摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

頭じゃ分かっちゃいるんだが

2009-02-14 00:35:12 | 気づき
いつもエラそうなこと書いてますけど、
こと子育てに関しては、
本当ダメな私です。
以前子どもに英語を教える仕事をしてた頃は、
自分が頭で考えたとおりのことがほぼできていて、
子どもを相手にすることへ自信を持っていました。
でも、週に1回1時間くらい先生として会う関係と
24時間365日親として関る関係は、
全く別物だとわかりました。

今日も朝からなかなか食卓について
食べ始めない息子にイライラしてしまいました。
それから息子が食卓についてから、
何かよく分からないことを言った後、
急に泣き出しました。
「ちょっと抱っこしてあげて」と夫が言ったのですが、
ムカついていて、しかも分別らしく夫に言われたのが
余計シャクにさわって、スルーしてしまいました
大人気ないのはわかっているけど、
息子を相手にしている時は、
他の人には絶対しないような横柄な態度になったり、
暴言を吐いたりしてしまいます
これってはっきり言って、虐待の一種ですね。

頭で「これは絶対子どもに対してやっちゃダメ」と
分かっていることを、わざとやってみたくなったりします。
そのことを以前泰三さんのカウンセリングで話したら、
「本気で理解したいからだろうね」と言われました。
確かに、私は昔からあまのじゃくで
ダメだと言われたら、やってみたくなる性質でした。
子どもを親が虐待死させてしまう話が珍しくなくなる中で、
そんな親の気持ちを少しでも理解したいからなのかなぁ。。


さて、ダメ母な私なのですが、
子育て以外のことをやっているときに
子育てへのヒントを見つけたりします。

市民活動などボランタリーなグループの
マネジメントについて考えていた時、
そういうグループでは営利企業ののように
雇用や給料などの待遇のことをちらつかせて
メンバーを動かすことはできないから、
地道にメンバーのやる気に訴えるしかないなぁと
思っていました。
やる気に訴えるのは本来子育てでもあるべき姿だから、
ボランタリーなグループでの活動は、
子育てにも役立つはずだと思いました。
それならけっこう経験があるんですが、
やっぱり頭でわかっても、
分野が変わるとなかなかできないんですよね。。

昨日は心理学講座の仲間の話をいろいろ聞いて、
ちょっとしたカウンセリング実習のようになっていたことに
後から気づきました。
それで自分の話したことを振り返ったら、
友達が話したことを途中まで聞いたところで、
彼女がどう感じていたのか、
私の推測を先回りして話してしまっていたことが
わかりました。
それでは、誘導になってしまいます。
本来のカウンセリングでは、
クライアントさん自身が必要な気づきを得られるように、
カウンセラーは質問を重ねていくのですが。。
「人間は話をするよりよく話を聞けるように、
耳を2つ、口は1つだけもらった」という寓話(?)を
聞いたことがありますが、全くそのとおりでした。

子どもを相手にしている時も
誘導したり先回りしないで、
子どもの言ったりやったりすることに
付き合うことが大切なのでしょう。
しかし、この忙しい生活の中で
これほど難しいこともあまりないかもしれません。
それができていたら、今朝の息子への対応も
ずっと違ったものになっていたでしょうね。

いやはや、子育ては本当に難しい。
心から楽しいと思える日はいつ来るのやら

消費社会のワナ

2009-02-12 23:30:14 | 気づき
ここのところ断捨離の作業をしていて
気づいたことがあります。
消費社会の中で何となく
踊らされてしまっていること、3点ほど。
以前から言われていたことや、
断捨離のセミナーで聞いたことばかりですが、
自分もそこにはまっていたのかと実感したのです。

1つは、私たちは何かを買う時に
いくら払うか、本当に必要かということよりも、
何パーセント割引されているかとういことに
興味をひかれてしまうということです。
私はつい昨日もそれに引っかかってしまいました。

