風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

空飛ぶクジラはやさしく唄う 第11話

2012年02月27日 08時15分15秒 | 恋愛小説『空飛ぶクジラはやさしく唄う』
 
 影はどこまでも追いかけてくる


 誰かが追いかけてくる。
 僕は薄暗がりを必死で逃げた。
 振り返っても人の姿は見えない。ただ、誰かの影だけが見える。そいつが執拗に僕を追ってくる。強盗なのか、通り魔なのか、それはわからない。だけど、僕を狙っている。それだけはわかる。
 思うように走れない。
 足がもつれる。
 目の前のドアを開け、部屋へ飛びこんだ。
 その部屋は、実家の居間だった。
 その光景は、あの日だった。
 母親と弟が取っ組み合いをしている。母親は学校へ行きなさいと叱りつけ、弟はなんで行かなくちゃいけないんだと叫んでいた。酔って赤ら顔になった父親はあぐらをかいたまま嫌そうに顔を背けている。
 弟が母の足を蹴る。
 母親が悲鳴をあげる。
 父親はざまあみろと皮肉に嗤った。
 彼のゆがんだ表情を見た時、目の前の光景が急に遠ざかるような奇妙な感覚に襲われた。
 ――ここにいたら、自分がだめになる。
 風船の空気が抜けるように、心がしぼむ。すべてが擦りガラス越しに映る影絵だった。
 居間を満たしていたのは、家族の情愛の温かさでなく、相手を理解しようとする気持ちなどひとかけらもない憎悪と恣意だけだった。
 母親は自分の都合の通りに弟を育てようとしていた。いや、世間の都合通りと言ったほうがいいだろうか。幼い頃から集団や規則になじめなかった弟は理解してもらえない絶望感から苦しみを募らせ、自己とも他者とも、誰とも折り合いをつけることができずにいた。父親は父親で、母が苦しむ姿に暗い歓びを覚えていた。父親は、自分の配偶者を受け容れることもできなければ、家族がどういうものなのかすら、わかっていなかった。彼にとって、自分がもった家庭はビールとつまみ付きのカプセルホテルのようなものだった。もしかしたら、自分の家族だという意識すらなかったのかもしれない。一つ屋根の下に暮らす人間がたがいに苦しめあう家族地獄だった。
 父親は、やはり手酌でビールを飲んでいる。酒に逃げるのが得意技だった。情けない人だと蔑んだ。失望しか覚えない。そんなふうにしか思えない自分もむなしい。
 僕は黙って背を向けた。
 もうなにを言ってもむだなんだ。なにも変わらない。はっきり、そう悟った。
 ここにいたら、自分がだめになるだけだ。

