風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

『生煮えの鮒 』第四話 『覚悟』 (純文学小説)

2011年02月27日 11時00分15秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
 
 心の臓がじんと痺れる。胸が痛かった。
 裟弥は額に皺を刻み、瞑目した。数珠を繰りながらなにをどう話すべきか考えているようだ。重く閉じた瞼に理性がゆらぐ。
 私の話を深刻に受け止めてくれたことは彼の表情からわかった。それだけが救いだった。ほんとうに、今まで誰にも話せないことだった。
 沈黙が流れた。
 遠くで梟が鳴く。
 やがて、裟弥はおもむろに口を開いた。
「私は生まれつき霊感の鈍い者ですからそのようなものを見たことがありませんが、世に中には非常に霊感の強い方がおられるのも事実だと思います。そのようなものが見えれば、さぞたまらないことでしょう。――ですが、大事なことはあなたが毛虫を見てどう思うのか、そして、どう行動するかなのではないでしょうか」
 裟弥は手元を見つめ、やはり静かに数珠を繰る。
「どう思うと言われても、私はただ恐ろしくてなりません。役所などというところは、もともと人間関係がぎすぎすしたところです。人を疑うところから始め、人の掘った落とし穴にはまらないようにすべてを疑いながら仕事を進め、陰険な足の引っ張り合いに巻きこまれたりしないように、あらぬ噂を立てられて陰口を言い触らされたりしないように気を配らなければいけません。特に親しくもない同僚から笑顔で話しかけられたりすれば、裏でなにを考えているのか、私をどう利用しようとしているのかと勘繰り、鳥肌が立ってしまいます。日々、心が傷みます。見えない天井に押しつぶされそうになっているところへ、他人の本性が毛虫になって見えてしまうのです。それも、唯一安らげる家族の者にまで。もうどうすればよいのか、わかりません。私は誰も信じることができないのです。自分すら信じられません」
 私はやるせなく首を振った。もっと言いたいことがあるような気がするのだが、やりきれない想いが心のなかで渦巻くだけで、言葉が見つからない。
「気持ちはお察しします。他人の本性が見えた時、どす黒い心に気がついた時、人は誰でも人間嫌いになってしまいます。私もかつてはそうでした。しかし、嘆いてばかりでも始まりますまい」
「私もこんな自分が嫌でなりません。今の自分から早く抜け出したいのです。とはいえ、いったいどうすればよいものやら――。私はただ平穏に暮らしたいだけです。人間らしい正直な暮らしを送りたいだけです。望みは、ただそれだけなのです」
「人間らしい暮らし、ですか」
 裟弥は、なにか言いたげに唇を動かして腕を組む。
「たいそれた望みだとは思いませんが」
 難しそうな顔をした裟弥を見て、ひょっとして自分はとんでもないことを口走ってしまったのだろうかと途惑った。自分でもいけないことだとは思うのだが、どうしても他人《ひと》の顔色をうかがってしまう。それほど、心が消耗していた。
「人間らしいことがいいことであるようにおっしゃっておられるように聞こえますが、その人間らしさこそが怪しいと、あなたは気付いておられるはずです」
 その言葉にはっとさせられた。裟弥の声はこんこんと湧く岩清水のようだ。ざっくりと割れた心の傷にしみる。
「そうですね。気づいてはいるのです。ただ、認めたくないだけで――」
「たとえ認めたくないことであっても、現実を直視しなければなりません。すべては、そこから始まるのですよ」
「あの毛虫は、人間の愚かさだと思います。どんな虫下しを飲んでも消せないものでしょう。人は愚かで醜いものです。私自身も妙な自尊心や欲がありますし、悪意を持った相手をはねのけて自分や家族を守らなくてはいけない時には、人の悪いことも敢えて行なわなくてはなりません。私の心にも悪を抱えています。私は愚かで弱い生き物なのです」
 私はあれを見るようになってから今まで考えてきたことを述べた。こんなことを人に言えば、不快な気持ちにさせるだけだから、友や妻にも言えなかった。裟弥は小さく頷く。
「世の大多数の人々は、自分の愚かさ、弱さ、醜さを人間の強さだと勘違いして生きています。その毛虫に乗っ取られて生きているのかもしれません。名利が人を動かします。自分が人生の主人公になったつもりでいて、実は名利に操られていることに気づいていません。名利に操られる自分が世界でいちばん偉いと思いこみたがるのが、人間の愚かさであり、人間の弱さ、醜さです。しかし、あなたは毛虫のおかげでそれに気づくことができました。これは意味のあることだとは思いませんか。ここはひとつ、毛虫が見えたことをいい方向に考えてみればどうでしょう。あの毛虫が見えるようになったのは、仏からの呼びかけのように思えます」
「どういうことでしょうか?」
 私は裟弥の言葉を理解しかね、首を傾げた。
