若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
越川芳明
冬でもめったに気温が二十度以下にはならない常夏キューバ。二〇一五年の春にアメリカとの国交を回復して以来、欧米の観光客で賑わっている。
ハバナには、世界中のどこに行っても見られないものが二つある。一つは、一九五〇年代のアメリカ製クラシックカーが今なお健在なことだ。もちろん、エンジンや内装は改造されているが、ボディは元のままだ。
もう一つは、旧市街地から何キロも続く海岸通り。日が落ちる頃には、住民たちが浜風にあたりに散歩に訪れる。この海岸通りには、世界中の観光地にあるスターバックスやマクドナルドの建物がない。まだ「新自由主義」に汚染されていない「聖域」に欧米の観光客も憧れるのかもしれない。
ハバナをめぐるこの旅日記にも、海岸通りが出てくる。著者は言う。「この景色は、なぜぼくをこんなにも素敵な気分にしてくれるんだろう?」と。ふと著者は広告の看板がないことに気づく。東京やニューヨークは広告だらけで、それによって「必要のないものも、持ってないないと不幸だ」といった、物質主義の価値観を無意識のうちに押しつけられる。
風景はそこにあっても、見る人の心の有り様によって、映る姿が違ってくる。著者は、「広告の看板がなくて、修理しまくったクラシックカーが走っている、この風景はほとんどユーモアに近い強い意志だ」と言いはなつ。そこに解放感の笑いがこみ上げてくる。
ハバナ湾のカバーニャ要塞や革命広場、コッペリア・アイスクリーム店などハバナの名所を精力的に歩きまわる。だが、実は、著者が自分に向かって行う「内省(つぶやき)」にこそ、本書の真骨頂がある。とりわけ、亡くなったばかりの父親をめぐる感慨は読者の胸を打つ。
「亡くなって遠くに行ってしまうのかと思っていたが、不思議なことにこの世界に親父が充満しているのだ」と発見する。スケジュールに追われる日常を振り返るためにこそ、わざわざ遠いキューバに旅したとも思えるほどに、誠実で自虐的な言葉に溢れた好著だ。
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