夕飯のおかずを買いにスーパーへ行った時、
中華の惣菜屋さんがちょうど全品2割引を始めたところで、
そばにいた人達が足を止めて買い始めたのです。
たいして量は入っていないのに定価で1品650円と
レストランの一皿と同じくらい高めなのですが、
2割引だと何だか得した気になってしまいます。
後から考えたら、スーパーの中の惣菜売り場なら
同じようなものがもっと安かったはずです。
まぁ、おいしかったから許しますけど。

今回断捨離することになった服を見てみると、
セールで買ったものが多いことが分かりました。
(というか、そもそも青札で買うことが
ほとんどないんですが)
中には同じものを色違いで持っていたりします。
つい「半額なら、もう1つ買っておこう」などと
思ってしまうからですね。

もう1つ気づいたのは、やはり単価の安いもの、
無料のものはたまりやすいということ。
子どものおもちゃはそのいい例です。
レストランに行けばお子様セットを頼んで、
ちゃちなおもちゃをもらうし、
ガソリンを入れるとガチャガチャをやらせてもらって
またおもちゃをもらいます。
大人の世界でも、展示会やセミナーに行けば
ボールペンやら何やらいろいろもらうし、
ホテルでは歯ブラシが標準装備、
納豆にはタレとからしもついている。
ここまで何でもサービスでついてくるのは、
日本くらいだと思います。

断捨離セミナーでは、
おまけでもらったものを使っているのは、
自分はその程度のものがふさわしいと考えることだと
言われました。
たまたまそれが気に入ったならいいのですが、
そうでないなら、自分を心地よくしてくれるものを
ちゃんと選んで買って使いましょうということです。

さらにもう1つ気づいたことは、
私たちは常に今の自分ではダメだから、
○○、××を買って変わりましょう
という暗示にさらされているらしいということです。

今回私が断捨離した服には、
私があえてイメージチェンジをはかった時のものが
少なからずあります。
「なんかもう少し変わったほうがいいんじゃないか?」
という不安や期待があった時、
それまでの自分が敬遠していたような服を
あえて買ってみたりしましたが、
結局着なくてたんすの肥やしになってました。

振り返ってみると、イメージチェンジをはかった時は、
何か外からのメッセージがあった気がします。
それは私の場合雑誌やテレビではないとは思うけど、
自分の内側から本当に必要性を感じてないのに、
誰かの言葉を鵜のみにしすぎたのかもしれません。
でも、メディアを見ると、「マストアイテム」とか
そんな言葉があふれていて、
自分に本当に自信がなければ
つい「そうかな?」と思ってしまうと思われます。

服にしても、他のものにしても
結局残ったのは飽きの来ないベーシックなものでした。
予算や保管のスペース、着る機会も限られた
私みたいな人なら、それで十分なんだと思います。

亡くなった父がスーツを買うとき、お店の人に
「無難な」という要望を出していたのを以前聞いて、
母と私はいかにも父らしいと思い
よく笑っていました。
今、父のそんな堅実さは間違ってなかったんだなと
実感しています。

引越し前にほしい手助け

2009-02-12 00:24:44 | 家族・家のこと
今日は休日で夫も家にいたので、
2人で引越し準備(のための断捨離)に精を出しました。
お昼は残っていたカレーを食べたら、
どうにも眠くなってしまったので、
ヘミシンクのキャットナッパーという
約30分で集中して寝るためのCDを聞きながら
昼寝した後、作業を続けました。
夕飯は、スーパーで買ってきた中華の惣菜とそば。
作業を終えたのは、ついさっき、23時過ぎでした。

ありがたいことに、引越しがあるという話をすると
「何かできることがあったら言ってね」と
言ってくれる友人・知人が多いです。
心理学の講座でよく「助けて」と言えるようになることが
大切だと言われているので、
私も機会があれば好意に甘えたいのですが、
どんな作業を手伝ってもらったらいいのか
思いつきませんでした。