「ゆうちゃん」
 目が覚めた。遥が僕を揺さぶっている。息が苦しい。口が渇く。
「夢か」
 僕はまわりを見渡した。ふたりの家だった。
「うなされていたわ」
「ひどい夢だったから」
 またあの夢を見てしまった。僕が家を出ようと決めた日の光景だった。遥と暮らし始めてから見たことがなかったのに。
 流し台に立った僕はコップの水を一気に飲み干し、ベッドへ戻った。
 すぐに眠ろうとしたけど、言いようのないざわめきと重圧感が心でとぐろを巻いていて、寝付けそうになかった。目覚まし時計の針は二時を指していた。
 僕は、横向きになって遥の体を抱いた。肌さみしかった。
「眠れないの?」
 遥は、首だけ曲げてじっと僕の顔を覗きこむ。
「目が冴えちゃった」
 僕は夢のことを話した。僕が浪人生の頃にその夢をしょっちゅう見ていたことは、遥も知っていた。
「ゆうちゃんも苦しいのね。夢はただの夢よ」
 遥は体を僕のほうに向け、子供を寝かしつけるように僕の背中を軽くはたく。すこし気分が落ち着く。
「家のことはもういいんだよ。帰るつもりもないし」
 あのできごとがあった翌々日、僕は母の実家へ行き、祖父母といっしょに暮らした。浪人生活を送って東京へ出てくるまではしんどい思いもしたけど、今は遥とふたりで暮らすことだけを考えればいい。自分の明日を切り拓くために家を出たのだから。
 飛騨の温泉から帰って二週間ばかりが過ぎていた。
 完全に元通りとはいかないけど、遥の具合はかなりよくなった。遥が思い悩んだ様子を見せたら、僕はすぐに声をかけた。気持ちを軽く持ってと言ってから、抱きしめてキスする。それだけで遥は持ち直してくれた。すべての悲しみを潜り抜ければ着実で平凡な幸せの人生が見えてくると、今日読んだ本のなかに書いてあった。すこしずつでいいから、そんなものが見えてきてほしかった。
「今日ね、ささちゃんからメールがきたの」
 遥はささやくように言った。
「なんて?」
 東京へ戻ってすぐ、僕たちはオカマさんを招待しようとしたのだけど、彼は仕事が立てこんでいるからそのうち連絡すると言っていたのだった。
「なかなか休みが取れないんだって。だから、遥ちゃんのお家で新年会をしましょうって書いてあったわ。今月はむりだけど一月は絶対に行くからって」
「忙しいんだ」
「うん、お店の理容師さんが突然二人も辞めちゃったんだって。それで、ささちゃんはてんてこ舞いなのよ」
「二人もいっぺんに?」
「そうらしいわ。ひとりは彼氏と大喧嘩して地元へ帰っちゃったんだって。前から暴力を受けていたらしいの。青あざをつくって出勤していたこともあったそうよ。それで、とうとう耐え切れなくなったんだって」
「女の子を殴るのはよくないよ」
「彼氏が店まで追いかけてきて、たいへんだったみたい。ささちゃんがなんとか追い返したんだけど、お客さんからも苦情を言われたりして」
「お店にいられなくなったんだ。彼氏もそこまでしなくてもいいのにね」
 僕は、オカマさんが必死になって女の子をかばっている姿を想像した。面倒見がよくてやさしい彼のことだから、同僚のために一生懸命、間に入ったのだろう。
 いろんな愛の形がある。でも、殴ることが愛情の表現というのは、どうしても理解できない。愛情の裏返しなのだろうか? それとも、彼女のほうに男を殴らせるなにかがあるのだろうか?
 遥とそのことをすこし話してみた。遥は、おたがいの心のなかで死んだ愛情が腐っているのよと言った。それが響きあうと暴力という形をとって現れるのだと。
「それでもうひとりはね、腕が動かなくなったんだって」
「怪我でもしたの?」
「怪我というか、職業病ね。一日中、はさみをしゃきしゃき動かしているでしょ。それで、腕が麻痺してしまったのよ。手が震えてはさみを持てないんだって。そんな理容師さんはけっこういるみたい」
「きつい仕事なんだね」
「その人はお客さんに人気があったし、指名もいっぱい取っていたから、店長さんは腕の具合のいい日だけでも出られないかって引きとめたんだけど、彼はこれを機会にきっぱりヘアデザイナーを辞めたいって言ったそうよ。調子が悪いのを隠してかなりむりしていたんだって。ささちゃんは気づいていたみたいだけど」
「麻痺する前に休んで治せばよかったのにね」
「センスがあって仕事のできる人だから、そうするわけにはいかなかったのよ。お客さんだって待っているし、その人がいないとまわりが困るもの」
