鳥取市にあるホスピス・ケアを行う「野の花診療所」を知ったのは、5年ほど前になろうか。その頃、購読紙に1年にわたり毎週土曜日、院長・徳永進先生のエッセイが掲載されていた。数多くの患者の死を看取った徳永先生が、終末期のガン患者らの生と死に向き合う日々や、また死に逝く人たちの最期の様子を、暗くもなく、悲愴でもなく、ユーモアをまじえてつづられたエッセイである。
2003年7月、そのエッセイが一冊の本になったことを知り、さっそく買い求めた。「野の花診療所の一日」と題されたエッセイ集は、涙と笑いを誘う、なんともいえない心温まるものである。このエッセイは診療所のHPの「野の花の一日」というサイトでも読むことができる。
死を間近にした患者と先生、看護師との会話の明るさ、楽しさ、おもしろさはどこから生まれるのだろうか。患者の希望にできるだけ応えたいという先生の方針で、一緒に酒を飲み、花見に行き、ドライブにも出かけ、どこへでも行動を共にして、患者としてでなく一人の人間として接する姿勢がとても温かく感じられる。患者は死に際して怯えることもなく、安らかな最期を迎えているのは、最期まで人間らしく生きられたことにあるのではないか。また、いかに医師をはじめ看護師、職員たちの心からのケアが行き届いたものであるかを物語っていると思うのである。私も、もしあと何ヶ月という状態になったなら、絶対ここへお世話になろうと勝手に決めている。
その後、一昨年の春先だったと思うが、私の住む街に徳永先生が来られて講演会があり、私も拝聴した。市内のプチソロミスト(女性実業家や職業婦人などで構成される女性のための国際的な社会福祉団体に所属する会員)主催で開かれたのであるが、会場は大勢の人であふれており盛況だった。少し頭は薄くなっているが、柔和な笑顔を浮かべた、小柄で、やさしい人柄を感じさせるお方であった。多分今年還暦を迎えるお歳であると思うが…。
先生は、いつもがんばらなくていい、死をおそれないでと言われる。「死を自分のもう一つの星に行くこと」ととらえると、その星でどのように生きようかと考えなくてはいけないかもしれない。また、何も考えずに死んでいくのはもったいないといわれるのである。
自分らしい死に方とはなんだろうか。まもなく死ぬとわかったら考えることができるだろうか。いや、私ならまもなく死ぬとわかったら、一日一日を生きてゆくのが怖くなるかもしれない。人間の寿命は誰にも分からないから、今日も眠ることができるのである。明日朝、目覚めることができるかどうかわからないと考えたら、とても眠ることはできないだろう。自分らしい死に方を考えることは、よほど人生に達観していなければできそうにもない。でも、考えねばならないことだと思っている。
徳永先生は、診療の合間に往診もされるとか、その多忙な毎日にも数々の本を出版されているが、そのバイタリティはすごいと思う。こういう方こそ現代の「赤ひげ」といえるのかもしれない。
2003年7月、そのエッセイが一冊の本になったことを知り、さっそく買い求めた。「野の花診療所の一日」と題されたエッセイ集は、涙と笑いを誘う、なんともいえない心温まるものである。このエッセイは診療所のHPの「野の花の一日」というサイトでも読むことができる。
死を間近にした患者と先生、看護師との会話の明るさ、楽しさ、おもしろさはどこから生まれるのだろうか。患者の希望にできるだけ応えたいという先生の方針で、一緒に酒を飲み、花見に行き、ドライブにも出かけ、どこへでも行動を共にして、患者としてでなく一人の人間として接する姿勢がとても温かく感じられる。患者は死に際して怯えることもなく、安らかな最期を迎えているのは、最期まで人間らしく生きられたことにあるのではないか。また、いかに医師をはじめ看護師、職員たちの心からのケアが行き届いたものであるかを物語っていると思うのである。私も、もしあと何ヶ月という状態になったなら、絶対ここへお世話になろうと勝手に決めている。
その後、一昨年の春先だったと思うが、私の住む街に徳永先生が来られて講演会があり、私も拝聴した。市内のプチソロミスト(女性実業家や職業婦人などで構成される女性のための国際的な社会福祉団体に所属する会員)主催で開かれたのであるが、会場は大勢の人であふれており盛況だった。少し頭は薄くなっているが、柔和な笑顔を浮かべた、小柄で、やさしい人柄を感じさせるお方であった。多分今年還暦を迎えるお歳であると思うが…。
先生は、いつもがんばらなくていい、死をおそれないでと言われる。「死を自分のもう一つの星に行くこと」ととらえると、その星でどのように生きようかと考えなくてはいけないかもしれない。また、何も考えずに死んでいくのはもったいないといわれるのである。
自分らしい死に方とはなんだろうか。まもなく死ぬとわかったら考えることができるだろうか。いや、私ならまもなく死ぬとわかったら、一日一日を生きてゆくのが怖くなるかもしれない。人間の寿命は誰にも分からないから、今日も眠ることができるのである。明日朝、目覚めることができるかどうかわからないと考えたら、とても眠ることはできないだろう。自分らしい死に方を考えることは、よほど人生に達観していなければできそうにもない。でも、考えねばならないことだと思っている。
徳永先生は、診療の合間に往診もされるとか、その多忙な毎日にも数々の本を出版されているが、そのバイタリティはすごいと思う。こういう方こそ現代の「赤ひげ」といえるのかもしれない。
ある日、まだ若いしかしやせ細った女性が個室に入られました。毎日まだ低学年の子ども達がお見舞いに来ていました。どうやらお母さんのようです。最初は病名は知りませんでした。でも、ある日その子ども達の前でお母さんが会話しているのが聞こえました。「明日ホスピス棟のベッドが空いたから移動するね...」なんともいえない悲しみを覚えました。でも、子ども達の反応は違いました。「よかったねママこれでもっといっぱい遊べるね!」「ママもたのしみよ...」
次の日移動されました。骨髄性白血病だったようです。
話かわり親族にもホスピスで最後を迎えた人がいました。最後の一日まで自宅で家族と暮らす外出許可をいただいていました。その間、身辺整理をきちんとこなし、旅たたれました。
みなそれぞれの生きかたがありますね。
それぞれの生きかたに他人はなるべく干渉しないことが一番のケアだと思います。
ターミナルケアのホスピスの数はそんなにたくさんはないでしょう。でも、安らかに最期まで人間らしく過ごせるのはホスピスしかないし、病院でスパゲティ症候群といわれるようになりたくありませんね。
私の家系はガン系統なのか、父を始め、身近なものだけでも7人くらいガンを患い、生存しているのは弟と従兄弟だけ、弟はまだ5年が経過してません。
私もいつか…って、気がしますが、こればかりはどうもネ。