でも、こうして作業を始めてみると、
断捨離やパッキングは判断に継ぐ判断で、
引っ越した後のことを考えると
結局自分でやったほうが効率的だと実感しました。
一方で、子どもの面倒や食事やお風呂の準備など
日常的なことに手が回らなくなるので、
ここを手伝ってもらえると
とても助かるなぁと思いました。

3月になったら、実家の母が金沢観光を兼ねて
手伝いに来てくれるので、
その時は息子のお弁当づくりも頼んじゃおうと
思ってます

それから、断捨離していらないものが
いろいろ出てくるので、
それをそれぞれ売ったり、引き取り手を探したり、
処分したりすることをを手助けしてもらえたら、
なおありがたいだろうなと思います。

もう少し断捨離が進んだら、
期間限定で断捨離の作業や
譲りたいもののリストなどを載せた別のブログを
作ってみようかなと思ってます。
少しでも引き取ってくれる方が見つかって、
ものを捨てないですんだらいいんだけど。

そのブログができたら、ぜひ見に来てくださいね

『シンプルライフをめざす基本の家事』

2009-02-10 23:09:56 | エッセー
3月末の引越しを機会に、
自分の生活をもっと快適にしようと考えています。
断捨離もそれの一環ですが、
これからの私たち家族の生き方に合わせて
住まい全体、というか生活全体を
最適化しようとあれこれ考えをめぐらせてます。

何冊か図書館でも本を借りてきましたが、
今とても参考になっているのが、
婦人之友社の『シンプルライフをめざす基本の家事』です。
この本は、友人に誘われて参加した
友の会(月刊誌『婦人之友』の読者が集まり、
家事や家計について学ぶ会)のイベントで買い求めました。

独身の時は、会社の仕事が忙しくても
ある程度リズムを作って家事をこなしていて、
それを楽しんでいたし、
「私ってけっこう良妻賢母になるんじゃない?」と
うぬぼれていました
ところが、結婚したところまではまだしも、
子どもができた後なかなか生活のリズムが作れず、
それが子どもにまで影響しています。
そんなだらしない自分と
この際おさらばしたいです。

『シンプルライフ…』の中では、
やはり生活にリズムを作ることの大切さが
書かれていました。
そして、家の中もそのリズムを保つために
最適な配置になっているようです。
モデルとして取り上げられているお宅の
整然とした様には、ほれぼれしてしまいます。
インテリア雑誌に出てくるような
妙におしゃれで生活感が感じられないような住まいより、
私は機能最優先の家が好きなんです。

私の姉も友の会の会員で、
料理や家計簿のつけ方をよく学んでいました。
私自身は会員になって熱心に活動するほどには
入れ込めないと思うけど、
こういう家事の知識は子どもの頃から
学んでおきたかったなぁと思いました。
食べ物を用意し、身の回りを整えるという
生き物として最低限のことを身につけられるから
生きる力がつくと思うし、
家族のメンバーが家事を分担することで
他の人と協力し支え合うことを学べるし、
社会に出た時とても役立つ仕事の段取り方法を
学ぶこともできるからです。
何より自分で心地よく生きていく方法を
身につけられるのは、本当に一生の宝だと思います。


ところで、私を友の会のイベントに誘ってくれた友人、
中村早苗さんは私と一緒に金沢エコライフ・ワーキングネットで
活動している人です。
最近彼女は、経済産業省・省エネ家電普及促進フォーラム主催の、
平成20年度「省エネコンテスト・家庭部門」
経済産業大臣賞を受賞しました。
PDCAサイクルと環境家計簿を利用して、
家庭で長期の継続実施の可能性を模索した
」試みだそうです。
きっと友の会で学んで長年実践を続けてきた
家計簿の記帳が役に立ったのでしょう。

岐阜に帰ったら、いつか中村さんを講師で招いて
エコのワークショップをやってみたいです。
そして、岐阜でも環境にやさしい行動の実績を
「見える化」して、効果を実感し、
楽しむ人が増えたらなと思います。