「仕事が集まりすぎて、どうにもならなくなったんだ」
「プレッシャーにつぶされちゃったのね」
 遥の話を聞きながら、人生にはいろんなアクシデントがあるのだと思った。僕も学校を卒業して世の中へ出れば、思いがけもしないことやままならないことにたくさん出くわすのだろう。暗い闇へ漕ぎ出すようで、ちょっと怖い気もする。でも、遥と暮らしていくためには、うまく泳ぎきらなければならない。希望はすぐそばにあるのだから、勇気を出していかないと。
「篠山さんが落ち着いたら、遊びにきてもらおうよ」
「そうしましょ」
 遥はうなずいた。
「あと三週間でクリスマスだよね。今年はなにしようか」
 僕はなにげなく言った。
「ふつうでいいわ」
 遥は、満ち足りたように瞳を輝かせる。
「ふつうって?」
「教会へ行ってお祈りして、それから家で食事を作って、買ってきたケーキを食べるの」
「僕もそれでいいよ」
「オーブンが欲しいな。わたしがケーキを焼くのに」
「バイト代が入ったら、電子レンジといっしょになってるやつを買おうか。コンパクトタイプの」
「それじゃ、つまらないわ。どうせなら、ガスオーブンで火力の強いのがいいもの」
「それってけっこう大きいだろ」
「そうね。場所をとるわね」
「ここは、そんなオーブンを置くスペースなんてないしなあ。そのうち、ここより広いところへ引っ越したら買おうよ」
「わたしが買うわ」
「どうして? 半分ずつ出してふたりで買おうよ」
「使うのはわたしだけよ。ゆうちゃんは使い方がわからないでしょ」
「僕だってなにかできると思うけど」
「なにをつくるの?」
「焼き芋でもしようかな」
「さつまいもを焼くだけじゃない」
 遥はくすくす笑った。
「ねえ遥、去年のクリスマスイブを覚えてる?」
「もちろんよ」
「ふたりで教会へ行ったよね」
「退屈じゃなかった?」
「面白かったよ。ミサってこんなふうにするんだっていうのがわかったし、讃美歌もきれいだったし。パイプオルガンの響きっていいね」
「それから、ミサが終わってから、わたしはここへきたのよね」
「そうだったね」
 あの日、遥は初めて僕の下宿へやってきた。今ふたりで住んでいるこのワンルームマンションだ。
「なにを料理したんだっけ」
「鶏肉のソテーだよ」
「思い出したわ。そういえば、ゆうちゃんが鶏肉がいいって言ったのよね」
「カニかまぼこ入りのマカロニサラダも」
「今年はなにがいいかしら?」
「やっぱり、鶏肉がいいな。モモ肉の照り焼きはどう?」
「それを作ろうと思ったらオーブンがいるわ。できあいのを買ってくるしかないわね」
「それはつまらないな。ほかのにしようよ」
「手作りがいい?」
「決まってるよ。なにがいいか考えておくね――」
 遥は答えない。もう軽い寝息を立てていた。僕は掛け布団を引っ張りあげ、遥の肩が隠れるように整えた。
 去年のクリスマスイブはふたりともはしゃぎ通しだった。
 遥の手料理を食べてから、小さなデコレーションケーキに蝋燭を立てて火を点《とも》した。電灯を消すと、二十本の祝福がきれいに浮かんだ。遥は十字を切り、胸の前で手を組んでお祈りの文句を唱える。僕も教えてもらって、もう一度いっしょに唱えた。灯火《ともしび》は、喜びがそこに宿ったかのようにゆらめく。たしかに、僕たちを祝ってくれていた。ふたりはいっしょに吹き消した。
 遥が嬉しそうに手を叩く。
 僕は遥を抱きしめ、頰に口づけた。
 ふっと、ふたりの体が震える。僕たちは、思わず大きく息を吸いこんだ。あこがれと不安と恥ずかしさがないまぜになって、照れ笑いしてしまう。もう一度きつく抱きしめた。遥の心臓の鼓動が聞こえるようだった。僕と遥の心がひとつに溶けあうような、そんな気がした。
「今日は、ずっといっしょにいようね」
 僕はささやいた。実を言えば、前の日から何回もその台詞を練習したのだった。
「わたしも、ゆうちゃんとずっといたいわ」
 遥は、瞳を閉じたまま小声で答えた。
 どれくらいそのまま抱きしめあっていただろう。なにもかも忘れて、無重力の宇宙を漂うような心地良さがあった。遥は、すべてを僕にゆだねてくれた。
 僕も遥もはじめてだった。
 遥の肌の熱とやわらかい吐息が僕をつつむ。
 ぎこちないけど、混じりけのない愛だった。
 いちばん素敵な夜だった。

