風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

君を忘れない

2011年09月25日 15時04分28秒 | 詩集
 
 流されて遠い空
 君と歩いたあの坂道
 太陽がまぶしすぎるから
 うれしそうに眼をほそめたね

 はしゃいで履いたハイヒール
 歩き疲れて ふてくされて
 わけもなく貴方のせいよと
 僕の背中を叩いたっけ

  君がいたから 元気になれた
  君がいたから 勇気を持てた
  一緒に過ごした時間は 巻き戻せないけど
  君を忘れない


 流されて遠い空
 君と入ったフレンチカフェ
 ふかふかのソファーに沈んで
 肩を寄せ合ったね

 イヤフォンを分け合って
 一緒に聴いたラブソング
 壊れやすい心を ずっと
 大切にしてあげたいと

  君がいたから 虹を追いかけた
  君がいたから あたたかかった
  一緒に過ごした時間は 巻き戻せないけど
  君を忘れない


 倖せにしてるの?
 倖せにしてもらってるの?
 かけがえのないものは なぜ
 失くしてから気づく

  君がいたから やさしくなれた
  君がいたから せつなくなった
  一緒に過ごした時間は 僕たちだけの宝箱
  君を忘れない
  いつまでも いつまでも
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テロリストを裏返せばレジスタンス (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第60話)

2011年09月23日 06時35分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 飛行機に乗る時、毎回、空港の検査ゲートでずいぶん手間取る。
 まず行列に並ばなくてはならない。
 行列ができるとわかっているのだから、検査ゲートの配置を工夫して数を増やしてくれてもよさそうなものだけど、どの空港もゲートの数は限られている。
 順番がきたら、鞄のなかのノートパソコンを出して、ズボンのポケットのものも全部出して、上着も脱いでと大忙しだ。荷物の少ない時は、あらかじめポケットのものを上着のポケットへ入れたりして準備できるけど、荷物が多いとそうもいかない。ゲートを通過したら、こんどはパソコンをしまって、ポケットのものを全部しまって、上着を着る。
 ゲートを通過した時には搭乗開始までもう時間があまりなくて、慌ててトイレへ駆けこんだりする。
 テロ対策のための全身透視スキャナーがあるそうだけど、いくらテロ対策のためとはいえ、自分の裸を見られるのはごめんだ。いくらなんでもやりすぎだと思う。
 テロ対策があたかも正しいことのように語られる。だけど、僕は眉唾ものだと思っている。
 テロリストは、裏を返せばレジスタンスだ。
 たとえば、ナチスドイツの占領下でフランスのレジスタンスが活躍したけど、ナチスの側から見れば、フランスのレジスタンスは自分たちに楯突く立派なテロリストだ。同じように、アルカイダもイスラムの側から見れば、レジスタンスであって、テロリストではない(もしアルカイダという組織がほんとうに存在して、彼らが9・11の実行者だったとすればの話だけど)。
 圧制を受けたり、外国に占領されたりとんでもない嫌がらせを受けたりと圧倒的な暴力に組み伏せられた者が自分たちの権利や自由を確保しようとすれば、ゲリラ的な暴力で抵抗するよりほかに手段がない。残念なことに、一般的に言って暴力に対抗できるのは別の形の暴力でしかないからだ。キリストは「右の頰を打たれたら、左の頰を差し出せ」と言ったけど、現実には、そんなことをすればなぶり殺しにされてしまう。
 テロ対策の検査ゲートを通るたびに、
 ――やれやれ、
 と思ってしまう。
 テロ対策に奔走する国家側にも、レジスタンスの側にも、どちらにも「正義」はある。そして、どちらも「正義」という名の暴力を行使している。暴力は悪にほかならない。悪に巻きこまれるのは、ごく真面目に働いて、ごく真面目に暮している人たちだ。




 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第60話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/
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あんまり中国語脳になりすぎると……(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第59話)

