最近、日本の大手家電メーカーの衰退、凋落が著しい。シャープは巨額の赤字を出し、経営危機に陥って目下再建中。ソニーも同様で、PC撤退、テレビ分社化と事業の切り売りが続く。もうゲーム機とカメラ中心に事業を再編するという現状だとか。私のPCとテレビはソニー製、世界のソニーともてはやされた時代が嘘のようである。
そうした中、日本を代表する大企業「東芝」が、いま深刻な危機に直面している。1通の内部告発メールによって、会社ぐるみで不適切な会計処理を行っていたことが明らかになった。第三者委員会は経営トップらを含めた組織的な関与を認定、責任を取って歴代社長3人が辞任した。
利益操作は2008年度から2014年度の4~12月期まで計1562億円にのぼるという。いうなれば粉飾決算だろうに「不適切な会計」とはどういうことだろう。が、粉飾決算として処理すれば1兆円単位の不良債権が発生、銀行の新規融資は難しくなり、企業存続の危機ともなりかねないという。そのため「不適切な会計」として処理されたとか。おかしな話だが、国策企業の一つである東芝を倒産させるわけにはいかないということだろう。
こうした一流企業の凋落の兆候を目にして思うことは、世の中に“絶対に安全”というものはないということである。大企業に就職できれば一生安泰、なんてのはもう昔の話。いつ何が起きても慌てないように、自分の将来のため保険を掛けるつもりで、得意分野の資格を取って「手に職をつけておく」ことが大切ではないかと思う。何の取り得もない人の再就職は容易でないのは周知の事実だし、ある程度の年齢に達した人はなおさらである。
手前味噌で恐縮だが、今から42年前、32歳で和文タイプの資格を取得、自宅で印刷製版の仕事を始めた。青色申告の立派な個人事業主となったのだ。当時は仕事はいくらでもあり、勤めに出るよりよほど多くの収入が得られた。その後、和文タイプからワープロ、パソコンの時代へと変わったが、Windows95発売と同時にパソコンと説明書を購入、独学でスキルを身につけ、同印刷所で製版の下請けを続けた。
印刷所からの注文に「できません」では通らない。本屋に行ってはパソコン関係の本を読みあさり、試行錯誤しながらあれこれやって、スキルアップする努力をしたものである。自分のスキルには自信を持っていたし、パソコンの仕事が好きだったので、勉強は苦にならなった。
パソコンの一般家庭への普及で、製版下請けの仕事も減ってきて、土日・祝日だけギフト店で「熨斗書き」のアルバイトをしたこともある。これも若い頃に書道に力を入れたおかげだろう。その後、他のギフト店からパソコンでのデータ入力依頼の話があり、正社員はいやなので時間給のパートを希望した。今から15年前のことで、そのころのパートの自給は650円前後だったように思うが、私は1000円だった。これを機に、製版下請けの仕事は完全に辞めた。
時給1000円と厚遇されたからにはと発奮、データ入力はもちろん、それまで外注にしていた印刷物はすべて自社内で作るようにして、経費削減に大いに貢献した。また、エクセルを使ってパートの自給計算や営業や販売促進に関するシステムなど、パソコンでできることはほとんど一人でやった。
土台作りはできたので65歳で若い者に引き継いで引退。今思えば、窮屈な宮仕えをすることもなく、自分の好きな仕事をして、自由気ままに生きてこられたのも手に職があればこそだ。何と言っても、自分の好きな仕事をしてご飯が食べられる、これほど幸せなことはなかろう。
大企業の複雑なからくりは理解不可能ですが、50年も前から、自己管理を徹底して、現在の生活基盤を自分のものにされたオールドレディさんの爪のあかでも、煎じて差し上げたい経営陣の体たらくぶり
技術を「自分の物」にして果敢に挑戦された
オールレディさん、やっぱり出来がちがう。
これで同い年?と思うとガックリ!
自分がやっただけ成果が出るという一国一城の主、しんどい面もありました。それでも好きな仕事だったので、がむしゃらに頑張りました。ただ、マイペースでやればいいので気分的には楽でした。
自由業は気を緩めると際限なく生活のペースが崩れます。自堕落な生活にならないよう、いつも仕事第一と気を張っていました。
仕事の合間に暇を作っては友人とよく旅をしましたが、そうした楽しみがあればこそ仕事にも頑張れたのでしょう。充実した人生でした。
「寄らば大樹の陰」といえるのは自衛隊か警察官でしょうか。昨今、結婚相手として自衛官がトップだそうです。そのせいか、姪の長男は航空自衛官ですが、21歳にしていいお嫁さんをゲット、この秋結婚だそうです。40近くなっても嫁がいないという人が多い昨今、若すぎるけど早く片付いてくれて万々歳です。
普通の女性とは違った生き方が人から見れば不幸に見えるかも…。でも、自分では納得のいく充実した人生だったと思っています。
がむしゃらに生きた時代があってこそ、今の平穏な日々があるのだと…。今が幸せ、悔いのない人生だったと、死の間際でもそう言いたいですね。