風は強いですが、朝から快晴、外は眩しいです。 でも嫌なニュースが入ってきました。 仙台市での中学生のいじめに起因すると思われる自殺です。 2014年9月、2016年2月に続いてまたしてもということになります。
いったいどういうことでしょうか。解明が待たれますが、解明したところでそれがいじめの絶滅につながるかどうかと言われればそれは難しいことでしょうね。今までだって痛ましい犠牲があってから、事実関係を究明しそこから教訓を取り出し、今後の方針に活かしていくということは繰り返されてきたのですが、そういうことの繰り返しだけで全体の共有となり、いじめの抑止力となってはいないようです。
なぜでしょうか。なんでこうも痛ましい悲劇が繰り返されるのか。親や教師の段階ではいじめを無くそう、いじめは許されることではないと納得していたとしても、肝心の子どもたちの間で本当にいじめはよくないことだという認識が共有されているのか、共有されていると言えるのか。
そこが一番大きいかつ肝心なことだと思います。 いじめ事件、いじめによる自殺という事件が起きたときの親なり学校なり教育委員会等の対応の仕方、拙い対応に仕方を見ているから、その後の親なり教師や学校による子どもたちへの指導が子どもたちの心に沁みて行かない、本当に大人たちはいじめはよくないと思っているのか、今までの指導等を反省しているのかという不信感みたいなものがあるから、子どもたちへの指導や教育と言っても真剣に聞いてもらえない、不信感があるのではないか。
大人たちの初期対応の拙さ、隠そうとしたり、うそをついたりなるべく知らせないようにする態度がよろしくないから、その後いくら教育委員会や第三者の委員会がいくら立派な提言等をまとめたとしても子どもたちの心に響くものとはなっていない、そこに問題があるのではないでしょうか。
いじめたりしている子どもたちの気持ちや内面の葛藤に踏み込み、そこからいじめ防止の方策、教訓を生み出すようにしないのであればいくら大人たちが議論してもはじまらない、大人は大人で、子どもは子どものまま平行線になってしまう。そこに二重の悲劇みたいなものが生まれる余地ができてしまう。
子どもの心理に詳しく、常に寄り添いながら授業ができればいいのでしょうが、この前の文科省の発表にもありましたが、小中の先生方はとにかく忙しすぎる、授業以外のことに時間を割かれ過ぎているということも大きな問題だと思います。
ここは地道ではあってもとにかく先生方を増やして、子どもたちと常に触れ合いながら授業ができるような環境をつくっていくことが是非とも必要ではないかと思います。しかし現実は道徳教育や外国語教育の導入等が進められる一方、経費の面から先生方を減らそうというのが財務省の考えのようですし、本当に子どもたちのための小中学校の”権利教育”とはなり辛いのが悲しいですし、残念です。
きょうは天気がよかったからか、河原には小さな子どもを連れた親子連れの姿が多く見られました。
そして嬉しいことにこういうものが分流で見受けられました。
小魚です。 数匹群れていました。
今年初めての目撃と言えるのかな。 やはり増水したときに分流にもやってきてくれたのでしょうか。このまま居ついてくれて、一杯増えてくれれば嬉しいですね。
本流の右岸の崖下にはこういうものが。
割と上の方の岩盤にいました。
ここは日陰ですから、日向ぼっこではありません。 この崖の上の大木ではこういうものが見られました。
トンビです。 靴下かタオルか?
足元に布切れが見えます。
またこういう風景も見られました。 フライフィッシングです。釣りというよりもフライを振る練習をしているかのようでもありました。
中洲で見たモンキチョウです。
まあよく動き回ります。 ついて行くのが大変でした。
本当におちつきがありません。