風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

さみだれ

2014年06月30日 06時25分25秒 | 詩集
 
 立ち読みをする
 ふりをして
 あなたの帰り
 待ち伏せた
 小さな本屋の隅に
 わたしひとりきり

 外はみずいろの
 さみだれ
 燃えるような
 こがすような
 胸の痛みにとまどい
 雨を眺めてる

  恋を教えてください
  人を愛する理由(わけ)を
  想い 想う
  ただあなただけ
  白いシャツの胸に
  飛び込みたい
  いつか


 それを恋だと
 知ったのは
 あなたの瞳
 まぶしいから
 校舎の窓のかげから
 いつも探してる

 わたしの想いは
 さみだれ
 とまることなく
 やむことなく
 はじめてのこの気持ち
 光る雨のよう

  恋を教えてください
  人を愛する意味を
  想い 想う
  ただあなただけ
  白い封筒を
  手渡したい
  いつも


領収書は自分で書いてくれ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第242話)

2014年06月24日 19時38分18秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 お客さんを十人ほど連れて近くのラーメン屋に入った。
「蘭州ラーメン」という名のチェーン店で、中国のイスラム教徒が経営している。注文してから麺を打ってくれるからとてもおいしい。しかも牛肉ラーメンが一杯七元(百円弱)と値段もリーズナブルだ。ラーメンだけではさびしいからチャーハンや炒め物もいっしょに頼んでみんなでつついた。
 勘定を払うとき、
「領収書を切ってよ」
 と店の若旦那に言うと、
「俺は字が書けないんだ。自分で書いてくれ」
 という返事がかえってきた。ちょうど昼時の店がいちばん混む時間帯だったから、若旦那は領収書どころではないという感じでせっせと麺を打つ。
 しょうがないなと思いつつ店員に白紙の領収書を出してもらい、ほんとにいいのかなと思いながら客である僕が自分で金額を書き入れた。日本ではあり得ないことだ。
 中国の領収書は必ずすべて難しい漢数字で数を記入しなくてはならない。たとえば、「一」は「壹」と書き、「二」は「弐」と書く。日本の領収書や小切手も難しい漢数字で数を書くけど、「四」や「七」といったあとから棒線を書き足して偽造できないような数字はそのまま「四」や「七」を使う。中国の場合は、「四」や「七」もすべて「肆(四)」や「柒(七)」と難しい漢数字で書かなくてはならない。画数の多い漢字ばかりを書かなくてはいけないから、これがけっこう面倒くさい。ようやく書き上げると若旦那は、
「ごめん。百十元じゃなくって、百十七元だった」
 などと横から言ってくる。
「早く言ってくれよぉ」
 僕はぼやいて、書き上げたばかりの領収書を破って書き直した。
 中国ではまれに漢字の書けない人に出くわす。チベット族やウイグル族のように強固な民族文化を持ち、固有の文字を持っている民族は漢字を書けなくてもしかたないとしても、漢民族でも漢字がわからない人がいる。もちろん、漢字を知らないといっても濃淡があって、まったくわからない人もいれば、名前と簡単な漢数字は書けてもそれ以上のことは読み書きできない人もいる。
 読み書きできない原因は、昔の日本でもそうだったように、家が貧しくて学校へ行かせてもらえず、農作業の手伝いばかりしていたというのがほとんどだ。ラーメン屋の若旦那の場合は、イスラム教徒の学校へ通って、アラビア文字しか習わなかったのかもしれない。
 中国は漢字の国だけど、なかにはいろんな人たちがいる。






(2013年6月22日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第242話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

クーラーの温度設定十六度(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第241話)

2014年06月19日 06時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 子供のときからクーラーが苦手だ。
 毎年、電車やビルでクーラーがかかり始める頃になると、お腹の具合が悪くなってあわててトイレへ駆け込むことになる。クーラーが始まってから二三週間も経てば体が順応してお腹を壊すこともなくなるのだけど。
 はじめて香港へ行ったとき、ビルのなかが冷房でギンギンに冷えているのでびっくりしてしまった。ショッピングモールのビルのなかへ入ったとたん、眼鏡のレンズが曇って真っ白になる。なんだか風邪をひきそうなくらい寒かった。たぶん、冷房の温度設定は二十度を切っていたと思う。ビルを出ると、また眼鏡が曇ってしまった。いくらなんでも冷やしすぎだけど、あれくらいにしておかないと「サービスが悪い」なんて言われてしまうのだろうか。
 以前、広州で勤めていた事務所も、香港のショッピングモールに負けないくらいクーラーが効いていて寒かった。女の子たちはみんな寒がって、厚めのショールを肩から羽織りがたがた震えている。まるで六月のプールからあがってきたばかりのようだ。クーラーのリモコンを見るとなんと十六度に設定してあった。僕は二十五度に設定しなおしたのだけど、いつのまにか、誰かがまた十六度に戻してしまう。必要以上にクーラーを効かせるのはもったいないと思うのだけど、目一杯クーラーをかけないと涼しい気分になれないのかもしれない。おかげで夏のあいだ、何度も風邪をひいてしまった。あれはつらかった。




(2013年6月18日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第241話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

砕けろ

2014年06月14日 07時45分45秒 | 詩集
 
 岩へ突き進む
 怒濤の如く
 叫べ
 砕けろ
 砕け散れ

 探した答えを
 見つけるまで
 進め
 ぶつかれ
 乗り越えろ

  立ち止まったら
  臆病へ戻ってしまう
  そんな自分は
  きっとさびしいだろう?

