昨日の朝、変な雲の空。でもいいお天気だったよ!
ウオーキングの往路、太陽の光がまぶしい。暑くなるから早く帰ろう。
過日、わが購読紙に掲載されたエッセイ『ふる里の風景』にあった話である。
子どもころピアノは学校にしかないものだと思っていたが、稀に本物のアップライトピアノのある家があった。その家のそばを通っていて、ピアノの音が聞こえてくると、見目麗しい女の子がひいているに違いないと思ったものだ。そしてその女の子は、僕らの心の中で間違いなくお嬢様だった。
そんな憧れをねらったのかどうか分からないが、当時グランドピアノを模した、おもちゃの卓上ピアノが販売されて人気だった。わが家にも真っ赤な色の同じものがあった。妹に父が買ってきたものである。本物のピアノより少しキンキンした音で、近所からも同じ音がよく聞こえてきたので、だいたい同じようなパターンだったのだろう。
おもちゃのピアノは、そんな時代を奏でる“装置”の一つだったのかもしれない。
忘れていた遠い昔を思い出した。今から70数年前、いつ頃のことかはっきりと覚えていないが、私もピアノを習った記憶がある。
私は「おばさん」と呼んでいたが、母にはおない年のいとこがいた。家が近かったらしく小学校から女学校までずっと一緒、結婚後も2人の親交は途絶えることはなかった。彼女は大手企業の優秀なエンジニアと、私の母は銀行員だった父と結婚、第二の人生は幸せなはずだった。が、私の父は苦労知らずのボンボン育ち、おまけに道楽者だったから母は結婚当初から苦労が絶えず、よく実家へもお金の無心に行ったという。
一方、おばさんの主人は順調に出世し、暮らしぶりは裕福だった。何度か自宅へ遊びに行ったことがあるが、大きな部屋に黒いアップライトピアノが置いてあった。私と同じくらいのおばさんの一人娘はピアノを上手に弾いた。私にも弾かせてくれたが、ピアノに触れるのさえ初めてで、ただ1本指で叩いているだけ。それがすごく悔しかった。
それを母に話すと「だったらピアノを習えば…」と言った。母はプライドの高い人で、仲良しのいとこ同士でも、イヤだからこそか、内心穏やかならざるものがあったのだろう。裕福でもないのに見栄を張って、さっそくピアノ教室へ申し込みした。
私はバイエルを抱えて週1回、レッスンに通った。が、西田敏行の歌の文句じゃあないが、「うちにはピアノがない」から練習ができない。週1のレッスンくらいでは上達するはずもない。とうとう嫌気がさしてやめてしまった。これが人生初の挫折である。
その後、おばさんの主人は重役に昇進、一家は東京へ行ってしまった。おばさんはもともと「いい家の奥さま」然としたセンスのいい美人だった。たまに帰ってくると母に会いに来たが、一段と魅力的なマダムに変身していた。
そういえば私はピアノをやめたあと、バレエを習った。これも母の見栄から始めたことだ。どんなに背伸びしても、しょせんアヒルの子はアヒル、白鳥にはなれないのに…ネ。
余談だが、姉の娘の姪は小さい時、おもちゃのピアノで遊んでいた。3歳になり本物のピアノを買ってもらいレッスンを始めた。成長して4年制の音大を卒業後、ヤマハのピアノ講師となった。個人でもピアノ教室を開き、一時は30人くらいお弟子さんがいて、年に1回は発表会を開いていた。
その姪もすでに50ウン歳のオバサンだ。DNAは末っ子の3男に…。同じ音大を卒業したが、音楽で食ってゆけるほどの才能はない。目下、保育士の国家資格を取るため保育助手をしているが、ピアノを弾けるのがうれしいらしい。
姪は結婚するときグランドピアノ、アップライトピアノ、エレクトーンを持って行った。それらはいまでも一部屋を占領している。今はだれも弾かないのに、どうしても手放したくないらしい。
わたしよりずっと年上の従姉兄が3人いて、テスト中だからとか、いろいろな理由で練習できない日々もありました
でもその不自由さが多分頑張る原動力になったのかもしれません
自分のピアノをかってもらえた5年生以降、あまり熱心に弾かなかったです(笑)
そして70歳を迎えた今年、思い立って電子ピアノを購入
難しい山を越えるのではなく自分の能力に見合った曲を弾いて楽しんでいます(笑)
我が家に来た時、好きなメロディーを電子ピアノで楽しく弾き語る孫たちを横目で羨ましく眺めている自分
今振り返れば少々惜しい気分です。年齢関係ないステキな趣味。
これを知る者はこれを好む者に如かず
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず
本質をついてますね。
が、私は主人の古レコードも断捨離の機会を狙っています
昔は女の子の習い事といえばピアノ、習字や絵画教室でしたね。今の子は先ず学習塾で、それからスイミングが多いようです。
最近またピアノを始められたとか、60の手習いでピアノを始める人が多いそうですから頑張って! 家族全員を前に演奏会を開いたらいかがでしょうか。想像するだけでも楽しくなります。
どなたも一度はピアノを習った経験がおありのようですね。昔はピアノが弾けるなんてのはお金持ちの子しかいませんでした。
両指別々にキーを叩くのは難しかったけど、パソコンでできるのですから、案外可能だったかも。でも「熱しやすく空きやすい」性格は何事も続きませんでした。30数年続いたのはスイミングだけでした。
私の父はハーモニカが得意でした。戦中戦後、蓄音機がある家も珍しかったようですが、クラシックのLPレコードをたくさん持っていました。
また筆で字を書かせたら抜群、よく人から依頼されて書いてました。「飲む・打つ・買う」の道楽者でもクラシックが好き、習字がうまいという特技があったなんて笑っちゃいますよね。