分になった僕は、芸術家肌の彼といろいろ話をした。
 彼は四川省成都からチベットのラサまで自転車で旅をしてみたいという。手つかずの大自然がそのまま残っていて途中の景色は抜群だから、このルートに魅せられる旅人は多い。来年の五月あたりに実行するつもりなので、その夢に備えて週末は自転車で遠出したりして訓練しているのだとか。チベット行きとなれば標高四千メートルクラスの高山をいくつも越えることになるので今からしっかり鍛えておかなければならない。結婚して小さな子供もいるのだが、奥さんは「行きたいのなら、行ってらっしゃい」とあっさり賛成してくれたそうだ。いい奥さんだ。
 話題の方向を変えて、今の中国についてどう思うかとたずねると、今は高度成長で発展しているけど楽観はできないなどとわりと突き放した意見を述べる。外国の文化をいろいろ吸収した彼は、自分の国のことや自分自身のことを客観的に見られるようだ。
「今の世の中は、拝金主義が蔓延しすぎちゃってるからどうかなって思うよ。お金さえ儲かればいいってもんじゃないだろう? でも、自分自身で公共の利益になるようなことをするのって、この国ではむずかしいんだよな。昔は社会のことなんかもいろいろ考えて、福祉団体を作ったりしてなにか社会のために役立てることができないかなって真剣に思ったんだけど、結局、自分の生活を考えることにしたよ。僕がいろいろ考えたところで、中国では一般の庶民の意見は反映されないんだ。なにせ一党独裁だからね。君たちの国なら、いろんなことを自由にできるんだろうけど」
 彼はあきらめたように言う。
 たしかに、日本では結社の自由が認められているから、好きに福祉団体を作ることができるけど、中国ではなかなかむずかしい。その団体が反中国共産党組織になりはしないかと政府から警戒されるためだ。こんな話を聞くと、日本は恵まれた国なんだと思う。保障された自由を活かしきれているかどうかは別にして、だけど。
 気がついたら、鍋へ入れるものがなくなっていた。
 食べきれるかなと思ったくらい用意した肉も、海鮮も、野菜もみごとになくなっている。だけど、まだみんな食べたりない。
 こりゃ大変とエフ君が厨房へ入る。
 日本では出されたご馳走をすべて平らげるのが作法だけど、中国ではほんのすこし残して「もう食べ切れません。じゅうぶんにいただきました。ご馳走をたくさん用意していただきましてありがとうございます」と主人の顔を立てるのが作法だ。中国へきた当初は、なんてもったいないことをするんだろうと違和感があったけど、どちらももてなしてくれた主人に感謝をあらわすという礼儀は一緒で作法(表現方法)が違うだけだということに気づいてから、あまり気にならなくなった。郷に入りては郷に従え。
 ただし、招いた客が用意した食事をすべて食べきってしまうと主人は大変だ。中国では主人がきちんともてないしていない、つまり、無礼をはたらいたということになるので、主人は面子にかけても招待客全員が満腹になるまで料理を作り続けなくてはならない。
 エフ君は冷蔵庫にあった卵でスクランブルエッグを山盛り作った。彼の料理の腕はなかなかのものだ。でも、おいしいからみんなあっという間に平らげてしまう。
「うっひゃー。もう食べたの?」
 エフ君はうれしい悲鳴をあげ、厨房へ逆戻り。スクランブルエッグをもっと食べたいというリクエストに応えて、彼はもう一皿作った。ただ、もう卵がないとのことで、量は三分の一に減った。これもすぐに片づけてしまった。
「エフ君、もっと食べるものはないの?」
 エフ君の幼馴染という女の子がねだる。
「もうしわけない。冷蔵庫が空なんだよ。デザート用にこしらえたゆで栗ならあるんだけどさ」
「それそれ、早くもってきてよ」
 みんなにせきたてられてエフ君は大きなボールにいっぱいのゆで栗を運んできた。素朴な味だ。なんにも足さない自然の甘みがいい。
 ジェイ女史が僕の手相を観た。
 手相を観ているうちになにか気になったようで、彼女は僕の手の甲の骨をさぐる。
「野鶴さん、あなたはちゃんと食べていないでしょう。だめよ、栄養を考えて食べなきゃ」
「なんでわかるの」
 たしかに、残業で忙しくて夜はマクドナルドですませることが多い。日本にいた頃はあんまり食べなかったけど。それに、中華料理は油がきついので胃に負担がかかる。
「骨ががたがただわ。胃腸が弱ってる証拠よ」
 そう言って、ジェイ女史はマッサージを始めてくれた。手の甲の骨をまっすぐ伸ばすようにしてもみほぐす。気持ちいい。すねも同じようにもんで、胃腸に効くという腰のつぼを押してくれた。彼女がぎゅっと力をこめて押した時、僕の腸がくねっと動いた。正常な位置からずれた腸があるべきところへ戻った証拠だ。僕は学生の頃、ひどく腸を痛めたことがあって、一週間ほど下痢がとまらなくなったことがあった。医者へ行ってもひどくなるばかりだったので整体へ行ったところ、整体師さんは彼女が押したのとまったく同じつぼで完全になおしてくれた。彼女の知識は正しい。物知りでいろんなことを器用にこなせる人だ。
 この後、試練が待っていた。
 ジェイ女史は大酒豪だ。アルコール度五十数%の白酒でも、ウイスキーでもなんでもぐびぐび飲み干してしまう。まるでうわばみのようにとは、この人のためにある言葉だ。
「胃腸もよくなったことだし、さあもっと飲みましょ」
 彼女はグラスをかかげる。中国式乾杯攻撃が始まった。
「乾杯《カンペイ》」
 みんなでグラスをあわせる。乾杯とは、文字通り杯を乾すことだ。歴史小説の『西門豹《せいもんひょう》』でもそんなシーンを描いたけど、開けたグラスを逆さにして飲み干したことを証明するのが作法。飲み干さないと、さあ全部飲んでと催促される。ウイスキーで何度も乾杯しているうちにふらふらになってしまった。ただジェイ女史とみんなに合わせて乾杯するだけで、もうウイスキーの味もわからない。
 いつの間にか、僕は寝こんでしまっていた。
 エフ君が僕を叩き起こす。
「お開きなの――」
 それじゃ、今日はありがとうと言おうとすると、
「これから砂鍋粥を食べに行くんだ」
 と、エフ君ははしゃいでいる。みんな、かなり盛り上がってわいわい話している。
「えっ、まだ食べるの?」
「だって、お腹すいたじゃない。もう夜中の一時だしさ」
 エフ君は僕の腕をがっちり掴んだ。絶対に離してくれそうもない。
 一度乗ってしまうと中国人はとめられない。
 僕は、夜中も営業している砂鍋粥店まで拉致されてしまったのだった。


