ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

マライカ〜素敵な結婚式に

2018-09-24 07:30:06 | アフリカ音楽・アート・文化
二晩三日と140万フランかけて、日本に弾丸一時帰国。知人の結婚式に参加してきた。

日本人の女性と、カメルーン人の男性の門出。披露宴は和アフ折衷、いや和アフ相乗のとってもいい宴だった。ンボテも毎度おなじみ、婚礼失笑トークスピーチをさせていただいた(笑)。

披露宴の雰囲気を盛り上げるのがアフリカの調べ、在日アフリカ人混成ミュージシャン、ムクナバンド。


新郎新婦、お色直しの入場の前に、彼らが演奏したのは・・・そう、あの曲。

マライカ(Malaika)


スワヒリ語圏の曲だが、アフリカの結婚式、いや冠婚葬祭一般でも、広く耳にする。

フランス語で紹介されている歌詞はこんな内容(※和訳はンボテ)。
On Ange, je t'aime mon Ange
Que puis-je faire, moi ton jeune amoureux
Si ce n’était le manque de fortune, oui
Je t’épouserais Mon ange
Si ce n’était le manque de fortune, oui
Je t’épouserais Mon ange
私の天使よ、君を愛している。
どうすることができるだろうか、君が愛するこの若き青年は。
もし十分な財力があったなら、
私は君を娶(めと)るにできるのに。


Petit oiseau, je rêve de toi, petit oiseau
Que puis-je faire, moi ton jeune amoureux
Si ce n’était le manque de fortune, oui
Je t’épouserais Mon ange
Si ce n’était le manque de fortune, oui
Je t’épouserais Mon ange
かわいい小鳥、君のことを思ってやまない。
どうすることができるだろうか、君が愛するこの若き青年は。
もし十分な財力があったなら、
私は君を娶(めと)るにできるのに。
もし十分な財力があったなら、
私は君を娶(めと)るにできるのに。


スワヒリ語専門の人からしたら意訳があるかもしれない。コンゴ東部の知人はかつて「訳文では意味は伝わるけど、ソウルがそこに達しないんだよ。」といっていたのを思い出す。

この歌、起源には諸説あるらしい。1958年、英領ケニアの時代、作曲家でレコーディングスタッフであったファダヒリ・ウィリアム(Fadhili William)が作編曲、ラジオVoice of Kenyaに乗って流れたのが最初と言われている。

その後、広くアフリカで歌われるようになったのには、1965年、南アのミリアム・マケーバが'My angel'のタイトルでこの曲をリリースしたことが大きい。


マケーバのバージョンはよりテンポがゆっくりしたもので、歌詞の一部が変えられているという。
L'argent trouble mon esprit
Que puis-je faire, moi ton jeune amoureux
Si ce n’était le manque de fortune, oui
Je t’épouserais Mon ange
Si ce n’était le manque de fortune, oui
Je t’épouserais Mon ange
お金が私の心を乱している。
どうすることができるだろうか、君が愛するこの若き青年は。
もし十分な財力があったなら、
私は君を娶(めと)るにできるのに。


広くアフリカで愛され、数々カバーされてきたマライカ。しかしこの歌には著作権をめぐる係争があるという。原曲は1940年代にケニアで歌われ始めたもので、歌詞のオーセンティシティをファダヒリ・ウィリアムに認めるべきだとの主張がある。他方、マケーバはこの歌は古くタンザニアで歌われていたものだと主張している。上のYouTube画像でも、はっきりそう述べてから歌に入っている。


・・・と、ややこしいことはさておき、お金と愛、結婚。切ない恋心とアフリカのリアリティを描写した名曲は、今日でも人々の心をくすぐってやまない。

(おわり)


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