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風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

賄賂文明3 ~素早い裏情報(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第296話)

2015年07月08日 00時15分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 僕の勤め先で設備を買うことになった。2000個くらいのパレットを収容できる大型の棚だ。ネットで調べた業者にきてもらって話をした。
 その翌日、突然、知らない会社から携帯電話に電話がかかってきた。
「荷物の保管でなにかお手伝いできることはありませんか?」
 大型の棚を扱っている会社のセールスマンからの勧誘だ。その会社は聞いたこともないし、その会社の人に会ったこともない。当然、僕の携帯電話の番号なんぞ知っているわけがない。ところが、そのセールスマンは僕に対してピンポイントで電話をかけてきた。しかも、ちょうど大型の棚を探し始めたばかりのときに。
 きっと僕の勤め先の誰かが僕が大型の棚を探しているとそのセールスマンへ連絡して、僕の携帯電話の番号を教えたのだろう。もちろん、目当てはキックバックだ。
 抜け目がないといえばそうなのだけど。
 いやはや、びっくりした。

 


(2014年4月30日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第296話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
 
http://ncode.syosetu.com/n8686m/

名物! 山羊チーズケーキ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第295話)

2015年07月01日 08時05分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 二〇〇一年、雲南省の大理へ初めて行った。
 大理はその昔、大理国の首都だった古都だ。古い町並みが残っている。標高は約二〇〇〇メートル。ちなみに、大理石の「大理」はこの町の名前が由来だそうだ。今でも郊外では大理石を採掘している。
 大理の町からすこし道をおりていくと大きな湖が広がり、後ろは高い山脈が連なっている。有名なお寺があるくらいでほかにはこれといってなにかがあるわけでもないけど、のんびりと過ごせる町だった。バックパッカー用のゲストハウスが何軒かあって長逗留する旅人がわりといた。当時の旅行ガイドブックには「つらい中国旅行のはてにたどり着くオアシスの地」といったことが書いてあった。
 山羊のミルクで作ったチーズケーキを出す店があると聞いて、日本人の旅人たちといっしょにその店へ行った。ひなびた住宅街の一角にある地味な食堂だった。看板がなければ食堂だとわかりそうにもない。
 店へ入ったのはもう夕方だったから、夕食を食べてデザートにチーズケーキを注文することにした。人の好さそうな白族のおじさんがメモに注文を書き付ける。白族は大理を中心に居住する少数民族。大理国の主だった民族だ。
 おじさんは、
「ちょっと時間がかかるけどいい?」
 と訊く。すこしくらいしょうがないなと思って、
「いいよ」
 と気軽に答えたのが間違いだった。
 おじさんは店の奥からクラシックな自転車を出してくる。
 まさか、と思ったけどもう遅かった。おじさんはひょいと自転車にまたがって店を出てしまった。材料を買いに出かけたのだ。
 三十分ほど後、ようやくおじさんが帰ってきた。ハンドルには野菜や肉がどっさりつまったビニール袋をいくつもぶらさげている。
 ちょうどその時、高校生くらいの男の子が店に入ってきた。おじさんは、
「店が忙しいんだから手伝いなさい」
 というようなことを言う。どうやら息子さんのようだ。だけど、反抗期真っ盛りらしい彼は不機嫌そうに口ごたえしたあと、ぷいと横を向いてどこかへ行ってしまった。おじさんは「しょうがないな」と息子の背中を睨みつける。
 おじさんが帰ってきてから三十分経っても料理は出てこない。旅人同士の話題も尽きて、みんな黙り込む。待ちくたびれてしまった。さすがにお腹が空いた。
 店へ入ってから一時間半ほど経過した頃、ようやく料理が出始めた。ただし、一皿ずつ。どうやらおじさんは一人で料理をこさえているようだ。
「いやー、お待たせして申し訳ないね」
 とおじさんは一瞬だけ笑顔を作ってまた慌しく奥の厨房へ消える。一時間がかりで八皿ほどの料理が出てきた。料理はちょっと上手な家庭料理といったところだろうか。百合根の肉詰めがおいしかった。
 料理を平らげ、いよいよチーズケーキの登場になった。
 おじさんは、
「自慢のチーズケーキだよ」
 といったふうに颯爽とチーズケーキの皿をテーブルに並べる。みんな、目が点になった。
 なんと、ごく普通のスポンジケーキの横にチーズの切り身が並んでいる。これでは「チーズケーキ」ではなく、「チーズとケーキ」だ。おそらく、おじさんは「チーズケーキ」というものが世の中にあると聞き、ケーキのなかにチーズを練りこむのだとは思いもよらず、勘違いしてチーズとケーキを並べてしまったのだろう。
「このチーズは山羊の乳で作ったチーズなんだ。大理の名物なんだよ」
 おじさんはそう言って会心の笑みを浮かべる。
「おいしいって聞いていたから楽しみにしていたんだ。あはは」
 と僕は内心困ったなと思いつつむりして笑った。おじさんはこの「チーズケーキ」ならぬ「チーズとケーキ」はおいしくて評判がいいんだと素朴に思いこんでいるようだ。おじさんがおもてなしの心に溢れていることは表情を見ればわかるから、彼の気持ちを壊したくなかった。
 さて、どう食べようか迷った。
 チーズケーキを食べにきたのだから、チーズとケーキを半分ずつ口に入れて、口の中でまぜてチーズケーキにして食べるのがよいのか、やはり別々に食べたほうがよいのか。
 混ぜてもチーズケーキにはならないと思うので、やはりチーズとケーキを別々に食べることにした。スポンジは予想通りいまひとつだったけど、山羊チーズはおいしかった。
 まあ、話のネタになったからいいか。