2011年09月16日 07時12分17秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 英語をマスターする場合、英語で物事を考えて英語で理解することが不可欠だ。これを英語脳という。中国語も同じで、中国語で物事を考えて中国語で理解しなければいけない。中国語を聞いて、それをいちいち日本語に変換していたのではスピードが遅すぎて、こみいった会話などとてもできない。さしずめ、頭のなかに日本語OSと中国語OSの二つのオペレーションシステムをつけるようなものだろうか。
 雲南省で留学していた頃、僕も中国語脳を作ろうと必死だった。とはいうものの、初級クラスから中国語の勉強を始めたので、はじめのうちは単語もそれほど覚えていないし、中国語の複雑な文章を頭のなかで組み立てることなんてとてもむりだ。そこで、
「今晩、なにを食べようか」
 とか、
「何番のバスに乗ればいいんだろう?」
 といったかんたんなことを中国語で考えるようにした。日本語が心に浮かんだ時は、すぐに心のなかで中国語に言い換え、自分が日本語を使うのを禁じた。語学の才能がある人はもっとスマートに外国語を習得できるのかもしれないけど、僕みたいなポンコツ脳みそではそうもいかない。とにかく、なりふりなどかまっていられなかった。アホになったつもりで一から積み上げなければ、とてもマスターできるものじゃない。
 正直言って語学は不得意だ。学生時代は英語でさんざん苦労したくちだった。僕にとってアルファベットの羅列はインクの染みにしか見えなくて、ちんぷんかんぷんだった。『試験に出る英単語』を何度暗記しても、覚えたそばからすぐに忘れた。
 それでも一念発起して留学したからには、語学は嫌いだなどといってられない。単語の暗記が苦手だと自分でも自覚しているから、なんども教科書を読んで、テープを繰り返し聞いた。頭で理解するのではなく体にしみこませるしかない。中国人の友人を何人か作ってなるべく彼らとだけ過ごすようにしたり、日本語の本もほとんど読まず、日本のDVDもほとんど観ず、日本人同士の付き合いも極力断ったりして、日本語にはできるだけ触れないようにした。こんな風に中国語漬けの生活を送って、ようやく粗悪品だけど中国語脳らしきものができあがった。日常会話をなんとかこなせるようになり、留学の目的はとりあえず達成できたかなとほっと胸をなでおろした。
 だけど、今度は反対に、日本語が出てこなくて困った。日本人と会話しようとすると言葉がスムーズに出てこない。日本語を話そうとするとつっかえたり、なんて言えばいいんだろうと考えこんでしまったりするし、頭のなかにまず中国語の文章が浮かんでしまうので、それを日本語へ翻訳して話していたりする。言葉の選び方も変だ。硬い言葉をどうしても使ってしまう。一般的に言って、中国語使いはどうしても漢文っぽい言葉の使い方になりがちだ。
 日本語と中国語は、「一杯」、「簡単」、「社会」、「自由」という風に同じ漢字を使った同じ意味の言葉がたくさんあるから、それを現代中国語の発音にしてそのまま使えば済むので助かるけど、なかには同じ漢字を使った熟語でも微妙に意味が違っていたりすることがある。そんな言葉を使おうとすると、どっちが日本語の意味で、どっちが中国語の意味だったのかわからなくなって混乱したりもする。
 僕の知り合いで中国語脳が完璧に出来上がりすぎてしまった人がいる。彼は中国の大学を卒業して、そのままこちらで働き、中国人の奥さんと一緒に暮している。仕事以外はほとんど中国語だけで暮しているようなものだ。ある時、彼と話していたら、
「えっと、朝、太陽が出るのはなんて言うんでしたっけ?」
 などとすっとぼけたことを僕に訊く。
 まさか同時通訳をできるくらいの中国語の技量の持ち主が中国語でなんというのか訊いているわけでもないだろうと思い、
「もしかして、日の出?」
 と答えたら、
「ああ、そうでした。日の出でしたねえ」
 と、彼はほがらかに笑った。
 ここまでくると中国語が母国語になっているようなものなのかもしれない。
 もっとも、彼はかなりの天然ボケで、いっしょにタクシーに乗っていたら、
「いやあ、さっきの歩道橋、いきなり人が渡るから危なかったですよねえ」
 などとまたすっとぼけたことを言う。もちろん、人が歩道橋を歩いて危ないことなんてひとつもない。周囲に歩道橋があるわけでもない。僕は目が点になったのだけど、根が関西人なのでボケられたら、そのまま放っておけない。
「それを言うなら、横断歩道やろ」
 とりあえずツッコミを入れたら、
「えっ?」
 と、今度は彼の目が点になる。どうやら、歩道橋と横断歩道の区別がついてないようだ。
「道の上に橋がかかっているのが歩道橋で、道路に白い縞々を描いたのが横断歩道だよ」
 しょうがないので僕は説明した。
「そうだったんですかあ」
 彼はふむふむとうなずく。なかなか素直な人だ。僕はこんな飾らない人が好きだ。でも、目を白黒させながら僕の話を聞いていたから、ほんとうにわかったかどうかは怪しいものだなと思っていたら、案の定、一週間くらいしてから、
「えっと、道路に白い縞模様をつけたあれはなんて言うのでしたっけ?」
 と、また僕に訊く。
「せやから横断歩道やがな」
 僕は爆笑してしまった。ちなみに、「中国語ではなんて言うの?」と訊いたら、「人行横道(レンシンヘンダオ)」とすぐに答えが返ってきた。
 彼の例から考えてみると、もしかしたら、中国語をマスターしたあまりに日本語が出てこなくなったり、日本語と中国語が混乱するのは天然ボケのなせる業なのかもしれない。僕もけっこう天然だから、人のことはまったく言えないのだけど。



