摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

ドリームカウンセラーチーム

2009-02-22 23:04:43 | 気づき
おとといから毎日、心理分析の講座の仲間と
電話で話しています。
先日仲間の「ショック療法」を受けてから
たくさんの気づきが広がって、
彼女の「処方箋」に自分の気づきを取り入れた
セルフセラピーを実施中です。

私が今やろうとしているのは、
講座の仲間を私のドリームカウンセラーチームにすること。
これは、おととい別の講座仲間が言っていた言葉に
インスピレーションを得て、思いつきました。
彼女は、「私には11人の専属カウンセラーが
ついてるんだもん」と言ってました。
そうだよなぁ、講座を一緒に受けてきたからこそ
許し合える言葉、行動もあると思います。
この間の「ショック療法」も
根底に深い信頼があるからこそ、
できたんだと思ってます。

仲間を私のドリームカウンセラーチームにするために、
1人1人の仲間のいいところ、得意分野などもっと知って、
私自身のことも知ってもらおうと思い、
いろいろ話しています。

夕べ話した仲間は、
「ブログで弱いところを見せられると、
同じだなぁって安心できた。
もっと頼ってよ」と言ってくれました。
そんなことを言われて、私も安心、うれしくなりました。
そして、すてきな言葉も教えてもらいました。
「陰は内に在りて陽の守りなり。
陽は外に在りて陰の使いなり」
陰を女性、陽を男性としてこの言葉を読んでみると、
なるほどと思われるかと思います。
よく細木数子さんが言っているようなことみたいですね。
以前の私なら、むかっ腹を立ててたかもしれませんが、
今はそういうこともあるかもしれないと思えます。

今日はまた別の仲間と話して、
彼女が本当に私と似たような根拠のない
無価値観を抱えていそうなことがわかりました。
もったいないなぁ。
でも、私の直感では彼女はもうすぐ
見違えるようにきらきら輝き出す感じがします。
それで、私がとても気に入って買ったけど、
あまり着ないまましまってあって、
もう年齢的に私じゃ似合わないサンドレスを
譲ることにしました。
きっと今年の夏は、彼女はそれを着て
彼氏とデートだわ

昨日は私がカウンセリングしてもらって、
今日は私がカウンセリングトレーニング
させてもらったような感じでした。
どっちもできるなんて、
やっぱりこれはもう形のない学校かもしれません。
私たちは、講座のパンフレットも自分たちで作ったし、
これからは自分たちの学びの場を
自分たちで作っていくことになります。
私は、その中で多分自ら最初のクライアントに
なってみるんだと思います。
そうしてカウンセラーのドリームチームを作ることが、
あと1ヶ月ほどで金沢を離れる私自身と
仲間へのプレゼントなのかな。

この機会をくれた神様と「ショック療法士さん」に
まずは感謝!です。

面倒と向き合う

2009-02-22 01:19:23 | 気づき
うちの息子は、いつも決まったもの以外は
なかなか食べません。
私は離乳食は作ったことがなく、
大人が食べるものをとりわけて
小さく切ったり、柔らかくしたりしてあげてましたが、
その時は特に好き嫌いはありませんでした。
ところが、大きくなるにつれて
だんだん食べないものが多くなりました。

でも、無理に食べさせることはしてきませんでした。
それは、何でも無理強いすれば逆効果だと思っていること、
食べ物を「食べさせる」ということに違和感を感じること、
子どもはその時の本能で食べてるんだろうから、
必要な時が来たら、他のものも食べ始めるだろうと思って
いるためです。

確かにこの考え方は今でもあまり変わりありませんが、
昨日気づいたことがあります。
単に、めんどうくさいということ。
いろいろやりたいことがあるのに、
うだうだ言って食べない息子につきあうのが
面倒だという理由も、確実にあるのです。

そうやって子どもが発信するいろんなメッセージが
面倒くさいから、
黙ってくれるものをいろいろ出しちゃうんですね。
食べ物にしろ、娯楽にしろ。
子どもとの摩擦、向き合うことを避けちゃってるみたいです。
甘やかしすぎたり、距離を取りすぎたり。

これって、そのまま子どもが大人になっても
引きずってしまいそうな気がします。
人とうまく関れないから、
テレビやパソコン・ケータイの仮想の世界に浸りがちになって、
家族の誰かに何かが起こったときより、
自分がよく見ている番組のタレントのニュースの方が
身近に感じてしまうようなこともあるんじゃないかな?
かく言う私自身も、父が末期ガンで入院している時、
アメリカでいつも見ていたニュース番組のキャスターが
亡くなって、そっちの方がショックでした。

最近はもっとそういう傾向が強まって、
アニメ制作か何かの専門学校で
生のヌードモデルのデッサンをやったら、
途中で何人かの学生が「気分が悪い」と言って
退室したんだそうです。
NHKスペシャルで有名になった金沢の元小学校教諭、
金森俊朗先生は、去年聞いた講演で、
子どもの「野生」が失われているというようなことを
話していました。
生の人間という最後の野生も受け入れられなかったら、
これから私たち、どうなるんだろう??

テレビやパソコンの中の世界は理想化されていたり、
距離がありすぎて、
自分が好きで選んでいるものなら、
不快感を与えられることはあまりないでしょう。
そういうものにしか親近感を感じられなくなったら、
外の世界には出られなくなるだろうなぁ。


子どもに本当に生き延びる力をつけてほしかったら、
やっぱり時間と心の余裕を持って、
子どもの発信するいろんなメッセージに
向き合う必要があるんだなと、
今さらながら思ったしだいです。
そして、面倒くさい子どもとの「摩擦」を
恐れないことも肝に銘じたいと思いました。
うだうだ言ってる下にどんな感情があるのか、
想像力を働かせながら。


追記:
そういえば、子どもと「向き合う」のはよくないと
小林正観さんだったかな?
言ってました。
向き合うのではなく、親が楽しそうにしている背中を
見せることがいいんだって。
本当にそうだなぁと思ったんですが、
今日の記事では「向き合う」以外のいい言葉が
見つからなかったので、使ってしまいました。