 


(2014年4月11日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第295話として投稿しました。
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披露宴のイスラム教徒専用テーブルin雲南(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第294話)

2015年06月17日 06時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 雲南省のとある町で結婚披露宴へ行ったことがある。
 中国の披露宴は日本と違って自由参加型だ。もちろん家族と主だった親戚はステージの近くに坐るけど、あとの人たちは自由席。当日、飛び入りで参加してもまったく問題ない。食事は大皿料理をみんなでつつくから、多少人数が増えたところで椅子と食器を追加すればそれですんでしまう。
 雲南人の友人が元同級生の結婚披露宴へ行くというので連れていってもらったのだけど、ホテルのレストランの会場で適当に坐ろうとすると、
「そこはだめ」
 と友人が言う。
 なんでも、イスラム教徒専用のテーブルだそうだ。言われてみればそのテーブルだけ違う料理がならんでいる。イスラム教徒は豚が御法度なので豚肉抜きのイスラム教徒用メニューを用意してあるのだ。雲南省は回族と呼ばれるイスラム教徒がわりと多い。回族の顔立ちは漢族とあまりかわらない。イスラム教徒に改宗した漢族といったところだ。友人は回族ではないので、普通の席に坐った。回族料理もおいしいから舌鼓を打ってみたかったのだけど。
 友人は、披露宴が始まる前に回族のテーブルへ行って回族の同級生とすこしおしゃべりをした後、普通のテーブルへ戻った。披露宴の開始前から終了まで、回族は回族同士だけでかたまって坐ったまま。回族とほかの人たちが会話することはあまりなかった。
 いっしょに食事をしながらおしゃべりをして仲良くなるというのは社交術の基本だ。だが、料理もテーブルも違っていたのでは仲良くなるのにも限度があるのかもしれない。食べ物のタブーは信者同士の結束を固めるのには都合がよいだろうけど、他の宗教の人々との交流のさまたげになってしまう。
 もちろん、食事がいっしょにできないことはほんの一例に過ぎないのだけど、イスラム教徒がほかの民族と打ち解けるのはなかなかむずかしいのかもしれないとそのときふと思った。

 


(2014年4月6日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第294話として投稿しました。
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うちで働いてみない? in 広州(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第292話)