 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第59話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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赤茶けた宇宙(スタートレック大好き2)

2011年09月11日 16時14分53秒 | スタートレック大好き

 スタートレック・オリジナルシリーズのDVDを観た時、あまりの画質のよさにびっくりしてしまった。スタートレックってこんなにきれいだったんだと、いまさらながら感心してしまった。もっとも、僕が持っているのはデジタルリマスター版だから、遠い昔に製作されたオリジナルよりきれいになっているところがたくさんあるのだろうけど。
 子供の頃に観ていたスタートレックは宇宙が赤茶けた色をしていた。何十回となく再放送したフィルムだから、フィルムそのものが変色して、すりきれていた。いわゆる「雨」もいっぱい降っていた。でも、宇宙がどんな色をしているのかなんて知らないから、そんなものだと思っていた。
 今はきれいな画像が当たり前になってしまったし、赤茶けた宇宙なんて観られた代物ではないかもしれないけど、すりきれたフィルムの画面もそれはそれで味があったような気がする。

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英語を話そうとすると……(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第58話)

2011年09月09日 06時35分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 数年前、京都の鴨川沿いの道を散歩していたら、白人のお兄さんに英語で道を訊かれた。彼が広げたプリントアウトの紙には簡単な道筋が描いてあって、目的地に星印がついている。京都の町の地理には疎いのだけど、○条通りと道の名前がローマ字表記してあったから、それと道の標識を照らし合わせた。ご存知のように京の町は碁盤の目のようになっているからわかりやすい。
「ゴー・ストレート、アンド・ターン・ライト」
 と英語で言おうとしたら、
「一直往前走(イージーワンチェンゾウ)、然后右拐(ランホウヨウグアイ)」
 と中国語が口をついて出てくる。僕は慌てて英語で言いなおした。お兄さんはふむふむとうなずく。
 ほっとしたのもつかのま、
「この通りはここでいんだよね」
 といったことを訊いてくるので、
「イエス」
 と言おうとしたら、
「対(ドゥイ)」
 とまた中国語が出てくる。僕がうなずきながら言ったから、わざわざ英語で言い直さなくてもこれであっているとわかってくれたようだった。たぶん、あのお兄さんは僕が日本語で返事したと思ったんだろうな。
 バックパッカーをしていた頃は、ごく簡単な英語でピーチクパーチク話していた覚えがあるけど、今ではすっかり忘れてしまった。なにしろ、学校を出て以来、まともに勉強をしたことがない。
 先日、仕事である研究所を訪問した。日本から出張でやってきた日本人二人と僕の三人で中国人の研究者と面談したのだけど、日本人の二人は流暢な英語を話すし、中国人研究者と彼の秘書も英語が達者なので、面談はずっと英語だった。
 僕はただたんに同行しただけで、英語でのやりとりはいっしょに行った日本人二人がやってくれたし、話の内容はわかっているのでなにを言っているのかくらいはだいたいつかめたのだけど、それでも、時々僕に話を振ってくるので困った。
「御社の従業員は何人くらいですか?」
 と英語で訊かれたので、
「About two hundred」
 と答えようとした。頭のなかでは英語の単語が浮かんでいるのに、
「大概(ターガイ)、两百个人(リャンバイガレン)」
 と、また中国語が口をついて出てくる。
 みんな英語で話しているのに、僕ひとりだけついていっていない。僕以外の四人は、英語を聞いて英語で理解しながら会話しているようだけど、僕ひとりだけ違った。どうやら、耳で英語を聞きながら、頭のなかでは自動的に中国語へ変換しているようだ。
 しかたがないので、話を振られたら「すみません、中国語で」と断ってどんな簡単なことでも中国語で話した。みんな英語で話しているのに、一人だけ中国語を話すのは気が引ける。中国人は話をわかってくれるけど、日本人のほうが理解できなくなる。英語で順調に話が進んでいるのに、その流れを中断してしまうのは申し訳ない。申し訳ないのだけど、話せないものはしょうがない。しょうがないのだけど、やっぱり申し訳ないので冷汗をかいた。
 僕みたいな英会話の訓練をほとんどしたことのない中国語使いは、英語を話そうとするとだいたい同じような現象に陥る。中国語のほうが第一外国語になっているので、外国語を話そうとすると条件反射的に中国語が口をついて出てしまうのだ。
 面談の後、中国人研究者に昼食をご馳走していただいた。
 彼の部下の若い人たちといっしょに大きな円卓を囲んでの食事だったのだけど、それもすべて英語だった。中国人の若い人たちも流暢な英語を話す。会話に加わりたいし、かわいい女の子がいたので仲良くなりたかったのだけど、場を乱してはいけないのでほとんど黙っていた。
 やっぱり英語ができたほうがなにかと便利なんだよな。
 若い頃にちゃんと勉強しておけばよかった。