「もしあなたがあの毛虫を見なければ、鬱陶しい思いをしながらも、人生はこんなものだろうと思ってなにも気づかずにただ漫然と生きていたことでしょう」
「それならそれでよかったのでしょうけど」
 私はうつむいた。
「それではいつまでたっても、鬱陶しさや窮屈さは解決しませんよ。たとえ、あの毛虫が見えなかったとしても、苦しみにきちんと向かい合わなければ、どこまでもついてまわるでしょう。逃げてはなりません。苦しみから逃げる時ほど、苦しみが恐ろしく感ぜられる時はありません。苦しみというものは、逃げれば逃げるほど物の怪のように追いかけてくるものなのですから。
 苦しさをこらえ、きちんと向かい合いさえすれば、つらくとも希望が持てます。人はいつも仏に呼びかけられています。仏という呼び方がお好きでなければ、『まこと』と呼んでも差し支えないでしょう。苦しみや己の愚かさといったものにきちんと向かい合いなさいという呼びかけです。問題は、それに気づくかどうかなのですよ」
「呼びかけは呼びかけでも、私には魔物の呼びかけだとしか思えないのですが……」
「魔物の呼びかけなんぞでは決してありません。――盗賊に襲われたりして肉や贓物がむき出しになった死体をご覧になったことがおありでしょう」
「ええ。都の通りでも、加茂川沿いでも見かけます。近頃はなにかと物騒で、どこにでも転がっていますから。むごいものです」
「こう考えてみればいかがでしょうか。肉や内臓は人間が宿しているものです。その毛虫もまた人間が宿しているもの――つまり、本性です。ほんとうの姿が見えただけのことです。人間の本性を直視しなさいと、仏が、まことが呼びかけているのだと思います。そして、それを乗り越えなさいと」
「仮にそうだとしても、私にそんなことができるのかどうか――」
「つらくても安心なさい。仏に見守られていない人間など、この世には一人もおりません。仏はいつもあなたのそばにいて、慈悲の心で温かく見守っています。そして、いつもやさしく呼びかけてくださっています。人として生まれてきたからには、全力でその呼びかけに応えなくてはなりません。人生には起こらなければよかったことなど、なに一つありません。意味のないことなど、一つとしてないのですよ。あなたが見た毛虫もそうです。すべてが、仏の呼びかけだと、まことの呼びかけだと、私はそう信じています」
 裟弥の声は穏やかさのなかにも確かな熱を帯びている。鞴《ふいご》で吹かした炭火のような温もりだ。その熱が凍てついた私の心を融かしてくれるようだった。
「そんな風に信じなければいけないのでしょうね」
 私はこくりと頷いた。
「あなたが仏やまことに問いかけるのではありません。仏やまことがあなたに問いかけているのです。さきほどお話したように、私は恥ずかしいことにいい歳になってからそれに気づき、人間の本性と向かい合うことにしました」
「そうされて、つまるところ、なにがおわかりになったのでしょうか」
「大いなる悲しみです」
 裟弥は鋭い頰をひっそりさせる。
「私は常に裏切ってしまいます。仏は欲望を消せ、慈悲で心を満たせとおっしゃいますが、いくら努力しても完全にそうすることはできません。仏の呼びかけを裏切り続けてしまいます。世の人々もまたそうです。輝く慈悲の心を持っているはずなのに、それを裏切ってしまいます。これが大いなる悲しみです。汚辱にまみれたちっぽけな私《わたくし》は、ままならない私のまま、人と人が苦しめ合うこの世で生きるよりほかにありません。人を苦しめるのは人間そのものにほかなりません。私は、大いなる悲しみでもって自分自身とこの世界を受け容れることにしたのです」
「やはり、この世は悲しみしかないということでしょうか?」
「もちろん、悲しいことばかりではありません。喜びもあります。ささやかな私の人生にも、有頂天になってしまうのほどの嬉しいことが幾度かありました。とはいうものの、喜びというものは、悲しみという名の海に浮かんだ小舟のようなものなのです。めったにあることではありません」
「わかるような気がします。今の私には小さな喜びすらもないのですが。――それで、その大いなる悲しみを受け容れた後、どうすればよいのでしょうか」
「それはご自分で考えられるべきことでしょう。私ごときがとやかく言うことではありますまい。生きるのはあなたご自身なのですから」
「あつかましいかもしれませんが、もしよければお話いただけないでしょうか。私は手がかりが欲しいのです」
 私は裟弥の目をじっと見つめた。裟弥は黙ってうなずき、
「釈尊の教えに従うなら、やはり解脱を目指すべきなのでしょう」
 と、自分の心のうちを見つめるようにまぶたを半分閉じる。
「解脱は驚きです。驚き以外のなにものでもありません。