2015年06月10日 07時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 以前、勤め先の日系企業で日本人スタッフを募集して面接したことがあった。
 採用の条件は中国語が話せることとある程度の社会経験があること。ごく簡単な条件なのだけど、この人集めはかなり苦労する。パソナやテンプスタッフといった人材派遣会社に仲介を依頼しても履歴書がまわってこない。現地採用の日本人はまず市の中心部に事務所がある会社で面接を受ける。郊外の工業団地に勤めようという人はあまりいない。市の中心で勤めたほうがなにかと便利だし、土地勘もない郊外で働くのは不安だろう。僕も初めて広州へやってきたときは、やはり市の中心に事務所がある会社で働いた。
 勤め先の立地の問題もあるのだけど、そもそも中国で働こうという日本人の数自体が減っている。二〇一三年の内閣府の調査では、中国に親しみを感じる人が二割弱、反対に親しみを感じないとした人が八〇%もいたそうだ。例の島の問題もあるし、日中間でトラブルが続いて関係が冷え込んでいるときに中国へやってくる人が少なくなるのも当然だろう。人材会社に訊いてみるとやはり若い人の応募が減っているのだとか。中国に留学する日本人の数もかなり減ったようだ。
 何か月かかけて数通の履歴書がきたのち、X君の面接を行なうことにした。
 面接の当日、人材会社から電話がかかってきた。
 なんでもX君は面接にくる途中、地下鉄に乗っていたところ大量の鼻血を出してしまいワイシャツが真っ赤になってしまったそうだ。
「すみません。本人は張り切っていたのですけど、どういうわけか鼻血が出てしまって、とても面接できない状態になってしまったんです。面接を延期していただけないでしょうか。本人も落ち込んでいますので」
 人材会社の人は申し分けなさそうにX君をかばう。僕は、面接に行くというだけで興奮して鼻血を流してしまうだなんてもしかしたら変な人なのかもしれないなと若干不安に思いつつ次の面接日を指定した。
 面接してみるとX君はさわやかな青年だった。物腰や話し方からもきちんとした会社できちんとしてきた人なんだなということがわかった。彼は雲南省の昆明で二年間留学していたそうだけど、その時、偽ユースホステルの相部屋に泊まりながら生活していたという。入れ代わり立ち代わり泊まりにやってくる中国人を相手に話をして中国語の会話能力を磨いていたそうだ。根性があるなと僕は思った。僕はバックパッカーをして半年ほどあちらこちらを転々としながらずっとゲストハウスの相部屋に泊まり続けた時期があったけど、見知らぬ人と寝起きをともにし続けるのはかなり疲れる。ましてや相手が中国人となればなおさらだ。それをものともせずに果敢に立ち向かうのはなかなかできることではない。根性がなければ中国人のなかで仕事などとてもできない。
 僕は彼の採用を決めてしまおうと思った。
 彼の希望の待遇を聞き、面接に行ったほかの会社が提示した月給を聞き出したところ、本人の希望待遇も他所の会社の提示額もすこし低いなと感じた。X君は広州へやってきたばかりで事情があまりわかっていないようだし、よその会社は彼の持っているキャパシティがわからずに安い待遇でいいだろうくらいにしか考えていないようだ。X君本人と僕の上司の両方が納得する金額はこれくらいかなと心のなかで弾き出して彼に告げた後、
「どう、うちで働いてみない」
 と持ちかけた。
 X君は案の定、「えっ」と驚いた後、
「ありがとうございます」
 といいながらもとまどった表情をした。面接してその場で採用と言われたのでは誰でもとまどってしまうだろう。ほかにもよそで面接を受けていろんな会社を見てみたいだろうし、考える時間だってほしいだろう。X君はさかんに首を振りながら考えこむ。
 今この場でX君の決心がつかないのは当然だけど、それでも、ぜひ来て欲しいという期待を伝えられたらと思って、この職場はチャレンジしがいのあるところだというようなことを言って口説いた。X君はやはり考えこむ。仕事の内容に興味は持ってもらえたようだ。
 今すぐ決めてもらえるのならそれに越したことはないけど、無理強いはもちろんできないから、
「ゆっくり考えてみて」
 と僕が言おうとしたらX君は、
「わかりました。お世話になります」
 と承知してくれた。採用したいと僕が切り出してから返事をくれるまで五分間くらいだっただろうか。漫画みたいな展開だ。
 面接が終わった頃、ちょうどお昼時になったので、他のスタッフといっしょに蘭州ラーメンを食べに行った。X君はまだびっくりが冷めないようだったので大丈夫かなとすこし心配になったけど、数日後に開いた課の忘年会もきてくれたし、一週間後には出勤し始めてくれた。
 X君とは一年半ほどいっしょに働いていろんな話をした。残念ながらその後別々の職場になってしまったのだけど、今でも交流は続いている。人の縁は不思議なものだ。もし彼がよそで勤めることになったら、いっしょにいろんな経験をすることも、腹を割って話すこともなかっただろう。
 今でもあの面接の時のことを思い出すと愉しくてくすくす笑ってしまう。