 遥は朝早く出かけていった。一時限目の授業があった。
 僕の授業は昼からなので、朝はゆっくり過ごした。
 朝食の洗い物を片付けて、録音しておいたNHKラジオ講座の英会話入門を一週間分まとめて聞き返した。スピーカーから流れるフレーズを繰り返しながら、ふとゆうべ見た悪夢を思い出したりしたけど、すぐに頭から追い払った。考えたくもなかったし、過ぎ去ったことをいつまで引きずっていても、ろくなことはないから。
 英会話入門の復習が終わったところで、大学の図書館で借りたユング心理学関係の本を開いた。河合隼雄の『影の現象学』だ。人間の心がどうなっているのか、知りたかった。
 不意に、チャイムが鳴った。
 僕は本にしおりを挟んで机を離れ、ドアの覗き穴を見た。
 グレーの背広を着たサラリーマン風の中年男が魚眼レンズに映っている。
 前に一度、似たような背格好をしたこのマンションの不動産管理会社の社員が現れたことがあったので、管理会社がなんの用だろうと思いつつ、インターホンを取った。
「天草遥はいる?」
 中年男の声はいくぶんうわずっていた。
「どちらさまでしょうか」
「いったい、君は誰なんだ?」
 突然、彼は僕をなじる。
「誰はないでしょう。どちらさまか、言っていただけませんか」
 男の物言いにかちんときた僕は、冷たく言い返した。男は一瞬押し黙り、口を開いた。
「天草遥の父親だ」
 招かざる来訪者だった。よりによって、こんな時に。崩れかけていた遥の心がようやく持ち直してきたばかりだというのに。とんでもないことになってしまった。暗い底なし沼へ引きずりこまれるような気がして、僕は首を振った。どうしたものかと考えあぐねた。