 世は栄枯盛衰を繰り返します。栄えた者で滅びなかった者はいません。『平家物語』の冒頭の一節はあなたもよくご存知でしょう。世の中が繁栄し、進んだかのように見えても、それは表面上の錯覚に過ぎません。進歩のなかには必ず退化の芽がひそんでいて、その退化の芽が大きくなれば、ひと時の繁栄もやがて過去のものとなってしまいます。春夏秋冬と季節がめぐるように時間は円環し、どこへもたどり着くことができません。去年の春は、今年の春と同じ。来年の春は今年の春と同じ。いつまでたっても同じことを繰り返すだけ。苦しみの種が尽きることはありません。人々は自分を苦しめる愚かさに気づかないまま、懲りもせずに同じ過ちばかりを繰り返してしまうのです。
 釈尊は、そのような円環する時間から抜け出せると主張しました。あらゆる苦しみから完全に抜け出すことができると。そして、その考えを実践し、人が生まれながらに備えている悲しいほどの愚かさや弱さを克服できることを現実に証明してみせたのです。これが驚きでなくてなんでしょうか。心に煮えたぎる地獄を超えることができるのです。愚かしくて腹立たしい自分を変えることができるのです。大切なものを裏切り続ける自分から抜け出すことができるのです。もう同じ過ちを繰り返すことなどありません。心は真の意味で光り輝きます」
 裟弥は穏やかに微笑んだ。瞳がやさしい野の仏のように光る。
 彼の言うことなら、信じていいのかもしれない。ふとそう感じた。仮にそれがたとえ偽りや幻だったとしても騙されたとは思わないだろう。
「少しずつでも悲しみや苦しみと向かい合えたらと思います」
 まとまりのつかなかった苦しみに、ほんのすこしだけ輪郭を描けた気がする。それだけでも、今の私には十分にありがたかった。胸の痛みがいくぶん和らいだ。
 その後も、二人でしばらく話しこんだ。裟弥は風雅を愛する趣味人でもあった。庭に植える木々のこと、季節の花々のこと、短歌について、書の道について、贈り物の箱に結ぶ見目美しい紐についてと話題は多岐にわたった。彼の話は含蓄に富み、どれも興味深かった。
「道を行じられてどのあたりまで進まれたとお感じですか」
 私はふと問いかけた。
「まだまだでしょう」
 裟弥は剃った頭をつるりとなでる。
「五分の一も進んでいないでしょうね。日暮れて道遠し。この頃よくそう感じます。死ぬまでにたどり着くことはむずかしいかもしれませんが、生まれ変わったらまた続きを歩くだけです」
 私はその答えを聞いて、気の遠くなるような思いがした。これほど厳しく自己を鍛錬している裟弥でも、迷いから抜け出すことはできそうにないと言う。それほど険しい道なのだろう。安直に考えていた自分が間違っていた。夕暮れの一本道を歩き続ける裟弥の後姿がふと脳裏をよぎる。裟弥の決心に頭の下がる思いだった。
「今日は、本当にありがとうございました。お話していただいたことを胸に刻みつけます」
 私は床に両手をつき、深々と頭を下げた。
「礼にはおよびません。お安い御用です。千里の道も一歩からと言いますから、焦らずにじっくりお歩きなさい。初めからすべてがわかっている人なんぞ、誰もいないのです。人間の愚かさに気づいただけでもあなたは倖せなのですよ」
「ありがとうございます」
 私はあらためて礼を言い、自分の苦しみを語ったことやぶしつけな質問を重ねたことを詫びて庵の間を辞した。
 あてがわれた客間へ戻ろうとしてふと湯船の鮒が気になった。私は風呂場へ様子を見に行った。
 湯はとうに冷め、風呂場の温もりは跡形もなく失せていた。夜気が肌にしみ、小さなくしゃみをひとつした。湯船の上に提灯をかざすと、鮒はすっかり元気を取り戻したようでくるくると方角を変えながら泳いでいる。なぜだか嬉しかった。
 木桶で鮒をすくい、裏庭を抜けて低い崖をおりた。草が裾に触れ、かさこそと音を立てる。梟は森のどこかでまだ鳴き続けている。瀬音だけが静かだ。冴えた月がしんと川面に照り映えていた。
 狭い河原に立った私は川べりに提灯と桶を脇に置き、しゃがみこんだ。
 川面の映った自分の顔がかぶれたように腫れている。顔を近づけてよく見てみれば、例の毛虫だった。左頬の肉を食い破りながら蠢いている。
 とうとう自分の顔にもあれが現れてしまった。だが、不思議と心は平静だった。いつものようにぞっと粟肌の立つことはない。私の頰にもあれが巣食っていることくらい、前から重々承知していたことだ。手で頰を払った。毛虫はぱらぱらと石ころの上に落ち、すっと姿を搔き消した。
 こうして向かい合うしかないのだろう。
 そうこうしているうちに大切ななにかがはっきりわかるのだろう。
 醜い自分と向かい合う勇気を得られただけでも、今日という日は意味があった。
「お前は自分の居るべきところへお帰り」
 木桶を傾け、川の流れに浸した。鮒は途惑いもためらいも見せずにさっと流れへ乗り出し、暗闇の川へ消える。
 この暗い流れの行く先に苦しみのない世界が待っているのだろうか。
 いつの日か私《わたくし》という地獄から抜け出すことができるのだろうか。
 魔虫の蠢く頰が川面に揺れる。
「仏の呼びかけ。まことの呼びかけ」
 そっとつぶやいてみると、ほのかなぬくもりが胸にしみた。