(2014年3月30日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第292話として投稿しました。
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中国語にはストレスという言葉がない(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第290話)

2015年06月03日 17時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
「中国語にはストレスという言葉がないんですよ」
 中国人のW君が言った。
 言われてみれば確かにそうだなと思った。
 中国語にはプレッシャーという言葉はある。「圧力(ヤーリー)」だ。中国人はよく「圧力好大 (プレッシャーきついよ)」などと愚痴をこぼしたりする。だけど、「プレッシャー」と「ストレス」は似ているようだけど、やはり違う言葉だ。「プレッシャー」は外からかかる力であり、「ストレス」は負荷がかかってゆがんだ心の状態だ。
「ストレス」という言葉があれば、「ストレス」という概念を認識できるが、逆にそれがなければ、当然「ストレス」という概念もない。
 日本語には「ストレス」という言葉があるので、日本人はストレスがたまっているなと自覚できる。自覚できるということは、それを分析して対処することができるということだ。「ストレス」のもとになっているものから少し距離を置いてみたり、気晴らしをして心にたまったストレスを解消したりする。
「中国語には「ストレス」に当たる言葉がないから、中国人は自分はストレスがたまっているだなんて認識できないんですよ」
 W君は言う。彼は日本語が上手だ。日本で何年か生活していた経験もあるから日本と中国の違いもわかるし、ストレスという概念も認識できる。もちろん、中国語に「ストレス」という言葉がないからといって、中国人がストレスを抱えこまないのかといえばそうではない。中国人だってストレスはたまる。ただ、それを自覚できないのだ。
「自分がストレスを抱え込んでいることがわからないものだから、ストレスを解消しなくちゃいけないということもわからないんですよ。心の疲れやむしゃくしゃした気持ちをどう処理すればいいのかわからないんです。それで、酒を飲んで喧嘩したりだとかへんな暴れ方をするんですよね。小さなグループを作って、グループ同士で決闘したりだとか。その点、日本人はストレス解消がうまいですよね」
 ストレスをストレスとして認識できるかどうかは、自我の在り方と関わりがある。ストレスひとつをとってみても、日本人と中国人の自我の形はずいぶん違うのだとW君の話を聞きながらあらためて感じた。





(2014年3月13日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第290話として投稿しました。
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卒業半年前に入社 ~中国の新卒就職事情(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第288話)

2015年05月27日 08時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 日本語のできるアシスタントを募集しようと思ってインターネットの求人サイトで募集をかけた。
 次々と履歴書が送られてくるのだけど、半分くらいは今年六月卒業予定の現役の大学生からだ。中国は九月に新学期が始まり、七月に一年間の学期が終わる。
 だが、大学生は「内定」をとりたくて履歴書を送ってくるのではない。「即採用」を狙って送ってくるのだ。
 僕もはじめはびっくりしたのだけど、中国の大学生は四年生の後半になると就職活動を始めて、まだ学生のうちに早々と「就職」してしまう。会社の社員になってしまうのだ。どうせ授業もないのだから、早目に就職してお金を稼ぎたいということらしい。僕の勤め先ではほとんどないけど、中国の地元の企業は学生を採用して社員にして働かせているようだ。
 実は、以前試しに大学四年生を採用してみたことがある。だけど、あまりうまくいかなかった。授業がないとはいえ、卒論の執筆や学校の行事があるからそのために一週間休みを取ったりするので、そうなると誰かがその人の仕事をカバーしなくてはいけない。それに卒業するまでは学生気分が抜けないから、ふらふらとしていて職場で浮いたような感じになる。やはり、きちんと卒業してきちんとけじめをつけた人にきてもらったほうがいい。当たり前といえば、当たり前のことなのだけど。
 また、中国の大学新卒は離職率が非常に高い。ある調査によれば、約四割は半年以内に始めて就職した会社を辞めてしまうという。若い時はいろいろ経験して自分にあった仕事を選びたいと思うものなのだろうけど、半年でやめられてはさすがに困る。
 だから、今は去年かおととしくらいに卒業して社会人を一度経験した人に狙いを絞っている。一度社会人を経験していれば仕事なんてものはしょせん雑用の山だということがわかっているだろうし、それに前の会社よりましだと本人が感じれば、それだけ定着する期間が長くなるだろうから。
 面接でどんな人に出会えるのか、楽しみだ。




