風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

空飛ぶクジラはやさしく唄う 第1話

2011年11月28日 06時40分00秒 | 恋愛小説『空飛ぶクジラはやさしく唄う』
 
 どこでなにをしているの?

 木枯らしがアスファルトに落ちた枯葉をさらってゆく。風に巻かれた木の葉たちはコンクリート造りの小さな橋を渡りそこね、狭苦しい住宅街を縫いながら流れる川へはらはら落ちる。肩をすぼめた僕は、遥が編んでくれたマフラーを巻きなおした。いっそのこと、川に氷が張るくらいに、息も凍るくらいに冷たくなってくれたら、遥のことを思い出さなくてもすむのに。
 信号が青に変わる。僕は立ち止まろうとしていたのだけど、見えない力に引っ張られるようにして、また歩き始めた。自分が自分でないような、うつろな気分。心が抜け殻になってしまったようで、ふわふわして地に足がつかない。ランドセルを背負った小学生たちが、はしゃぎながら僕を追い越す。
 ふたりの思い出がつまった駅前の通りは、もうクリスマスの支度が始まっていた。コンビニも、ハンバーガーショップも、ドラッグストアも、ブティックも、店の前にクリスマスツリーを置いたり、金と銀のモールを飾り付けたり、ガラス窓に白いスプレーでサンタクロースやトナカイの絵を描いたりして華やかだけど、僕の心まで賑やかにはしてくれない。去年の今頃は、世界中のすべてが僕たちを祝福してくれているように感じたのに。
「わたしは自分のことなんてなんにも知らない。――だから、ゆうちゃんのこともよくわからないの。――自分のことを知らない人は、ほんとうに誰かを愛することなんてできないのよ。だから――」
 あの日、遥はつらそうな顔をして切り出した。言葉につっかえる彼女が痛々しい。綺麗に切りそろえたショートカットの黒髪が垂れ、化粧もなにもしていない素顔のままの白い顔が隠れる。あれほどなんでも話してくれたのに、もう自分の心は見せたくないと僕から逃れるように。
 どんなふうに愛し合えばいいのかということは、ふたりでなんども話し合ったことだった。僕は、ゆっくりいろんなことがわかるようになればいいと、繰り返し彼女に言い聞かせた。僕自身にしろ、愛の意味なんて、なんにも知らないのだから。でも、僕の言葉も想いも、遥の支えにはならなかった。彼女にあんな別れの言葉を言わせたのは、たぶん、僕なのだろう。心がうつむく。グラスが傾くようにして、心のはしから氷水がこぼれそうになる。
 遥のことなら、神さまよりもずっと理解していたつもりだったのに。
 僕は、いったい遥のなにをわかっていたのだろう?
 一週間前、別れることに決めて、駅の改札口まで遥を送った。気だるくてさびしい昼下がりだった。
「気が変わったら、いつでも帰っておいでよ」
 彼女の荷物をつめた紙袋を渡した。意外に重かったから、彼女一人で持ちきれるだろうかと心配だった。ふと触れ合った指先が、今になっては妙に気恥ずかしい。
「わたしは、ゆうちゃんを傷つけたのよ」
 遥はうつむく。遥の声は、泣いているようにも、怒っているようにも聞こえた。自分の感情をもてあました時のいつもの癖だった。
「いいんだよ」
 僕は、さらりと手を振って背を向けた。
 遥の強い視線を背中に感じたけど、僕は振り返らなかった。振り返ることなんて、できなかった。駅前のロータリーへ出た僕は、一瞬のうちに、これまでの六年半あまりのことを思い出していた。初めての恋人との初めての別れ。いろんな感情を押し寄せすぎて、僕の心は、ただ腫れたように痺れるだけ。かけがえのない人を失った直後は、こんなものなのだろうか。きっと、明日あたりには心が落ち着いて、さよならを実感するのだろう。そんなことをぼんやり思いながら、あてずっぽうに都営バスに乗った。僕は外の景色も、自分の心も見なかった。早く遥から離れてあげなくっちゃ。そのことばかり、ずっと自分に言い聞かせていた。

