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のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

叱られて 口には出さぬが眼に涙

2015年03月21日 07時37分45秒 | うたごえ

童謡の 叱られて この一節にある歌詞 口には出さぬが眼に涙

なんだか人生の中でも こんなシーンが数々あったような気がする

そして誰しもが そんな想い出があろう

 

 

昨日は 墨田のうたごえ講座 私は少しは講師らしく?ピアノ伴奏だけでなく曲の解説をする

例えば 平城山(ならやま) 北見志保子の短歌2遍に平井康三郎が曲を付けたものである

志保子は帝大出の夫の主宰する夫の弟子と恋仲になる 言わば不倫の愛である

 

夫との軋轢を経て協議離婚するが 世間は当時冷たい 相手の父が立腹して彼を留学させる

この時の心情を 平城山にあって 古事記に描かれる仁徳天皇の皇后に重ねて詠んだ

天皇は磐之媛(いわのひめ)皇后の旅行中に新しい女性を迎え入れてしまったのである

 

現在の京都と奈良の県境にある平城山 ここで天皇の迎えを待つが会うことは無く果てた

人恋うは 哀しきものと 平城山に もとおり来つつ 堪えがたかりき

いにしえも つまを恋つつ 越えしとう 平城山の道に なみだ落としぬ

 

 

短調の琴の音に似あう もの哀しい曲 私も大好きである

そして 叱られて 童謡の中でも好きな曲だ

添乗員をいている時は 何度もこんな想いをしたものである

 

自分の力ではどうしようも出来ないことを お客様に強要されたり責められる時だ

殆どの方は 私の仕事ぶりを見て 寛容の心で見てくれる

そんな時 ハーモニカで こんな曲を演奏して詫びたりする

 

それまで怒っていたかたも 心が鎮まり 多くのお客様が感動の拍手をしてくれた

そんな想い出と もう一つ ふるさとの話を良く紹介する

私の故郷は 信州の山奥 電気も無ければガスも水道も無い バスも見た事無い

 

 

有る程度 恵まれた家は 電気もあるし ラジオも有った

我が家は何も無い 茅葺きの粗末な家は 雪が降れば家の隅が積っていた

夜はランプ このホヤは 一晩ですすけて真っ黒になる 毎日すす磨きである

 

灯油が切れると 一升瓶を背中に背負って 山を越して向こうの街へ買いに行く

そんな暮らしである 兄が昔の私を思い出して良く言った

お前はなぁ 叱られると必ず山の中へ入って行く でも必ず何かを採ってくる

 

悲しみを 何かを採ることによって紛らわせた 時には きのこであり 時には蕨だ

冬は辛い 食べ物が無い 大根の葉は干してあった それを食べる

おしんで紹介された大根飯 私たちには その飯が無い 葉っぱだけである

 

空腹を満たすため 雪に醤油を掛けて食べたりした

その他のシーズンは 食べられるものは何でも食べた カエルもコオロギも蛇も・・

つつじだって握って食べた 当然 いつも栄養失調だった 腹ばかり膨れ眼がギョロだ

 

 

父は後年 私に言った 出稼ぎに出かけて 今度はお前が生きているかなって思ったそうだ

妹は私と二人で体験した 幻覚の話を時にするが 誰も信じてくれないだろう

雲を見ていたら それが形となり空から降りてきた そしてあらゆるものが踊ったり歩いたり

 

田舎の山は夜は漆黒 それでも月夜は明るく周囲を浮かび上がらす

そんな中で兄弟で歌ったそうだ おぼろ月夜 か荒城の月 だったか

翌日 村で話が伝わった 山の上の方から綺麗な歌声が聴こえて来たと・・・

 

     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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妹の眼の手術1回目 それでも逞しい

2015年03月20日 07時32分27秒 | うたごえ

どうだった? 私も このブログへ言葉を寄せて頂いた皆様へも気になる報告

昨日 妹から電話が有った 1回目の手術は無事済んだらしい それも日帰りで・・・

短絡的な私は少し良くなったと聞きたいが すぐには結果が出ない あと3回の手術だ

 

もちろん 視力が回復すれば最高であるが だめで元々と考えるしかないと言っていた

取りあえず良かった 連れ合いは一緒に行ったのかい?と私が問う

車があるわけではないから 一人で行って来たよと言う

 

 

何とも逞しい妹である 私なら不安で一杯 怖がり症でもある

4人の子育て 他人の子を預かって面倒を見ていたあたりから肝っ玉母さんの感じであった

そうか 壺坂霊験記のように 二人で寄り添い行ったんじゃないんだと心で笑う

 

バスと電車で 聞きながら行ったのよ

聞きながらということは バスも電車も表示が見えないから他人に聞いて確認することである

ホームの行き先も 来る電車の案内も 見えないと不安と不便なものであろう

 

霧の中を歩いているようだったと言う

内心は不安と闘いながら この先のことも考えているだろうが声は明るい

まあ 今までよりは 少しは私も思い遣って元気付けねばと思った

 

 