(2014年3月3日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第288話として投稿しました。
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店によってちがうタバコの値段(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第285話)

2015年05月20日 15時00分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 中国では店によってタバコの値段が違う。
 僕はいつも「中南海」という銘柄の八ミリグラムのタバコを吸っているのだけど、今住んでいる広州の近所のコンビニではひと箱七元(約百十五円)なのに、近所のタバコ屋で買うと六・五元ですむ。タバコ屋でカートン買いすれば、さらにほんのすこし割引してくれる。これが広州郊外の工業団地のタバコ屋になるとひと箱六元で売ってくれる。同じタバコなのだけど、近所のコンビニと郊外のタバコ屋ではひと箱の値段が一元(十六・五円)も変わってしまう。
 同じ銘柄のタバコの値段の違いは、店舗の地代などが値段にも反映しているからなのだろう。日本はどこへ行っても同じ銘柄のタバコは同じ値段だから、同じ銘柄のタバコの値段が変わることはありえない。中国のほうがコストに正直で資本主義的だ。全国どこでも同一銘柄同一価格という日本のほうがよっぽど社会主義的なのかもしれない。

 


(2014年2月22日発表)
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まるで聖徳太子のように(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第284話)

2015年05月14日 07時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 中国を深く理解している日本人の諸先輩方から今まで色んなことを学んだ。Gさんもそんな一人だ。
 Gさんは数年前、僕の上司だったのだけど、この人は凄かった。中国駐在暦通算十数年、中国ビジネスのつわものである。
 まず中国語が半端なく上手だった。もともと外語大で中国語を専攻していただけあって、非常に流暢な中国語を話す。発音も正確だし、中国語の言葉の選び方も的確で、わかりやすくてきれいだ。以前、僕のアシスタントをしていたアニメちゃんが、
「いやー、すごいですねぇ。言葉の選び方がいいですよぉ。聞いていて気持ちいいですからぁ。中国人より上手ですぅ」
 と舌を巻くほどだった。
 中国人の考え方も熟知していた。
「すみません。こんなことで困っています」
 と僕が相談を持ちかけると、
「野鶴、中国ではね――」
 と、それから答えがぽんぽんと三つ四つ返ってくる。
 やっぱりそうだったのかと僕の胸のなかのもやもやが晴れたり、言われてみればたしかにそうだと納得したりする。僕の理解力が足りなくて、
「Gさんはどうしてあのことを強調していたんだろう」
 と不思議に思うこともあったりするのだけど、後になって、
「なるほど、Gさんはこのことを言っていたんだな」
 と合点の行くことも多々あった。
 日本の様々な企業から大勢の社員が中国へ派遣されているけど、中国のことを理解している人はほとんどいない。彼らは中国が好きで中国へ行っているわけではなく、会社の命令で中国へ赴任しただけのことだし、彼らにとって現場であるはずの中国よりも日本の本社の方へ顔が向くのもごく自然なことだから仕方なのだけど、それだけにGさんのように中国を理解しているビジネスマンは貴重な存在だ。
 外国を理解――とくに中国のように日本とは真逆の考え方をする国の人たちを理解するのはそんなに簡単なことではない。Gさんの話は論理的で明晰だ。いっしょに顧客訪問をした時、Gさんが豊富な中国体験をもとに、かつロジカルに顧客へ案件の提案をしていると話の途中からお客さんの顔つきが変わって真剣に耳を傾けるようになることが何度もあった。こうすればお客さんを説得できるのだなと傍で見ていて僕は非常に勉強になった。もちろん、なんだかんだいって中国が好きだから理解しようとするわけでもあるのだけれど、Gさんは自分の論理力を鍛え、論理的に把握しようとすることで中国という一見混沌としてみえる国への理解を深めてきたのだと思う。
 Gさんは中国語(北京標準語)だけではなく、英語と広東語も話せた。今から十数年前、Gさんは広東のある街に駐在したのだけど、当時は広東人の現場作業者で北京標準語を話せる人は少なかった。そこで、彼らとコミュニケーションをとるために独学で覚えたそうだ。
 十数年前といえば、中国はまだ発展し始めたばかりで、今のように便利ではなかった。当時は外国人が住んでいい場所は限定されていて、一般のマンションには入居できない。その街には政府が外国人居住用に許可したマンションもなかった。Gさんはホテルのごく普通の部屋に二年間住み続けて事務所へ通ったそうだ。きつい生活だったと思う。
 その事務所には二十人ほどのスタッフがいて、中国語、広東語、英語、日本語と四つの言語が飛び交っている。Gさんはそれをすべて同時に聞き分け、誰がどんな話をしているのか、すべて把握していたという。
 ――聖徳太子みたいだな。
 とその話を聞いた時、僕は思った。
「若かったし、気が張っていたんだろうね。おじさんになった今じゃもうそんなことをやろうと思ってもできないけど」
 お酒を飲みながらこの話をしてくれたGさんは笑っていたけど、たぶん、猛烈なプレッシャーのなかで仕事をしていたのだと思う。そうでなければ、部下が話している四つの言語の内容をすべて把握しようとはしないだろう。「中国」に体当たりでぶつかってずいぶん苦労されたに違いない。
 中国を理解している振りをする人は大勢いるけど、Gさんのような「本物」にはなかなか出会えない。彼との出会いはほんとうに貴重だった。仕事に厳しかったから僕はへとへとになったけど、Gさんの下で働いていた一年間はとても充実した日々だった。
 