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男はみんな浮気者と言うけれど(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第57話)

2011年09月05日 06時35分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
「男はみんな浮気者よ。だから、怖いわ」
 中国人の女友達とお喋りしていたら、ふと彼女はしょんぼりした。
「どうしたの?」
 僕は訊いてみたのだけど、彼女は恨めしそうな顔をしてどこかを見るだけでなにも言わない。
 男は浮気者だと主張する中国の女の子は割合多い。独占欲が強いから、それだけ猜疑心も強くなるようだ。中国の女の子の場合、普通に友達付き合いしていても、彼氏ができた途端に彼氏以外の男を拒絶するような態度を取る女の子もけっこういる。
「友達なんだからさ、そんな冷たい態度をとらなくてもいいだろ」
 と言ってみても、
「彼氏ができたから」
 と言って頑《かたく》なだったりする。真面目な子ほどこんな傾向が強いようだ。ふつうに仲良くしてたのに、掌を返したように冷たい物言いをされたり、冷たい態度を取られたりしてさびしい思いをしたことが何度かあった。
 パーティーの初めにみんなで自己紹介しあう時、カップルで参加している女の子は、
「わたしは王君の彼女です」
 などと堂々と宣言する。裏をかえせば、「王君はわたしの彼氏だから横取りしないでよ」とその場の同性へ警告を発しているわけだけど、男も「劉さんの彼氏です」と言わなければいけないらしい。こう言わないと、浮気しようとしているんじゃないかと疑われるそうだ。
 中国の場合、恋愛=結婚という考え方がまだまだ根強い。
 彼氏ができたばっかりだという別の女の子と話していたら、彼女はなにやら怒っている。どうしたのと訊くと、
「彼がわたしと結婚しようと言ってくれないんです。わたしはもう別れようと言いました。ひどいです」
 といって悲しそうな顔をする。
「まだ付き合いはじめたばっかりだろう? 結婚なんてゆっくり考えればいいじゃない」
 僕は慰めてみたのだけど、
「もし結婚する気もないのに付き合っていたら、時間の無駄遣いになります。親にも怒られます」
 と言って彼女は首を振る。
「結婚したいんだ」
「当たり前じゃないですか。彼はわたしのことを好きだと言います。でも、結婚しようとは言いません。わたしがはっきりしてって言っても、彼はなんにも言わないんですよ。ずるいです」
「それで別れるの?」
「いいえ、もうちょっとお互いを理解しようと思っています」
 眉間に皺を寄せていた彼女は楽しそうに笑った。惚れた者の弱みというのはこういうことを言うのだろうな。僕が納得しかけた矢先、
「だから、わたしたちはまだ恋愛をしていないんです」
 と、彼女はわけのわからないことを言い出した。
「えっ? どういうこと? 付き合っているんじゃないの?」
「結婚を考えて付き合うなら恋愛ですけど、そうでないからまだお互いを理解しあっている段階なんです。彼がわたしとの結婚を考えてくれるなら、わたしは彼と恋愛します」
「結婚を前提に考えないお付き合いだなんて、恋愛じゃないってことだね」
 彼女の理論にはいささかびっくりさせられたけど、恋愛=結婚という考え方が強い中国ではそういうものなのかもしれない。
「でもさ、いちおう、どっちかが相手のことを好きだって告白したんだよね?」
「ええ、まあそうですけど」
「どっちから告白したの?」
「彼からです。彼がわたしのことを好きって言ってくれました。女の子が告白するのはあまりよくないです」
 彼女が言うには、女の子は自分は浮気するようなふしだらな女ではないことを証明するために、男から告白されるのを待つものなのだとか。好きな男がいても、自分から言わないのだそうだ。自分から告白すれば、あっちの男へ近寄ったり、こっちの男へ言い寄ったりする浮気性な女だと思われてしまうから、それが嫌だと言う。たぶん、保守的な女の子なのだろう。べつに好きなら好きと言えばいいと思うのだけど。
 なんだかんだと話しこんでいるうちに、また男の浮気の話になった。彼女も男はみんな浮気者だと言う。中国の女の子の頭には、「男=浮気者」のイメージがしっかり刷りこまれているようだ。
「中国の女の子はみんなよくそういうけど、そうじゃない男だっているだろう?」
「浮気しない男はいません」
 彼女は真顔できっぱり断言する。
「そんな怖い顔をしないでよ」
 すきあらばと狙うのが男の性かもしれないけど、あんまり疑いすぎるのもよくないと思うんだけどなあ。