 了


『生煮えの鮒 』第三話 『魔虫』 (純文学小説)

2011年02月26日 14時07分55秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
 
 隙間風が吹きこむ。
 焚き火が揺れる。
 私は伏せた顔をあげ、裟弥を見つめた。裟弥の顔は微笑んでいるようにも見えた。話すのなら、今しかない。彼しかいない。
「私は自分の気が狂ってしまったのではないかと思い、空恐ろしくてならないのです」
 私はそっと裟弥の顔色を窺った。裟弥は黙って頷き、話を続けるようにと目で促す。
「初めは錯覚だと思いました。役所の机で書類を書いておりますと、ふとした拍子に、隣に坐っている同僚の顔に蛆虫のようなものが蠢いているのが見えたのです。私は上げそうになった声を飲みこみ、それからすぐに思い直しました。死人や重病人でもあるまいし、生きている人間の顔に蛆の湧くはずがありません。仕事がたてこみ、おまけに例年にない厳しい暑さの続いていた頃でしたから、疲れて目がかすんだかなにかでそう見えただけに違いない。そう思ってしばらく目を閉じてから、同僚に気づかれないよう彼の頰を盗み見しました。思ったとおり、蛆虫の姿は見当たりません。私はほっと胸をなでおろしました。
 ですが、あくる日、役所の机で筆を走らせていると、また彼の頰に蛆虫が見えるではありませんか。今度は思わずつりこまれて、まじまじと見つめてしまいました。よくよく見てみれば、それは蛆虫などではなく、茶色がかった細長い毛虫でした。ほんの小さな虫で、小指の先ほどの長さくらいでしょうか。つんつんとした細かい毛が体一面に生えていました。
 人の肉を喰らう恐ろしい毛虫です。頰のあたりにびっしりとひしめき合い、頰の肉を食い破っていました。それなのに、同僚は痛そうな素振りさえ見せません。私の視線に気づいた同僚が怪訝そうな顔をしたので、私はとっさにごみがついていると合図しました。彼は頰を払って照れくさそうにします。毛虫はぱらぱらと床へ落ちたのですが、彼は平気なままでした。払った手に毛虫が何匹か残っていますが、それにも気づきません。彼の頰の肉は赤くむき出しになり、柘榴《ざくろ》の実のようでした。
 私は井戸へ行き、冷たい水で顔を洗いました。ざっと顔を拭い、目にじかに水をかけて洗い流しました。毛虫の残像が目に焼きつき、離れてくれません。あんな毛虫が頰に巣食えば誰だってわかります。でも、同僚は一向に気づいていませんでした。そうです。私の気が狂ったのです。だからあのようなものが見えたのでしょう。なんの罰だかは知りませんが、とうとう私の気が狂ってしまったのです。
 いつか狂ってしまうのではないかと前からそんな予感がしていました。人前でこそなんでもないように振舞っていましたが、いつも胸に圧迫感があって、すっと気分の晴れることがありませんでした。人の言った何気ない言葉を妙に勘繰っては、ああでもない、こうでもないと思い悩み、考えれば考えるほど袋小路に入ってしまうようで、人の言葉や態度を必要以上に気に病んでしまうのです。こんなことを続けていればそのうち狂ってしまうだろう。そう思っておりました。
 私の症状は急速に悪化しました。
 ほかの同僚の顔にもあれが見え、上司の顔にも見え、友人、北面の武士、町の商人、道行く僧侶の顔にもと、誰の顔にも例の毛虫の姿を見つけ出しました。あの姿だけは、何度見ても慣れません。見るたびにぞっとして、心がさっと焼け焦げるようです。心臓がきゅっと締まって血液が逆流し、自分の頰もひりつくように焼けてしまうのです。私は、いつも鬱陶しい顔をしていると人に言われるようになりました。あれが見える度に、苦い気持ちを隠しきれないからでしょう。次第に、人と話をするのが億劫になり、相手の顔に毛虫が見えればそそくさと話を切り上げてその人から離れるようになりました。
 こんなことは誰に言えません。気が狂ってしまったなどと人に知られたら、宮仕えができなくなってしまいます。近頃の人々はやたらめったに自分の直感ばかりを信じて迷信深いですから、私自身も、家内の者も、穢れ者のように扱われてひどい目にあわされてしまします。世間からつまはじきです。家族に内緒でこっそり薬師を訪ねてみましたが、よくなりません。寺籠もりをして心を清めようと試みましたが、効き目はありません。どうしたものかと途方に暮れるばかりです。