 了


俺が人間でいるうちにこの命を取り上げてください――受難者の記 (短編小説)

2011年02月23日 00時45分34秒 | 短編小説

 俺の生きてる意味がわかりません。
 今日までなんとか生きのびてきましたが、持っているお金がとうとう三十円になってしまいました。じゃがいもコロッケ一個すら買えません。
 今、小さなリュックを背負って、紙袋をさげて新宿駅の東口にいます。服は汚れきって、もう何日もシャワーを浴びていません。昨夜《ゆうべ》、生まれて初めて野宿しました。ダンボールを拾い集めて、公園の片隅に寝床を作りました。寝てる時に誰かが俺のダンボールに小便をひっかけていったけど、怒る気力すら湧きませんでした。小便の匂いが鼻について、悔しくて、自分が情けなくて、まんじりと一晩を過ごしました。ほとんど眠っていません。
 ケータイから派遣会社へ仕事の斡旋を依頼しましたが、なしのつぶてです。ダンボールのなかでうずくまってる気もせず、なんのあてもなくふらふらと出てきました。
 新宿はいつもと同じ賑わいです。
 俺とはなんの関係もない騒々しさです。
 東口広場の階段に腰かけても、ため息も出てきません。
 じっとこらした硬い息を口から吐いて、匂いもなにもしない硬い空気の塊を吸いこむだけ。心が石になってしまいました。道行く人々が人間ではなく、なにか動物のように思えます。牛の群れか馬の群れでも歩いているような、へんな感じです。どうしてこんなふうに感じるのか、自分でもよくわかりません。きっと、心がおかしくなっているのでしょう。
 なにか売れるものはないかとさっきリュックのなかをあさってみたけど、これといったものはありませんでした。唯一の財産だったノートパソコンはとうに売り払ってしまったし、着替えの服も売ってしまいました。ケータイは売れるのでしょうが、ケータイがなければ日雇いの仕事にすらありつけません。ケータイは俺にとって命綱なんです。もっとも、たとえ仕事があっても、現場へ行く交通費もありませんが。
 この五年間、派遣労働者になって日本中をさまよってきました。だいたいが工場勤めです。わずかばかりのお金を貯めて、仕事に慣れてきたかなと思った頃に工場の寮を追い出されて、減るばかりの貯金残高におびえながら別の仕事を探してまた働いて。そんなことを繰り返してきました。貯金がゼロになる前にすべりこみセーフで仕事にありついたことも何度かありましたが、今度ばかりは仕事が見つからず、とうとうお金も尽きてしまいました。げっそり廋せました。さっき、公衆トイレで自分の顔を見たら、ひどいものでした。目のまわりには太い隈がこびりついて、まるで麻薬に蝕まれた幽鬼のようです。
 好きでこんなことをしてるわけじゃありません。
 就職活動に失敗してしまったから、しょうがなくやってるだけです。ほんとうはきちんとした仕事を持って、人並みに暮らしたい。おんぼろのアパートでいいから、自分で部屋を借りたい。自分の蒲団でぐっすり眠りたい。だけど、派遣で短期の仕事をこなしているだけの俺にはこれといったスキルも経歴もありません。資格だって運転免許証くらいなもので、普通車と限定解除の自動二輪です。特別なものはなにもないから、派遣会社にピンはねされるとわかっていても安い賃金で単純作業をこなすしかないのです。
 こんな時に頼れる人は誰もいません。
 高校時代の友人が東京で働いているので、迷いに迷った挙句、さっき思い切って電話をかけてみましたが、この電話番号は使われておりませんと自動音声が流れるだけでした。いつの間にか電話番号が変わっていました。
 もっとも、会えたところでどんな顔をして彼と向かい合えばいいのか、わかりません。高校の時はそこそこの付き合いがあったけど、それほど仲がいいというわけでもありませんでした。もう何年も連絡を取っていない同級生がいきなり現れてお金を貸してほしいと言われたら、きっと彼は困ってしまうでしょう。彼は名の通った会社で正社員として働いてるそうですから、俺のことを馬鹿にするかもしれませんが、もし彼に馬鹿にされたとしても、それほど苦にはなりません。派遣会社の人にも、派遣先でも、今までさんざん馬鹿にされて生きてきました。もう慣れっこです。俺には価値などないのだから、馬鹿にされるのもしょうがないと思います。だけど、人を困らせるのは俺としても心苦しいです。人は自分が困った時、相手に弱味を見せまいとして人を馬鹿にする態度を取るものですから。
 もちろん、彼が人の悪い奴だと言っているのではありません。高校時代の彼はおおらかで気のいい男でした。テスト前にはよく彼のノートを借りたものでした。彼なら、こんな俺にでも親切にしてくれるかもしれません。――きっと、こんなふうにしか考えられないのは、俺が卑屈になりすぎて、そんな自分自身に慣れすぎてるからなのでしょう。人を信じられないのは、俺自身が悪いのです。
 彼のほかには東京に友だちも知り合いもいません。話す人など、誰もいません。もう何日も人とまともな言葉を交わしていません。まるで、言葉の通じない外国でぽつんと迷子になってしまったようです。
「今日はいい天気ですね」
 そんな挨拶だけでもいいから誰かと交わしたいと切実に思います。腹が減ってるだけではありません。会話に飢えています。人間が話す言葉に飢えています。誰でもいいから、言葉のキャッチボールをしたくてたまりません。もし、言葉を交わした人がたわいもない冗談でも言ってくれたら、どれだけ救われることでしょう。