虹のはじまるところまで

2012年02月26日 09時00分15秒 | 詩集
 
 雨上がりの空に 虹がかかった
 洗いざらしの 七色滑り台
 壊れた夢なら かついでゆこう
 虹のはじまる あの山の向こうまで

  旅を抱いて 歩こう
  道に影落とし しっかり生きるんだ
  愛が僕を 待っている
  いつかいつの日か すべて許される


 飾らない心で 世界を感じたら
 風のささやきに 心をまかせよう
 壊れた愛なら ポケットに入れて
 虹のはじまる あの山の向こうまで

  旅を抱いて 歩こう
  道に影落とし てくてく進むんだ
  愛が僕を 待っている
  いつかいつの日か すべて許される


 夢の彼方に 光るのは
 誰のものでもなく 僕の心


  旅を抱きしめて 眠ろう
  いつかいつの日か きっとたどり着く
  旅を抱きしめて 眠ろう
  いつかいつの日か すべて許される
  きっときっと許される

ホラー小説より恐ろしいプロレタリアート小説(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第82話)

2012年02月19日 05時09分06秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
注:『セメント樽の中の手紙』(葉山嘉樹著)のネタバレを含みます。ご注意ください。


 中学生の頃、国語の授業の時に教科書に載っていた『セメント樽の中の手紙』を初めて読んだ。あるセメント工場での事故を綴った掌編だ。恐ろしい作品だった。
 セメント工場に勤めるある若者が破砕器《クラッシャー》に石を放り込む作業をしていたところ、あやまってクラッシャーのなかへ落ちてしまった。周囲の作業員は急いで彼を引き上げようとしたのだけど、うまく救い出すことができなかった。結局、彼はセメント原料の石もろとも粉々に砕かれてしまい、クラッシャーのなかは若者の血で朱《あけ》に染まってしまった。
 このシーンを読んでいて、なによりも不思議だったのは、誰もクラッシャーを止めようとしないことだった。ひどい話だけど、機械を止めてはいけないのだ。機械をとめれば効率が悪くなってしまうから。人間の命よりも、効率のほうが大事だから。たとえ人命を犠牲にしたとしても、機械を動かし続けることが最優先されるべきことなのだ。この残酷さはなんなのだろう?
 しかも、人間一人が粉々に砕かれ、血みどろになったセメントは、まるでなにごともなかったかのようにそのまま工事現場へと送りこまれてしまう。経営者の立場から見れば、たとえセメントに粉々になった人間の肉や血や骨が混ざっていようとも、そのまま使えるのなら売ってしまったほうがいい。そうしなければ、クラッシャーに放り込んだ石がむだになり、損をしてしまう。セメントになった彼は工事現場へ送りこまれ、ダムの壁になった。この薄気味悪さはなんなのだろう?
『セメント樽の中の手紙』は、ホラー小説より怖いプロレタリアート小説だ。現実味がたっぷりあるぶんだけ、よけいに恐ろしい。読んだ後、僕は怖くてしかたなかった。国語の先生はこの作品について講義していたのだけど、わけのわからなくなった僕はただぼんやりと聞いていた。
 お金が人間の尊厳を無効にしてしまう。
 知性とやさしさを持った人間を人間たらしめる大切なことが抹殺されてしまう。
『セメント樽の中の手紙』が発表されたのは昭和になったばかりの頃だけど、この小説に描かれたことは決して過去のことではない。現代でも、金儲けのために人間の尊厳が傷つけられている。昭和の初めに葉山嘉樹が問題提起したことは、解決されるどころか、ますますひどくなるばかりだ。
 現在の世の中の仕組みでは、お金がなければ生きてゆけない。なにをするにもお金が必要だ。しかし、利潤の追求が絶対的に正しいことになれば、それはもう人の世ではなく、鬼の世というほかにないだろう。お金が神様になってしまえば、人間同士が食い合いするよりほかにない。そんな世の中などごめんだ。
 いつの日か、『セメント樽の中の手紙』は過去の人類の愚かさを示す遺物と言えるような時代がくればいいのだけど。
 


『セメント樽の中の手紙』(葉山嘉樹著)は青空文庫で読むことができます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/card228.html


(2011年2月27日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第82話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


エジプト民衆革命の意義(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第81話)

2012年02月18日 08時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 エジプトで起きた民衆革命の背景には、アメリカとアメリカと結びついた特権階級によるエジプトの搾取というむごい現実があった。アメリカの操り人形だったムバラク大統領はアメリカの言いなりになり、エジプトの民衆をグローバルリズムという名の悪魔のひき臼に売り渡した。グローバルリズムとは、冷酷かつシステマティックな搾取装置のことだ。経済成長とは裏腹にエジプトの人々の暮らしは苦しくなる一方だった。むしろ、経済が成長すればするほど搾取が進み、暮らしはひどくなるといったほうがいいかもしれない。
 不満をためこんだ民衆は、アメリカによる裏支配やグローバルリズムにノーを突きつけた。自分たちの国を自分たちの手に取り戻そうとしたのだ。
 エジプトの民衆革命の意義はこの一点にある。
 自分たちのことは自分たちで決める。
 自分たちの尊厳は自分たちで守る。
 ごく当たり前のことだ。
 エジプトの民衆は、ごく当たり前のことをごく当たり前に実行しようとしたに過ぎない。
 革命にも様々な種類があるが、民衆が自発的に起こす革命は自分の身を守るためであり、自分たちの暮らしを守るためのものだ。それほどエジプトの人々が自分の身に危機感を抱いていたということだろう。
 もちろん、革命は万能薬ではない。それによって一挙に世の中がよくなるわけでもない。しかし、追いつめられた人々が革命のほかに搾取や圧制から身を守る方法はそれ以外にない。
 エジプト民衆革命と同様な動きが中東各地に広まっている。エジプトのそれもご存知の通り、チュニジアで起きたジャスミン革命に触発されたものだ。だが、これは中東ばかりの問題ではない。アメリカも中国も、そして日本も状況は似たり寄ったりだ。グローバルリズムによる支配が世界各国で進行し、世界中の人々の暮らしが脅かされている。
 ただ、残念なことにエジプトの民衆革命は軍部のクーデターによって覆されてしまった。その裏には、既得権益を守り甘い汁を吸い続けようとする勢力の策謀があった。日本でもそうだが、外国の勢力と結びついた特権階級の抵抗は根強い。あらゆる手段を駆使して権力を守り続けようとする。民衆側に強力なリーダーがいればまた違った展開になったのかもしれないが。
 革命という言葉の響きは、ある人にとっては胡散臭い社会主義イデオロギーの匂いがするかもしれない。またある人にとっては、ロマンティックな響きがするかもしれない。しかし、働けば働くほど貧しくなるという世界中の大多数の人々のことを鑑みれば、民衆革命の真実というものはもっと泥臭く生活臭に満ちたところにある。
 民衆の声はたったひとつ。
「まともな暮らしを送りたい」
 ただそれだけだ。




