越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 今福龍太『ハーフ・ブリード』

2017年12月22日 | 書評

絶望を希望に反転する思想 
今福龍太『ハーフ・ブリード』
越川芳明
 
 メキシコで頻繁に使われる独特なスペイン語表現で、直訳すれば「犯された女の息子」を意味する罵倒語「イホ・デ・チンガーダ(こんちくしょう)!」がある。
 その語がメキシコ人の神話的な起源にかかわるということは、注目に値する。十六世紀のスペイン人征服者によるインディオ女性の「凌辱」から生まれた「私生児」というルーツ。それは自分ではどうしようもない過去の「恥辱」である。
 通常「混血児」を意味する「ハーフ・ブリード」とは、そうした理不尽な「恥辱」を抱えて生きている人たちのことだ。その中には曖昧な性の境界地帯に生きる同性愛者やトランスジェンダーの人たちも含まれる。
 アメリカに渡ったメキシコ人は「チカーノ」と呼ばれ、トランプ大統領の支持者たちを代表とする白人社会で、さらなる差別や障害に遭い、出口のない「閉塞感」に駆り立てられる。
 本書は、あえてそうした逆境を引き受け、「自由」に向けて血のにじむような意識変革を成し遂げたチカーノ詩人たちの思想を、著者の浩瀚な知識に基づいて、熱くかつ詳細に語った優れた研究書である。
 著者は「絶望」を「希望」に反転させるダイナミックなチカーノの思想を長い年月をかけて追い求めてきた。先人の詩人や思想家の本を何度も読み返し、自らが社会の最底辺の側に立って行動することで、おのれの思想を鍛え直してきた。
 チカーノ運動の第一世代のアルリスタから始まり、南西部の大地に根を下ろした抵抗のレスビアン詩人アンサルドゥーアや、国境地帯の文化の多層性を多様な仮面と声で例証したゴメス=ペーニャ、監獄詩人のサンティアゴ・バカ、ベケット劇のスペシャリストで監獄俳優のリック・クルーシー、根気よく国境の壁の写真を撮り続ける写真家のギリェルモ・ガリンドなど、大勢の一線級のチカーノ・アーティストたちが出てくる。
 中でも、著者によって特権的に「きみ」と呼びかけられる詩人のアルフレード・アルテアガは良き先人として、ちょうど地獄めぐりをするダンテのための案内人ベアトリーチェの役割を果たす。
 「思想には羽が必要である」(p.73←ゲラでトル)と、著者はいう。本書にはたくさんの優れたチカーノ詩が訳出されている。それらが強靭なチカーノ思想を軽やかに空高く飛翔させる「羽」であることは言うまでもない。

(『日経新聞』2017年11月25日朝刊に、若干、手を入れました。)
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