風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

今日一日を味わいつくすようにして(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第204話)

2013年10月30日 20時26分14秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 この頃、僕は毎朝、
「今日一日を味わいつくすようにして生きよう」
 と自分に言い聞かせている。
 今僕が暮している広東省広州はコンクリートジャングルの街だけど、それでも街路樹や公園の木々が目にしみる。亜熱帯の樹木が心を慰めてくれる。通勤車のなかからじっと緑を眺めていると心が休まる。
 僕はこの世は存在の流刑地だと思っている。人間は大切なことを裏切らずには生きていかれない。僕は罪と煩悩にまみれたちっぽけな存在だ。それでもというか、だからこそ、生きいきと生きたい。心の底からそう願う。
 人生は一度しかない。
 漫然と過ごすのではなく、できる限りのことはやってみたい。どこまで行けるかわからないけど、行けるところまで行ってみたい。失敗したってかまわないじゃないか。またやり直せばいいだけのことだから。
 ちょっとした出来事も、誰かとのなにげない会話も、喜びも悲しみも、出会いも別れも、つらいこともさみしいことも、みずみずしいぶどうの実を一粒ひとつぶ味わうようにして、生きいきと生きていたい。
 


(2012年9月23日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第204話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/
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マッサージ店のストライキ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第203話)

2013年10月27日 15時10分20秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 反日運動に火がつくすこしくらいばかり前のことだったけど、行きつけのマッサージ店でストライキがあった。
 いつも頼んでいる女の子に「何時だったら空いているの?」とショートメッセージを送ったら、
「ねえねえ、今ストライキをやっているのよ」
 と弾んだ声で電話がかかってきた。
「えっ? スト?」
 まさかマッサージ店でストが起きるとは思いもしなかったので、僕はきょとんとしてしまった。
「もういま、たいへんなのよっ。悪いけど、明日にしてくれない」
 なんだか彼女は興奮しているみたいだ。一種の祭りみたいなものだろう。
「わかったよ。がんばって」
 しょうがないかと思って僕は電話を切った。背中が張って肩がバキバキに凝っていたけど我慢するしかない。
 それから数日して僕はマッサージ店へ行った。
「成功したの?」
 マッサージ台にうつ伏せになりながら僕が訊くと、
「だめだったわ」
 と彼女はしょんぼりする。
 なんでもその店は一気に二十パーセントも値上げすることにした。店のオーナーの主張によれば、周囲の店も値上げしているので、それに合わせて値上げするのだという。だけど、マッサージ料金は上がっても、マッサージ師の歩合はほとんど上がらなかった。それで、マッサージ師たちは「歩合を上げろっ! 分け前をよこせっ!」とストライキに踏み切ったのだった。
 一日目はその店のマッサージ師全員が協力してストをやった。ただ、オーナーとの交渉は決裂した。オーナーは、
「歩合は上げない。嫌なら辞めろ」
 という姿勢を崩さなかったそうだ。
 それでマッサージ師たちはやむをえず二日目もストを続行することにしたのだが、一部のマッサージ師は出勤してお客をとってしまった。スト破りだ。
 この時点で勝負あり。
 店のオーナーは、
「出勤しなければ馘(くび)にする」
 とマッサージ師たちに最後通牒を突きつけ、マッサージ師たちはほんとうに馘(くび)されてはかなわないとばかりに全員出勤してしまった。他の店へ移ることになれば、また一から得意客を開拓しなくてはならない。歩合で生活している彼らは収入が減ってしまう。オーナーの粘り勝ちだ。
「残念だったね」
 僕が慰めると。
「しょうがないわ(没办法)」
 と彼女は首を振る。物価がどんどん上がっているのに歩合が上がらなければ生活も大変だろう。彼女は四川省の貧しい農村から広州へ出稼ぎにきている。彼女の実家は彼女の仕送りが頼りだ。
 それにしてもなあと思わずにはいられなかった。
 ストはどれだけ集団の団結を維持できるかにかかっている。団結しなくては賃上げ交渉は成功しない。だけど、簡単にスト破りが出てしまった。みんな生活がかかっているのだからスト破りをしたマッサージ師を責められないわけだけど、やはりこの国の人たちは集団行動ができないんだよなとあらためて感じた。そんなふうに躾(しつ)けられていない。店のオーナーはそれがわかっているから、いずれストは崩れるとみて敢えて譲歩しなかったのだろう。
 中国は社会主義の国のはずだけど、どうしても資本家のほうが強いんだよな。



