西山よしおからのメッセージ

愛知県津島市、市議会議員としてこの地域の将来を考え、皆さんの意見を取り入れ、還元できる方法を提言できる場にいたします。 

価格破壊の罪と罰

2010-04-14 18:30:47 | Weblog
外食産業大手、牛丼チェーンの「吉野家」「すき家」「松屋」が一斉値下げ。
弁当業界では200円台の弁当は当たり前。
うどん屋さんも大手が安売りでチェーン展開している。
もうそこには、この道を励んできた「独自のもの」など存在しない。
ネット価格がまかり通り、つるべ落としの価格破壊が末端までくれば、消耗戦の末に、そこは利益の無い、文字通り無益な荒野の決闘と負の連鎖。
構造不況は百貨店にまで及び、メーカーは「ものづくり」への意欲をそがれる結果、延長線上にある「自分独自のもの」・「本当に自分が創りたいもの」への工夫もなく、力も失ってしまう。もう、そんな無益な競争はやめるべきであり、独自に培ってきた技術を発揮する時がきっと来ると思います。きっと出来ます。小売店もメーカーも自信を持ってください。


近道

2010-04-13 20:34:57 | Weblog
「まちづくり」には決して近道などはあり得ない。
市民病院を立て直すにも急に改善するはずもなく、もっと気長に構え得なければならぬのですが、「どうだ、どうだ」と回答を求められるケースがあり、答えに窮することもあります。投資を先行させ、収益を求めるのに投機的な考えはリスクの方が大きすぎるわけです。

ですから「まちづくり」においても、長年培ってきた、この地独自の「伝統や慣習」といった文化と経済的な支援により、身の丈に合った進展が望まれるのでしょうか。
そこに住む人がどうしたら良い「まちづくり」ができるのか、今一度考えなおしてはいかがでしょうか?
分かっているけど、進まない。個人のエゴとビジョンの無さが災いし、方向性が見いだせない。
近道はありません。そのために私たちは今できる事から着実に、そして諦めないこと。これしかないと思います。

愛西市

2010-04-11 13:54:06 | Weblog
「愛西市」。本日より1週間、選挙でやかましいかもしれません。よそから見えた人は「それどこ?」という具合。
なじみが薄いのですかネ。
2005年4月1日、旧2町2村(佐屋町、佐織町、八開村、立田村)が対等合併して発足。人口、6万5千強、面積66平方キロ、三か月型の地形をしており、今回が2回目の
市議会議員選挙であります。

2004年9月の定例会、私の一般質問が中日新聞に取り上げられました。
愛西市の合併を批判する形の内容でありました。
合併が良かったのか、悪かったのか。結果は別として、合併の是非を問う住民投票が否決され、新市建設計画をシンクタンクに委託していることを批判したものでした。「先ず、住民の意思を尊重、反映すべきである」と云うことと、中身(津島市)の抜けた、(まんじゅうのあんこのない)地形では何かと使い勝手が悪い、特に中核市実現に向けて津島市の合併待望論が強かっただけに、取り残された「津島市」の現状を憂い、発言させていただきました。
過去、海部西部において、「市」として機能していたものは「津島市」だけであり、周りの町村にとって「津島市」は鼻もちならない存在であり、迷惑もかけて来たのでしょうか。
それでも、私は今でも質の高い行政サービスを生み出し、将来の発展を見据え、再度、足腰の強い中核市を目指し努力すべきであると思っております。


隣市の選挙はわが市の選挙

2010-04-10 14:30:18 | Weblog
明日からはお隣、愛西市議会議員の選挙。1年後はわが市の選挙。
4年前から選挙運動。1週間で結果が出せるものでもありません。バラマキ・接待でもすれば別ですが。
私は残された1年も「悔いの残さないよう」活動に励み、「結果、皆さんの信任を得ることが出来れば、」と腹をくくって割り切って考えてはいますが、中には議員の資質に関係なく「議員になるのが目的」のような方もいるのも事実であり、悲しいかな、議員全体が一括りとして扱われる歴史があります。
お隣の選挙も勉強。自分は自分であり、他の人にはない、独自のものが出せるか。
今の自分を見つめなおすいい機会でもあります。

言葉の貧困

2010-04-09 20:54:19 | Weblog
日本語の持っている微妙なニュアンス。「言の葉」(ことのは)と言われるような細やかな表現、不思議な力、「わび・さび」の世界。
今の若者が使う「はやり言葉」を理解していない老人の意見かもしれませんが、あまりにも「言葉使い」の乱れ、語彙の貧困さには、悲しみを覚えるのは私だけでしょうか。
チョッとした何気ない言葉使いが、人の心をなごませたり、いやされたり、逆に傷つけ、不愉快にさせたり、おとしめたりさせるものであります。
この社会は所詮、人間同士。お互い、細やかな言葉の中に、温かなそして思いやりのある表現を身につけ、普段の生活の中にも、心と心を結びつける「言の葉」の意味を大切にしたいものですネ。
そう云いながら、私も多くの人を傷つけてきたのか、反省するわけです。