 親元へ帰ったらと言われるかもしれませんが、たとえ野垂れ死にすることになっても、それだけはできません。
 家のことを考えると嫌なことばかり思い出します。俺がなにを訴えても知らん顔をする父、一から十までなんでも言うとおりにしないと気の済まない母。よくある話ですが、無関心な父と過干渉な母に育てられました。父と母は人前では仲のいいふりをするけど、家の中では喧嘩すらしない冷え切った仮面夫婦でした。もう二度と戻りたくありません。戻ったらきっと、俺が自殺するか、俺が両親を殺すかの二つの道しかないでしょう。もう親に失望したくありません。現実がまったくわからないあの二人に、親のわがままを押し付けられるのも御免です。
 こんなことを言うと甘えてるからではと思われるかもしれませんが、壊れた家庭に生まれた人間にしか、そのつらさはわからないものです。ごくふつうに育った人にはまったくわからないことなのです。壊れた家庭の子供は、両親の世間体をつくろうための道具でしかありません。毎日、両親のゆがんだエゴのために、いろんなことに傷つきながら大きくなってしまいます。そんな日々は断ち切ってしまいたいものなのです。俺にとって、家庭は帰る場所ではありません。拘置所の檻です。思い出すだけで、胸が悪くなってきました。
 昔はともかく、これからどうすればいいのでしょう。それが問題なのですが、途方に暮れるばかりです。
 現実的に考えれば、本格的にホームレス生活を始めて、ゴミ拾いでもするしかありません。十円玉三枚ではネットカフェに入れてもらえませんから。でも、ホームレスにはなりたくありません。わかっています。そうするしかないんだと。でも、どうしても嫌なんです。ネットカフェならまだ我慢できます。路上で寝るのだけは勘弁してほしい。せめて、屋根のあるところで寝たいんです。それは許されない贅沢なのでしょうか。
 自殺するか、それとも、悪いことをして人からお金を奪うか。
 その二つしか、頭に浮かびません。
 俺の望みはささやかなものです。
 もう一度、今この夕焼けのなかを歩いている人たちの群れに入れてほしい。建ち並ぶビルのどこかに俺を受け入れてくれる場所が欲しい。ただ、それだけ。ほんとうにそれだけです。人の温かさに触れることができたら、今感じている人が人でないような、自分とは関係のない動物の群れとしか思えないような、そんな妙な感覚も消えるのでしょう。俺も世間へ入れてほしい。世の中の一員として認めてほしい。ただそれだけです。
 でも、むりなのでしょう。
 誰もどこも、俺を受け入れてなんかくれません。
 失業は罪ですか? 仕事を失ったというだけで、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないのでしょう? これはなにかの罰なのでしょうか? 俺は、もうわかりません。
 どうせ死ぬのなら、誰でもいいから通りすがりの人を道連れにしたい。そんな思いがふつふつと心の底にたぎります。いけないことだとはわかっていますが、どうしようもないんです。やけになったというだけではないようです。無性に復讐をしたい。誰でもいいから、俺をこんな目に遭わせた奴らに仕返しをしたい。どうしてもそう思ってしまうんです。もちろん、十分過ぎるほどわかってます。道を歩いてる人々に罪などありません。誰が悪いわけでもありません。悪いのはふがいない俺です。でも、そんな考えは小さくしぼんでいきます。だんだん理性を失う自分がわかります。こんなことを考える自分が恐ろしい。
 秋葉原で連続殺傷事件があった時、犯人はなんて馬鹿で愚かな奴なんだろうと腹が立ちました。ネット上で犯行予告をしておいてから、レンタカーで歩行者天国へ突っこんで人を跳ねて、それから次から次へと通行人をサバイバルナイフで刺したあの事件です。十名くらいの方が亡くなったのでしたっけ。
 正直言って、あの犯人は変わり者なんだと思いました。俺も非正規労働者で人とも思われない存在だけどまがりなりにもちゃんとやってるし、まわりを見ても、いくら苦しくても道を踏み外さずにまっとうに生きてる人がほとんどです。それなのに、あんなことをやらかすのはとんでもない奴だと思いました。でも、今は彼のことが他人事だとは思えません。まわりから無視されて、否定され続ければ、誰でもああなってしまうのだと思います。とくに、俺みたいにお金もなくなって、生きる手段も失ってしまえば、まわりを怨むし、誰でもいいから傷つけたくなってしまいます。まわりがみんな敵に思えてしかたないんです。やさしい人だって、親切な人だって、自分と気の合う人だって、きっといるはずなのに。ほとんどの人は、真面目に働いて、真面目に暮らしてるはずなのに。
 人も、ビルも、看板も、風景も、みんな赤一色に染まっています。夕焼けに赤く染まった人たちが、みな、血しぶきをあげているようです。これから俺が殺してしまう姿がデジャブのようにして見えます。
 こんなことなんて考えたくもないのに、どうしてとめどもなく心に浮かんでしまのでしょうか。自分が嫌でたまりません。
 いったい、俺はなんのために生まれてきたのでしょうか?
 誰のために生まれてきたのでしょうか?
 こんな俺に生きる意味なんてあるのでしょうか?
 誰かとめてください。
 神さまがいるなら、俺を罰してください。
 俺が人間でいるうちに、この命を今すぐ取り上げてください。
 このままだったら、俺、もうなにをしでかすかわかりません。




