摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

水に流すな!

2005-10-22 01:43:27 | 社会活動
再び、市の情報公開窓口に行った。
昨日論点を整理した後、
市が出した路面電車存続の場合の収支予測に
腑に落ちない点があったので、
積算根拠を請求するためである。
窓口に10月15日号の「広報ぎふ」が置いてあった。
「市長の元気宅配便」という市長のコラムの中に
「路面電車」という文字を見つけ、文章を斜め読みした。
以下はその抜粋である。(全文はこちらから)

「長年市民の皆さんに親しまれた路面電車が廃止され、
新岐阜百貨店やパルコの撤退が報道されました。
また中心商店街からはかつての賑わいが消えました。
・・・(中略)・・・
これらは今突然に起こった現象ではなく、
長い歴史の中での必然という一面もあると思います。
今重要なことは将来の社会の変化を適確に把握し、
新たな社会に持続的に対応できるシステムをつくることだと思います。」

そしてこのコラムは、以下の一文で結ばれている。
「過去のみにこだわらず新時代に目を向けることが重要だと思います。」

読み終わって、腹が立った。
自分が責任の一端を負う街の問題に対して、
まるで不可抗力の自然現象であったかのような言い方だ。
そして、「過去ではなく、未来を見ろ」だって?

この人のこういう責任逃れ、言い訳がましい言動は
今に始まったわけではない。
路面電車の存続断念を記者発表した席で、
市民の意見を十分聞く姿勢をアピールするがごとく、
「市民交通会議」の設置を発表した。
ところが、「市民」交通会議と名前がついてはいるが、
公募の市民は3名のみ。
「有機野菜」と表示をつけて、
少し有機肥料を使っただけの野菜を売っているようなものだ。

だが、もっと問題なのは、最後の文に書かれたような姿勢の方だ。
過去の問題をよく検証しないまま、
未来について語ろうとすることだ。
産廃問題の際にも、問題の検証が終わる前から、
「再生」の方策を検討し始めた。
何が原因で問題が起こったか分からないまま、
どうして「再生」の方法など考えられるのだろう。

「過去に目をつぶる者は、現在に対しても盲目である」と言ったのは、
ドイツの元大統領ワイツゼッカーである。
一方、日本では過ぎたことは「水に流す」ことを好む。
この姿勢がいかに多くの日本の問題を放置してきただろう。
水に流すのは、トイレットペーパーだけにしてほしい。