(2012年9月22日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第203話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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初めての飛行機(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第198話)

2013年10月20日 17時32分23秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 アシスタントのアニメちゃんを連れて、沿海部のとある町まで出張に行ってきた。トライアル業務の手配を彼女に手伝ってもらっている新規プロジェクトの顧客企業を訪問するためだ。
 アニメちゃんは出張するのも初めてなら、飛行機に乗るのも初めてだ。しかも、先月、社員旅行で隣の省へ連れて行ってもらうまで広東省の外へ出たことがなかった。省外へ出るのは今回の出張で二回目。彼女のように、出身地の省の外へ出たこともなければ、飛行機に乗ったことのない中国人はけっこう多い。
 窓側の席に坐らせてあげたら、ずっと窓の外を眺めている。
「景色はどうだった?」
 と飛行機を降りた後で訊いたら、
「いやぁー、すごいですねぇー」
 と、アニメちゃんは少年のように眉を吊り上げた。
「夜景がきれいでしたよぉ。ずっと地面の灯りを見てました。それから、月がきれいでしたぁ」
 すっかりご満悦の様子だ。
「機内食はどうだった?」
 僕が訊くと、
「ううぅー、まずいですねえぇ。入口のところに弁当が置いてあったからぁ、わたしはそのなかにあったフライドチキンが食べたかったんですぅ」
 と、足をばたばた踏み鳴らす。
 そういえば、チケットをもぎるカウンターのそばに日本で言えば幕の内風の弁当が置いてあった。機内食の食器に容れたものではなくて、ごく普通の弁当だ。だけど、彼女はすっかりそれが機内食で出るものだとばかり思っていたようだ。
「ううぅー、わたしのフライドチキン~」
 アニメちゃんはあたりかまわず叫んだ。
 空港のロビーへ出た後も、ルンルン気分で歩きながらあたりの様子を興味津々に眺めている。なんの変哲もない空港の風景だけど、見るものすべてが目新しいといった感じだ。
 フライドチキンは食べられなかったけど、飛行機の旅を楽しんでくれたようだ。



(2012年8月31日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第198話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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雲南の旅2013 蒙自

2013年10月10日 21時22分51秒 | フォト日記

 雲南省の南部の町、蒙自へ行ってきた。蒙自は雲南省紅河洲の州都の町。

 

 蒙自の中心にある南湖公園。天気がよくて気持ちよかった。


 

 

 

 蒙自の名物の米線。おいしかった。


 

 

 米線店の風景。薬味や漬物は客が自分でとる。人気店のようでとても混んでいた。


 

 

 街角の焼き豆腐店。小さな四角い豆腐を唐辛子の粉につけて食べる。雲南へ行くたびにこれを食べるのを楽しみにしている。雲南の田舎町の豆腐はおいしい。
 
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個性について(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第195話)

2013年10月09日 21時52分04秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 個性の基盤となるのは、「俺にも個性があるが、お前にも個性があることを認める」という共通認識だ。言い換えれば、「俺にも譲れないものがある。だが、お前にも譲れないものがあるのはわかるよ」ということだ。
 個性はあくまでも独立し、そして、あくまでも屹立する。
 個性と個性がぶつかれば、争いが生じる。
 お互いに生き方が違うのだから、しかたのないことだ。
 ただ、それを単なる争い事や揉め事に終わらせるのか、よりよく生きるためのナイスゲームに変えるのかでは大きく違ってくる。単なる争い事や揉め事はなにも生まないが、ナイスゲームは人生になにかをもたらしてくれるから。相手を認めないことにはナイスゲームは始まらない。相手を認めない個性は、単なるわがままにすぎない。
 さて、個性と個性は本来、どこまでもパラレルで交わらない平行線であるものだが、それを互いに認めさせるものはなんだろう? 交わらない平行線を交わらせるものはなんだろう? 



(2012年8月11日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第195話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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