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アンゴラとコンゴ民主共和国の微妙な関係(2)〜植民地、冷戦、内戦。そして依存関係。

2018-10-31 07:30:00 | アフリカ情勢
前回、アンゴラに身を置くコンゴ民主共和国からの移民が、一斉に送還されている話を話題にした。ドス・サントス超長期政権を抜け、ルレンソ大統領下のアンゴラ。大統領選挙で揺れるコンゴ。移民の強制送還は両国の「兄弟関係」を揺るがす事態となるのであろうか。

アンゴラとコンゴ民主共和国の微妙な関係(1)〜大量のコンゴ難民が強制帰還

アンゴラとコンゴは歴史上、相互に関係しあってきた国。そして現代史では微妙な関係にあるといえる。少しその歴史を振り返ってみたい。

古くは中部アフリカ前史に遡る。コンゴ川河口付近では、14世紀からコンゴ王国が広く展開した。キコンゴ語を話すエリアは、現在のコンゴ共和国、コンゴ民主共和国、アンゴラの3カ国に広がっていた。

(1757年頃の地図、savoirs.rfi.fr ウェブサイトより)


15世紀、ポルトガルが来航。アンゴラがポルトガルの支配下に置かれ、奴隷貿易が始まる。その後、19世紀にかけてフランスは北から、ベルギーの国王レオポルト二世は、コンゴ川からこの地域に支配を拡大する。そして1885年、列強はベルリン会議で、植民地領の確定と再分割のルールを決定した。この地の国境が現在の形に切り分けられたのはこの時点からということになる。

最初に独立が決定されたのが仏領だったコンゴ共和国だ。この動きを受け、ベルギー領コンゴがざわついたことから、ベルギーは後追いであわててコンゴ民主共和国の独立を認めることとなる。一方、アンゴラは宗主国、ポルトガルのサラザール政権統治下にあり、他のポルトガル領とともに、独立が遅れた。最終的に独立を果たしたのは、1975年であった。

3カ国は独立後、それぞれのコンテクストの中で、直ちに冷戦に巻き込まれる。コンゴ共和国は社会主義陣営を歩み、コンゴ民主共和国は資本主義陣営に。アメリカが支えたモブツ独裁下でザイールと名前を改称する。アンゴラは、他のポルトガル領4カ国とともに、独立前後に激しい闘争を経験、その中で社会主義陣営に組み込まれていく。

アンゴラは、ザイール領のコンゴ川河口を挟んで、反対側に「飛び地」を有していた。カビンダである。
コンゴとベルギー(続編)~国王のお庭、そしてカビンダ

ポルトガルが広く支配するコンゴ側河口地域において、19世紀、レオポルト二世がコンゴ川の河川航行権を取得する。それによってポルトガル領の一部が北に切り離される形となってしまう。この国境の形がベルリン会議で画定された。それがカビンダである。


この飛び地は、コンゴ川河口地域の現代史にとって、非常に重要な意味を持つ。なぜならこの地域には油田が埋蔵していた。そして冷戦をめぐるヘゲモニーにおいても、カビンダは重要な戦略的地位を有していた。

アメリカは同地の反共武装勢力、カビンダ解放機構(Frente para a Libertação do Enclave de Cabinda: FLEC)を支援、ジョナス・サヴィンビ率いるアンゴラ全面独立民族同盟(União Nacional para a Independência Total de Angola:UNITA)と共闘させ、ルアンダ政権を揺さぶった。奇しくも、日本がザイールに建設し、1983年に竣工した「マタディ橋」は、アメリカの影響下にあるザイールの首都キンシャサと、この戦略的な飛び地カビンダを陸続きにする「戦略的価値」を発揮した。

1990年代に入ると冷戦構造が崩壊。ザイール政権が不安定化していく。1996年、ザイールではローラン・デジレ・カビラがキンシャサを陥落させ、モブツ政権は崩壊。コンゴ戦争に突入する。2001年にローラン・デジレ・カビラ暗殺。息子のジョセフ・カビラが後継した。

一方のアンゴラも、冷戦崩壊で、内戦も「代理戦争」から「紛争ダイヤモンド」の時代にはいっていく。内戦時代を通じ、コンゴ川河口に近い国境付近では、アンゴラにはコンゴ難民、コンゴにはアンゴラ難民と両国の避難民が入り乱れる状態となった。

2002年、アンゴラは米国と和平を結び、内戦が終結。ほどなくコンゴ戦争に参戦し、ジョセフ・カビラ政権を支援した。コンゴ戦争に参画したほとんどの国のインセンティブは、友好国支援でも、ヘゲモニーの争いでもなく、地下資源サイトの直接的支配にあったと言われる。アンゴラもその例に漏れなかった。そしていつしか、脆弱なカビラ暫定政権は、薄氷上の政局の中、ドス・サントス政権の軍事力に依存するようになる。

それぞれ異なった宗主国を持ち、異なった道を歩んできた両国。しかしそこには作用・反作用の関係と、共通の時代背景が生むクロノロジーの類似性が認められる。そして次第に深く、微妙な関係にとなっていったのだった。

そして、特にある事件において、ただならぬ影響力を見ることになるのだった。

(つづく)


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