先日とあるギャラリーのスタッフの方と話していて、最近の木村伊兵衛賞は危うい、という点で認識が一致した。木村伊兵衛賞は朝日新聞社主催の写真の賞なのだが、ここ数年選ばれている作品は、写真というより前衛アートといった感じがする。そのスタッフの方がある巨匠写真家(実質的に今の日本の写真界でトップに立つある意味権威ある方)とそれについて話をしたら
「あんなもん、写真じゃない。木村伊兵衛賞は名前だけになってしまった」
とおっしゃったらしい。
事の真意はともかく、自分のような才能のないアマチュア写真家では理解不能な領域だと落胆していたが、同じ考えを持つ方もおられるということで、少し救われる気がした。
なにせアサヒカメラに載っている今年の受賞作品を見て、とても気分が悪くなったものだから。(2名受賞だが、どちらも私には受け入れがたいものだった。)
photo : Kyobashi by PowerShot G9
「あんなもん、写真じゃない。木村伊兵衛賞は名前だけになってしまった」
とおっしゃったらしい。
事の真意はともかく、自分のような才能のないアマチュア写真家では理解不能な領域だと落胆していたが、同じ考えを持つ方もおられるということで、少し救われる気がした。
なにせアサヒカメラに載っている今年の受賞作品を見て、とても気分が悪くなったものだから。(2名受賞だが、どちらも私には受け入れがたいものだった。)
photo : Kyobashi by PowerShot G9
よね。木村さんが「このような基準で評価せよ」なん
て申し伝えたんじゃないでしょうし、ある意味選考の方々の意向に影響されますね。木村さんが生きていた
らボツにする写真でも、通っちゃうかもしれません。
私も拝見しましたが、正直どーかな? ていう感想
です。 これが今の時代の「写真」の見方なんでしょ
うか。「こんなのもありだよ」なんてメッセージな
んでしょうか。好き嫌いで言ったら、私は好きじゃないですね。
「先生はこんなの絶対選ばない」と言っていたそうです。
私は素人ですが、それでも「あっ。すごいな。いいな。」って思えるような写真が受賞してほしいという気持ちがあるんです。このままいくと、写真が可能性の拡大より、写真って変人の趣味という世間認識になってしまうのが怖いです。