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ナイジェリア・ビアフラ戦争から半世紀~イボ族の戦いとフランスの介入

2017-05-31 08:00:14 | アフリカ情勢
5月30日、「ビアフラ共和国」の一方的独立が「首都」エヌグで宣言された日から50年目を迎えた。

ビアフラはナイジェリアの東南部に位置する。この地で1967年から1970年にかけて激しい「内戦」が繰り広げられた。凄惨な戦闘と飢餓は世界中に配信された。ナイジェリアというと「あの悪名名高い?」「危険な国」などという悪いイメージを持つ人も正直少なくないが、その発端のひとつは、この「ビアフラ戦争」にある。

ナイジェリアには主要な3つの勢力がある。南西部にはヨルバ族、宗教的には混在。南東部にはキリスト教徒を主体としたイボ族、そして北部にはイスラム教徒が多いハウサ族だ。この不幸の歴史はイボ族のテリトリーで勃発した。



イボ族は同族意識が強く、海外に多くのディアスポラを有している。また英国の植民地時代には教育などの面で優遇され、軍人や中間官吏などを多く輩出した。アフリカのユダヤ人などと呼ばれることもある。その南東部では独立前後、原油が発見される。欧米のメジャーはビアフラの地で先を争って利権獲得に走った。

1966年、イボ族によるクーデターが発生、最終的に同族のイロンシ将軍が政権を奪取すると、全国で反イボの機運が高まった。その激震地は北部、ハウサ族の勢力地域であった。同地ではイボ族の虐殺が繰り返され、犠牲者の総数は1万人を数えた。そして数十万人のイボ族避難民がビアフラの地に流れ着く。

その頃、イボ族の分離独立が主張されるようになる。ビアフラでは多数の青少年が志願兵として軍に加入した。多くは北部地域でのハウサ族による虐殺を逃れ、この地に流入したイボ族だった。避難民たちは皮肉にも生業として兵員を選ばざるを得なかった。ちなみにその後、連邦側のイロンシ将軍はは66年に政変で暗殺、ヤクブ・ゴウォンが政権につく。


1967年5月30日、ビアフラ共和国が分離・独立を宣言した。すると7月6日、連邦軍はこれに反撃。「ビアフラ戦争」の勃発である。

このように聞くと、ナイジェリアの国内問題、部族間対立の戦争のように見受けられる。しかしこの戦争にはもう一つの側面がある。


ビアフラ戦争を支援し、もっといえば戦争を仕掛けたのはフランスだといわれる。当時、自国の利益のためにアフリカへの介入を行う政策、いわゆる「フランサフリック(Françafrique)」の工作が、アフリカのあちらこちらで繰り広げられてきた。そのなかでもビアフラ戦争は古典的な介入例として取り上げられることが多い。またそこには、仏の影響が強いアフリカの二つの国、コートジボワールとガボンも関与していた。両国はビアフラ分離独立宣言とともに同国を承認した、わずか5つ国のうちの二か国である。


時が過ぎ、フランス政府は外交史料を順次公開している。その中でいろいろなことがわかってきた。戦争勃発の2か月前、フランス大使はビアフラを訪問、イボ族出身の軍属チュクエメカ・オジュク大佐に接見した。オックスフォード出身でシェイクスピアの愛好家といわれ、フランスのド・ゴール将軍を軍神として恋慕していたという。戦争前夜、ド・ゴール将軍は「フランサフリック」の権化と呼ばれたジャック・フォカール顧問に、分離独立支援の方針を伝えた。その求めるものは、英国の影響力低下とナイジャー・デルタの地下に眠る、魅惑の「黒い液体」だ。そして部族間のパワーポリティクスが緊張していく中、フランスとオジュクは次第に距離を縮め、地下を伝う武器とともに傭兵が派遣された。

ビアフラ戦争は、作戦の初期、仏と南アフリカの支援を受けたイボ族側の攻勢で展開するが、これに対しソ連と英国が連邦軍を支援した。連邦軍はビアフラを包囲し、一切の補給線を遮断した。人道支援も入り込みこむことが許されず、ビアフラは戦争と飢餓で絶望的な状況に陥った。このイメージは悪夢として国際的に発信された。

連邦軍の包囲作戦は「軍事作戦としては」功を奏した。1970年1月9日、オジュク大佐が亡命し、連邦軍がビアフラの地の実効支配を回復。戦争は終結した。オジュク大佐の亡命先がコートジボワールであることも、背景を知ると示唆深い。


かくして多大な犠牲と人道的危機を禍根に残し、戦争は終結した。しかしリアルな現実は依然残存する。ナイジャーデルタの混沌とした歴史の中、ビアフラ戦争50年目の今を紹介する国際メディアでは、静かな高まりを見せる分離独立主義者の動きを繰り返しレポートしている。

(おわり)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
小学校の頃 (あみん (hgn))
2017-05-31 20:35:39
“ビアフラ募金”というのがありました。お腹の膨らんだ栄養失調の子どものポスターがあって、「この子たちにミルクを」というような主旨だったように思います……。
 その、ビアフラですか?

 あの頃は、遠い世界の話だと思っていました。今は、こんな近くにそういう世界にも関係ある人がいるようになろうとは^^
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Re:小学校の頃 (ンボテ)
2017-06-03 14:32:52
こんにちは。ビアフラ基金自体を存じないのですが、多分そのビアフラなんでしょう。凄惨な戦闘と飢餓は世界中に報じられたそうですから。こんなことは繰り返さないでほしいですね!
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