  臆病へ戻ったら
  退屈に馴れてしまう
  そんな自分を
  好きにはなれないだろう?

 飛べ
 ぶつかれ
 越えてゆけ
 私が私で
 あるために

 転がれ
 砕けろ
 何度でも
 私が私に
 なるために

  休む時間なんてないはずさ
  悲しむひまもないはずさ
  自分に同情なんてしなくていい
  人生は謎だらけ
  私も謎だらけ
  みんな謎ばかり
  だから精一杯ぶつかるだけ
  いつか答えを見つける日まで

 砕け散ったなら
 また息を整えて
 叫べ
 砕けろ
 乗り越えろ
 

 


 
「小説家になろう」サイト投稿作品
http://ncode.syosetu.com/n9181cb/

上海散策2014~外灘6月

2014年06月11日 21時04分23秒 | フォト日記

 上海の外灘を散歩した。
 曇っていて天気がわるかったのだけど。
 とびらの写真は遊覧船。
 




 むこうの建物は上海でいちばん古い郵便局なのだとか。 
     
 
 
 

 教会の前では結婚写真を撮るカップルがそこかしこにいた。
 みんな俳優と女優みたいにポーズをとっている。




 こちらは楽隊の撮影












 外灘から向こう岸へ渡し舟が出ている。料金は2元。観光客が大勢乗っていた。





 渡し舟は十分ほどで向こう岸につく。
 舟に乗るとすこし気分がすっとした。

 了

江南・周荘の旅3

2014年06月07日 13時37分47秒 | フォト日記

 

 端午節の祭りの舟がでていた。


 

 

 豪商の家。
 奥へ奥へと建物が続いていた。
 
 
 
 

 

 名物の豚の太ももの煮込み。
 中国醤油と砂糖で甘辛く味付けてある。
 かなりボリュームがあるので一塊で四人分くらの量がある。


 

 夜になって人通りも少なくなった。

 
 
 
 一日たっぷり歩き回って水郷の町を満喫した。
 周荘の旅の写真は以上です。
 

江南・周荘の旅2

2014年06月05日 21時36分16秒 | フォト日記

 観光客用の舟に乗った。
 船頭が漕いで水路で古い町を一周する。
 チップを渡すと歌を唄ってくれた。

 

 

 

 端午節休暇の三連休とあって、古い町のなかは観光客でいっぱいだった。


 

 

 

 魚網がおいてあった。
 ちかくの湖で漁をして、その魚をレストランへ出すそうだ。

 

江南・周荘の旅1

2014年06月04日 07時05分22秒 | フォト日記

 周荘は江南の古い町。
 北宋時代の1086年から町がつくられたという。
 上海の虹橋空港からバスで1時間ほどの距離にある。
 
 


 典型的な水郷の町。
 水路が縦横に張り巡らされている。

 

 上の写真は入口付近。

 


 

 

 観光客用の舟がたくさんならんでいる。

 

 

 崑曲の舞台。観光客向けの舞台をやっていた。

 

 

 

 

 

 田螺(たにし)の煮込み。唐辛子で辛く味をつけてある。

 

 川魚の醤油煮込み。おいしかった。

 

推敲はプリントアウトを出して(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第239話)

2014年06月03日 20時10分34秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 小説を書く時は、何度かプリントアウトを出して推敲するようにしている。
 上手な人なら画面上で書き直しただけでOKなのだろうけど、僕にはそんな技がない。
 プリントアウトを出して赤ペンを走らせると、いつも紙が真っ赤になる。何度か書き直してプリントアウトを出し直しているうちにだんだん赤色が減って、朱筆がほとんどなくなれば作品は完成になる。
 パソコンに文章を打ちこむ時とプリントアウトに朱を入れる時では、脳味噌の使い方が違うようだ。画面上ではうまく書けたつもりでいても、紙に印刷した文章を眺めてみるとどうもおかしいなと感じることが多々ある。パソコンで文章を書く時は、原稿用紙に手書きで書く時と違って先に文章の構成をしっかり考えずに思いつくままに書いてしまうからどうしても雑な文章を書いてしまうのだろうか? 思考のスピードで文章を書けるのがワープロのいいところではあるのだけど。
 気分の問題もある。
 パソコンに文章を打ち込んだだけではなんだか味気ない。
 思えば、僕が子供の頃は紙に文章を書くのが当たり前だった。ワープロ専用機(なつかしい!)を買ったのは二十歳を過ぎてからだ。子供の頃に手書きしていた習慣が僕の体にしみついているのだろう。いまさらすべて手書きで小説を書くだなんてとてもむりだけど、推敲くらいは手書きしないと書いた気がしないんだろうな。

 


(2013年5月30日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第239話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

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