永い人生 いろいろあるし 試練も有る みんな乗り越えて生きているんだ

私は今日も墨田のうたごえ講座 素敵な女性たちが 歌の時間を楽しみにしている

こんな幸せな時間で元気を醸成して あちこちに また笑顔と共に分けてあげられる

 

 

     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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無手勝流で認知症の方に向かい合って7年目

2015年03月19日 08時15分10秒 | うたごえ

この施設に来てから6年は過ぎて 7年目に入るのか

昨日 介護施設に行って 当時のことが思い出された

あれから スタッフは全員入れ替わって 眼の前の方たちも変わっている

 

 

私が添乗員をしている間 いつもハーモニカを持って歩いて ツアーの間に披露する

移動時間の長い時 それぞれの土地を語る時の歌の紹介など 場面に応じて演奏した

夕陽が落ちる頃 帰路の心地よい疲れの時など 皆さんが感動をしてくれたものである

 

ある時 若い娘さんがお客様として乗っており ツアー中も会話を少し交わした

最終解散地点で 私にメモを寄こした そこには こう書いてあった

感動をしました 是非 私の勤める介護施設へ来て 演奏してくれないかと・・・

 

 

それまでに単発的には施設訪問などは続けてきたが ここは訪れた瞬間戸惑った

今までは 歌の訪問なら 必ず反応があって 語りと伴奏で楽しくさせられる

後で聞いて 現在でもそうだが 誰もボランティアが来ない 私しか訪れない

 

テーブルが 幾つか有り そこに利用者さんがそれぞれ座っている

食事やおやつの時間を除けば ただ ひたすら じっとしてるだけである

デイの方たちにして見れば 帰りの時間をただ待って居る無気力で有った

 

当然 スタッフの方たちも何をしていいのか分からず ただ ボゥッと立って居る

さあ 私一人で何を始めようか 紹介も無ければ うつぶせ 居眠りの方も多い

ここは 開き直りしかない 私の本格的な意気込みは ここから始まった

 

 

最初は童謡唱歌を そして懐メロを流しながら反応を見ていた

そして 本来は一回でも良いハーモニカの演奏だったが 私は決めた

音楽で 何とか心の窓を開きたい 出来れば歌わせてみたい 笑顔が見たい

 

専門的には音楽療法があるが 私には資格は無い しかし 心と歌がある

きっと役立つ この施設へは毎月来よう 何時か少しでも変えて見たい

それからは キーボードを持参した 心で祈りにも似たもので神経を集中した

 

 

それまで ただ座っていたのを対面式にして貰い 常に顔を状態を眺めながら進める

何回も通うようになって ようやく反応が少しづつ出て来る

全部ではないが 小さく口ずさんだり 手指が動く方が出始めた

 

他の施設なら 歌声が聴こえ 私も歌の時間として楽しめる

ここでは 全く静か 私がしゃべったり 伴奏する以外は静けさだけである

やがて有る一部の方は この時間が終わると楽しそうで食事の意欲を増したと報告された

 

だんだん スタッフの方の協力が出始めて 私の意見を聴いたり 自発的に手伝う様になる

私も皆さんの顔を覚え 一人ひとりの反応を伴奏しながら見分ける余裕が出来た

歌っていなくても 顔が合うと嬉しそうな方も居る だから全体をいつも見る

 

 

他の施設より程度が重い方が多く 現在も続いており 非常に難しい

こう言う施設では 他のボランティアでは正直 反応が無い為来ない

相変わらず 私だけが通い続ける

 

認知症 誰でもなりたくない 私だって絶対嫌だ 

周りにも迷惑を掛け 家族崩壊や 老々介護の悲惨さもある

何より人間としての尊厳を失われることが 見ていてやり切れない

 

 

軽度の認知症なら音楽によって治すことも出来る 進行を遅らすことが出来る

それが無理でも 心の安らぎのひとときを感じて貰うことが出来る

改善されてきた方もこの目で確かめて来た 笑顔の数が増えた

 

私の出来ることで 歌を楽しみ 笑顔が浮かんでくれたら こんなに嬉しいことは無い

稀には ご家族の方が見えていることがある 話はできないが 遠くで眼で感謝されている

無手勝流の音楽療法 無手勝流の独学のピアノ ボランティアとうたごえの人生は続く

 

     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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娘と墓参りへ ああ高速逆走だ~

2015年03月18日 08時36分49秒 | うたごえ

娘が先日 墓参りへ一緒に行きたいと言ってくれた

私は彼岸には妹夫婦と行っているが 娘が一緒に行くのは20年ぶりくらいだろうか

もしかしたら 私も入るかも知れない墓でもある その心情が素直に嬉しい

 

妹の眼の手術が今日行われる

それで前日になるけれど せめて両親などの加護も祈って来ようと約束した

花も買っておいて貰い 私は昨日の朝 車でさいたま市の娘の家に向かった

 

 

一般道でも1時間も有れば着くが 向島首都高入口が有り車線が右折に記されている

その右折車線で良く見たら 東北道方面には行かれません の案内が出ていた

しまった 反対の入口である 本当は直進したいけれど車がいっぱいで曲がるしかない

 