(2014年2月14日発表)
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高速道路に落ちる鉄板コイル(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第280話)

2015年02月05日 17時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 中国の高速道路を走っていると、裸の鉄板コイル(薄い鉄板を巻いたもの)を荷台に固定せずにそのまま走っているトラックをよく見かける。荷台に輪留めを置いて、そのうえに重量約一トンの鉄板コイルをならべて載せるだけ。ロープで縛ったりもしない。かなり重いものだからちょっとやそっとの震動では動いたりしないのだろうけど、そんなトラックの側を走りぬけるときはちょっとぞっとする。もし頭のうえに鉄板コイルが落ちてきたりしたら一巻の終わりだ。
 案の定、時々、高速道路に鉄板コイルが落ちている。だいたいは急カーブでしかも急なアップダウンがあるところだ。スピードの出しすぎでハンドルを切り損ね、「おっとっと」という感じで荷台が傾いてしまい、すってんころりんと鉄板コイルが落ちてしまったのだろう。
 くわばらくわばら。



(2014年1月6日発表)
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人間、色を忘れてはいけない(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第277話)

2015年02月03日 07時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 広州在住十三年の日本人のおじいちゃんがいる。
 いつも肌がつやつやしているし快活で元気そうなので、五十代後半くらいかと思ったら、なんと七十歳だという。広州の日系企業で総経理(社長)をされているようだ。
 日曜日になると朝五時半に起きてゴルフへ出かけ、ゴルフが終わってからマッサージで疲れをほぐし、ゴルフ仲間と御飯を食べて、それから日式カラオケ(女の子がついてお酌してくれるカラオケ)へ行く。おじいちゃんよりはるかに年下のほかの仲間は夜十一時を回るとくたくたになって帰ろうとするのだけど(朝っぱらからゴルフをしているから当然だ)、おじいちゃんは、
「えっ? もう帰るの? まだ早いよ」
 と言って疲れも見せずに歌を歌い、女の子とはしゃぎながら戯れる。それで、夜中の一時になってようやく帰るのだとか。
 時々、行きつけの居酒屋でいっしょになるのだけど、僕が仕事でくたくたになっていると、
「野鶴ちゃん、会社人間になっちゃだめだよ。若いんだから遊ばなくっちゃ。今度いっしょにカラオケへ行こうよ。カッカッカ」
 と朗らかに笑う。僕は彼の息子くらいの歳だけど、おじいちゃんのほうが僕よりよっぽど元気だ。
「どうしてそんなに元気なのですか?」
 僕がそう訊くとおじいちゃんは真顔になって、
「人間、色を忘れてはいけない」
 と言う。
「いつもエロいことを頭のなかにインプットしておくんだ。そうすると心が活性化されて元気になるんだよ」
「うーん、僕はエロいことなんてずいぶんご無沙汰ですよ」
「それだから元気がないんだよ。仕事は忘れて遊びに行きなさい。女の子と遊んだら元気になるから。カッカッカ」
 おじいちゃんは人間はいつか動かなくなるのだから、動けるうちに思いっきり動いて遊んでおいたほうがいいと言う。人生は楽しんだほうがいいよな、とおじいちゃんと話をするたびにそう思う。
 

(2013年12月23日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第277話として投稿しました。
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