 了



本作は2010年2月21日「小説家になろう」サイトに投稿しました。
http://ncode.syosetu.com/n9595j/

司馬遼太郎さんの歴史小説を「小説」と呼んでいいのか?(連載エッセイ第4話)

2011年02月22日 00時56分52秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
まえがき

 エッセイ『ゆっくりゆうやけ』は「小説家になろう」サイトで投稿している連載エッセイです。広東省の暮らしで感じたことや小説の話などを綴っています。本ブログではそのなかから自分のお気に入りをアップしようと思います。本編は昔出会った児童作家の先生のひと言から生まれました。  http://ncode.syosetu.com/n8686m/4/


本文

『龍馬がゆく』をはじめて読んだのは中三の時だった。
 それが司馬さんの作品との出会いだった。
 こんなすごい本が世の中にあるのかと興奮しながら読んだ。歴史上の人物が生きいきと描かれ、歴史を精密に解釈している。単行本で五冊とかなりのボリュームなのだけど、文章のリズムが非常にいいから、一気に読めてしまう。維新のために東奔西走する龍馬がまぶしかった。家の本棚に父が買った司馬さんの本が何十冊も置いてあったので、『龍馬がゆく』を読み終えた後、司馬さんの小説をかたっぱしから読んだ。
 司馬さんの作品はどれも面白いのだけど、ただ、司馬さんの歴史小説を「小説」と呼んでいいのかどうかは、わからなかった。司馬さんの「小説」は、
「筆者は考える」
 と、作者が頻繁に登場して歴史をどう解釈すべきか考察しているからだ。登場人物が考えるのならわかるけど、一般的にいって、小説ではそんなことをしない。作者が登場して迷ったところを書くにしても、さらっと流してしまう。それに、
「余談だが」
 と、しばしば話が脇道へそれる。それがまたたまらなく面白いのだけど、そんなことをすれば、物語の流れがよどんでしまう。作品はすばらしいけど、「小説」とはまた違ったものなのだろうなと感じた。
 大人になってから、主に児童劇の脚本を書いていたある老作家と出会った。根はやさしいけど頑固な人だった。かたい信念の持ち主だった。僕はそんな人が好きだ。その先生には、喫茶店でコーヒーをご馳走になりながらいろんな話を聞かせていただいたのだけど、ある時、
「わしは司馬遼太郎といっしょに徳島へ旅行に行ったことがあるんやけど、その時にあんたの書くものはつまらんって言って喧嘩をふっかけてやったんや。あんなもんは歴史小説やない。くだらん歴史講談や」
 と彼が怒ったように言った。
 僕はびっくりしてしまった。
 司馬さんの作品を悪く言う人はほとんどいない。歴史小説好きの男と司馬さんの作品の話をすれば、例外なく盛り上がる。嫌いだという人にはじめて出会った。
「小説やない」というのはわかるけど、司馬さんの書くものはとても勉強になったから、なぜ彼がそんなことを言うのか理解できなかった。「くだらん歴史講談」というのも評価としてはあんまりな気がする。
 司馬さんの作品を読むたびに老作家の言葉を思い出し、どういう意味なんだろうと考えた。
 最初はさっぱりわけがわからなかったけど、繰り返し考えているうちになんとなくわかってきた。
 司馬さんの「小説」はどれも明るい。太陽が燦々とふりそそいでいる感じがする。それは司馬さんが人間のいい面を見ようとしているからだ。本人のやさしい性格もあるだろうし、なにより、司馬さんの「小説」からは日本人のいいところを見つけたいという意気込みが感じられる。
 司馬さんは、学徒出陣で兵隊にとられた。戦争のなかで、軍隊のなかで、人間の嫌な面を見すぎてしまったのだろう。そして、なぜ日本人があんな無謀な戦争を始めてしまったのか、とことん考えさせられた。そのあたりは晩年のエッセイに書かれている。
 日本人のマイナス面を思い知った司馬さんは、逆に日本人のプラス面を探したかったに違いない。あほな戦争をした日本人だけどいいところだっていっぱいあるんだと「小説」のなかで描きたかったに違いない。
 そんな司馬さんの考えが高度経済成長で発展し続ける日本人の心にフィットした。日本人は自分のことをほめてくれる人がほしかった。戦争に負けたけど、ほんとうはすごいんだと認めてほしかったのだ。司馬さんの「小説」を読んだ日本人はプライドをくすぐられ、誇りを取り戻した気分になれただろう。昇り龍のような時代の雰囲気が司馬さんを国民的作家にした。
 だけど、人間のプラス面だけでは「小説」は成り立たない。それでは「寓話」になってしまう。人間には、必ず光と影の部分がある。いい面もあれば、悪い面もある。「文学」ではその両面をきちんと描かなくてはならないのだけど、司馬さんの「小説」では負の側面が切り捨てられてしまう。
 たとえば、『新史 太閤記』では、晩年の豊臣秀吉が描かれていない。天下を統一した後、秀吉はぼけてしまったとしか思えない行動をとり続ける。一例を挙げれば、大名の妻を呼んで床の相手をさせるだなんて、天下人としてはあるまじき行為だ。そんなことをすれば、恨まれるに決まっている。道義的な問題は置くとして、政治的に間違っている。妻を寝取られた大名はいつか復讐してやろうと胸に誓うだろう。無用な怨恨を自ら招き寄せたのでは、天下を統治することなどできない。だけど、司馬さんの太閤記では、秀吉が認知症にかかる前に小説が終わってしまう。影の部分が描かれていない。近代小説の作家ではないけど、もしシェイクスピアが『太閤記』を書いたとしたら、老いの悲しみといった負の側面もしっかり描いて、人間性の本質に迫る不朽の名作に仕立て上げたことだろう。
 また、司馬さんは「ノモンハンの戦い」(一九三九年の日ソ軍事衝突。近代化が遅れ兵站を軽視した日本陸軍がソ連陸軍に敗北した)を「小説」にしようとして資料を収集したけど、結局書かなかった。理由は、あんなばかなことを書いたのでは精神衛生上悪いということだった。
「文学」であれば、自分の精神が病んでしまおうとも、人間がなぜ愚かな行為をするのか描かなくてはいけない。人間の心には、天使の心と悪魔の心の両方が宿っている。魂の深遠をのぞく前に引き返したのでは「文学」にはならない。
 おそらく、老作家はそのことを指して、「つまらん」と言ったのだろう。大岡昇平さんや野間宏さんといった戦後派の作家たちは、自らの戦争体験をもとに人間の本性をえぐりとった作品を書いている。その意味では、いいか悪いかは別にして、司馬さんの「小説」は、「近代文学」でも「近代小説」でもない。司馬史観などともてはやされているけど、司馬さん本人が、「自分が書いたものはフィクション」と断っているとおり、史観というほど大袈裟なものではない。だから、老作家の言った「歴史講談」という批評は的を得ていると思う。もちろん、決してくだらないものではないけど。
 八十年代の終わり頃、司馬さんは「自分の義務は果たした」と言って「小説」を書くのをやめた。当時、日本はバブル経済に沸きかえり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などともてはやされていた。日本が世界に冠たる経済大国になったので、戦争で殺されてしまった人たちのぶんも十分がんばったと自分で納得がいったようだ。死んでしまった友人たちのぶんも生きて日本をいい国にしなければいけないという想いは、その世代の人たちにしかわからないものだ。僕の祖父もそんなことを言っていた覚えがある。
 余談になるけど、最後の「小説」は、中国が明朝から清朝へ変わる激動の時代を描いた『韃靼疾風録』だった。僕の個人的な思いこみかもしれないけど、宮崎駿さんの漫画版『風の谷のナウシカ』のある場面に似たシーンが出てくる。もちろん、もし同じだとしたら、制作年代からいって宮崎駿さんが『韃靼疾風録』にインスピレーションを受けて描いたものだ。宮崎駿さんは司馬さんに心酔しているから、ありえないことではないと思っている。
 老作家の批評は、いささか厳しすぎるだろう。
「文学」の側から見れば、物足りないかもしれないけど、やはり稀有な作家だと思う。
 司馬さんの「小説」は、たしかに「小説」ではないかもしれないけど、とびきりすぐれた「歴史講談」だ。
 講談なのだから、講談として読めばいい。今でもたまに司馬さんの作品を読み返すことがあるけど、あれだけ資料を調べて書くなんてすごいなと素直に思う。もちろん、司馬さんの作品にも欠点はいろいろある。だけど、完璧な作家などいないのだから粗探しをしてもつまらない。司馬さん独特の一筆書きのリズムに乗って、一気に読むのがいちばん楽しい味わい方だ。司馬さんほど日本人の長所を探し続け、日本人を励まし続けた人はいないだろう。今でも僕の好きな作家だ。
 


今日は絶対に負けられねえんだ(短編小説)

2011年02月21日 12時00分00秒 | 短編小説

 いてっ。
 なにしやがるんだ、この野郎。
 てめえ、いま嗤《わら》っただろ。俺にはよく見えるんだぜ。
 お前さんよ、人を殴っておいて嗤《わら》うなんざ、よくねえぜ。
 まずは軽くジャブってところからいこうぜ。
 挨拶がわりにさ。
 そんな怖い顔して、俺を睨むなよ。

