風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

寿司は握れるのか?(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第362話)

2017年07月26日 06時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 アメリカへ移住した家内の姉夫婦とその娘が上海へ里帰りして我が家に滞在している。今は、僕、家内、お義母さん、義姉夫婦、家内の姪の六人で暮らしている。僕以外はみんな上海人だから、家のなかは上海語が飛び交う。にぎやかだ。あまりにもうるさいので喧嘩でも始まったのかとリビングまで様子を見に出たら、みんな興奮しておしゃべりに興じていることが何度もあった。とにかく、みんな大声でよくしゃべる。
 一緒に食事をしていた時、義兄が、
「君は寿司を握れるのか?」
 と訊いてきた。日本人なのだから、当然できるだろうというような尋ね方だった。
「うーん、寿司を握ったことはないなあ。巻き寿司なら作ったことはあるけど」
 なぜこんなことをいきなり訊くのだろうといぶかしく思いながら僕は答えた。
「そうか。もし寿司を握れるのだったら、知り合いがサンフランシスコでスシ・バーをやっているから紹介してあげようと思ったのだけどな」
 義兄は残念だなという風に腕を組んで首をかしげる。
 どうも義兄は僕たち夫婦とお義母さんをアメリカへ呼び寄せたがっている。アメリには中国人が大勢住んでいるけど、みんなこんなふうにして呼び寄せられるのだろうなと思った。
 僕のアメリカでの就職先まで心配してくれるのはありがたいのだが、サンフランシスコで寿司職人をやるという人生は考えたことがない。英語の話せない僕がアメリカに住むということを考えたこともなければ、恐ろしく手先の不器用な僕が寿司職人になるということも考えたことがない。ましてや、その二つを結び付けて人生設計をするなどとは、まったくの想定外だ。サンフランシスコで寿司職人をするよりも、異世界へ転生して勇者になるほうがまだ現実的な気がする。外人や華僑相手に寿司を握って家族を養えるのなら、それはそれで悪くないのかもしれないけど。
 僕が返事に困っていると、
「寿司なんて習えばすぐに握れるようになるわよ」
 と、義姉と家内がフォローを入れる。「日本人のくせに寿司を握れないというみっともなさ」をカバーするかのような言い方だった。日本人なのだから、すこし練習すればすぐに覚えるわよというような。そんなフォローはいらない。角度の違うフォローだ。中国人だからといって、みんながみんなラーメンを打てるわけではないだろうに。
 藪から棒にアメリカで寿司職人をさせられそうになっていささか焦ったのだけど、「日本の代表的な料理は寿司。だから、日本人はみんな寿司を握れて当然」という目で見られることもあるのだな、とひとつ勉強になった。




(2016年7月18日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第362話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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かげろう

2017年07月15日 07時15分15秒 | 詩集

 ぼくのこころに生まれた
 青い 透明な
 ほっそりとした
 かげろうの幼虫

 あなたを想うと
 幼虫は
 ことりと動く
 のどもとが
 つまりそう
 息が苦しくて

 幼虫が
 寝返りを打つ
 透明な尻尾が
 ぼくの白い心臓を
 そっとくすぐる
 誘われるのは
 やわらかなめまい

 あなたのことしか
 考えられなくて
 あなたの横顔ばかり
 思い浮かべて
 夕霞のような
 うすいさびしさが
 あたり一面に折り重なる

 これが恋なの?
 それとも
 ぼくのわがまま?
 いますぐ会いたいと
 こころをしぼられるのは

 ぼくは知っている
 幼虫が
 美しい羽を広げてしまえば
 あなたへの想いは
 数日しか生きられない

 だからこのまま
 おとなにならないで
 時よ 満ちないで
 すこやかに
 ぼくのこころのなかで
 しずまっていてほしい

 ぼくのこころに生まれた
 青い 透明な
 ひっそりとした
 かげろうの幼虫

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満員バスの切符リレー in成都(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第360話)

2017年07月11日 07時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 二〇〇一年に初めて四川省成都へ行った。
 当時の成都はまだ地下鉄もなくて、市内を移動する際はすべてバスを使った。バスの料金は一元だった。当時のバスは大部分がエアコンなしだった。ごくまれにエアコンのついたバスがくるのだけど、そのバスの料金は二元だ。ピカピカの新しい空調付きバスがやってきたら、乗らずにそのまま見送って、エアコンなしのバスがくるのを待ったりした。そのバスは、夏でもないからクーラーを動かしていないのに、屋根にエアコンの機械を載せているというだけで二元も取る。サービスを提供していないのに二倍の料金とは理不尽だ。夏の暑いときなら喜んで乗ったかもしれないけど。
 もしかしたら今はワンマンバスになっているのかもしれないけど、当時はすべてのバスに車掌が乗車していて、その車掌から切符を買う決まりだった。昼間の空いている時は楽に切符を買えるけど、ラッシュ時だとそうもいかない。なにしろ、すし詰めのバスだ。車掌のところまでとても行けない。車掌も身動きが取れない。
 バスに乗った乗客は一元札を出して、隣の人へ渡す。すると、乗客たちは車掌のもとまで次から次へと一元札を手渡しでリレーする。お金を受け取った車掌が切符を出すと、また乗客がその切符をリレーしてお金を出した人に渡す。僕も一元札を高く掲げて隣の人へ渡してみると、吊革の当たりに次々と手が伸びて一元札が向こうへ渡っていく。ほどなく、ぺらぱらの小さな紙に印刷された切符が「ほら、おまえさんのだよ」という感じでやってくる。首をあげてリレーを見物しているとなんだか楽しかった。
 バスの定期券を持っている人は、切符を買う必要がないから、お金も渡さない。満員バスのなかでは車掌が全員の定期券を確認することはできないから、乗客も車掌へ定期券を見せない。定期券乗客のふりをして、切符を買わずにタダ乗りしようと思えばできる。案の定、当時知り合った四川人の若者のなかには、毎回、ちゃっかりタダ乗りしている人もいたりした。


(2016年7月16日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第360話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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きれいに暮らしたいなら

2017年07月04日 07時30分15秒 | 詩集

 まだらな夕映えが
 硬いビルのガラスに
 照り映える
 夕立の後
 墨を含んだちぎれ雲
 強い風に踊りながら
 西へ北へ
 吹き飛ばされ

 家路を急ぐ人たちは
 地下鉄の入口へ
 週末の約束に
 華やぐ恋人
 心を削る仕事から
 解き放たれ
 安堵を浮かべた勤め人

  この世は
  存在の地獄か
  はたまた
  現象の天国か

 存在は
 仕組まれた罠を
 突き破り
 自由の歌を
 謳歌できるだろうか

 現象は
 騒がしい宴のなかで
 悟りの享楽を
 手におさめることが
 できるだろうか

 きれいに暮らして
 ゆきたいなら
 ここじゃない
 たぶん

 きれいに笑って
 いたいのなら
 ここなんかじゃない
 おそらく

 欲望と自己欺瞞の
 ひしめく渋滞(ラッシュ)を
 真実は
 決して
 渡ってゆこうとは
 しないだろうから

  夕映えは
  ささやきかける
  美しい夢を
  忘れるなと
  枯れない泉を
  見つめるように
  時には
  心を
  澄ましていなさいと

 まだらな夕映えが 
 消えてゆくのは
 時の彼方
 もしもほんとうに
 永遠があるのなら
 歩いていってみたい

 世界でいちばん
 大切な君と
 いっしょに手を繋いで
 僕たちだけの道を
 歩いてみたい
 
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