一方通行で入るからUターンもできない

高齢者の高速道路逆走のニュースが多く 頭に浮かんだ

ええいままよ 銀座方向でも入るしかないから 一区間で降りれば良い

 

入ったとたん驚いた なんと大渋滞で少しも動かない 1メートル進んで2.3分休む

ラジオでは竹橋辺りで緊急工事が行われており この影響で各路線が渋滞していると報じている

ああ なんてこった 動かない高速でメールも電話も出来る とりあえず知らせる

 

箱崎まで2.5キロ 実に要した時間が 2時間半 途中で車を放り出したい気分にもなる

いったん降りて 今度は下り路線を走る 今度は大渋滞を眺めながら飛ばせる

娘の家に着いたのが 予定時間から3時間も遅れた

 

 

すぐ 出発して八潮の妹の家に向かう

着いたけれど あまりにも遅く 妹は今日の眼の手術もあるので墓参りは断念した

買っておいた花束と お供えのおはぎを預かり 娘と二人で墓参りに行く

 

墓の前で祈る 今日は娘を連れて来たよ 孫娘と先月ドライブにも行ったんだ

明日 妹の眼の手術 かなり症状が重いので どうか成功するように助けて欲しい

普段は写真を飾って花を供えているが 墓参りを済ませると心が和む

 

夕食も二人でファミレスで済ませたが かなり日常のことなど話し合えた

助手台でも 結構会話をしているので あまり会うことが少なかった娘の話があたたかい

それにしても殆ど車に乗り通し 昨日は疲れていつもより早く寝てしまった

 

 

今日は 江戸川区の介護施設へ音楽訪問に行く

ちょっと認知症が進んだ方が多い それでも歌は無くても笑顔が浮かぶ

時には亡くなった両親の顔とダブることもある その顔はいつも笑顔が浮かんでいた

 

      最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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僕は笑顔ちゃんを愛し続けた 実在する人物を描く小説「最後のデリバリー」

2015年03月17日 04時31分57秒 | うたごえ

九州の直方 小倉の南西にある小さな市である

若い頃 一人旅で九州の鉄道を乗り継いだ あてもなく車窓から見た駅 記憶に残る駅名だ

筑豊本線の周辺は この頃 炭坑が盛んでボタ山が こんもりと積まれていた

 

片田舎と言えば失礼だが 書いている本人が言うように 自然の中に囲まれた地である

英彦山と言えば観光地 この山系から流れる川の近くに光福寺がある

そのお寺や川の土手に いつも幼いカップルが居た 恋人と言うには早い

 

女の子はお兄ちゃんと慕い お兄ちゃんは笑顔ちゃんと呼んで いつしか本当の恋人となった

ここからは小説の世界と 実在の人物とが私の頭の中で ごっちゃになってしまう

ただ 二人の人生は この後 数奇な運命を辿り 彼は世界的デザイナーとなり活躍中だ

 

 

私にはブランドとは縁が遠く分からないが 世界では有名な方である

そして 彼は小説を書いた 「最後のデリバリー」である 因みに文芸社から発行された

それは純愛小説であり ヒロインは実在の方をイメージして描かれる

 

多分 東京に出るまでは実際の姿を描いたと思う

そこからは架空の物語たが 心の中では愛した女性であることは変わらないのではないか

どん底に落ちても心の中で愛を燃やし 最後に意外な形で結ばれる

 

 

ストーリーは書けないが 私にはショックが強いシーンもある

しかし 人間として 男と女として これも一つの純愛であることは間違いない

幼馴染から 二人が離れて生き それでも心の中で愛し続ける葛藤が描かれている

 

 

小説に描かれるヒロインの女性 笑顔ちゃん この方は 私のプロ友であるSさん

時々実名で私のブログにもコメントを寄せられる方である

本人が公表しているから書けるが 難病のシャイドレーガー症候群を患っている

 

詳細は理解できないが 全国で症例は146名居ると私が見たネットでは説明されていた

まともに歩くことも出来ず 体重も30キロ台になったり うつ病も併発している

凄まじい生き方を毎日綴る 私は感動と尊敬を覚えるが 励ましの言葉は見つからない

 

彼女は二つの戦いを 壮絶に毎日繰り広げている

時には 死にたいと追いつめられる恐怖の中で 生きたいと言う誰でもが願う戦いだ

もう一つは いのちをかけて取り組む寺子屋と称する 学習塾である

 

生半可な塾で無く 世間から あるいは 学校から見放された子どもたちの更生である

引きこもり 暴力 親でも教師でも どうして良いかわからない子どもたちを相手にする

今では母親も一緒になって戦っているが その記録は 教育界も感動して一目を置く

 

悪い子供たちを叱り飛ばす 体力のない身体で思い切り善悪をはっきりさせる

本来は純粋な子供たち きっと何かの原因を抱えている それを引き出す

叱った後で反省するなら 今度は思い切り抱擁する 一緒に涙を流す

 

 

こんな教師がどこにでも居るわけではない

日の当らない子どもたちを 社会に自信を持って旅立させる

本当の 笑顔ちゃん の姿がこの方である 小説の中では今日が誕生日で有った

 

      最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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