 ジャブ、ジャブ、左フック、おっと危ねえ。
 知ってるかい?
 じつは俺、珠算七段なんだよ。
 笑っちまうだろ。プロボクサーが珠算七段だってよ。デヘヘ。ほんとだよ。俺は中学校の時、県の珠算大会で三位に入ったんだ。今でも賞状を持ってるぜ。ほんとうは、ボクシングよりも算盤のほうが得意なんだ。
 それからついでに言っとくけどよ、俺は簿記一級に税理士の資格も持ってるんだ。どうだ、すげえだろ。
 みみっちい? なんでだよ。
 ああわかった。俺がファイトマネーの管理を自分でやってるって思ってるんだろ。アハハ。ばかだな。お前はほんとにばかだよ。ボクシング業界ってやつは世界チャンピオンにでもならねえかぎり、ボクシングだけで喰っていけるもんじゃねえんだよ。お前さんだって知ってるだろうに。俺は、コンビニと宅配便の配達とビル掃除のアルバイトで喰ってるんだよ。管理しなくちゃいけねえような資産なんてねえよ。お前さんだって、なんかバイトをやってるんだろ。おたがいさまさ。
 なに?
 税理士のバイトでぼろ儲けしてるんだろうってか?
 時給はそこそこいいけどさ、そんなもんは確定申告と決算の手伝いくらいしかねえんだよ。なにしろ俺はボクサーだ。面接に行っても「こいつほんとうに計算できんのかよ」って目で見られちまう。頭を殴られておかしくなってるんじゃないかって思われちまうんだよ。おまけに試合が入ったら準備をしなくちゃいけねえから、一年通して働くなんてむりだ。減量すりゃ、腹が減る。腹を空かせてたんじゃ、計算を間違えちまう。いくら珠算七段でも、腹ペコじゃ計算できねえしな。あんまり儲からないよ。

 フェイント、左フック、右ストレート。
 ちぇっ。うまくよけやがったな。
 お前さん、なかなかのもんだよ。デヘヘ。
 さっさと経理の仕事でも見つけて引退しろってか?
 お前さんの言うとおりかもしれねえ。ボクシングは儲からねえからな。算盤勘定はたしかに合わねえよ。けどよ、ボクシングでしかできねえことがあるんだ。お前さんにも、おいおい話してやるよ。
 正直言うと、殴り合いは性に合わねえ。
 第一ランドのゴングが鳴った時の一瞬はたしかに気持ちいいな。みんなが俺を見てるって思うのは最高だね。快感さ。でも、俺は人に殴られるのが大嫌いなんだ。人を殴るのも、どうも気が進まねえ。
 俺がボクシングを始めたのは、ほかでもねえ、いじめられたからさ。俺は珠算が得意だった。なんでか知らねえけど、それが気に喰わないってやつがいて、俺は殴られ通しだったんだ。なんで珠算がうまかったら殴られなきゃいけねえんだ。わけがわからねえよ。でも、殴られたのは事実さ。
 殴られねえようにするには、強くなるしかないよな。そこで俺はボクシングジムの門を叩いた。ご破算で願いましてはなんて言って算盤をぱちぱち弾いてた手にグローブをはめったってわけよ。
 おやっさんとの出会いが俺を変えた。
 そこでセコンドをやってくれてる禿頭のおやじよ。
 殴られ通しで、根性の曲がりかけてた俺にやさしくしてくれたんだ。あのままだったら、俺はほんとうにグレてた。いや、グレるくらいだったらまだましだっただろうよ。自分で自分の首をくくっていたかも知れねえし、下手すりゃやけになって人を殺していたかも知れねえ。
 俺は物心がつく前にほんとうの親父が死んだから、親父の匂いってやつに飢えてたんだな。俺はおやっさんに心酔した。おやっさんも俺を実の子供みてえにかわいがってくれた。上手になって、おやっさんに認めてもらいたかった。算盤大会の賞状をもらうより、おやっさんに声をかけてもらうほうがよっぽどうれしかったね。おやっさんが、俺に人生のすべてを教えてくれたんだ。
 やれやれ、やっとゴングが鳴ってくれたよ。
 体も温まってきたし、一息入れようや。
 じゃあな。

 おいおい、お前さん、動きすぎだよ。
 まだ第二ラウンドが始まったばっかだぜ。そんなことをしてたら、ばてちまう。ぼちぼちやろうや。先は長いんだ。
 なに? 俺を見てるといらつくってか?
 そうよ。その通りよ。
 だから教えといただろ。俺は珠算七段で税理士だって。計算高いのよ。いらいらさせて、あんたの体力を消耗させるのが狙いなのさ。デヘヘ。それにしても、お前さんは単純だな。ここまでいらつく奴は見たことがねえよ。まあ、勝手にしな。

 ジャブ、ジャブ、ジャブ、左フック、右アッパー。
 くそっ、またはずれやがった。
 おやっさんにはリング以外で人を殴っちゃいけねえって何度も諭された。だけどよ、ここだけの話、おやっさんの許可を取って、一度だけ人を殴ったことがあるんだ。
 カツアゲされたことがあるかい?
 ああそうかよ。
 あんたは、カツアゲするほうだったんだな。お前さんもその口か。そんな顔つきだよな。俺は一度もやったことがねえ。やりたいとすら思ったことがないね。そんなのは卑怯だからよ。

 俺はボクシングジムへ通うようになってからも、いじめられ続けてた。でもよ、俺はおやっさんの言いつけを守って一度も反撃しなかった。おやっさんが、素人をどつくなんてそんなのはボクサーじゃねえって口を酸っぱくして言うもんだからさ。
 一年くらいたった頃かな、俺はとうとう耐え切れなくなって、親父さんに訴えた。
 今までのことを全部おやっさんにぶちまけたんだ。
 おやっさんは親身になって俺の話を聞いてくれたよ。そんな大人に出会ったことがなかったから、それだけでも大感激さ。子供だって精一杯生きてるんだ。そんな簡単なことに気づかない大人があまりに多すぎるんだよ。
 おやっさんは、俺を許してくれた。
 素人を殴ることは、リングの神様に背くことだ。でも、おやっさんは、そんな俺を受け容れてくれたんだ。
 俺は、カツアゲする奴らを思う存分ぶちのめしてやったぜ。
 連中の顔ったら、ありゃしなかった。いつもみてえにカツアゲしてくるからよ、挨拶代わりに一人のしてやったら、びびってやがんの。アハハハハハ。
 その時、俺は悟ったね。
 カツアゲする奴らなんて、ほんとは弱虫なんだ。人間じゃねえ、虫なんだよ。ゴキブリみてえにごそごそしてやがるだけなんだよ。カツアゲしてんのを見てみぬふりをする先公《センコー》も弱虫だ。おまけに、中学校のセンコーときたら、ちんぴらみてえな口を利きやがるしよ。どこもかしこも、弱虫だらけだ。子供だって、大人だって、ちゃちな弱虫が一人前の顔をして幅をきかせてるんだ。しょうもないよな。
 コロンブスの卵みてえな話よ。わかっちまえば、簡単なことかもしれねえけど、俺はわからなかった。アホだったんだ。
 もちろん、人のことばかり言えねえ。
 虫けらにいじめられていじけてた俺も虫だった。ろくでもないゴミ虫よ。でもよ、俺はあの時脱皮したんだ。虫のままじゃいけねえ、ちゃんとした人間にならなくちゃいけねえって心底思ったんだよ。リングの神様にかけてな。
 それもこれも、おやっさんがチャンスを与えてくれたからさ。おやっさんが俺をカツアゲする連中を殴っていいって言ってくれなかったら、たぶん、俺は今の今までそんなことに気づかなかっただろうな。真人間になろうとも思わなかっただろうよ。誰かを恨んで、ゆがんだ恨みを晴らすことしか考えなかったかもしれねえ。いじけたまま一生を送るところだった。おやっさんにはいくら感謝しても、したりねえ。
 おっと、そこまで。とまりなよ。
 ゴングが鳴ったぜ。