 初めて遥に出会ったのは、中学三年生の時だった。新しいクラスでたまたま隣同士に坐ったのが、彼女だった。遥は友達を作ろうともせず、ただ静かに自分の世界を守るようにして、休み時間は必ず独りで文学書や聖書やキリスト教関係の本を読んでいた。おとなしそうな外見とはうらはらに、本を見つめる彼女のまなざしは勁《つよ》かったから、無口だけど意思の強い女の子なんだろうなと感じた。遥のそばに坐ると、いつも透明な香りがした。その香りは、どこか神秘的で、誇り高くて、涼やかな月の光のようだった。かぐや姫がもし実在したのなら、きっと遥のような少女だったに違いない。わけもなくそんな気がしてならなかった、というよりも、中学生らしい身勝手さで僕はそう決めつけてしまった。彼女の清明な香りが、すりきれた家族とともに暮らしていた僕の心を明るくしてくれた。
 僕は、必要なこと以外は口を開こうとしない彼女へなにくれとなく話しかけた。話しかけずにはいられなかった。やや開き気味の大きな瞳が愛らしいし、人形のように小作りな顔も、雪肌のすらっとしたうなじも素敵だし、なにより、細いあごの片隅についた小さなほくろがあどけなかった。遥は初めのほうこそ僕にとまどっていたけど、そのうち自分から僕へ話しかけくれるようになり、時折、飛びきりの笑顔を僕だけに見せてくれるようにもなった。
 ずっと好きだった。
 初恋の人だった。
 彼女以外の女の子のことは考えられなかったし、考えたこともなかった。別々の高校へ進んだ後も、友達以上恋人未満の付き合いは続いた。
 遥は現役で東京の大学へ進み、浪人した僕は一年遅れで地元を離れて東京へやってきた。御茶ノ水の聖橋で再会した時、僕たちはぎこちなかった。僕よりも一足先に大都会の暮らしに馴染んだ彼女は、別世界の人のように大人びていたから。でも、一緒に時を過ごすうちに、中高校生の頃のようにまた打ち解けることができた。学校のことも、友達のことも、家族のことも、人には言えない悩み事も、なんでも話せる友達へ戻った。僕の遥を取り戻せてうれしかった。
 去年のクリスマス前、僕の買い物に付き合ってもらって街を歩きながら、そっと遥の手を握ってみた。振りほどかれたらどうしよう、友達でさえいられなくなったらどうしようと冷やひやしたけど、遥は思ったよりも確かに僕の掌を握り返してくれた。
「わたしを受け容れてくれるのは、ゆうちゃんだけよ」
 遥の声はあたたかだった。彼女の声はいつも木琴を叩いたように高く透明な音を響かせていたけど、あの時は、ひときわ澄んでいた。僕の二の腕が柔らかく熟れた彼女の乳房に押し当たる。愛が息吹き始めた彼女の鼓動は波打つようだった。

 冷たく澄んだ水溜りがきらりと光る。
 ふと足をとめ、空を見上げた。
 今頃、どこで、なにをしているのだろう?
 泣いたりしていないといいんだけど。
 雨上がりのさっぱりとした青空に、クジラのような形をした雲がぽっかり浮かんでいる。大きな雲の下に小さな雲がへばりついていて、お母さんクジラに寄り添う赤ちゃんクジラのようだ。お母さんクジラはやさしい子守唄を唄っているみたいと、遥ならきっとそう言うだろう。彼女は雲を眺めるのが好きだった。地元にいた頃は河川敷まで自転車を走らせて、ふたりで土手に坐りながら雲の形を動物に見立ててよく遊んだ。冬の午後のやわらかい陽射しが僕をぬぐう。心がしんみりして、目の縁がほんのり熱くなる。
 ほんとうに恋するよりも、恋したふりをしているほうがずっとうまくいく。そんな意地悪なことを言った恋の達人がいるけど、僕たちにはそんな器用な真似はできなかったし、したくもなかった。ほんとうの気持ちだけをお互いだけに伝えたかった。でも、恋の達人の言葉はある意味で事実を言い当てているのかもしれない。ほんとうに愛そうとすればするほど、相手のことを思おうとすればするほど、僕たちは迷宮をさまようようになってしまったから。ずっと抱きしめていたかったのに、結局、遥を手放すことになってしまったから。
 愛って、いったい何なんだろう?