太いパイプになりたい

2009-02-09 11:09:58 | 気づき
岐阜に帰る日が近づくにつれて、
帰ったら何しようかなと考えることも
多くなりました。
金沢に来る前は、社会的起業が一番の関心事でしたが、
今は似ているけどちょっと違うような気がしています。

とりあえずやりたいと思いついたことが
2つあります。
1つは、自分の暮らしを自分自身や周りの人たちと
一緒に楽しみながら作っていくための
いろんな活動をする「自給自足くらぶ(仮称)」。
金沢では地産地消を進めるための料理教室を
企画したりしていたので、
冷蔵庫やスーパーに頼らないための
保存食や郷土料理づくりの教室をやってみたいな。
それから、庭やベランダで生ゴミ堆肥を使いながら、
”なんちゃって”自然農法にも挑戦したい。
また赤ちゃんが生まれるし、
家庭でできる手当て法とかも習ってみたい。
あと自転車やパソコンを自分で組み立てたり修理したり、
風力発電や太陽光発電のシステムを作ってみたりという
機械系のこともやりたいな。
うちのじーちゃんは機械工学の先生だったし、
夫は環境都市工学を今教えてるので。。
うちの家族に限らず、地域にいるいろんな人財に
力をお借りしたいと思ってます。

こういう活動で何を目指したいかというと、
自分たちのあずかり知らぬところで勝手に操作されている
貨幣経済の影響をできるだけ少なくしたいのです。
会社に就職できなかったら、生きていけないなどと思わずに、
豊かな自然の中で自分の力で食べ物を手に入れて
周りの人と支え合いながら生きていくという
少し前まで当たり前に行われていたことに戻れるんだって
いつでも思える環境づくりをしたいのです。

そして、私がやりたいことの2つ目は、
余っているものを必要としている人のところへ流す仕組みを
作ることです。
これも、1つ目のやりたいことと関係しているかもしれません。
断捨離のクラターコンサルタント、ひでこさんとも
話していたことですが、
今の日本は家庭から社会まで新陳代謝が
スムーズにできていないと思うのです。
家庭の中は使わないものでいっぱい、
お店はあまり必要ないものでいっぱい、
山や海は私たちが捨てたものでいっぱい。
その一方で、食べ物や住むところがなくて亡くなる人が
遠い発展途上国だけでなく、日本の中でさえ出てきました。
これってどう考えても、何か狂ってますよね。

この2つ目の”新陳代謝促進システム”については、
どう実現するか具体的なことは
まだ全く考えていません。
私が全て考える必要もないと思ってます。
とりあえず、こんなことがやりたいと旗を立ててみて、
そして集まってきた人、情報、モノなどを組み合せれば
きっと何かできると信頼しているからです。
以前の私と違うのは、この点ですね。
自分が「社会起業家」になることを目指すのではなく、
自分はただの言い出しっぺ、
そしてみんなの力を借り、
もっと大きな存在の力もいただきながら、
その時できる限りのことをやっていくことだと
今は思ってます。

もともと私には、起業家として
お金をたくさん儲けることに対するモチベーションは、
あまりありませんでした。
そのため、起業家には向いてないのでは?
と思ったこともあります。
私が情熱を感じるのは何かの問題を
まだあまり活かされていない資源を使いながら
創造的な方法で解決する方法を考えることです。
そして、その過程で関る人たちの長所を見つけて
さらに輝いてもらうお手伝いができたら、
もっとハッピーになります。

考えてみたら、これはレイキの実践者が目指す
自らレイキを通すきれいな太いパイプになることと
同じかもしれません。
私はお金や情報、モノ、人といった資源を
適材適所でスムーズに流すパイプになりたいのかも。
そう考えると、レイキを金沢で習ったのも
やっぱり大きな意味があったのかなぁ。
ご縁をくださったみなさんに感謝です


