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大人の手をやかせる子はみんな病気なんですか? 2

2009-10-23 21:38:53 | 昆虫博士からの研究発表
大人の手をやかせる子はみんな病気なんですか? 

という疑問の『病気』という言葉は、
今、親や教師や療育関係者や社会が理解しようとつとめはじめた
『発達障がい』という言葉があらわしている概念と重ならなくなってきているように感じます。

確かに、最初、発達障がいは、病院という場で、子どもの不適応や不登校や情緒的な問題を分析する中で、体系化されてきた歴史はあるのでしょう。

そのように障害として見ることからスタートした
発達障がいに関する知識の蓄積は、
現在、発達に、ある特性がある子、
一般的な発達の順序とは少し異なる育ち方をする子、
脳のタイプが多数派ではない子というかつてより幅広い捉え方で、
子どもの困り感に寄り添おうとする親や教師たちの
情報源となっているように思います。

昭和の時代のように、差別するためにレッテルを貼るという発想は、どんどん社会から失われているのです。それよりも、違いはある、できるできないはある、
といった運命に対するあきらめを含んだ態度から、

ひとりの子の人権、可能性、幸福、最適の教育、教師のあり方を
模索していく個にフォーカスしたひとりひとりを大切にする発想が、
支持されつつあるのだと思います。

現代の学校は、確かに問題もたくさんあるのでしょうが、
かつてより、ひとりひとりの子どもを大切にしていることも事実なのです。

発達障がいの知識は、けっして、検品作業の中で、一部の子を
粗悪品として除外するために使われている訳ではないはずです。

さまざまな個性を尊ぶ、人権が大切にされつつある世の中の動きのなかで、

かつては、読字障害のある子は、知能の遅い子とみなされたり、
一生できないまま終わっていたところを、
方法さえ探ればできるようになる可能性を与えたり、

かつては感覚過敏の苦痛を訴えればわがままとして、
ただ我慢させられたり、鍛えられたり、わがままと叱られるだけで終わっていたのを、
感覚過敏を理解し、最低限の暮らしやすさを約束してあげることにつながったり、

多動ゆえに、知能に問題がないのに教育から恩恵が受けられなかった子に、
教育のチャンスを与えたり、

不登校、家庭内暴力、ニート、鬱、離職といった、発達障がいの2次障害の問題が起こらないようにする

ことに役立ってきたのです。

科学にしたって、最初は錬金術からのスタートです。
同じように、発達障がいをめぐる問題は、
最初こそ、障害を研究することからはじまったのでしょうが、今は障害という概念を越えて
さまざまなレベルの子の困り感に役立っていると感じています。

妙な例で、例えると、肩こりは病気って呼べるでしょうか?
言えませんよね。
しかし、肩こりという痛みや困り感を軽減するのに役立つ知識は、
病気の研究から出発して蓄積されたものですよね。
(そんな肩こりも、病院で薬をもらって直そうとすると、「●●●障害」なんて、
えらくかしこまった名前をつけられるかもしれません。)

それと同様に、今、発達障がいについて、正確に知りたいという方が増え、
その知識の蓄積が
子どものさまざまな問題の解決に役立ち始めた現代は、

子どもの可能性をできる限り伸ばそう、
「できない」とあきらめていたことも、解決法があるのではないか……

といった期待のもとで、発達障がいについて考えていく方が増えたのだと思います。

教師が、発達障害では?と子どもに疑問を抱くとき、「変な子だな~」と思って、親を傷つけるために、そうした考えを持つことはめったにないと思います。
どう教えてもできるようにならない子も、
きちんと正しい手順を踏めば……方法を学べば……解決法を探れば……
できるようになるのではないか?
そうした思いで、発達障がいについて学び始める方がほとんどだと思います。


話が長くなりすぎたので、次回に続きます。


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大人の手をやかせる子はみんな病気なんですか? 1

2009-10-23 18:14:39 | 番外
☆発達障害児は多すぎる? 1
☆発達障害児は多すぎる?  2
の記事に、次のようなコメントをいただきました。

ひまさんがとてもていねいなコメントのお返事をしてくださっているのですが、私も、少し書かせてくださいね。(まだコメントのお返事ができていない方、後回しになってすいません)


今は親ともに安らぐ子育てはしてはいけないのですか?昭和の時代の子育てはジャイアン症候群とかのび太症候群なんて病気はありませんでした。ジャイアンのような子はガキ大将として、のび太のような子は、優しい子として周りは接してくれていました。しかし今は少しでも着替えが遅いと病気ガキ大将的存在の子は病気、何か苦手な分野がみつかると、病気!病気!病気!何なんですか?!大人の手をやかせる子はみんな病気なんですか!


昭和の時代は、ある意味、おおらかで生きやすい時代でしたよね。

昭和の時代は、確かに病名こそつかなかったけれど、虐待に近いしつけもまかり
通っていたはずです。また明らかな差別もありました。
理解できないものは、追い払う、排除する、という人権を無視した行為が
行われても、だれも疑問も持たないような空気もあったのです。

「窓際のトットちゃん」がちょっと落ち着きがないからと、
小学校をやめさせられたことを
知っている方はたくさんいますよね。

私が小学生のころも、クラスに、今なら発達障がいと診断を受けるような子がいたのですが、親たちの苦情と、先生の無理解のなかで、転校していきました。☆お塩の足りないスープ鍋
という記事で書いています。

私が中学生だったころも、今思うと発達障害があったと思われる子が保健室で体育の先生からボコボコに殴られるなんて日常茶飯事でした。

それこそ、中学3年間、最高の「悪さ」が、廊下を早足で歩いた程度という
まじめ一筋の私や友人でも、廊下で少しふざけていたという理由で、
体育教師から思い切り平手打ちにあったり、頭をげんこつでなぐられたりしたことが何度もあるのです。
教室で態度が悪い子がいるからと、英語の教師が教室内で竹刀を振り回したこともありました。
でも、どんな理不尽な出来事も、テレビのニュースで取りあげられることもなければ、親たちが騒ぐこともありませんでした。

また、当時は医学的な知識がなかったので、自閉傾向を持つ子の母親は、育て方が原因とされて周囲から責め立てられ、
それは辛く苦しい思いをして子育てをしていました。
きちんとさせようという責任感が、子どもへの虐待行為に
なっていたことも多かったと思います。

実際、大人になって発達障がいがあることに気づいた方が、
子ども時代を振り返って、辛い記憶を告白するとき、
先生から汚いもののように扱われたり、裸に近い格好をさせられたり、
「また学校に来たのか?よく来るな…」といやみを言われたり……
と信じられないようなお話をたくさん耳にすることがあるのです。

それでも、昭和の時代は、大人が今のように子どもを監視する習慣はなかったので、
どこか間が抜けていて、すき間だらけで、
やんちゃで乱暴な子にも、いじめられっ子にも、居場所があったような気もします。
また、確かに、小学校が、親たちから文句を言われない完璧さを
保とうと今のようにピリピリしたところがなかったのでしょう。

長くなったので、引っ張るようですが、続きは次回に書きますね。



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