「タンタンの冒険」といえば、皆さんご存知であろう。前髪のツン、とたった絵本のキャラクター。世界を旅する探検家、という設定だ。ベルギー人の作家エルジュが描き、世界80カ国で愛されているという。
タンタンが初めて世に送り出されたのが1929年。その初めての冒険はソビエト(当時)。そして1931年、二回目の探検地として選ばれたのがコンゴだった。
『タンタンコンゴの冒険』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/93/5a9a974070d958e451989abdc8c77356.jpg)
そう、そのころは「ベルギー領コンゴ(Congo Belge)」。つまり、宗主国の人が、植民地を探検する、という設定だ。
ここに描かれるコンゴの姿は、あまりにステロタイプな「アフリカの土人」的描写。白人が黒人を見下し、また差別的な描写が随所に見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/92/d623f33f9c0a4f45617e1a9b95919db1.jpg)
このことからこの作品には多くのコンゴ人や人権団体が批判を寄せてきた。また時代とともに細部の描写や表現が書き改められてきた。コンゴ人留学生の原告団はベルギーの裁判所に出版の差し止めを求める訴えを起こし、裁判は継続中である。
『タンタンコンゴの冒険』のみならず、タンタン作品には一様にこのような問題が指摘されている。しかし殊にコンゴがベルギーの植民地であり、その統治の残虐性の禍根が残り、そしてアフリカ人への偏見と差別意識はことさら強かったことから、この『タンタンコンゴの冒険』は、より強い批判にさらされてきた。
そういえばンボテが子供のころによく目にした『ちびくろサンボ』。ほどなく見かけなくなった。いろいろな批判から、出版の自粛が相次いだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/4d/28527b4084a8f5fd3ee6860714f2bed3.jpg)
この絵本、とても大好きだった。幼児期のンボテにはこれが黒人に対する差別などということは一切わからず、それどころか、自分とは全く違ったサンボの世界に引き込まれ、いつかサンボの住むアフリカ(インド?!)に行ってみたい、そう思わせるものだった。この本はンボテのアフリカへの関心をサブリミナルに掻き立てる原体験だったのかもしれない。
冒険といえば、コンゴが開拓された19世紀。列強によるアフリカ進出が競争となる中、ジャングルに覆われた広大な暗黒の大地に強烈な関心を持ったのが、ベルギーの国王、レオポルト2世であった。そしてレオポルト2世はリビングストン、スタンレーといった探検家に出資し、同地を開拓させ、コンゴの旗を立てていった。そして1885年、植民地再分割会議の後、1908年まで、時差のあるこの広大な土地がコンゴ自由国(État Indépendant du Congo)、ベルギーの植民地ではなく、国王の私領とされたのだ。
タンタンの冒険の時代背景から見ると、この絵本を無邪気な「たんけんもの」として捉えるには、どこか疑問を覚えざるを得ない。
しかし当のコンゴ人はたくましい。お土産物店を扱う'Marché Artisanal'、今でこそ移転され綺麗になったが、少し前までは泥棒市場の異名があった。そこでは批判の議論をよそに、表紙の模写画があちらこちらで売られている。「ダンナ、ここにあなたの名前を入れて、あなたのコンゴ探検にしますぜ」。
※編集後記
FACEBOOKでフォローくださったアフリカ友達のマヤさんから、「マヤのコンゴ探検」の写真が送られてきました~。マヤさん、ありがとうございます~!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/0e/916774a8b99d2818f6583329d76adfc3.jpg)
(おわり)
関連記事「コンゴとベルギー」
前編
後編
続編~国王のお庭、そしてカビンダ
タンタンが初めて世に送り出されたのが1929年。その初めての冒険はソビエト(当時)。そして1931年、二回目の探検地として選ばれたのがコンゴだった。
『タンタンコンゴの冒険』
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そう、そのころは「ベルギー領コンゴ(Congo Belge)」。つまり、宗主国の人が、植民地を探検する、という設定だ。
ここに描かれるコンゴの姿は、あまりにステロタイプな「アフリカの土人」的描写。白人が黒人を見下し、また差別的な描写が随所に見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/92/d623f33f9c0a4f45617e1a9b95919db1.jpg)
このことからこの作品には多くのコンゴ人や人権団体が批判を寄せてきた。また時代とともに細部の描写や表現が書き改められてきた。コンゴ人留学生の原告団はベルギーの裁判所に出版の差し止めを求める訴えを起こし、裁判は継続中である。
『タンタンコンゴの冒険』のみならず、タンタン作品には一様にこのような問題が指摘されている。しかし殊にコンゴがベルギーの植民地であり、その統治の残虐性の禍根が残り、そしてアフリカ人への偏見と差別意識はことさら強かったことから、この『タンタンコンゴの冒険』は、より強い批判にさらされてきた。
そういえばンボテが子供のころによく目にした『ちびくろサンボ』。ほどなく見かけなくなった。いろいろな批判から、出版の自粛が相次いだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/4d/28527b4084a8f5fd3ee6860714f2bed3.jpg)
この絵本、とても大好きだった。幼児期のンボテにはこれが黒人に対する差別などということは一切わからず、それどころか、自分とは全く違ったサンボの世界に引き込まれ、いつかサンボの住むアフリカ(インド?!)に行ってみたい、そう思わせるものだった。この本はンボテのアフリカへの関心をサブリミナルに掻き立てる原体験だったのかもしれない。
冒険といえば、コンゴが開拓された19世紀。列強によるアフリカ進出が競争となる中、ジャングルに覆われた広大な暗黒の大地に強烈な関心を持ったのが、ベルギーの国王、レオポルト2世であった。そしてレオポルト2世はリビングストン、スタンレーといった探検家に出資し、同地を開拓させ、コンゴの旗を立てていった。そして1885年、植民地再分割会議の後、1908年まで、時差のあるこの広大な土地がコンゴ自由国(État Indépendant du Congo)、ベルギーの植民地ではなく、国王の私領とされたのだ。
タンタンの冒険の時代背景から見ると、この絵本を無邪気な「たんけんもの」として捉えるには、どこか疑問を覚えざるを得ない。
しかし当のコンゴ人はたくましい。お土産物店を扱う'Marché Artisanal'、今でこそ移転され綺麗になったが、少し前までは泥棒市場の異名があった。そこでは批判の議論をよそに、表紙の模写画があちらこちらで売られている。「ダンナ、ここにあなたの名前を入れて、あなたのコンゴ探検にしますぜ」。
※編集後記
FACEBOOKでフォローくださったアフリカ友達のマヤさんから、「マヤのコンゴ探検」の写真が送られてきました~。マヤさん、ありがとうございます~!
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(おわり)
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前編
後編
続編~国王のお庭、そしてカビンダ