 そんなある日のことです。私が一番初めに例の毛虫の姿を見つけた隣の机の同僚が、ほかの同僚とくだらないことで諍いを始めました。喧嘩の原因は、塩という字をどう書くか、『塩』と書くのか、それとも『鹽』と書くのが正しいのかということでした。通じればそれでいい話なので、どちらで書いてもかまわないのですが、お互いに自分のほうが正しいと言い張って譲りません。小姑根性とでも呼べばいいのでしょうか。いったい、今の世の人は、どうでもいいことで相手に難癖をつけては相手より自分が優位に立とうとしているように見えてなりません。無意味な競争をして、それで勝ったと悦に入るのが人間なのでしょうか。無意味な競争で負けたからといって、相手を憎むのが人間の性なのでしょうか。もっとも、この諍いには伏線がありました。これも次元の低い話なのですが、二人は白拍子の女を取り合ってお互いを敵視していたのです。そんなことで相手を許せなくなるのですから、人間とは次元の低い動物なのかもしれません。もちろん、私を含めての話です。
 罵り合う二人の顔が真っ赤になった、と思ったとたん、例の毛虫がさっと顔一面に広がりました。汗が流れ落ちるように、二人の頭から毛虫がぽたぽたと垂れ落ちます。二人の顔は蛆に食い尽くされた屍のようでした。見ていられません。髪も、耳も、額も、顎も、すべてを覆いつくした毛虫が彼らの顔の肉を貪り喰っているのです。私は胃の底からこみあげてくるものを覚え、急いで厠へ走りました。
 具合がおかしくなって仕事どころではなくなってしまった私は早退して家へ帰ったのですが、これだけでは終わってくれませんでした。
 日が暮れた頃、祖父の残した荘園の処分について相談したいと叔父がやってきました。相談とは言いながら、叔父はすべて自分が取ってしまう腹積もりで、私の父が熊野詣へ出かけている隙を見計らって私を丸めこみにきたのです。下卑た作り笑顔を浮かべる叔父の顔に例の毛虫が瞬く間に広がります。言葉巧みに取り入ろうとする叔父の話を遮り、さっさと帰ってもらうことにしました。私は叔父とやり合うどころではなく、気分が悪くてしかたありませんでした。叔父は弱り果てた私の顔を見て、にやりと笑います。その瞬間、毛虫が叔父の耳から滝のように次々と零れ落ちました。
 叔父に引き取っていただいた後、私は縁側で涼みながら苦しい息を整えようとしました。独りにしておいて欲しかったのですが、妻がそばへやってきてぺたりと坐りこみます。妻は叔父の話があんまりだと腹に据えかねたようでした。もちろん、私にしろ腹が立っていることには変わりありません。『恒産なくして、恒心なし』と『孟子』に書いてありましたが、どうやらそれは嘘のようです。嘘と言うのが言い過ぎなら、孟子は人の欲深さがあまりわかっていなかったのではないでしょうか。恒産があれば、もっと欲しいと思うのが人間の性なのだと私は思います。恒産があれば、よけいに人と張り合うようになり、人よりももっと欲しい、あれも欲しい、これも欲しいと欲を張るのが人間なのではないでしょうか。人間の欲には切りがありません。恒心は恒産から生じるのではなく、もっとほかの別のものから生まれるものなのではないでしょうか。
 私は妻の繰言を適当に聞き、適当に相槌を打っていました。これも夫の務めです。ふと気づくと、彼女の頰にあれが蠢いていました。鶉卵くらいに広がった例の毛虫が、何重にも折り重なって妻の頰を貪っているのです。それまでいくらあれを見ても、つまるところ他人の毛虫でした。家の者にだけはあれが見えず、私にとってはそれが唯一の救いでした。家だけが安らぎの場でした。ですが、妻でさえ例の毛虫を飼っている。そう思うと、私は居場所のない気持ちにさせられてしまいました。身の置き所がなくて、やりきれません。自分で言うのもおこがましいかもしれませんが、気立てがよくて普段は欲を張ったりしないつつましい女です。とはいえ、やはり財産の話となると例の虫がうずいてしまうのでしょうか。
 その時、ようやく私は気がつきました。
 例の毛虫が現れるのは、欲や見栄といった人のどす黒い気持ちが心に広がった時です。思い上がった気持ちで心が膨れると、あれが活動し始めるようです。世間の人はみな、他人も、親しい友人も、親も兄弟も、そして妻でさえも例の毛虫を心に飼っています。私にも、あれが巣食っているのでしょう。自分の顔だから見えませんが、見る人が見れば、私の頰に蠢いているあの虫の姿が見えるのに違いありません。
 人がみな嫌らしいものに見えて、誰も信じられなくなりました。心が擦り切れてしまいました。人が穏やかな気持ちでいる時には、あれは現れません。ですが、浅ましい思いや邪な思いが少しでも心に芽生えると、例の毛虫はすぐに蠢きます。あれは子供以外のどんな人の頰にでも現れます。例外はありません。すれっからしや業突く張りはもちろんですが、世間の善人として振舞っている人にも、自分は悪いことなどしないと固く信じこんでいる人間にも等しく現れます。私は、いつ毛虫が蠢くのかと怯えながら人と話し、頰に見えるあれを見て見ぬ振りをしながらうわべだけをとり繕い、外の人たちとも、家の者たちとも付き合ってきました。ですが、もう限界です。いっそのこと、狂いきってしまったほうがどんなに楽でしょう。自分を処分したほうがよいのではないかとさえ思います。生煮えの地獄を生きているようで、どうにもつらいのです」
 私は語り終え、じっとうなだれた。


