今朝の新聞に、「学力に経済格差反映」の見出しで興味深い記事があった。全国の小中学校教員を対象に実施したアンケートによると、家庭の経済格差拡大の影響が子どもの学力に及び、成績の下位層が増えたと考えている教員が5割近くに上るという。
リストラ、事業不振、両親の不仲、離婚などによる家庭生活の変化が子どもに大きな影響を与え、不安な生活が学習への集中力を奪い、学力低下の原因となっているとか。
現在、ゆとり教育で教科の時間が減り、家庭学習の質や量が成績に影響するとして、塾へ通う子供が多く、その塾費は小学生で約5万8000円だとか。家計の悪化は、その塾通いが出来なくなり、親も生活に追われて子どもの勉強を見てやる時間もなくなるなど、子どもへのしわ寄せが大きい。また、家計の悪化で私立校を併願できず、公立一本の子が増えたともいう。そして、母親がパートで遅くまで働いているため、夕食はコンビニの弁当かレトルト食品といった子どもも少なくないそうである。今や、低所得層の子どもと、高所得層の子どもとの二極化傾向が進みつつあるといわれている。
こういった環境に育つ子どもの将来はどうなるのだろうか。「金だけがすべてではない」というきれい事ではすまなくなっており、否が応でも「拝金主義」を賞賛する若者が増えるのも仕方なかろう。
時の人ホリエモンは、聞くところによると、幼少の頃、経済的な理由ではなく教育方針だろうか、親から小遣いを一切与えられなかったという。彼の少年時代といえば今から20年くらい前で、その頃は景気もよく、周りの子どもの生活は豊かであっただろう。
それをどのように見つめて成長したのかはわからないが、多分「金」への執着心はそういう環境によって大きく膨らんだのではないだろうか。やはり人は、豊かに暮らせば金銭にも鷹揚になれるが、貧しい生活のなかで成長すれば金に対する価値観は大きく違ってくる。「金がすべて」と広言するのもわからぬでもない。
私の子ども時代は戦後間もない頃で、誰もが貧しく、豊かな家の子どもはごくわずかであった。服や靴下を繕って身につけるのは当たり前、風呂に入らず黒い顔をしている子どももいて、みんなが同じような境遇であったから経済格差などという、言葉すらなかったと思う。だが、我が家も貧乏であったから金の有難みは身にしみて分かっている。
豊かな時代に、自分の家だけが豊かでない、それによって気持ちの豊かさまで失ってはならないが、未来を担う子どもの生活が脅かされるような社会になった原因はどこにあるのだろうか。
リストラ、事業不振、両親の不仲、離婚などによる家庭生活の変化が子どもに大きな影響を与え、不安な生活が学習への集中力を奪い、学力低下の原因となっているとか。
現在、ゆとり教育で教科の時間が減り、家庭学習の質や量が成績に影響するとして、塾へ通う子供が多く、その塾費は小学生で約5万8000円だとか。家計の悪化は、その塾通いが出来なくなり、親も生活に追われて子どもの勉強を見てやる時間もなくなるなど、子どもへのしわ寄せが大きい。また、家計の悪化で私立校を併願できず、公立一本の子が増えたともいう。そして、母親がパートで遅くまで働いているため、夕食はコンビニの弁当かレトルト食品といった子どもも少なくないそうである。今や、低所得層の子どもと、高所得層の子どもとの二極化傾向が進みつつあるといわれている。
こういった環境に育つ子どもの将来はどうなるのだろうか。「金だけがすべてではない」というきれい事ではすまなくなっており、否が応でも「拝金主義」を賞賛する若者が増えるのも仕方なかろう。
時の人ホリエモンは、聞くところによると、幼少の頃、経済的な理由ではなく教育方針だろうか、親から小遣いを一切与えられなかったという。彼の少年時代といえば今から20年くらい前で、その頃は景気もよく、周りの子どもの生活は豊かであっただろう。
それをどのように見つめて成長したのかはわからないが、多分「金」への執着心はそういう環境によって大きく膨らんだのではないだろうか。やはり人は、豊かに暮らせば金銭にも鷹揚になれるが、貧しい生活のなかで成長すれば金に対する価値観は大きく違ってくる。「金がすべて」と広言するのもわからぬでもない。
私の子ども時代は戦後間もない頃で、誰もが貧しく、豊かな家の子どもはごくわずかであった。服や靴下を繕って身につけるのは当たり前、風呂に入らず黒い顔をしている子どももいて、みんなが同じような境遇であったから経済格差などという、言葉すらなかったと思う。だが、我が家も貧乏であったから金の有難みは身にしみて分かっている。
豊かな時代に、自分の家だけが豊かでない、それによって気持ちの豊かさまで失ってはならないが、未来を担う子どもの生活が脅かされるような社会になった原因はどこにあるのだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます