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アンゴラとコンゴ民主共和国の微妙な関係(4)〜進行するアシメトリー

2018-11-08 07:30:00 | アフリカ情勢
アンゴラとコンゴ民主共和国の関係、第四回、そして最終回。

第一回記事では、現在進行する人道危機、アンゴラに身を置くコンゴ民主共和国からの移民が、一斉に送還されている現状について、
アンゴラとコンゴ民主共和国の微妙な関係(1)〜大量のコンゴ難民が強制帰還

第二話では、植民地から冷戦の時代にかけて相互に作用、反作用しあってきた関係、そして現代史におけるコンゴ戦争への介入などについて、
アンゴラとコンゴ民主共和国の微妙な関係(2)〜植民地、冷戦、内戦。そして依存関係

第三話では、2007年3月のキンシャサ銃撃戦にみたコンゴとアンゴラのただならぬ関係について、
アンゴラとコンゴ民主共和国の微妙な関係(3)〜キンシャサを制圧したアンゴラ兵?

・・・それぞれ述べてきた。

特に2007年3月のキンシャサ銃撃戦では、市内で2日2晩に渡り激しい交戦が続いたが、その際市内で目撃されたのは、戦闘から逃げていく「コンゴ軍」の兵士、一切の戦いに介入しない国連PKOと欧州展開軍(Eufor)、その後目撃された多数のアンゴラ兵だった。一国の首都に、他国の部隊が展開・・・。当時、真相は明らかにされなかったが、コンゴのカビラ「新」大統領とドス・サントス大統領のただならぬ関係が噂された。そして自国の治安維持すらままならないカビラ政権は、サントス政権に、藁をもすがる思いで介入の支援を要請。そしてコンゴはアンゴラに多くの貸しを作った、とも評された。

ただでさえ国境沿いの未帰還難民の扱い、資源や土地をめぐる争いがある上、コンゴ南東部のコッパーベルト、カタンガの資源はアンゴラのロビト港にはつながっているが、自国のまたディ港とは地続きになっていない。その上政治的な貸借関係。アシメトリックな関係が続く。


さて時は進んで現在、2018年11月。アンゴラのジョアン・ルセンソ大統領は就任後はじめてフランスを公式訪問。その際、フランス国際ラジオ放送(RFI)のインタビューに応じた。その中の主要なテーマの一つは、同国とコンゴ民主共和国との関係についてであった。

(RFIウェブサイトより、写真は2007年3月15日のキンシャサ市内)


RFI:コンゴ民主共和国との関係は?
ルセンソ大統領:両国関係は良好だ。一切何の問題もない。隣国どおしは仲良くいなければならないが、コンゴとはまさに良い関係にある。ただ一つだけ気がかりなことは、ご存知のとおり、年末の総選挙だ。現政権、野党、市民社会、カトリック教会など、国内の関係するステークホルダーによる合意があるが、雲行きがあやしい。それだけではない。近隣国、国際社会・・・海外との関係も同様だ。あらゆる関係者が、この合意がリスペクトされるのか、見守っている。

アンゴラだけでなく、国際社会すべてがカビラ大統領に公約を順守するよう要請している。そしてここまでのところ、事態はそのように動いている。宿題であった選挙のためのセンサスは果たされ、しかるべく資金も動員された。公約がここまで遵守されていることをもって、「疑わしきは罰せず」«le bénéfice du doute»。この先12月まで、状況を注視していきたい。

RFI:アンゴラ政権は17年にわたりカビラ政権を支援してきた。2007年、ジャン・ピエール・ベンバの私兵に対峙するため、アンゴラ兵を援軍として送ったことに後悔はないか。
ルセンソ大統領:明確な意図を持った対応である。どこに後悔すべき理由があるのか。



2007年のアンゴラ軍介入について、ルセンソ大統領は堂々と公言した。しかしすでにそれは織り込み済みの周知の事実。未だにコンゴ民主共和国国家の「ガバナンス能力」と、国家主権の独立性、尊厳に大きな問いを残し、しばしば大きな議論となる。当時のコンゴを形容すれば、「蝕まれた巨象」。絵に描いたような典型的な脆弱国家だった。

コンゴ民主共和国独立記念日に思う(1)~蝕まれた巨像

その後、干支が一回りするほどの時間を経て、アンゴラは首班が交替し、コンゴは政局の混迷を極めている。アンゴラ優勢の国力関係の中、これから両国の新しい関係はどうなっていくのか。コンゴが迷走するほどに、アシメトリックな両国関係が固定化していく。


(おわり)


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