(続く)

『生煮えの鮒 』第二話 『隠者』 (純文学小説)

2011年02月25日 21時21分38秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
 一汁一菜と雑穀飯の夕食を馳走になり、炉を挟んで裟弥と向かい合った。
 春の宵はまだ寒い。時折、どこからともなくすきま風が忍びこむ。私は炉の焚き火に手をかざした。
 世間には、在家の裟弥のことを蝮《まむし》と呼び、蛇蝎《だかつ》の如く嫌う人もいた。世を捨てて仏と暮らすとは言いながら、世を遁《のが》れればなにをしても自由だとばかりに傍若無人に振舞う手合いが多いからだ。銭で購《あがな》った遊女を山里の庵に住まわせ、女遊びに耽る者も少なくなかった。
 彼は違った。
 彫りの深い顔立ちは鋭く引き締まり、今こうして向かい合っている時も厳しく自己を刻み続けている様子が看て取れる。妥協も弁解も許さないなにかが彼のなかにみなぎっていた。眉間にすっと縦に二本並んだ深い溝も、鋭くそそりたった耳も、黒々とした太い眉も、すべてが峻厳だ。彼と向かい合うだけで、心が引き締まるようだった。
 孤高。
 この二文字が脳裏に浮かんだ。宮廷で高位まで昇ったひとかどの人物かもしれないと思いながら名を尋ねたが、
「よいではありませんか」
 と、穏やかに首を振るだけで答えない。世捨て人の名を聞いてもはじまらないでしょうとでも言いた気に。再び世間へ引きずりこまれるのを拒むように。
「静かでよいところですね」
 私は部屋を見渡した。なにも飾らない囲炉裏の間だった。板壁は煤けて黒ずんではいるものの、みすぼらしくは見えない。ただひそやかな祈りと瞑想だけが壁にしみこんでいる。焚き火が軽やかに爆ぜ、乾いた音を立てた。
「なにもないところですから」
 裟弥は何気なく答える。
「ここへこられてどれくらいになるのでしょうか」
「かれこれ十年ほどになりますかな」
「素晴らしい暮らしですね。最高の贅沢のように思えます」
 私はここでの暮らしを想像してみた。人里離れたこんな山奥でなら、人生の憂鬱から解放され、生きいきと生きられるかもしれない。周りの目ばかり気にして自分の気持ちや心に思った疑問を押し殺し、周囲から浮き上がってしまわないようにたえず神経をすり減らすこともないだろう。人に怯えながら過ごし、消え入りたい気持ちになることもないだろう。
「みな、そのように言います。私も初めはそう思い世を遁れました。ですが、家族の反対を押し切って遁世してみたものの、ここへ移り住んだ当初はなかなか大変でした。とんでもない所へきてしまったと悔やみ、いっそ京の町へ戻ろうかと悩んで毎晩眠れないほどです。なぜだかおわかりですか?」
 裟弥はそう問いかけ、白湯を一口すすった。
「山の生活に慣れないからでしょうか」
 私は首を傾げた。
「それもあります」
「やはり、人恋しくなるからでしょうか」
「それもあります」
「ほかには思いつきませんが――」
「一言で言えば、己が怖くなるのです」
 裟弥は湯のみを置き、じっと私の目を見つめた。どこまでも澄んだ、だが力のこもったまなざしだった。
「ここの暮らしにも慣れ、人恋しさも断ち切り、ほかの在家の裟弥との付き合いも遠慮してやっと独りきりになれたと思ったら、ちょうど澄んだ池の底にたまった枯葉や倒木や泥が見えるように、己の心にたまった恐ろしい欲望や邪念や、過去に犯した罪業の数々が見えすぎるほど見えるようになるのです。そんなどろどろとしたどす黒い心や己の犯した過ちは正視するに耐えません。
 若い頃、私は部下のささいな失敗にひどく怒り、これでもかとばかりにすさまじい剣幕でなじったことがありました。
 軽く注意すればそれで済むことでしたが、ちょうどその時、虫の居所が悪かったこともあって八つ当たりをしてしまったのです。宮仕えで窮屈な思いをしていた鬱憤が堰を切ったように溢れ出てしまい、そのすべてを彼にぶつけてしまいました。