 ジャブ、ジャブ、ジャブ。
 さっき聞いたか?
 そうよ、休憩の間、ちびっ子たちが観客席から俺へ声援を贈ってくれただろ。ヒロ兄ちゃんってな。みんな声をそろえてよ。かわいい声でよ。
 聞いてねえ?
 しょうがねえ奴だな。お前さんは自分のことで手一杯だもんな。
 今日は二十人のちびっ子どもを招待したんだ。
 ちぇっ、ばかにすんな。スポンサーにやってもらったんじゃねえ。俺が身銭を切ってチケットをプレゼントしたんだよ。俺はバイト代を豚さんの貯金箱へ入れてこつこつ金を貯めたんだ。そうじゃなけりゃ、意味ねえじゃないか。
 あいつら、みんなかわいそうな子供たちなんだ。
 親父にいじめられた、お袋にいじめられた、友達にいじめられた、先公にいじめられた、知らない人にいじめられた。みんな心に傷を負ってる子供たちさ。
 あいつらは、うつむくことしか知らねえ。
 いじめられて、すっかり萎縮させられてしまっているのさ。
 ほんとは人間なのに、つまらねえ虫だって思いこまされてるんだ。
 だけどよ、それじゃいけねえ。
 俺の闘ってる姿をあの子たちに見てもらいてえんだ。
 虫けらだった俺でも、ちゃんと人間になれる。そこんとこをちっちゃな眼《まなこ》でしっかり見てほしいんだよ。なに、心配しなくても大丈夫だ。子供はなんでもわかるんだよ。
 ジャブ、フェイント、左フック。
 お前さん、今、顔をしかめただろ。
 ちょっと当たったかな。やったぜ。デヘヘ。

 俺は、勝ち負けなんてどうでもいいんだ。
 格好つけて言ってるんじゃねえぜ。
 勝ち負けなんてただの結果さ。結果が出る時もあれば、そりゃ、出ねえ時もあるわな。肝心なのは、試合へ向けてどれだけ努力したかってことよ。結果なんて、糞みたいなもんだ。出るときゃ出る。出ないときゃ出ねえ。
 だけどよ、今日ばかりは勝ちたいんだ。絶対、負けられねえ。
 子供たちが観《み》てる。
 あいつらが俺を観てるんだ。
 下手なことはできねえ。
 俺は、奴らの期待を背負っているんだよ。あいつらの声援をしょっているんだよ。自分だけのために戦ってるお前とは大違いさ。
 なに?
 お前の気持ちなんてどうでもいい?
 そりゃ、そうだ。
 あんたの言うとおりだよ。アハハ。
 人のことなんてどうでもいいことだよな。俺だって、ほんとうのことを言えば、自分のために闘っているのさ。
 でもよ、俺はお前みたいな考え方が大嫌いなんだ。自分のことで手一杯の奴なんてクソだ。お前さんの足りない頭じゃわからねえかもしれないけどよ、人は誰でも、誰かのためになにかができるんだ。
 ジャブ、ジャブ、左フック、右ストレート。
 かわすなよ。
 頼むからさ、当たったふりくらいしてくれよ。
 子供たちが観てるんだぜ。エヘヘ。

 第四ラウンドだな。
 そろそろ、こっちも調子をあげていくぜ。
 うるさいな。
 わかってるよ。
 俺の調子はおしゃべりばっかりだってか。
 その通りよ。
 俺は、ボクシングよりも客商売のほうが向いてるんだ。だから言っただろ。ボクシングは性に合わねえって。黙ってるのは嫌いなんだ。自分のバーでも持ったら、きっと繁盛するだろうよ。俺は客あしらいがうまいから、客がわんさかやってくるだろうな。俺は客相手におしゃべりして、がっぽり儲けさせてもらうよ。それになんと言っても、俺は算盤七段で簿記一級だ。税理士資格だって持っているんだぜ。帳簿だってきっちりつけられるし、節税のテクニックだってちょこっとは知ってる。小金くらいすぐにためられるさ。
 そんなことはどうでもいいけどよ、ところで、お前さんはなんのためにボクシングをやってるんだ? そこんとこを訊きたいね。
 なんだって?
 チャンピオンベルトが欲しい?
 ビッグになりたい?
 勝手にしな。
 くそっ。いてえな。
 お前さんのストレートがすこし入っちまったよ。
 あんたの人生だから、勝手にしなって言っただけだろ。そんなにむきになるなよな。
 俺はよ、さっきも言ったとおり、子供たちのために闘っているんだ。
 俺が勝てば、ちびっこどもは希望が持てる。自分の手がなにかができるって思えるんだ。これは大事なことだぜ。
 命は宝石みたいなもんよ。磨けば磨くほど輝くんだ。
 でもよ、ふがいない大人たちのせいで、子供たちは自分はもうなにもできないと思いこまされてる。大人の都合にふりまわされて、縛りつけられているんだ。悲しみのパンチドランカーさ。自分じゃどうにもできねえ悲しみでちっちゃな心がどうにかなっちまったんだ。
 そんなの黙って見てられるか?
 俺は見ちゃいられねえ。
 だから、その呪縛を解いてやるんだ。