教育におけるゆとり

2010-04-08 22:38:12 | Weblog
ゆとり=余裕。この解釈で云えば、家庭にとっての「ゆとり」なのか、児童生徒にとっての「ゆとり」なのか、それとも先生・学校にとっての「ゆとり」なのか、皆ひっくるめて「ゆとり」が必要であるのか、漠然として分かりずらいものですネ。
家庭にとっての「ゆとり」が、子どもにとって「ゆとり」を生み、先生の「やる気」が子どもの「やる気」に繋がり、その先生をやる気にさせる環境を用意するのが学校であり、家庭をはじめとする地域社会全体であります。
教科書のページ数が増えても賢い子どもに育つ保証はありません。むしろ成績よりものびのび育つ子どもがこれからは必要時が来るのです。
まともに日本語も喋ることが出来ない子どもに、英語教育で学力を向上させ、家に帰ったら「クソばばあ、クソじじい」と言われて親はじっと耐えていくのですか。
「ゆとり」が求められる今こそ、子どもとじっくり向き合う時間、これが「ゆとり」そのものであるのではないでしょうか。

一人、2票?

2010-04-07 15:38:23 | Weblog
「つい、魔がさして」一人で2票を投じてしまいました。

これは民主国家を愚弄し、傷つけ、否定する行いであり、単なる笑い話では済まされません。
一人で2回のチャンスがあったらこの国の政治は崩壊し、破滅の道をたどることになります。小学生でもわかることを、一介の政治家である前に人間としてあるまじき行為である訳です。
決して許されることではないはず。相手の主義主張を非難する立場にありません。
そこまで腐ってしまうと、もう「政治不信」は止まりません。悲しいことですネ。

男児たるもの

2010-04-06 11:36:54 | Weblog
本日、小学校の入学式に出かけて参りました。
この小学校では、男児の方が11名ほど多く(比率にして約1割)入学されましたが、この傾向は他の小学校でも共通しているようであります。
まさに男児受難の時代になり、今後、社会は女性優位の時代、即ち、男は「好きな人なら言いなり」となる、ひ弱な青年ばかりが目立つ、目の前はイバラの道が待っていることでしょう。
心なしか男児はそわそわ落ち着きのない態度が目についたのは、私の偏った想いのせいでしょうか。

「まつり」って何?

2010-04-05 21:30:43 | Weblog
先週土曜日は「犬山」の桜・花まつり、そして「山車」。
昨日は津島天王川の桜、そして「山車」。
観光客・見物客の人数の違いには、歴然とした差がありました。
先ず、規模の大きさ。
そしてそれに賭ける行政の意気込みの違い。
どこにそんな違いがあるのでしょうか。
市は後援者であると共に、進んで宣伝していく役割を果たしていないのではないか?
せっかく新聞報道されているのに、その割には見物客もまばら。

津島の中之町・上之町の山車祭りに、私も飛び入り参加させていただき、「餅つき」・「山車」の曳きまわし、その熱気をもろに感じました。
コーチをしていただき、すぐに仲間として受け入れていただき最高の気分です。
やはり「まつり」は汗を流し、参加することほど楽しいことはありません。

まさしく、「まつり」は市民が創る最高の「まちづくり」であります。
お陰さまで、腕・肩ほかアチコチが痛くてたまりません。でも最高の喜びは、何にも変えられない経験であり、いい勉強をさせていただきました。
ありがとうございました。

安売り合戦のなれの果て

2010-04-04 20:29:36 | Weblog
「安売り合戦」の行きつく先。「価格破壊・消耗戦のなれの果て」は、まさしく「技術立国」日本の最も得意とした分野である、「研究開発・ものづくり」の危機であり、やがて国全体の体力が失われていくことを意味します。
消費者にとっては「ありがたいこと」が、実は、すでに体力を失った人にごちそうをしても、むしばまれた体にとっては受け入れる力も残されていない状態ではないかと思うわけであります。
「ユニクロ的経済」は寡占・デフレを助長し、今、中国経済が躍進する理由もこの辺にあるのか、とても一過性の価格の下落とは考えられないのであります。
価格上昇の硬直化はいつになったら、解凍されるのか、国政のかじ取りは難しい岐路に立たされています。