(続く)


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空飛ぶクジラはやさしく唄う はじめに

2011年11月28日 06時35分00秒 | 恋愛小説『空飛ぶクジラはやさしく唄う』
『空飛ぶクジラはやさしく唄う』は2009年12月から2010年5月にかけて、『小説家になろう』サイトで投稿した恋愛小説です。
 今回は細部を修正しながら、ブログのほうでぼちぼち連載しようかと思います。
 横組みで小説を読むのは苦手というかたは、『小説家になろう』サイトのほうでご覧ください。各話のなかに横書きと縦書きの切り替え機能がありますので、そちらのボタンを押していただければ、縦組みで読むことができます。またPDFファイルに落とせば、自動的に縦組みになります。
 
http://ncode.syosetu.com/n0481j/
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東京・伊豆の旅2011 上野

2011年11月24日 07時31分14秒 | フォト日記

 夕方のフライトまで時間があったので上野公園を散策した。
 公園に行ったのでつまらないかなと心配していたのだけど、中国人スタッフ三人はみな、ほっとした顔をしていた。せわしい日々が続いていたから、ゆったりしたところで落ち着きたかったようだ。




 きれいに紅葉していた。






 上野公園から不忍池へ。お堂は不忍池にある弁天堂。







 中国人スタッフのK君はしきりに時間を気にして、空港行きの電車に間に合うのかと何度も僕に訊く。いくら大丈夫だからといっても、そわそわしている。スカイライナーに乗って成田空港へ。新ルートを走るスカイライナーはとても速かった。もっとも、新ルートは幻の成田新幹線用として途中まで整備されていたところだったから、線形もまっすぐ伸びていていい。すこし眠っている間に空港に着いた。



 子煩悩なK君は飛行機に乗り遅れて息子に会えなくなったらどうしようと心配していたのだとか。夜の十一時半、無事に家へ到着。息子さんは起きたままパパの帰りを待っていたそうだ。



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東京・伊豆の旅2011 浅草

2011年11月22日 19時29分38秒 | フォト日記

 浅草観光に行ってきた。
 東京に住んでいた頃もそうだったけれど、誰かが東京観光をしたいと言えば、とりあえず浅草に連れて行った。というわけで、海外へ行くのも日本も初体験という中国人三人を浅草へ案内した。






 雷門を潜って仲見世へ。
 彼らは仲見世の最初の店で大はしゃぎしながら土産物を吟味していた。
「お店はまだいっぱいあるから」
 と言って、奥へ進む。






 五重の塔。
 夕暮れ空に飛行船が浮かんでいた。




 浅草寺境内から眺めた東京スカイツリータワー。






 線香の煙を頭に当て、本堂へ。
 中国人の同僚は子供が元気に育ちますようにと熱心に祈っていた。風邪ばかり引いているから心配なのだとか。




 東京名物もんじゃ焼き。
 同じもんじゃ焼きでも地区によって作り方がすこし違うのだとか。キャベツの大きさが変わるそうだ。おいしかった。


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東京・伊豆の旅2011 富士山

2011年11月21日 06時46分01秒 | フォト日記

 勤め先の中国人スタッフ三人を連れて日本出張に行ってきた。







 新幹線で三島まで行って伊豆箱根鉄道に乗り換えた。伊豆で一泊。




 朝、ホテルの窓から見た富士山。朝焼けをきれいに照り返している。




 向こうに見える海は駿河湾。

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指紋認証装置が正しく作動しなかった場合の中国人の反応について (『ゆっくりゆうやけ』第68話)