(2011年2月23日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第81話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

大理倒影

2012年02月11日 07時05分40秒 | フォト日記



 数年前、雲南省の古都・大理を旅した折に撮影した写真。大理石の「大理」はここの地名からきていて、今でも付近の山では石を採掘している。




 寺院の境内に大きな塔が三つ並んでいる。大理三塔といって、大理の名所のひとつだ。池には塔が逆さに映っている。




 後ろの山並みは「蒼山」。雪をかぶっている。冬は蒼山颪が吹く。


バレンタインディにチョコをもらうのは「男尊女卑」だと言われてもなあ (『ゆっくりゆうやけ』第79話)

2012年02月09日 08時05分05秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 今日は、バレンタインディ。
 中国にもバレンタインディはある。
「情人節」とよび、カップルで過ごす日だ。
 中国では、彼氏が彼女にプレゼントを渡す。日本とは逆だ。もちろん、チョコを贈るのは日本だけの習慣なので中国にはない。
 中国人の友人に、日本のバレンタインの習慣を話したら、彼は怪訝な顔をした。
「男はなんにもプレゼントしないの?」
「そうだよ。男は三月十四日のホワイトディに彼女にプレゼントするんだよ。だから、おあいこさ」
 僕がそう言っても、彼は納得しない。本当に男はプレゼントを贈らないのかと何度も訊く。彼は、おもむろに、
「日本人はひどい。男尊女卑(大男子主義)もいいところだ」
 などと言い始めた。
「え? 意味がわからないんだけど」
 頭のなかは?マークでいっぱいだ。
「だって、男が女に貢がせるんだろ」
「うーん。そういうのじゃなくって、今日は女の子が男の子に告白していい日なんだよ。昔は、女の子から告白するのは少なかったからね」
「女が告白するなんてよくないよ。そんなことをしたら女の子はあばずれだと思われてしまう」
 彼はなかなか頑なだ。
 チョコをもらうことが女の子に貢がせていることになるなんて考えたこともなかった。男尊女卑って言われてもなあ。
 

 
(2011年2月14日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第79話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

寒暖の差が激しすぎる広東流三寒四温 (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第77話)

