まだ入社3年の頃だったか。営業部にいた頃の開発会議。順番にアイデアを言っていくのだが、私は土中分解の繊維を開発テーマとして提案した。環境という言葉がメディアに出始めた1995年頃。ベテラン営業や上司、開発部の多くの人間は「そんなものがでればいいけど、まず無理。だいたい売れないやろ」と笑われて終わった。当時、環境というキーワードで売れるところまではいっていなかった。
「若い人の意見を取り入れよう」とは上辺だけで、ベテランは自分がいちばん偉いと勘違いしている人間がほとんどだった。私の勤める会社は、そんなふうで業績も落ちていった。
私は先輩方より先に異動したが、私を笑った人々はその後誰も元の部署にいない。まあ、横から見ている限り、あまりいい異動をしたと思える人はいない。
土で分解する繊維はその後商品化され、ひとつの柱になっているようだ。私の提案よりも前に開発が進んでいたのがわかったのはその2ヶ月後の開発会議。そういう開発をしていることを知って「この会社には、まだ救いがあるな」と当時は思ったものだ。私がいた営業は往年に花形と呼ばれた部署だったので、ベテラン勢はプライドで遊び、研究することを怠っていたのだろう。
この十数年、自分より若い社員、もしくは同期が数多く辞めていった。人ぞれぞれいろんな事情があろうが、失望して辞めた人間が多いのは間違いない。
会社には、失望慣れしてしまった私のような人間だけが残っているのかもしれない。
PHOTO : GX200
「若い人の意見を取り入れよう」とは上辺だけで、ベテランは自分がいちばん偉いと勘違いしている人間がほとんどだった。私の勤める会社は、そんなふうで業績も落ちていった。
私は先輩方より先に異動したが、私を笑った人々はその後誰も元の部署にいない。まあ、横から見ている限り、あまりいい異動をしたと思える人はいない。
土で分解する繊維はその後商品化され、ひとつの柱になっているようだ。私の提案よりも前に開発が進んでいたのがわかったのはその2ヶ月後の開発会議。そういう開発をしていることを知って「この会社には、まだ救いがあるな」と当時は思ったものだ。私がいた営業は往年に花形と呼ばれた部署だったので、ベテラン勢はプライドで遊び、研究することを怠っていたのだろう。
この十数年、自分より若い社員、もしくは同期が数多く辞めていった。人ぞれぞれいろんな事情があろうが、失望して辞めた人間が多いのは間違いない。
会社には、失望慣れしてしまった私のような人間だけが残っているのかもしれない。
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