2011年11月20日 23時33分51秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 僕の勤め先には入口に小さな指紋認証装置が置いてあって、指紋を押してタイムカードの代わりに使っている。
 朝はいつもそこに行列ができるのだけど、なかなか動かない時がけっこうある。何度押してもエラーになってしまう人がいて、その人で行列がとまってしまうのだ。遅刻しかけだったり、朝イチから大急ぎで仕上げなくてはいけないことがあったりすると焦ってしまう。
 そんなに出来の悪い機械でもないし、どうしてしょっちゅう行列がとまるのだろうと不思議に思ったので、中国人従業員の様子をじっくり観察することにしてみた。それで、ようやくなぞが解けた。
 指紋認証装置の脇には雑巾が置いてあるのだけど、彼らは十人が十人とも自分の指を拭いて、それからまた画面を押していた。
 何十人も指紋装置を押せば、指紋を押す画面が汚れて正しく反応しなくなってしまう。いくら自分の指を拭いてみたところでしかたない。画面の汚れを拭き取ることが先決だ。それくらい察しがつくだろうと思うのだけど、誰も気づいていないようだし、画面を拭こうともしない。画面を拭かないから、何度押してもエラーになる。それで行列がとまっていたのだった。
 日本人なら、おそらく画面が汚れていると気づいて汚れた画面をさっさと雑巾で拭いてしまうだろう。だけど、中国人はこのことに気づかない。自分の指を拭いてきれいにするのは当然といえば当然なのだけど、そこで発想がとまっていて機械のことまで考えていない。それで反応してくれないと言って嘆いている。
 こんな時、同じ東洋人といっても、日本人と中国人では発想がずいぶん違うよなと実感する。

 


 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第68話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/
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キップルさんのこと (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第67話)

2011年11月15日 06時14分09秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 キップルさんがなろうに顔を出さなくなってからずいぶん経った。
 もうかれこれ十か月くらいになるだろうか。
 僕はキップルさんの作品が大好きだ。
 なにより、彼の詩人としての感性とやさしさに惹かれる。キップルさんが投稿した作品はすべて読んだ。
 音楽神話を描いた短編小説『スティーヴ・ゴッドの短くも幸福な人生~神業とかみさんの日々~』で奇抜なアイデアに腰を抜かし、散文詩『たどり着けないイブ』ではしみじみした。詩『ねじ式』を読んで生きることについて考えさせられた。詩『草を食むものたち』ではエスプリとユーモアを楽しんだ。
 彼は詩人なので、詩がいちばん多いのだけど、大人の味わいのあるエッセイも面白い。まだまだほかにも素敵な作品がいっぱいある。
 感想を送ろうかと迷ったのだけど、あの頃はなろうに参加し始めてからまだ日も浅かったし、もともと人見知りの激しい性格の僕ははずかしくてなかなか送れずにいた。
 そんなある日のこと、突然、キップルさんから感想をいただいた。おまけに、僕をお気に入りユーザー登録までしてくださった。僕は舞い上がってしまいそうだった。僕もさっそくキップルさんをお気に入りユーザー登録させていだたいたのだけど、お気に入りに矢印が入ったのを見て、心臓がバクバクしてしまった。
 それから、すこしばかり感想のやりとりやメッセージを交換した。思ったとおり、キップルさんはやさしい詩人だった。基本的に人間のできた人なのだけど、自分の世界をしっかりもっている。表現には頑固だ。そこがまたいい。僕はまたまた嬉しくなってしまった。
 ところが、彼との交流はごく短い間で終わってしまった。
 キップルさんは、幽霊の存在を感じたというエッセイ『玉川温泉での不思議な気持ち』を最後にふつりと作品を投稿しなくなった。あらためて続きを書くとあったので楽しみにしていたのだけど……。なろう自体にも顔を出さなくなったようだ。
 キップルさんが書いた報告活動によれば、長い間入院していたのだけどぶじに退院することができて自宅へ戻り、社会復帰に向けて体力作りに励んでいるとのことだった。
 職場へ戻って慌しい日々を送っているのだろう。それで、なろうに作品を出す時間も、顔を出す暇もなくなってしまったのかもしれない。仕事が忙しいのはいいことだ。きっと、ばりばり働かれておられるのだろう。どこかで元気にされているに違いない。
 でも、やっぱりさみしい。
 友達がふらりと転校してしまったようだ。
 ――キップルさんが帰ってきてくれないかなあ。
 そんなふうに思いながら、いままで彼の作品のレビューをいくつか書かせていただいた。僕のマイページのお気に入りユーザー欄は、いつもキップルさんの名前が出るようにしている。
 またいつか、キップルさんの新作を読めたらいいな。