2012年02月04日 12時45分05秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 広州の街中をすこし離れて郊外へ出ればバナナ畑とライチ畑が広がって、マンゴーの木が街路に植えられているのだけど、こちらの冬は寒い。「亜熱帯のくせになんでこんなに寒いんだ」と思わずけちをつけたくなる。
 日本の冬と変わらないくらいの寒さなので、二月二日に広州から日本行きの飛行機に乗った時、僕はジャンパーを着てズボン下を穿いていた。
 それが、一週間経って広州へ戻ってみると、むわっとした生温かい空気につつまれた。その日の日中の最高気温は二十六度。夜でもTシャツ一枚で過ごせるくらいだった。寒い日本から帰ったばかりの僕は着込んでいたから暑くてかなわない。ようやくのことで空港から家へたどり着いた時には、汗びしょになっていた。
 毎年、春節(中国の旧正月)を過ぎると、広州の気温は一気に上昇して夏みたいになる。だけど、このいい陽気はなかなか続かない。またすぐに寒くなってしまう。今夜は風が冷たいから、コートを羽織らないと風邪を引いてしまいそうだ。冬からいきなり夏みたいになったかと思えば、また冬へ逆戻り。こんな寒暖の差の激しい三寒四温を繰り返しながらしだいに気温が安定して、春らしいちょうどいいくらいの天気になる。
 ただこの時期、いい感じの気候になるまでの間にいささかやっかいなことが起きる。
 湿度が一気にあがるせいか、この寒暖の差の激しい気候のせいなのか、それともその両方が原因なのかはわからないけど、夜中になると結露して、窓ばかりでなく一階の床までびっしょり濡れてしまうのだ。陽の当たる場所は乾いてくれるけど、日陰だとなかなか乾かない。朝の結露が晩までそのまま残り、次の夜中にさらに結露するから床が水浸しになる。初めてこちらで春を過ごした時はほんとうに驚いてしまった。何事が起きたのかわからなかった。まさか床が結露するとは思いもしなかった。
 今はマンションの九階に住んでいるから、さすがに床が濡れることはないだろうけど、去年は一軒屋の一階を間借りして住んでいたので困った。いくら床をモップ掛けしてもすぐに濡れてしまうし、タイル張りの床だったからつっかけを穿いて部屋を歩くと滑って転びそうになる。洗濯物も乾かない。部屋中のいろんなものに黴が生えてしまう。体にまで黴が生えそうで怖かった。
 気候が安定するまでの間は、しばらく我慢だ。
 
 

(2011年2月12日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第77話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


テレビ版のノリのスタートレックⅤ(スタートレック大好き3)

2012年02月03日 16時00分15秒 | スタートレック大好き
 
 映画だけど、ノリはテレビシリーズのそれだ。
 特撮予算が削減されたとかで劇場用にしては特撮シーンやセットがしょぼかったりするシーンがあるから物足りなさを感じる人がいるかもしれないけど、ファンとしてはテレビシリーズのような雰囲気がとてもよかった。
 テレビシリーズのノリと映画のスペクタクルな雰囲気や盛り上がりを両立させるのは案外むずかしいかもしれない。劇場版としてはじゅうぶんに楽しめたけど、「スタートレック」としてはどうなんだろうと思う作品がなかにはあったりする。トレッキーは熱烈なスタートレックファンだけど、思い入れがたっぷりあるぶん、なにかとうるさいから映画を製作するほうもたいへんかもしれない。欲を言えば、ラストのほうでストーリーにもう一捻りほしかったところではあるけど。

 この作品のいちばんいいところはカーク船長、ミスター・スポック、ドクター・マッコイの友情をしっかり描いているところだ。
 スポックのとぼけたユーモア、マッコイの毒舌がよく効いている。
 スタートレックはSF的なアイデアやスタートレック精神とでもいうべき思想もだいじだけど、なにより主役の三人の人間関係をうまく描けているかどうかがポイントだ。三人の関係がうまく描けているからこそ、ストーリーが活きてくる。逆に言えば、この三人のヒューマンドラマが生きいきとしていなければ、どんなにひねりの効いたストーリーもSF的なアイデアも、スタートレックらしさを失ってしまう。それではつまらない。スタートレックは、SFというよりもヒューマンドラマが本質の作品だと思う。

 それにしても気になるのは、描かれなかったカーク船長のトラウマだ。カーク船長の心を悩ましているものは、いったいなんなのだろう?



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