「あなたは悪くない」

2009-02-08 23:40:35 | 気づき
今日はまた心理学のワークショップがありました。
いつものように、心理学のキーワードが書かれた
セルフセラピーカードを1人1人引いてみることから
始まりました。
私が引いたのは、「ダークストーリー」というカード。
これは日本人に多い思考パターンのことだそうで、
「あてにしていてダメだったらがっかりするから、
最悪の場合を考えておこう」というものです。
でも、野球でキャッチャーがミットを構えたところに
ボールが投げられるように、
「こうなるかもしれない」と考えていることが
実際に起こってしまうのだそうです。

実は、私もそのワナに昨日陥りそうになりました。
夫が保育園の申込書をコンビニでコピーして、
個人情報満載のその原本を忘れてきてしまったのです。
その情報を使われて、変なことをされたらどうしようと
とても心配になり、自分の普段のおっちょこちょいを棚に上げ、
夫を責めたくなっていました。

でも、自分がそんな原稿を見たら、
まず店員さんに届けるだろうと思ったら、
そう考える人のほうが多いだろうと思えてきて、
いずれにしてもこれも何か意味があることだろうから、
なるようになるだろうと明らめました。
そして、今朝夫がコンビニに電話したら、
お店が原稿を預かっていてくれました。

おもしろいことに、泰三さんも昨日似たような経験をしたそうです。
大金や障害者手帳の入った財布を落としてしまったそうですが、
やはりそれを拾った店員さんが中に障害者手帳を見つけ、
すぐに連絡をくれたとのことです。

私も泰三さんも、最悪のパターンを
少なくとも抱きつづけはしなかったのが
いい結果につながったのかな?


いろんな犯罪が報道され、警戒を呼びかける中で
人への信頼を持ちつづけるのは難しいことです。
むしろ安易に人を信頼することは、
バカにされたりします。
それでも、人を、そしてその集合体である社会を
敵視しないことが大切だというのが、
今日最後のセッションのテーマでした。

よく泰三さんが話すのが、「2丁拳銃」という例えや
「人を呪わば穴二つ」ということわざです。
人を責める人は、必ず同時に自分も責めているそうです。
自分が罪悪感を持っている人ほど、
相手を責めてしまうのだそうです。

だから、責めたい相手がいたら、
その人にかけるべき言葉は、罪悪感をほぐす
「あなたは悪くない」という言葉だとのこと。
アメリカ映画「旅立ち」の中でも、
ロビン・ウィリアムズ演じるカウンセラーが
子どもの頃のトラウマから反社会的な行動を続ける青年に
「あなたは悪くない」という言葉を繰り返すと、
しまいには青年が号泣してしまうというシーンがありました。

また、長年犯罪者のカウンセリングをしている人の話として
以前何かで読んだのですが、
犯罪者が本当に罪を反省し真実を告白するためには、
まずその犯罪者に対して「あなたも大変だったんですね」
と理解を示すと、その後がスムーズに行くのだそうです。
刑罰を重くしようという
今の社会が向かっている方向は、その正反対だと思います。
いつも思うのですが、真理は一見逆説的なことの中にこそ
潜んでいるんじゃないかな。


「もし世界中の人が3秒だけ『誰も悪くない』と思えたら、
世界に戦争はなくなる。
ジョン・レノンなどが言っていた『戦争は心の中にある』
というのは、そういうこと。
気づいた私たちからやっていこう」と泰三さんは言いました。
まず、何かあれば一番責めてしまう対象、自分自身に
「あなたは悪くない」と言い聞かせ、
そしてその次に責めたくなる人にも
同じ言葉をかけてみることに、私も挑戦してみます。

断捨離しながらちょっといいこと~古着支援

2009-02-08 00:14:21 | 社会活動
友人の日記で、今の私にとって
とてもタイムリーな情報を見つけました。
断捨離の作業をしようとすると、
「これはまだ使えるな、誰かに使ってもらえないかなぁ」
と思って、手放すのをためらってしまうことがあります。
そんな時、手放したいものを
誰か必要としている人のところへ届ける方法があったら、
ものを捨てる罪悪感がなくなって、
モチベーションがあがります。

