金曜日、プールに行くと知人から土曜日に花火見物に行かないかと誘われた。デジカメで花火が撮りたかったので参加することにした。プール仲間が6人、その仲間の友人が3人、みんな同年齢のババばかりである。
花火大会は、鳥取県境に近い名湯・奥津温泉ちかくの奥津湖畔で、毎年行われているそうだ。ゆっくり夕食をとって、花火会場からちょっと離れたところに駐車して歩いて会場へ。坂道を下りて湖畔近くまで行くと、露店がたくさん出ていてにぎやかである。

湖畔まで下りずに途中の坂道で見物することにしたが、花火が上がるとそこはメイン会場のまん前、最高にいい場所だった。規模はそれほど大きくなく、約3000発だとか。花火の大きさはわが町の花火大会と違ってちょっとこじんまり、でも、近くから見るのは久しぶりなので十分堪能できた。
9時前に終って、いざ帰路に。顔も判別できないような暗闇で、はぐれたら大変なので人数を確認すると7人、2人はもう前を行ったらしい。車や人の流れに沿って車を止めた広場をめざして歩く。だが、いくら歩いても車を置いた場所らしき広場が見当たらない。7人のうち3人は大分前を歩いている。「こんなに遠くではなかったよ。道が違うんじゃあない?」と私がいうと、4人のうちの年配者が「他には道はないから間違いない」と、ずんずん歩いてゆく。その時はすでに前の3人の姿は見えなくなっていた。
歩けども歩けども車は見当たらない。もう完全に道を間違えたと分かったが、誰も引き返そうとは言わない。かれこれ30分近く歩いただろうか、道が二股に分かれているところまで来て、その年配者もようやく道を間違えたことに気づいたようである。すぐに引き返そうと言うと、「しんどい。もう動かん」と座り込んでしまう。その頃にはもう車の往来も極端に減ってあたりは街灯もない真っ暗闇、連絡しようにもプライベートでの付き合いがないから携帯番号を知らない。
「こんな遠くまで来ているとは思ってないだろうから、会場近くを捜しているかもしれない。引き返して捜してくるから、絶対ここを動かず待っているように…」と、2人を置いて、私は初対面の人と2人で暗闇を引きかえす。
会場周辺まで戻っても誰も捜してくれているようにもない。残っているのは後片付けの人たちと警備の人たちだけだ。恥を偲んで事情を話し場内放送を頼んでみたが、片付けもほぼ終わり電源を切ったので放送は無理だという。携帯があっても連絡のしようもない、どうしたらいいだろうかと途方にくれるばかり。こうなったらタクシーでも呼んで帰るしかないかと言いながら、ひとまずトイレへ。すると、私たちの前を行っていた3人とばったり、彼女らもずっと先の派出所まで行って道を間違えたと分かり、途中で私たちが置いてきた2人を連れて戻ってきたという。
聞けば、私たちが間違えた道のほんの何メートルか向こうに県道があり、それが正しかったというのだが、運転手がなぜそれを教えてくれなかったのか。道が2本あると知っていたらすぐに引き返すこともできたのだ。送迎を頼まれたのならみんなを無事に送り届ける義務があるはずだし、また、運転手と唯一連絡が取れる人がみんなを置いて自分たちだけさっさと行ってしまうというのは、どう考えても無責任ではないかとだんだん腹が立ってきた。
20分、30分経ってもだれも戻ってこないとなったら、これは道を間違えたのではと分かるはずである。ならばその道を車で走ってみるなり、会場の出口付近を捜すとかするのが当然だろう。だが、どうも3人は涼しい車の中でビデオを見て待っていたようで、私たちが到着しても心配したらしい様子はまったく見られない。
初めての参加者が3人という寄り合いのグループだとはいえ、同行者が戻ってこなくても心配もしない、捜そうともしない。これがいい歳をした大人の常識かとあきれた。いいカッコするわけではないが、私なら出口付近まで行ってみるくらいのことはする。それが人の情というものだろう。人のことなどどうでもいいという自分本位な人とのお付き合いはもうごめん蒙りたい。と、きついと思われるのは覚悟でひとこと言わせてもらった。