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サヨナラだけが人生だ (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第55話)

2011年09月01日 06時35分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 世の中へ出れば、たえずいろんなことに折り合いをつけなくてはならない。
 世間が欲望の総体だとすれば、人と人の欲望はいつもぶつかりあう。本格的に衝突する前に折り合いをつけなければ、とんでもないことになってしまう。取引先とも、上司とも、同僚とも折り合いをつけながら仕事をする。折り合いをつけることが仕事といってもいいかもしれない。別の言い方をすれば談合だ。人と交わる時も、角を立てないように折り合いをつけながら相手と話をする。折り合いをつけることが話をするということなのかもしれない。ごく一部の親しい人をのぞいて、ほんとうの気持ちは誰にも言えないから。
 相手ばかりではなく、自分自身とも折り合いをつけなくてはならない。
 理想の自分の姿があったとしても、それが100%叶うわけでもない。自分が英雄《ヒーロー》であるはずもない。だから、自分を取り巻く現実と自分自身とに折り合いをつけなくてやっていかなくてはならない。折り合いをつけたところで、なるべく自分のやりやすい道を模索する。
 もしかしたら、いろんなことに自然と折り合いをつけることのできる人が生き方上手なのかもしれない。
 ただ、どうしても折り合いをつけられないこともある。
 相手に自分の世界に住んでほしいと言われた場合がそうだ。
 それだけはどうしてもできない。相手はそれで満足できるのかもしれないし、幸せになれるのかもしれないけど、それでは自分が窒息してしまう。言い方を換えれば、相手の欲望に飲みこまれるということだ。自分の人生を自分自身で生きられなくなってしまう。
 こうなれば、その人と袂を訣《わか》つよりほかにない。
 ――サヨナラだけが人生だ。
 そうつぶやいて、相手の世界から去るよりほかに術はない。たとえそれが親や恋人であったとしても。
 むろん、自分の世界に住んでほしいと望んだ人を批難する気持ちは毛頭ない。そう願わずにはいられないのは、独りでは生きていかれない人間の悲しい性なのだから。僕自身も、時に、相手にそう望んでしまうものだから。どうしても、求めてしまうものだから。





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