(2010年12月24日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第67話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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中国のクリスマス その2 (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第66話)

2011年11月14日 06時43分22秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 こちらのカップルは、日本と同じようにクリスマスを一緒に楽しく過ごす。
 中国人の友人たちとクリスマスのことをいろいろ話していた時、
「それじゃ、君も彼氏になにかプレゼントを贈るんだ」
 と、僕が何気なく言ったら、彼女はぽかんとした。
「クリスマスって男が女にプレゼントするものなのよ」
「えっ? 恋人同士でプレゼントの交換をしないの?」
 今度は僕がぽかんとした。
「どうして女の子が男にプレゼントするの?」
 彼女は首を傾げる。
「だってさ、交換したほうが楽しいだろ。男だってプレゼントをもらったら嬉しいんだし」
「なんだか変よ。おもしろいことをするのね」
 彼女は楽しそうに大笑いした。
 一般的にいって、中国では彼女が彼氏へプレゼントを贈ることはあまりない。バレンタインデーも彼氏が彼女へプレゼントを渡すだけだ。どうやら、中国では祝いの日は「彼氏が彼女に自分の甲斐性を見せる日」ということのようだ。たぶん、それが中国人の伝統的な考え方なのだろう。
「もし野鶴さんの彼女がプレゼントをあげなかったらどうする?」
 友人がこう訊くので、
「そんなことは許さない。むりやり買わせる」
 と、僕は断固として答えた。中国流ではないかもしれないけど、僕だって男だというところを見せなくてはいけない。
「えー、ひどいわ」
「ひどいのはどっちだよ。僕だってプレゼントが欲しいんだもん。そんな高価な物をくれだなんて言わないよ。ちっちゃな物でいいんだよ。ハンカチとか手袋とか、そんなものでいいんだよ。気持ちの問題じゃないか。プレゼントを交換するのは、お互いに相手を大切にしましょうってことだよ」
「でもやっぱり、中国の女の子はプレゼントを贈らないと思うわ。そんな習慣がないもの」
 彼女はあくまでも言い張る。習慣の壁を打ち破るのはなかなかむずかしそうだ。
 中国のクリスマスなのだから、中国人が楽しめるように中華風にアレンジすればいいわけだけど、それでもプレゼントだけはゆずれないよなあ。



(2010年12月22日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第66話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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中国のクリスマス その1 (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第65話)