それきり帰るまでひと言も口をきかず、到着して「おせわになりました。失礼します」と誰にともなく言ってさっさと帰宅した。時計を見ると11時、1時間近くも歩いたのでもうくたくただ。もう誘われることもないだろうが、二度と行く気もない。せっかくいい気分だったのに、「行きはよいよい、帰りは怖い」である。
花火の写真はシャッターを押すタイミングが難しい。早くても遅くてもダメ、ほんの一瞬が勝負である。次の日曜日はわが町の花火大会、今度は少しはウマく取れるだろうか。
花火大会は、鳥取県境に近い名湯・奥津温泉ちかくの奥津湖畔で、毎年行われているそうだ。ゆっくり夕食をとって、花火会場からちょっと離れたところに駐車して歩いて会場へ。坂道を下りて湖畔近くまで行くと、露店がたくさん出ていてにぎやかである。


湖畔まで下りずに途中の坂道で見物することにしたが、花火が上がるとそこはメイン会場のまん前、最高にいい場所だった。規模はそれほど大きくなく、約3000発だとか。花火の大きさはわが町の花火大会と違ってちょっとこじんまり、でも、近くから見るのは久しぶりなので十分堪能できた。
9時前に終って、いざ帰路に。顔も判別できないような暗闇で、はぐれたら大変なので人数を確認すると7人、2人はもう前を行ったらしい。車や人の流れに沿って車を止めた広場をめざして歩く。だが、いくら歩いても車を置いた場所らしき広場が見当たらない。7人のうち3人は大分前を歩いている。「こんなに遠くではなかったよ。道が違うんじゃあない?」と私がいうと、4人のうちの年配者が「他には道はないから間違いない」と、ずんずん歩いてゆく。その時はすでに前の3人の姿は見えなくなっていた。
歩けども歩けども車は見当たらない。もう完全に道を間違えたと分かったが、誰も引き返そうとは言わない。かれこれ30分近く歩いただろうか、道が二股に分かれているところまで来て、その年配者もようやく道を間違えたことに気づいたようである。すぐに引き返そうと言うと、「しんどい。もう動かん」と座り込んでしまう。その頃にはもう車の往来も極端に減ってあたりは街灯もない真っ暗闇、連絡しようにもプライベートでの付き合いがないから携帯番号を知らない。
「こんな遠くまで来ているとは思ってないだろうから、会場近くを捜しているかもしれない。引き返して捜してくるから、絶対ここを動かず待っているように…」と、2人を置いて、私は初対面の人と2人で暗闇を引きかえす。
会場周辺まで戻っても誰も捜してくれているようにもない。残っているのは後片付けの人たちと警備の人たちだけだ。恥を偲んで事情を話し場内放送を頼んでみたが、片付けもほぼ終わり電源を切ったので放送は無理だという。携帯があっても連絡のしようもない、どうしたらいいだろうかと途方にくれるばかり。こうなったらタクシーでも呼んで帰るしかないかと言いながら、ひとまずトイレへ。すると、私たちの前を行っていた3人とばったり、彼女らもずっと先の派出所まで行って道を間違えたと分かり、途中で私たちが置いてきた2人を連れて戻ってきたという。
聞けば、私たちが間違えた道のほんの何メートルか向こうに県道があり、それが正しかったというのだが、運転手がなぜそれを教えてくれなかったのか。道が2本あると知っていたらすぐに引き返すこともできたのだ。送迎を頼まれたのならみんなを無事に送り届ける義務があるはずだし、また、運転手と唯一連絡が取れる人がみんなを置いて自分たちだけさっさと行ってしまうというのは、どう考えても無責任ではないかとだんだん腹が立ってきた。
20分、30分経ってもだれも戻ってこないとなったら、これは道を間違えたのではと分かるはずである。ならばその道を車で走ってみるなり、会場の出口付近を捜すとかするのが当然だろう。だが、どうも3人は涼しい車の中でビデオを見て待っていたようで、私たちが到着しても心配したらしい様子はまったく見られない。