 ずいぶん昔のことなので、私自身、そんなことはすっかり忘れていたのですが、ここで読経と座禅の毎日を送っているうちに、突然、池の底から浮かび上がるようにしてそのようなことが思い出されたのです。あの時、彼は今にも首を吊ってしまいそうなほど悲しい顔をしていました。彼には遠くおよばない高い身分である私に口答えするわけにもいかず、ただ顔を蒼ざめさせ、身の置き所もないように唇をわななかせていました。内心、憤りと不安で心が引き裂かれそうだったことでしょう。実際、彼は体調を崩してしばらく仕事を休む羽目に陥ってしまいました。そんな彼の顔が日毎夜毎に浮かんでは、私の心を苦しめました。いえ、こんな言い方は傲慢ですね。もちろん、私の咎《とが》です。私自身が作った過ちです。自分の過ちで自分が苦しむのは当然のことでしょう。そのことばかりではありません。あれもこれもとさまざまことが思い出されては、良心の呵責に苦しみました。私の心は白洲へ引き出されたようでした。
 そうかと思えば反対に、昔受けた小さな恥辱を思い出し、憤怒の塊と化してしまうこともありました。恥辱といってもたいしたことではありません。たわいもないからかいの言葉やつまらない人が言った心ない一言に過ぎません。ですが、それが大きな蛇のようになって心をのたうちまわるのです。心のなかで暴れているのです。一番やりきれないのは己です。そんな自分がやりきれなくなります。
 世を捨てれば、心が浮かび上がります。なにものにもかえがたい大切な己の心がです。しかし、その心がいかに汚れているか、世俗の暮らしのなかで省みることはありません。まれにそうすることがあったとしても、雑事にまぎれてすぐに忘れてしまいます。汚れた自分を突きつけられて、私は参ってしまったのですよ」
 裟弥はやはり、わかりますかと問いかけるように私を見つめる。
「そうなのですか――。私はてっきり、このようなところで仏三昧の暮らしをすればなにもかもが――」
 私は落胆してしまった。
「解決すると思っていましたか?」
「はい」
「問題から逃げることはできます。気儘《きまま》に暮らそうと思えば、できないことはありません。現に多くの在家の裟弥がそうしています。ほどほどにお勤めをして、ほどほどに参禅して、あとはのんびり時間を楽しむ。そんな隠居暮らしです。私はそれを責めようとも非難しようとも思いません。彼らは彼らで息苦しい俗世を遁れ、ほっと一息ついている訳ですからそれも一つの生き方でしょう。ですが、ほんとうに仏の道を行じたいと思えば、この世の苦しみから遁れたいと思えば、つらいことを乗り越えなくてはなりません」
「どうやってそれを乗り越えられたのですか」
「私は乗り越えてなどいません。まだ迷いのなかにいます」
「そうおっしゃられますが、ずいぶん落ち着いておられるようにお見受けいたします」
「そう見えるだけですよ。心の中では今でも苦しみが渦を巻いています」
 裟弥は頭を振った。
「ただ、ここへ移り住んだ当初に比べればずいぶん楽にはなりました」
「そこをお伺いしたいのです。どうやって楽になられたのでしょうか」
「ひたすら、己の心を正視し、仏を見つめました」
「それだけですか?」
「ええ、それだけです。しかしさっきも申し上げたとおり、外から見れば簡単なように見えて、その実、なかなか容易なことではないのです。よほどの決心と我慢強さがなければ、できることではありません」
「簡単にはゆかないのですね」
 私は膝元に目を落とし、ため息をこらえた。悲しい風が心を吹き抜ける。我知らず目の潤んでしまうのが自分でもわかった。
「どうかしましたか」
「いえ、なんでもありません」
「この侘び住まいの庵には、時折誰にも言えない悩みを抱えた方がこられ、言うに言えない悩みを打ち明けていかれます。私は慣れておりますから、もしよければどうぞご遠慮なくおっしゃってください。ここで聞いたことは誰にも話しません」
 裟弥の声はただひたすら穏やかだった。
 私は膝に乗せた拳をぎゅっと握り締め、なにも答えなかった。答えられなかった。今出会ったばかりの裟弥にあのような話をすれば迷惑だろうと逡巡《しゅんじゅん》し、やはり知られたくないという思いが覆いかぶさる。心は冷たい霧につつまれたみたいだ。暗くて、じめじめする。
 その一方で、なにをためらっているのだと心のなかで叫ぶ自分もいた。
 もう一人の私は、たとえ恥ずかしい思いをしたとしても話してしまおうと私に向かって呼びかける。彼なら、冷笑を浮かべたり嘲ったりして自分を傷つけない。突飛な話に思えても、それなりに受け止めてくれる方に違いない。さっさと話してしまえよと。
 私はそっと目を閉じた。