以下は、古着をタイのミャンマー難民に送る
プロジェクトの情報です。
実際に物を送るのは6月1日から10日までの間なので、
それまでは送りたいものを保管しておいてくださいね。


-----------------------------------(以下、友人の日記からの転載)


【古着を送る 期間限定6/1~10 わかちあいプロジェクト古着支援】

http://www.wakachiai.com/wp/clothes/index.html

第17回 2009年度 古着支援要項

注意点

受付期間は2009年6月1日から6月10日です。
こちらに保管する場所はありませんので、各自そのときまで保管をお願いいたします。

■支援先(予定) タイのミヤンマー難民キャンプ
 *5歳以下の幼児の衣服が特に必要ですので、ご協力ください。

■ 2009年も以下の要項に従って古着を集めます。ご協力お願いいたします。
■ 送り先と受け付け期間を間違えないようにお願いいたします。
■ 衣料品以外のものは対象外ですので御了解ください。


■ ズボン、ティーシャツ、スカート、ワイシャツ、ジーパン、背広、スーツ、トレーナー、ジャージ、カーデガン、セーター、コートなど
 タオル、シーツも可。
■中学、高校などで使ったジャージが特に喜ばれています。
■不可なもの;靴下、ハンカチ、下着、靴、ベルト、ぬいぐるみ、バック、帽子、ネクタイ(難民、避難民は数千から数万単位の数ですので、中途半端な数では支給できません)

■古着の状態: 洗濯に出したもの、あるいは自分で洗濯してアイロンをかけたものにしてください。
古着の個数 ダンボール箱、7000個以上(皆さん全員の支援目標です。40フィートコンテナ7台)

■送り先
〒140-0003 品川区八潮2ー8 ジャパンエキスプレス内1F 佐川グローバルロジスティクス
TEL 03-3790-6791
(現地への持ち込み可。宅配業者は自由)
■受付期間 2009年6月1日(月)~6月10日(水)(この期間に到着するようにお送りください)
■ダンボールの大きさ 引越し用段ボール箱大の大きさまで(縦・横・高さの合計が1.5mまで)
■送料募金のお願い ダンボール1箱あたり、1.500円(日本から現地までのコンテナ輸送費、通関費用、現地の運搬費用)
■佐川の倉庫までの送料は募金とは別に各自ご負担ください。
■古着だけのご寄付は受けかねますので、よろしくご協力ください。
(荷物と一緒にカンパを送られますと、そのまま現地まで送られてしまいます。ご面倒ですが郵便振替でご送金ください)クレジットカードで募金ができます。
■カンパ送金先郵便振替口座 名称:わかちあいプロジェクト
 番号:00130-7-762258 
 (古着送料募金とごお書きください。振替用紙は郵便局にあります) 

主催団体 わかちあいプロジェクト (聖パウロ教会内)
TEL:03-3634-7809
FAX:03-3634-7808
E-mail:wp@wakachiai.com
HP:http://www.wakachiai.com
現地の責任団体

TBBC Thailand Burma Border Consoritium 

http://www.tbbc.org/


映画「七夜待」と「わが教え子、ヒトラー」

2009-02-07 00:59:22 | 行ってきました
おとといは久しぶりに家事をたくさんこなしたと
書きましたが、
それは昨日、今日と2日続けて
映画を見に行きたいと思っていたので、
映画を自分へのごほうびにできるくらい
がんばってみようと思っていたことも
張り切った理由にありました。

昨日見たのは、河瀬直美監督の「七夜待」。
「殯の森」でカンヌの審査員特別賞を受賞している監督です。
彼女は私と誕生日も近く、第1子の出産も同じ年で
妙に親近感を感じてしまいます。
でも、彼女の映画ははっきり言ってとっつきにくいです。