初めての参加者が3人という寄り合いのグループだとはいえ、同行者が戻ってこなくても心配もしない、捜そうともしない。これがいい歳をした大人の常識かとあきれた。いいカッコするわけではないが、私なら出口付近まで行ってみるくらいのことはする。それが人の情というものだろう。人のことなどどうでもいいという自分本位な人とのお付き合いはもうごめん蒙りたい。と、きついと思われるのは覚悟でひとこと言わせてもらった。
それきり帰るまでひと言も口をきかず、到着して「おせわになりました。失礼します」と誰にともなく言ってさっさと帰宅した。時計を見ると11時、1時間近くも歩いたのでもうくたくただ。もう誘われることもないだろうが、二度と行く気もない。せっかくいい気分だったのに、「行きはよいよい、帰りは怖い」である。
花火の写真はシャッターを押すタイミングが難しい。早くても遅くてもダメ、ほんの一瞬が勝負である。次の日曜日はわが町の花火大会、今度は少しはウマく取れるだろうか。












女性的でたおやかな感じです。
お帰りの道はご苦労さまでしたね。
お腹立ち、よーく分ります。
なかなか同行者が現われなくても、無関心でテレビを観ていたとは、良い歳をした大人とは思えません。
私も同じように腹を立てたと思います。
レディーさん直球投げたのですか?
それとも剛速球?!
ご気性からして、変化球は投げませんよね。。
私も同じく、変化球を投げようとしても、直球になってしまうんですよ。
それでも夏の風物詩、楽しみたいですね。
私はまだ”音”しか楽しんでいませんが。
花火大会自体は楽しまれたそうですがその後のお怒り、ごもっとも。
ただの迷子とはいえ知らない所で夜間ともなると誰しも不安になるのにね。
もう少し配慮があっても良かったと思います。
お腹立ち、わかります。
私も普段は仮面を被っていますが一度火が着くと爆発するタイプなので。
B型の相棒に止められることもあるほど・・・・って自慢にはなりませんけどね。
今でも思い出すとキレそうです。
昼間だったらそうでもないでしょうが、あの暗闇で人の気配もない山道で、もし1人だったら多分錯乱状態になるだろうと思います。
1時間近く同行者が戻ってこなかったら何かあったと心配するのが当たり前ですよね。
自分本位で、利己的で、頑固、年寄りの特徴でしょうか。それと運転手の気楽さにも腹を立てています。
許せることと許せないことがありますよね。
当然、直球ですよ。私は“まあいいじゃない”で済ますとか、言いたいことを腹にためておくということができないのです。時には損することもありますが、大して守りたい友人関係でなかったらすぱっと断ち切ります。
私も頑固? ですね。
♠nanaさま
せっかくの花火大会、自分の花火が炸裂するとは…。
私も人任せで気楽について行ったことは軽はずみだったかもしれません。
私が怒っているのは、1時間近くも戻ってこない年寄りを心配もせず、のんきにビデオをみていたということです。普通なら探し回りますよね。
やはり、ちゃんとした責任者もいないのに、年寄りだけで出歩くのは考え物ですね。
今日はプールで2人と顔を合わせます。さて、私の一撃が効いたでしょうか。
加古川祭りの花火は毎年8月第一日曜日の夜。
翌日会社へ行くことを考え、近年見たことがありません。
私は、子供を沢山連れて遠征先で行動する機会が多いので、勝手な行動をしないよう都度々々念を押しますが、リーダー的な人が勝手な動きをして他の人を迷わせるなんて考えられません。
更におかしいと思って探すことをしないような方とのお付き合いなど私も願い下げですね。
許されることと許されないことがありますよね。送迎の車を出した運転手、もし何かあったらどうするのでしょうね。
年寄りは思考回路が緩んでいますから、団体行動には責任者が必要です。
花火の写真を撮りたいばかりに気楽について行った自分のうかつさを後悔しています。
でも、真っ暗闇の山道で迷うって本当に怖いです。
最後に私の“花火”が炸裂しました。これは強烈だったのか、相手はひと言もありませんでした。