 いくぜ。
 あんたをコーナーへ追いこんでやる。
 右ストレート、右ストレート、左フック、右ストレート。
 左フック、ジャブ、ジャブ、右アッパー。
 フェイント、右ストレート。
 デヘヘ。おもしれえな。デヘヘヘヘヘ。
 ひっくり返っちまいやがった。のしてやったぜ。
 どんなもんだい。
 ほら、立てよ。
 ビッグになりてえんだろ。
 お前さんの夢は否定しねえぜ。
 俺だって、世界チャンピオンになったら、舞い上がっちまうことだろうよ。ちやほやされりゃ、そりゃ嬉しいよな。
 ファイトマネーをがっぼりもらって、テレビCMに出演してニカッと笑うだけで大金が転がりこんでくるんだろうな。そうなりゃ、ちゃちなアルバイトで食いつながなくてもいい。俺だって楽な生活をしてえよ。だけどよ、そんなことが目標じゃ、力が湧かねえんだ。
 ジャブ、ジャブ、左フック。
 お前さんよ、脇が甘くなってきたぜ。こんどこそ、ノックダウンさせてやる。
 右ストレート。左フェイント。右アッパー。
 こらっ。
 俺に抱きつくな。
 気持ち悪いじゃねえか。
 あんたの体はやたらとねちねちするぜ。すげえ脂性だな。
 長年ボクシングをやってても、これだけはどうしても慣れねえんだ。男同士で抱きつくなんて、気色悪いだろ。
 あっち行けよ。
 そんなにべたべたされたんじゃ、殴りたくても、殴れねえじゃないか。
 ほら、あっちへ行けってば。
 くそっ。
 最高の気分になってきたっていうのに、ゴングが鳴りやがった。
 次のラウンドこそ、ぶちのめしてやる。

 水が気持ちいい。
 天井のライトがにじんでやがる。
 俺はこの瞬間が好きなんだ。
 生きてるって感じがするよな。
 最高だね。
 おやっさん、もっと水をかけてくれよ。
 なにかのために闘うってのは、気持ちいいもんだな。
 ちびっ子どもが俺を呼んでるよ。
 天使みてえにかわいい声だよな。
 こんな俺でも、誰かのために闘えるんだ。

 魔の第七ラウンドになっちまった。
 俺はいつもここでやられちまうんだ。
 なんでか知らねえけど、第七ラウンドとは相性が悪いんだ。
 ラッキー・セブンなんて人は言うけどよ、俺にかぎっちゃ、逆なんだ。
 えっ?
 俺がへそ曲がりだからってか。
 ほっといてくれよ。
 自分の欠点を人に指摘されることほど、むかつくことはねえからな。
 お前さん、まぶたが腫れてるぜ。デヘヘ。俺もそうだ。ふらふらになってきやがった。足がうまく動かねえ。そうなんだよ。足のスタミナが足りねえのが、俺の欠点なんだ。
 ジャブ、ジャブ、ジャブ。

 嫌な感じになってきやがったな。
 おい、やめてくれよ。
 そんなに殴らなくてもいいだろうよ。
 危ねえな。そんなに殴られたら、頭がどうかしちまうぜ。算盤が弾けなくなるだろ。せっかく暗記した税務知識がどっかへいっちまうじゃねえか。資格試験はけっこう面倒なんだぜ。
 うっ。
 倒れちまった。
 倒されちまった。
 おいおい。
 おやっさん。なにするんだよ。やめてくれよ。
 だから、やめろってば。
 タオルなんか入れてどうするんだよ。
 子供たちが観てる。
 今日ばかりは負けられねえんだ。
 わかったよ。
 立ちゃいいんだろ。立つからさ。
 いてえなあ。なんだか体中の骨が砕かれたみたいだぜ。
 ふう。よっこいしょ。
 ほら、なんとか立ち上がったぜ。ほんとに、タオルなんてやめてくれよな。洒落にならねえよ。

 お前さんの姿が二重に見えるぜ。あんたもつらそうだな。おたがいさまさ。デヘヘ。
 世の中なんて、くそったれよ。
 なんで世の中がくそったれなんだっていったら、そもそも人間がふがいねえからなのさ。やさしさを出し惜しみするくせに、人から平気でいろんなものを奪いやがる。人間なんて、ろくなものじゃねえんだよ。
 どこもかしこも罪だらけだ。
 罪ってなんだ?
 罪は愛を裏切ることだよ。
 俺は愛を裏切りたくねえ。
 愛を守るためだったら、地獄へ落ちてもかまわねえ。
 だから、最後まで闘うんだ。
 俺が勝つところを子供たちに観てもらうんだ。
 リングの神様よ。頼む。今日ばかりは俺を勝たしてくれ。俺に力を与えてくれよな。
 右アッパー、左フェイント、ジャブ、ジャブ、右ストレート……。


  了


 珠算七段の風変わりなボクサーの奮闘記。2010年9月23日に投稿した作品です。ソ連の反体制派の俳優・歌手のウラジミール・ヴイソーツキイの『Боксер』に着想を得ました。
http://ncode.syosetu.com/n9348n/
 

否定してはいけない(エッセイ)

2011年02月20日 19時18分33秒 | エッセイ
2010年 02月 03日に投稿したエッセイです。今は別の仕事をしていますが、自分としては思い入れのある作品です。お暇にでもどうぞ。
「小説家になろう」サイトでもごらんいただけます。
http://ncode.syosetu.com/n6880j/

まえがき

出会った人から大切なことを教えてもらいました。それは、「相手の考えを否定してはいけない」、「いいところを伸ばそう」ということです。簡単にできることではありませんが、それができるようになれば、いろんなことがずいぶんよくなるような気がします。