今回の「七夜待」も内容的によく分からない部分も
多々ありました。
何より困ったのは、カメラを固定しないで回しているので、
映像がグラグラ揺れて、酔ってしまったことです
臨場感、緊迫感を出したいのかもしれないけど、
もう少しバリアフリーな映画にしてほしいわ

ストーリーはよく分からないところがあるわ、
映像で酔ってしまうわで、
感動で魂が揺さぶられたとか、心が洗われたというような
感じはありませんでしたが、
舞台になったタイの村にあふれる生命がとても印象的でした。
映画の本筋とは関係ない、短く差し込まれたショットの中に
とかげやクモ、ワニなどいろんな生き物が映ってました。
最後の川を舟で下っていくシーンでは、
鳥や川面でピチピチ動く魚の気配があり、
命がそこらじゅうに充満している感じがしました。

映画が終わって外に出ても、
目に入ってくるいろんな生物がいとおしく、
輝いて見えました。
そんな気持ちにさせてくれただけでも、
いい映画だったのかも。


そして今日見てきたのは、「わが教え子、ヒトラー」。
ヒトラーに終戦間際に演説を指導していた人物が
ユダヤ人だったという設定の話です。
終盤まではなかなかコミカルなストーリー展開でしたが、
最後はやはりハッピーにはなりませんでした。
私が気になったのは映画のストーリーより、
主人公のユダヤ人俳優が引きこもり気味のヒトラーの
感情を取り戻させる訓練をする部分でした。
私が学んでいる心理分析の講座では、
いつも感情を取り戻すことの大切さが言われているからです。

フロイトを生んだドイツは心理学が発展した国でしょうが、
あの当時はその知識もきっと様々に悪用されたのではないかと
思えました。
実際、先日まで読んでいたデービッド・アイクの本には、
そんなことが書かれてました。

同じように印象的だったのは、
夜中に寝つけないヒトラーが、
主人公が家族と暮らす部屋に入りこみ、
主人公と妻のベッドに入れてもらったシーンです。
その後、妻は枕でヒトラーの顔を覆って、
窒息させようとしますが、
主人公は「彼を殺せば、我々も殺される」ということと一緒に、
「この人は愛情に飢えているんだ」というようなことも
言いました。

この部分はもちろんフィクションですが、
ヒトラーのようにけだもののようなことをする人でも、
その心の背景を理解することができるという
やはり心理分析で学んだことが表現されていました。
これを見て、私はやっぱり理解しがたい人こそ
相手にしてみたいと思いました。


2つの映画のどちらも、かなり偏った鑑賞をしたかもしれません。
ともかく、歩いていけるところに
シネモンドのようないい映画を上映するところがあって
ラッキーです。
岐阜にはもうそんな映画館がなくなってしまったから、
引っ越すまでにあと4,5本見ておきたい映画があります。
シネモンドの年会費のもとは、この1年で十分取れそうです。


断捨離のごほうび

2009-02-05 23:36:29 | 家族・家のこと
ようやく疲れがとれて動けるようになってきたので、
昨日はいろいろ家事をやりました。

引越し前の断捨離もやろうと思い、
今回はこれまでのようにまず計画を立ててみました。
断捨離セミナーを受けたばかりの頃は、
とりあえずやってみたいところから
手当たり次第にやってみようとしましたが、
引越しのことを考えると、やはり取りかかる前に
自分の思い、ビジョンを整理しておきたいと
思ったのです。

その作業だけで多分、2時間くらいはかかったと思いますが、
終わってしまったらかえってスムーズに仕事に取りかかれ、
次にやりたいことがどんどん思いつくようになりました。
同じ人間が断捨離するにしても、
状況によってやり方はどんどん変わるみたいです。