2011年11月13日 05時39分54秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 もうすぐクリスマス。
 広州のホテルやショッピングモールでは、大きなクリスマスツリーを飾ってあったり、店の売り子が赤いサンタ帽を被っていたりする。こちらもクリスマス気分だ。街をぶらぶらしていると、ちょっとうきうきする。
「子供の頃、クリスマスの時に親にプレゼントをしてもらったことがある?」
 と、地元の若い人に訊いてまわってみたのだけど、もらったことがあるという人は一人もいなかった。プレゼントをおねだりしようと考えたこともなかったそうだ。小さな子供のいる二十代後半くらいの若い親たちに子供にクリスマスプレゼントをあげるのかと訊いてみたけど、みんなそんな予定はないと言う。小さなクリスマスツリーを家のなかに飾ったこともないのだとか。
「そりゃ、大陸の中国人はそんなことをしないよ。だって、クリスマスなんてものがあるって知ってから、まだ何十年も経っていないんだよ。親が子供の靴下にプレゼントを入れるなんてことはないよね。彼らはクリスマスの由来も知らないし。もっとも、クリスマスは西洋のお祭りだから、中国人が祝う必要もないけどね」
 香港人のおじさんはこんなふうに解説してくれた。
 ちなみに、香港はやはり植民地の歴史があるので、一般の家庭でもお祝いをするのだそうだ。おじさんも子供が幼かった頃は「サンタさんにお前の希望を伝えてあげるから欲しい物を言いなさい」と子供が欲しがっているものを聞き出し、イブの夜中にこっそり枕元へ置いたのだとか。日本人の親と同じことをしている。香港はクリスマスが祝日になっているけど、キリスト教の信者以外は日本と同じようにただのお祭りとして楽しんでいるそうだ。
「香港は、中国伝統の祭りも、仏教の祭りも、西洋の祭りもみんな祝うよ。だから、カレンダーは祝日だらけさ。いっぱい休めるよ」
 おじさんはユーモラスにほほえんだ。
 なんかずるいなあ。



(2010年12月21日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第65話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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諸葛孔明はどこまで南征したか? (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第64話)

2011年11月12日 00時57分08秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 小説『三国志』の南蛮遠征の話が好きだ。『三国志』ファンなら誰でも知っていると思うけど、諸葛孔明が遠い雲南省まで遠征する話だ。
『三国志』のなかでも、あの部分だけ雰囲気が違う。異国情緒(中国から見れば)たっぷりに描かれていて、象兵が出てきたり、瘴気を出す川があったりしてなんだかどきどきしてしまう。孔明が快勝するのも気持ちいい。
 小説では諸葛孔明が雲南の地へ深く入りこみ、南蛮王・孟獲を七度捕らえて七度解き放し、ついに心服させたことになっている。雲南省南部の思芽という町には、諸葛孔明が馬を洗ったとされる池が記念公園になっていて孔明の像が立っている。雲南省南部の少数民族には、田んぼで牛が牽く鋤は孔明がもたらしたという伝説もある。
 ある時、中国でテレビを観ていたら三国志特集を放送していた。
 孔明ははたして雲南省のどこまで進軍したのかということがテーマになっていたのだけど、出演した中国の学者さんは、なんと孔明はビルマ(ミャンマー)まで行ったと主張していた。
「歴史書の『三国志』には孔明が『不毛の地へ入った』とする記述があるが、深い森につつまれた雲南省が不毛の地などであるはずがない。『不毛』というのはきっと地名を音訳したもの違いない。不毛の発音はブーマオ。ずばりビルマ(ミャンマー)だ」
 と、学者さんは自信たっぷりに言い切る。
 いくらなんでも「不毛」がビルマというのは飛躍しすぎじゃないか? 僕の頭のなかは?マークだらけになった。珍説奇説を堂々と主張するところが中国人の面白いところでもあるのだけど……。
 びっくり仰天した僕は、中国の大学院で中国史を研究していた日本人にほんとうにそうなのか訊いてみた。
「いやあ、実を言うと孔明が雲南省まで行ったのかどうかもあやしいものなんですよ。たぶん、四川省の南部の少数民族地帯まで行って、そこで全体の指揮を執っていたのだと思いますよ。個々の武将はもちろん雲南省へ行ったわけですけど。かりに孔明が雲南省へ入ったとしても、せいぜい雲南省北部まででしょうね。昆明まできたかどうか……。ビルマだなんて、絶対に行ってないですよ」
 彼は参ったなあという顔をしながら僕に解説してくれた。
 孔明ファンの僕としては、ビルマはともかく孔明が雲南省で大活躍したことにしておいてほしかったから彼の話を聞いてちょっとがっかりしてしまったのだけど、史実がそうなら仕方ない。雲南省南部にある孔明が馬を洗ったという池のことを話すと、彼は「あり得ないです」と苦笑していた。
 伝説にいろんな尾ひれがついて話がふくらむのは、さすが諸葛孔明と言うべきか。


 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第64話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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