摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

弱さは強み

2009-02-25 23:59:35 | 気づき
今日はまた息子にイライラする日でした。
朝ご飯はすんなり食べてくれたものの、
その後の歯磨きをしてくれないので、
だんだん頭に来て、
「もう幼稚園に連れて行かないよ!」と
怒鳴ってました。

幼稚園へ向かって息子と歩いているとき、
なんで私はさっき怒ってたんだろうと
振り返っていました。
きっかけは息子が歯磨きをしなかったことですが、
なぜそれに腹が立ったんだろう?

「出てくる感情は、
もともと自分の中に持ち合わせていたもの。
怒りはその出てきてしまいそうな感情を
無理やり押しとどめようとするためのフタ」
というのが、私が学んだ心理分析で言われていることです。
それを思い出しながら、自問していくと
「いろいろやりたいこと、
やらなくちゃならないことがあって忙しいのに、
あんたが邪魔してる」
「子育てなんかしたくなかったのに」
といういつもの言葉がまず出てきました。

私たちはできちゃった結婚だから、
「子どもなんか欲しくなかった。
結婚なんてしたくなかった」という気持ちをなくすのは、
無理かもしれないなぁと思いました。
責任を持ちたいって、
つい先日格好いいこと書いたばかりなのに、
すぐまたこれだし。
でも、いつまでも同じことを繰り返していたくはないわ。

「でも、気長に息子と付き合う代わりに
私がそんなにやりたい、やらなくちゃならないことって何なの?」
と、また自問してみたら、
自分が好きな企画の仕事とか、家事とか思いつきました。
「でも、そういう仕事も結局誰かの役に立ちたいとか
喜んでほしいからやるんでしょ?
それなら、パソコンに向かって文書を作ったり、
掃除をしたりすることより、
目の前の一番身近な人間とじっくり関係を結ぶことのほうが
大事じゃない」
この前、心理分析の講座仲間に言われたことと
同じような言葉が自分の中から返ってきました。

それにしても、できちゃった婚という経緯から来る
「無理やり子育てをさせられている」感じを
どうしたら克服できるんだろうか?
何かこういう思いをすることに、大きな意味があるのか?

とりあえず、この間仲間にもらったアドバイスに従って、
誰かに相談してみようと思いました。
そして、「あ、そうか」と1つ気づきました。
自分が本気で苦しんで、誰かに助けを求めるという経験は、
後々同じように苦しむ人の役に立つことがあるかもしれないって。

そして、夕飯の片づけをしているときに
もう1つ気づきがありました。
私は子育てでこんなに悩んで、自己嫌悪に陥っている。
そんな弱さが、他の多くのお母さんたちから学ぶための
謙虚な姿勢を作ってくれるし、
助けてもらう余地ができる。
ちょうど泰三さんの車椅子が、
人と人をつなぐ接着剤になったように。
これも「問題の裏に才能あり」ということかな。

それで、いろんなお母さんの経験を聞いてみたいと
思うようになり、講座仲間の何人かのお母さんたちが
思い浮かびました。
自分が仲間たちの最初のクライアントになろうと思っていたわりに、
何を相談しようかと思っていたところでした。
これもプロセスなのかな。
今日は息子が熱を出して幼稚園から帰って来てしまったので、
電話でゆっくり話せる時間がなかったけど、
明日時間をとってみたいと思います。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
男性的視点からすると (太陽と月)
2009-02-26 10:26:42
私自身は女性ではありませんし、子供は自分が欲しくて作ったので、立場や環境は違いますが、くしゃなさんの感情は良く分かります。

女性と違い、男性の場合は、子育てに対するストレスというより、家族を守るために、外で厳しい現実と対峙した際、家族を捨ててもっと自由に行きたい、というある種の誘惑に突き動かされるのかも知れませんね。

なので、いつの時代も、メロドラマで普通の家庭において、浮気騒動が起こったりしているのだと、個人的には思ってます。

女性・男性に関わらず、義務をそのまま義務としてのみ捉えると、それが辛くなって、ついついイライラしたり、違う世界に逃げ出そうとしたりするのかも知れないですね。

この世に起こる事は、必然・必要・ベストであるとするならば、ある種、ネガティブな感情や行為もトータルで見た場合には、必要な事なのかも知れません。

何度も湧き上がってくるネガティブな感情には私自身も相当苦しめられてますし、そこから起因する肉体的反応や悪習にもホトホト困り果てています。正直、何度同じ事を繰り返せば気が済むのか、という後悔も頻繁にあります。しかしながら、その感情や行動自体が本当に悪い事なのかというと、そうとばかりは言い切れず、その感情や行動自体を否定する社会常識や、倫理観や、世間体といったものの縛りによって、否応なく”悪”のレッテルを貼られているケースも散見されます。

何が正しくて、何が間違っているかは、非常に相対的なものであり、かつ絶対的部分も含んでいるので、本当に理解が難しいです。

自分自身は、どんな馬鹿な行動や、否定的な感情が起こっても、それを後悔はするものの、そんな事をしでかした自分自身を愛し、その経験や感情を学びの一つとして中立的に把握する事で、何かしら魂レベルでの成長が出来ているのでは、と勝手にいい方に捉えています。



返信する
すべてに意味があるとしたら (かおる)
2009-02-26 16:20:13
太陽と月さん

最近の太陽と月さんの日記を見て、
「あ、私と同じだ」と勝手に思ってました

私も、世の中に起きることすべてに
意味があると思っているので、
今自分に起こっていることには
どんな意味があるだろうと
いつも思っています。

1つ言えそうなのは、
こういう感情のどん底の後に、
上の段階への成長があるということです。
それは、私自身や心理分析の仲間に
起きたことを見ていて実感したことです。
たとえてみれば、大きくジャンプする前に
一度体を低くしてしゃがみこむような
ものかもしれません。

私自身は早く次に行きたいから、
できるだけ自分の中にあるごたごたを
包み隠さず広げてしまおうとしています。
周りで見てる人にとっては、
迷惑かもしれませんけどね


返信する

コメントを投稿