高知県には稀な神社があると聞いた。
標高500mほどの断崖の岩窟にある「聖神社」という。
地形図を見たが、断崖も神社もその地図記号の表示がない。
越知町の越知橋から坂折川(大桐川)に沿った県道18号線を西に走り、下ノ谷を経て大屋敷に到る(越知橋から約17km)。ここから東の小日浦(こびうら)集落を目指す。
小日浦集落へのヘアーピンカーブの手前(大屋敷から約3km)を右に走って、600mほど先に小さな「聖橋」にかかる。その直ぐ先の左側に「案内標識」があった。
写真上 聖橋
写真中 聖橋奥中央に見える案内標識
写真下 案内標識から聖橋方向を見たところ。右側が山道入口。
ここから山道に入る。渓谷沿いの道で、踏み痕がはっきりしない。うっかりすると、道を失いそうだ。
途中に、坑道跡があった。なんでもこの山は終戦の年の前後10年ほど、マンガン鉱採掘で賑わったらしい。坑道は30mほどで、奥は渓谷に突き当たっていた。
写真上 坑道跡案内標識と左奥は坑道入口
写真下 坑道の奥
ここから道は険しくなる。幾つかの木の梯子を通過した。梯子の足下は断崖である。
最後の梯子の直ぐ上が岩窟で、建物が聖神社らしい。
石垣を築いて平地にした上に神社が建っていた。
左側は断崖である。柵が危なっかしい。神社に沿った奥に入口の階段があった。
中も外もごく簡素な造りである。祭壇には「不動明王」が祭られていた。
簡易高度計では500mと表示されていた。
この断崖の下は渓谷のはずだが、樹々で見えない。
断崖にある神社で思い出したことがある。
鳥取県三徳山(標高900m)にある三佛寺の奥院である「投入堂」である。
ここも標高500mの高さにあるようだ。平安時代後期の建築らしいが、その建築方法は謎らしい。ここに山岳修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)が平で造った建物を法力で投げ入れたという伝説が生まれたのであろうか。
この訪問で気づいたことを以下に記すので、参考にして欲しい。
① 「聖橋」付近には駐車場所がありません。少々離れても地元車や
工事車の通行に支障のない場所を探すこと。
② 道は踏み跡がはっきりしないので道を失わないように要注意。特
に坑道跡からの下山では、水平に真っ直ぐな道ではなく、その右側
の下り道を降りること。
③ 靴は底の平たい滑りにくい靴あるいは登山靴を用意のこと。
HN:バンダナ
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