昨日は冷蔵庫とそのまわりの食材の断捨離をしました(また!)
予想外の長い帰省があったので、
悪くなってしまったものもあれば、
「一体いつからあったの?」と思うようなものもあり。
風の谷のナウシカの腐海を彷彿とさせるような
カビだらけのものも見てしまいました

去年作った手前味噌もカビだらけで
捨てなくちゃならないのかなと
恐るおそる新聞を取り除いてみたら。。
やっぱり、木のふたはカビだらけ。
「はぁ、だめだったか。。」と思いつつ、ふたもどけてみたら
みそは濃い茶色でカビはありませんでした。
ドキドキしながらなめてみたら、これがうまかった

久しぶりの大仕事の最後に、うれしいご褒美でした。


またまた園を変更

2009-02-04 23:30:00 | 家族・家のこと
またしばらくご無沙汰してしまいました。
インフルエンザになっていたのは息子なのに、
彼が幼稚園に復帰した後、私のほうがなぜか
疲れてしまってました。
先週末は再度岐阜へ行くことに。
それは、またまた幼稚園/保育園を
検討しなおすことになったからです。

きっかけは先日の心理学ワークショップでした。
いつものように様々な心理学のキーワードが書かれた
セラピーカードを1人ずつ引いていったら、
誰かがビジョンというカードを引きました。
そのカードには、海に小舟が浮かんでいて
水平線の右側の方に灯台、左側の方に島があり、
小舟は舳先を灯台に向けつつ
左側の島のほうへ向かう流れに乗っている
イラストが描かれていました。

泰三さんの解説では、
灯台が描いたビジョン、
そして島は実際に行きつくところとのことです。
ビジョンや理想は必要だけど、
それにあまりに固執すると
予期しなかった大きな力の助けを得られないそうです。

その解説を聞いて、「これって、私の子育ての話みたい」
と思いました。
私は自然育児やシュタイナー教育に共感しているのですが、
息子の面倒をよく見てくれる夫の両親の世帯は
それとはほど遠い子育て環境なのです。
私が子育てをしながらもいろんな活動に関われたのは、
夫の両親がいつも息子を見ていてくれたからで、
本当に感謝しているのだけど、
その手前なかなか私の子育ての方針について
お願いができなくて、ジレンマを抱えていました。

それでそのことを泰三さんに話したら、
やはりあまりに理想にこだわりすぎると
「私が正しい」「あなたが間違っている」という
争いになってしまい、疲れ果ててしまうだろうと言われました。
また、保育を受けるのは私でなく子どもだとも言われ、
はっとしました。
確かにそのとおりです。
それで、幼稚園は送迎やお弁当の負担が大きい
シュタイナー教育の幼稚園をあきらめ、
以前から夫の両親が勧めていた近くの園を
選ぶことにしました。


そんなわけで、先週の土曜日にその園を
見に行ったのですが。。
「う~ん、やっぱり違う」って私の感覚が言います。
こんなにプラスチックだらけ、どぎつい色だらけなの?
体育とか英語の授業なんていらないよ~。
こんなにそばに山があるのに、
遊べるのは狭く囲まれた園庭と屋上?
私の感性はもう泣き出しそうでした。
ちょうど読んでいたデービッド・アイクの本で、
自分ではなく周りの人の意向を優先すべきでないと
書かれた部分にあたったので、なおさらでした。

ただ、今日ふと気づいたのは、
私は幼稚園に子育てのあれこれを期待しすぎているのでは?
ということでした。
園が私の子育ての方針と違っても、
自分ができることはたくさんある。
そう思ったら、気が楽になり、
何ができるか考えをめぐらせ、楽しみになってきました。

いずれにしても、子どもは愛されることが一番大切で、
他のことは二の次だと思います。
子どもがいろんな人の愛情や助けを得られるように、
子どもを愛せる自分でいるために、
結局いい選択だったと思えるようになってきました。



追記:
書きたいことがたまっていたので、
そのネタを思いついた日付あたりにさかのぼって、
別の記事をいくつかアップしていきたいと思います。