(続く)

『生煮えの鮒 』第一話 『草庵』 (純文学小説)

2011年02月24日 22時32分48秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
まえがき

世の中の人すべてが信じられなくなり、自分すらも信じられなくなった私。擦り切れた心を抱え息苦しい日々が続いていたそんなある日、京の外れの山奥でひとりの隠者に出会った。http://ncode.syosetu.com/n9691p/



本文


 心が擦り切れる。きりきりと擦り切れる。うわべばかり繕っているからこうなるのだ。とはいえ、この気持ちは誰にも言えない。妻や親しい友人なら、なおさら話すことなどできない。
 自分の気持ちを正直に言ってしまえば、相手の心に負担をかけてしまう。まず、それが怖い。誰だって自分の心をかき乱されたくないものなのだから、優しくいたわってくれる人にそんな迷惑をかけられない。
 それに、自分の正直な気持ちが間違いだったらどうしようと思ってしまう。裸の心を見られた、と思っただけでもうだめだ。居たたまれなくなって、自分の足場が崩れ落ちたような気にさせられる。わかってくれないなと変に先読みして、わかってくれるはずがないと思いこんで落ちこんで、やはりわかってくれなかったことに落胆して――。的外れだけどやさしくて、あたたかいけど通り一遍な慰めの言葉がよけいにつらい。理解してもらえないことが、なぜか相手にすまない。
 一人ひとり違う人間なのだから、わかってもらえないのは、当然だ。それは重々承知のうえだが、薄々気づいている壁をはっきり認識すれば、さびしくなってしまう。もっとも、理解してもらえたところでどうにもならないことも、わかっている。結局のところ、この擦り切れた心は自分ひとりで背負わなければならないものなのだから。
 馬に跨りながら渓間の小道をとぼとぼと進んだ。
 いつも同じことを考えては堂々巡りだった。その先を考えたいのに、どうすればいいのかわからない。同じことの繰り返しから抜け出して、どこかへ向かって進みたいのに、出口が見つからない。私《わたくし》という迷宮にはまりこんで、方角を見失ってしまったようだ。空っぽの心《しん》に鉋をかけては、肉も血も削いでゆく。いつも、胸が、圧されたように痛む。
 馬に鞭を当てて急いで帰らなければいけないのはわかっている。とはいうものの、とてもそんな気にはなれなかった。なにも知らないで優しく迎えてくれる妻。早く孫ができないかとそればかり気にしている両親。友人からの連歌や食事の誘い。そのどれもがやりきれない。このままずっと独りきりでいるほうがどれだけ気が休まるだろう。いっそのこと、路傍の石になって、なにも感じずに、なにも考えずにいられたらどんなにいいことか。どうせ出口がないのなら、誰にも煩《わずら》わされず、誰も煩わさず、うずくまっていたい。
 日が暮れなずむ。
 ぼんやりとした夕陽が深い山の谷間に懸かり、木立を吹き抜ける肌寒い風があたりを夕闇色に染める。雪解け水のほとばしる瀬の音がにわかに大きく響いた。ふと、自分の不安が音を立てて砕けるように感じた。
 私はもうじき二十四歳になる。京の都の外れでは追剝がはびこり、行き場のない貧民が都の大通りで行き倒れになる乱れた世にあって、屋敷の塀のなかでこれといった不自由もなく育ち、今は宮仕えをしている。自分ではそれなりに努力して勤めに励んでいるつもりだが、友人たちは、私は宮仕えに向かないと言う。確かにそうかもしれない。とはいえ、ほかにできそうなこともなにもない。友には一流の歌人になった者や、高貴な女性を次から次へと口説き落として浮き名を流す者もいるが、私にはこれといった才能も魅力もない。私には平凡な日々がよく似合う。どこにでもいそうな、おっとりとしていて皮膚の薄い青年――それが私なのだから。今日は役所の仕事で都から山を越えた小さな町へ使いに出かけ、今はその帰り道だった。
 川の水際まで降り、尻尾を振りながら大人しく水を飲む馬の首をなでた。時々、私はほんとうの想いをこの馬だけに打ち明けた。彼だけは、私を欺いたり、軽蔑しようとしない。ただ黙って話を聞いてくれるのは、ほかに誰もいなかった。
 再び馬に乗り、細い道をゆっくり進む。頭のなかは、またさっきの出口のない考えに戻る。
「これが明日も続くのか」
 ため息をついてふと頭をもたげると、川沿いの段丘にぽつりと建った草庵の前を行き過ぎようとしていた。質素で小さな造りの庵だが、庭はきれいに掃き清められていて、薄暗いなかにも凛としたすがすがしさがある。水車が静かに回っている。背の高い孟宗竹が風になびき、丸い障子の窓にろうそくの明かりが揺れていた。なんとなく心惹《ひ》かれ、轡《くつわ》を引いて馬を返した。
「お願い申します」
 私は馬を降りて呼ばわった。
 障子に人影が映る。
 すっと障子が開き、黒い袈裟に身を包んだ在家の裟弥《しゃみ》が顔を覗かせた。裟弥とは剃髪して出家したものの特定の寺にも宗派にも属さず世捨て人として過ごしている者のことだ。私は、時が遅くなってしまったので誠に相申し訳ないが一夜の宿を乞いたいと願い出た。
「それはさぞお困りでしょう。こんなところでよければお泊りください」
 日頃の読経で鍛えているからだろう、裟弥の声は朗々と響いた。ただ響きが美しいばかりでなく、なにか大切なものへ向かってひたむきに歩いてゆくような、芯の通った確かな声だった。
 ――羨ましい。
 あこがれとあきらめに似た心持ちが心の底にふっと湧き、それがないまぜになる。上辺だけの人間関係をとり繕いながら生きている私とは違い、彼は人として大事なものを守り、本物の生き方をしているように感じられた。
 裟弥はふたつ手を叩いて下男を呼び、客人をもてなすよう言いつける。
「恐れ入ります」
 私が頭をさげると、
「玄関へお回りください。すこしばかり用事を片付けなければなりませんので、後ほど」
 と、裟弥は言って障子を閉めた。
 下男の小僧が玄関先で出迎えてくれた。まだ裸のままで寒そうな紅葉の木に馬を繋ぎ、馬の背から外した荷をとりあえず玄関に置く。庵へ上がってすぐ、風呂をよばれた。乾いた風に一日中さらされていた私は埃まみれだった。
 一人入るのがやっとの桝形の湯船に半畳ほどの洗い場があるだけの狭い風呂だが、湯船は新しくて清潔だった。檜のあざやかな木目が美しい。木立の香りがほのかな湯気にまじり、ふんわり漂う。
 湯をすくおうとして、手にした桶をふととめた。
 鮒が一匹泳いでいる。
 小さな鮒だった。湯疲れしてしまったのだろうか。水面に突き出した口をせわしなくぱくつかせている。息が苦し気だ。きっと、小僧が横着して井戸の水を汲まずに川の水を直接湯船へ引き入れたために、心ならずもまぎれこんでしまったのに違いない。
「驚かせてすまないね」
 そっと湯をすくい、かけ湯をした。湯はいささか熱めだった。
 私が湯船に浸かっても、鮒は逃げもせず、やはり水面にしがみつくようにして漂っている。
 焚き木が燃えて湯が温もり出した時、この鮒はさぞ腰を抜かしたことだろう。そう思うとなんともいえないおかしみがこみあげてきたが、そんな愉快な気持ちも泡のようにすぐに消えうせた。
 両手で鮒をすくった。
 鮒はおびえ、あらぬほうを見て弱々しく尾を打つ。
 活きのよい鮒なら身をよじって逃げ出そうとするのだろうが、ぐったりしていた。どうにでもしてくれと運命のなされるままに気だるく身を横たえている。
「私に似ているね」
 じっと鮒を見つめ、つぶやいた。その声が狭い風呂場でかすかにこだまして、私の心を苦くした。
 生煮えの地獄とでも呼べはよいのだろうか。煮えたぎる湯でいっそ息絶えてしまうこともなく、どちらへ向かって泳ごうにも厚い壁に阻まれて進むこともかなわず、狭い湯船のなかで気力を失っている鮒の姿が今の私自身と重なった。心がおぼつかない。
「そのうち湯も冷めるだろうから、もう少し我慢しておくれ」
 私は微笑みかけ、湯へ戻した。活かしもせず殺しもしない湯船のほうがまだよいのか、鮒は待ちかねたように湯船の奥深くへと急いで潜りこむ。風呂の湯はすぐにでも冷める。だが、この胸に抱えこんだ生煮えの地獄はいつまでも終わりそうになかった。


(続く)

ツイッター