10日の衆議院特別委で、「これから国際コンペをやって、新たにデザインを決めて、基本設計を作っていくのでは時間的に間に合わない」と述べていた安倍首相。たった1週間で「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで見直す」と、コロッと変わった。安保法案強行採決で下がった支持率をこれ以上増幅させないため、というのは誰にもでも分かる。あざといとも思うが、ともあれ、白紙に戻すとした決断は評価しよう。
しかし、森氏は「施設に掛けるお金は都が3000億円。組織委が五輪に掛けるお金はその比ではない。国がたった2500億円も出せなかったのかね」とご不満のご様子。また「日本スポーツの聖地としていろいろと生み出していけると夢を描いていただけに大変残念」と述べた。それにしても、「たった2500億円」という言葉がよく出てくるもんだ。引退したとはいえ、元国会議員が今の日本の財政状況を知らぬはずはあるまいに…。また、2500億円あればどれほどのことができるか、有効な使い道は他にも山ほどある。夢を描くのは自由だが、国民に痛みを押し付けてまで描く夢にどれほどの価値があろうか。ほとほとあきれかえって、怒りすら覚える。
「白紙」に戻ったはいいが、新たな問題が起きた。JSCは21日、これまでに国内外の設計事務所やゼネコンと計約59億円の契約を結んでいたことを明らかにした。この契約に対するキャンセル料を支払わねばならず、59億円の大半は戻ってこないという。こうしたことの責任はどこにあるのか。オリンピック組織委員会か、文科省か、東京都か。文科省は28日、新国立競技場建設の担当だった次官・担当局長の退任を発表、事実上の更迭かと…。が、役人のクビをすげ替えてすむ問題ではない。野党は下村文科相の責任を追及するとか。今後のためにも責任の所在を明確にして次へ進むべきだとは思うが、批判合戦を繰り返すほどの時間の余裕はあるまい。
それにしても、関係者お歴々の責任のなすり合いには不愉快極まりない。
「国立だから国の責任」(舛添東京知事)
「建設は文科相が担って」(遠藤利明・五輪担当相)
「当時は安藤忠雄さんが責任者」(下村博文・文科相)
「私は総理大臣じゃないですから」(安藤忠雄氏)
「民主党政権時代にザハ案に決まった」(安倍晋三首相)
「計画にゴーサインしたのは安倍内閣」(枝野幸男・民主党幹事長)
極め付けは「誰にも責任はないでしょう」(森喜朗・五輪組織委員会会長)だ。このご仁の頭の中はどうなっているのか。責任者のいない国家的プロジェクトなんて考えられないけどネ。
28日、建築家ザハ氏のロンドンの事務所は建設費高騰の理由について、建設会社の選定で競争原理が働かなかったなどと主張。JSCに対して「国際的な入札が行われず、急いで建設会社を選定すれば、建設費の高騰を招く」と忠告したが、聞き入れられなかったと日本側の対応を批判したそうだ。何でも新国立競技場建設は、設計段階で施工する建設会社はすでに決まっていたという。工事が難しいだけに特殊な技術が求められるため、施工業者は極めて限られる。そのため価格を下げる競争が働きにくかったため、事実上の随意契約となったとか。JSCからもはっきりした説明が聞きたいものである。
新国立競技場建設は、今後どのように見直されるのか。もはや少々予算を減額したくらいでは国民の納得は得られまい。これまでのオリンピック主会場で最も高額だといわれるのはロンドンで約600億円だとか。消費増税や材料費、人件費などの高騰を考慮しても1000億円を上限に、という声も多く聞かれる。ちなみに、五輪の運営費については、最終的には2兆円を超すかもしれないという。聞けば聞くほど気の遠くなるような話だが、これほどの巨額な費用を掛けてまでオリンピックをやらなければならないのかネ。
だす・・と呑気と言うか、バカと言うのか。
なんで1競技場にこんな費用を!と思うのが
国民の正常な感覚だ。皆狂っているよ。
国家的プロジェクトがお金の計算なしに進められるとは、「どうにかなる」と、なんと能天気な人ばかりでしょうか。森さんみたいなお金に苦労していない人は考えることもお気楽ですね。
エンブレムにも問題が。今さら中止というわけにはいかないでしょうが、このオリンピックほんとにうまく行くのでしょうかネ。