否定してはいけない

 中国語通訳という仕事をしていると、いろんな人の話を聞くことができる。というよりも、興味があろうとなかろうと全身全霊をかたむけて真剣に聞かなくてはいけない。ぼんやり聞いていたのでは通訳などできないから。これがまたいい勉強になる。自分の世界を広げるのに役立ってくれる。
 日系広告企業の中国現地法人で勤めていた僕は、去年、広告クリエイティブの技術指導のために日本の本社から派遣されてきた講師の通訳を半年間ほど勤めた。講師のAさんは活きのいい優秀なクリエイターだ。日本へ戻った今は、本職のアートディレクターへ復帰して活躍している。アートディレクターとは、簡単に言えば美術表現といったヴィジュアル面での総合広告演出者のことだ。Aさんは美大出身だった。
 彼とは馬が合った。
 同世代だったこともよかったのだろう。
 一緒に町を歩いていると、Aさんは驚くほど実によく観察する。広告の看板やポスターはもちろん、町のたたずまいや人の様子をよく見ている。そして、Aさんは僕が思ったこととまったく同じことをよく口にした。同じ日本人だからということもあるけど、それだけではない。彼と僕は似たところがずいぶんあった。不思議な縁もあるものだな、といつも心のなかで思っていた。自分と似たような感受性の持ち主に出会えることはごくまれだ。貴重な出会いだ。
 初めて中国で暮らしたAさんは、かつて僕がそうなったように、誰でもそうなるように、カルチャー・ショックに悩んだ。
 日本と中国では土壌が違いすぎる。
 この二つの国は文明の種類が違うと言ってもいいくらいだ。
 チームワークを重視して周囲を見回しながら物事を進める村社会の日本人と、周囲のことなど眼中になく自分が世界の中心と信じている中国人とでは、仕事の進め方がまったく違う。当然、クリエイティブという仕事に対する考え方も異なる。Aさんは中国とは水が合うようで、中国の生活そのものは楽しんでいたけど、中国人の同僚はいったいなにを考えているのかと、よく相談を受けたものだった。僕は通訳以外に、いわば中国社会学入門の講師を務めたようなものだ。クリエイティブの先生は彼だけど、僕は中国についての先生だ。そんな気分も手伝って、Aさんにはなかのいい従兄弟のような親しみを覚えた。
 彼から学んだことはたくさんある。
 そのなかでもいちばん心に残っているのは、彼が、
「否定してはいけない」
 と、言ったことだった。
 クリエイティブのミーティングでは、どんな広告を創ればよいのかということについて、アートディレクター、コピーライター、デザイナーといったクリエイターそれぞれがさまざまなアイディアを出してみんなで話し合う。ミーティングではもちろん、各人が言いたいことを言って活発に討論すればいいのだけど、その時、他人のアイディアを否定するのではなく、どこを伸ばせばもっとよくなるのか、あるいは、もとのアイディアを発展させてどう工夫すればよいのかを言うべきだとAさんは主張するのだ。
「他人のアイディアを否定しちゃいけないっていうのは、私が会社へ入った時、いちばん最初に先輩に言われたことなんです。それで、先輩方の発言をよく聞いていると、優秀な人はやっぱり否定しない。優秀な人ほど否定しません。かならず、そのアイディアのいいところを見つけて、そこを伸ばそうとするんですよ」
 熱く語るAさんの話を聞きながら、いいことを教えてもらったと思った。やはり、彼のほうが先生だ。
 Aさんは、ミーティングの時に中国人クリエイターのアイディアを見ると、面白い部分を見つけ、もとネタから発展させていろんなアイディアを繰り出した。アイディアをどう練り上げるかだけを考えている。Aさんがいる間に、世界的に有名なクリエイターの大御所とベテランクリエイターのコンビが日本からやってきて研修会を開いたのだけど、彼らはもっとすごかった。おもしろいアイディアを褒めるのはもちろん、僕が素人目に見てもどうかなと思ったアイディアでも、かならず即座にいいところを見つけて褒める。決して否定しない。彼らはいいところを見つけ出す達人だった。研修会が終わった後、
「さすがですねえ」
 と、Aさんと僕は二人でうなずきあったものだった。
 もちろん、なんでもかんでも肯定すればよいというものでもない。仕事である以上、幼稚さや粗雑さは許されない。基本はしっかり押さえなくてはならない。Aさんは、若い人に向かってなんども口を酸っぱくして基本的なことを指導していた。
 否定してはいけないという考え方は、とてもストイックだ。
 誰しも、自分のアイディアがかわいいものだろう。アイディアというのは自分の子供のようなものだから、当然かもしれない。他人のアイディアを見ると、それを否定して自分のほうがもっといいと言いたくなるのも、自然といえば自然だ。だけど、そこはぐっとがまんして、いいところを見つけ出すように努力する。いったん相手の意見を飲みこんだうえで、いいところを咀嚼《そしゃく》して、どうすればもっとよいものになるのかを考える。なかなかできることではないし、かなりの修練が必要だけど、それがすっとできるようになれば、こんなにすてきなことはない。
 この否定してはいけない、という禁欲的な考え方は人生のいろんなところで応用できるのではないだろうか。仕事だけではなく、日常の暮らしのなかで家族が言ったことについても、友達が言ったことについても、恋人が言ったことについても。
 思えば、今住んでいる世の中には「否定」が満ちあふれている。日本経済はデフレだそうだけど、日本の世間は「否定」のインフレだ。
 大人は世間で「ダメ」と言われ続け、子供は学校や家庭で「ダメ」と言われ続け、どれだけの人々が傷ついているだろう。どれだけの「いいところ」が損なわれていることだろう。競争社会だからしかたないと言う人もいるかもしれないけど、実際の世間では「スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦います」というようなことにはなかなかならない。競争社会と言いながら、実際に行なわれていることは、足の引っ張り合い、つまり「否定」合戦であることが多い。自分が努力を重ねていい結果を出すよりも、相手を否定して自分の踏み台に使ったほうが楽だから。相手を「否定」しなければ、逆に自分が「否定」されてしまうから。こんなふうでは、鬱病にかかったり、引きこもりになったり、リストカットしたりする人たちが大勢出るのもむりもない。そうなるなというほうがむりというものだ。
 もちろん、さっきも書いたようになんでも肯定して認めればいいというものではない。
 この世には悪意の塊のような人もいるから、彼らを認めることはできない。悪意を肯定しては、善意が損なわれるだけだ。昔から言われている。悪貨は良貨を駆逐する、と。仕事の場合、技術的な未熟さを肯定するわけにもいかない。いささか大袈裟なたとえになるけど、この飛行機のエンジンは火が噴くかもしれないけどいいよね、では困る。だけど、よいものを目指そうという心から生まれたアイディアや意見なら、それを否定せずに、どうすればいいところを伸ばせるのかを考えてみればどうだろうか。
 簡単にできることではない。
 かなりの包容力が必要だ。
 他人を「否定」したくなる気持ちは誰だって持っている。それも心の奥の根深いところにあるかなり強い感情だ。負けたくないという意地だ。こんな偉そうなことを僕は書いているけど、果たして自分にできるのかとも思う。それに、よいところを伸ばすつもりで意見を言ったとしても、相手に否定したと受け取られることも多々あるだろう。
 だけど、
「否定してはいけない」
 と、時折、心にささやきかけてみるだけでも、ずいぶん違ってくるのではないだろうか。
 ほんのちょっとしたストイックさが、自分自身やこの世界に広がりを与えてくれるような気がする。いいところを伸ばせそうな気がする。否定しないということが、ひいては愛や慈悲の心が芽生えることへつながるのかもしれない。
 否定してはいけない。
 人のことも、それから、自分自身のことも。


  了

はじめまして

2011年02月20日 10時16分34秒 | 日記
 はじめまして!

 野鶴善明(のづるぜんめい)と申します。
 「小説家になろう」様サイトで小説やエッセイを投稿しています。
 初めてブログを作ったので右も左もよくわからないのですが、ぼちぼち作りこんでいきたいので、どうぞよろしくお願い申しあげます^^


 野鶴善明拝

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