武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

冬のタンポポ

2006年12月28日 23時23分43秒 | Weblog
庭に、タンポポが、咲いた。
ポッとひとつ、間違えちゃったね、と、済まなそうに咲いている。
昨日今日の暖かい陽射しと、まるで春一番のような風を受けて、ついうっかりと、咲いちゃったのだね。明日からは寒くなるって天気予報を見るたびに、気にかかる。

温暖化だよ、おかしいよねと、あちらこちらで、話題になる。
暖房の効いた部屋で、電気製品に囲まれた部屋で、車に乗って排ガスを出しながら走って集まった人たちが、話しあう。
もちろん私も、その中のひとりなのである。しかし、つい、無口になってしまう。
タンポポに、思わず頭が下がるばかり。ごめん…。

わかっているのだから、やめればいいのに。やめられないから、人間?

電化された生活は、したくない。見えないところでエネルギーを消耗しているようで、怖い。きれいごとを言ったりしたりは、いやなんだ。
私は、パソコンと付き合っている。移動に車は、欠かせない。冷蔵庫は、必要以上に大きい。せめて冷暖房は、最低限にしたい。エアコンは、もう10年以上、使っていない。ストーブは、20畳の部屋に6畳用の石油ストーブがひとつ。20年前のガスストーブを使うのは、よっぽどの時と、餅を焼く時だけ。努力はしている。

でも、温暖化を責めることができない。しかたないよね、と、思うしかない。できることを、細々と実行しても、温暖化を食い止めることは、できないでしょう?
諦めではない。なんていうのかなあ、自分達の責任なのだから、自然界からの反乱は、素直に受け止めるしかないでしょうと思うのです。こんなこと考えるのって、いけないのかなあ。運動を起こせばいい、と言うけれど、口でもっともなことを唱えつつ、生活がそれに伴っていないのに、そんなこと出来るはずがない。

外食を楽しみながら、無添加の食生活をお勧めする仕事に違和感を感じたときも、そうだった。言ってることと、していることが違ってしまうのが、それで報酬を得るのが、耐えることができないほど苦痛であった。

庭に咲いたパンポポに、なかなか落ちることのできない紅葉に、すまないねえ、と、あやまることしかできない。不甲斐ないなあ。

なんだか、まとまりのないまま…ですね。
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